何十年にもわたる実写映像が次々と現れるのはテレビの強みだろうが、失礼ながら地方のテレビ局(東海テレビ)がよく意地と底力を見せた。本当は、これほど長い期間にわたらない方がよかったのだが。
時あたかも名古屋高裁に第8次再審請求を申し立てたばかり。
「最高裁に出した毒物の鑑定手法などに関する最終意見書を再提出した。弁護団は『最高裁が意見書を検討した形跡がなく、新規性を失っていない』と主張している」(毎日新聞)。
それにしても、これだけ物的証拠を崩されてもなお自白に頼り続ける判決というのは何なのだろう。人は目の前の苦しさを逃れるために長い目で見たら明らかに損であっても嘘をつくこともあるという当たり前のことがわからない裁判官たちには人間の感覚が決定的に欠けているとしか思えない。
死刑を執行しないというのは結局自信が持ちきれないからという他に考えられない。司法は何を待っているのか、と問いかけられるが、はっきりしている。帝銀事件の平沢貞通のように獄死するのを待っている以外考えられない。責任ある「はず」権力者がいかに無責任かを改めて教える。
ここでは裁判官に話を絞っているが、検察の判断と動きについても知りたくなった。
「上」の裁判官の決定に従う裁判官が「出世」して、覆す判決を書く裁判官はドサまわりをやらされる構造がありありとわかる。それぞれの判決を書いた裁判長の顔と名前をはっきり出しているのもその責任を問う姿勢をはっきり見せているといっていいだろう。
仲代達矢は50代から80過ぎまでを演じ分け、しかもほとんど一人芝居か極度に制限された面会室の二人芝居しかないところになお新境地を見せる。
わけだが、考えてみると50年獄中にいるは仲代の「切腹」から後の出演作を見ていないことになる。その量を考えてみると、まったく違う意味の50年の厚みにめまいがする。
十八戸しかない村で十二人が倒れ五人が死ぬというのはとんでもない事件で、村人以外に犯人がありえないというのが本当なら(この点については映画でもまったく疑義は提出されない)、他の犯人はごく絞られるはず。しかし真犯人探しにはまったく行かない。
おそらく差しさわりがあるからだろう。
若いときを山本太郎がやっているのが今の時期だと妙な感じ。
正月に塀の外の母親が粗末なお雑煮を食べているのに対し、塀の中では小さいながら一応尾頭つきの鯛が入ったおせちが出るというのが、なんだか皮肉。
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約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯 - シネマトゥデイ
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