prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ベニスに死す」

2006年11月29日 | 映画
中学生で初めて見た時は20分で退散した。
20分間、ストーリーがまるで動いていないのだから、こういうタッチに慣れてない人間にはナニゴトかと思ったぞ。何度も見ているうちに慣れてきたが。

名画座で見た時、間違えて紛れ込んできたオヤジが、「あいつ(主人公のアッシェンバッハ)は頭がおかしいのではないか」と、ひとしきり騒いでそのうち出て行ったが、美少年趣味といい芸術家の役割についての自問自答といい、わからない人間にはおよそ理解を絶しているには違いない。
正直、こっちにとっても接点はあまり見出せない。

最初の方、リドに上陸したアッシェンバッハがまとわりつく子供を傘で追い払うような仕草を見せる。
少しあと、ホテルでエレベーターに乗ろうとすると、男の子たちがわっと騒ぎながら走り出てくるのが神経に触る。
優雅一方ではなくて、ガサツな連中にも目が行き届いている。

タジオの兄弟は全員女の子で、やたらとおとなしくお行儀がいい。
その頂点にいて優雅をきわめているのがシルヴァーナ・マンガーノの母親で、この一行がベニスの街を歩き回る場面の、タジオのアッシェンバッハを意識しているようなしていないような、誘っているような無視しているような動きのつけ方は、演出芸術そのもの。
故・淀川長治氏は、汚染された物を燃やす炎と煙の向こうのタジオが一瞬悪魔とも見えると指摘していた。

後期のヴィスコンティ作品のカメラワークはズームとパンが目立つようになるが、これは特に頻出している。頻度からいけばニュー・シネマ(死語?)並だ。
極端に主人公の主観に密着している効果はある一方、画面の奥行きとか立体的構成感、といったものが損なわれる面がある。



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ベニスに死す

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