大統領の料理人がなんでまた南極まで来ているのか、という謎かけと謎解きというのも一応あるけれど、それほど引っ張っているわけでも謎が解けてすっきりするわけでもない。
南極料理人といっても、食材も調理法もそれほど内地と違っていないみたいで、卵まで粉末にして携行した日本の南極料理人とはずいぶん違っていて、基地自体の立地や人数の違いもあるにせよ、いいもの食べているなあと思う。その分、内地とのコントラストも弱くなった。
大統領の食を任されて、健康管理にむしろ反発するっていうのはどんなものだろう。脂や塩分・糖分を控えておいしくするという挑戦はないものだろうか。
モンテスキューの「過度な食事制限は病気である」という言葉が引用されるように、美食万歳っていう立場なのかなと思わせるが、一方で自然な味付けが推奨されたりするので、どういうのがいいのかわかったようでわからない。
主人公はいいトリュフを手に入れることに執着しているわけだけれど、トーストの上にサラミソーセージみたいにずらっと薄切りのトリュフを並べるのにはちょっと驚いた。
料理人が主人公ということで、料理ができて供されるところまでは見せるけれど、食べるところはほとんどない。むしろそれが良かった。ものを食べるというもろに生理的な行為をきれいにドラマの中で見せるっていうのは、実際は相当に難しい。おいしそうに感じるときというのは、意外と実際には見せていないことが多い。
おばあちゃんの味、というのを料理のあるべき基準にしている。オーギュスト・エスコフィエが自伝でフランス料理のすぐれた点というのは畑や野山や海といった自然に恵まれいい食材が手に入ることと、家庭内で料理が受け継がれていることに求めていたのに準じている感じ。
(☆☆☆)


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