のちに名優と言われる人だけれど主演のマイケル・ケインがコネリー同様、イギリスの労働者階級の出身という点でも共通していて、独特の酷薄な感じを強く出している。
007のように派手で荒唐無稽なアクションを見せるわけではなく、一見かなり地味でドンパチも控えめというか直接描くより事後描写で替えているところが多い。
出だしで寝起きでコーヒーをいれて飲む丹念な描写など、「動く標的」や「ロング・グッドバイ」などに先立つものではないか。
しかしシドニー・J・フューリーの演出が石上三登志は鈴木清順の日活時代の作品と比べて論じていたりしたように、娯楽映画のフォーマットを守った上で独特の映像的なケレン演出を入れてくる。
典型的なのが画面の随所にポストやランプシェードなどの赤を配して、クライマックスのハリー・パーマーが拷問に耐えるために自らの手を傷つける血の赤にまとめるといった色彩演出や、極端な仰角や俯瞰といったアングルの凝り方。
演出そのものによってストーリー以外の映画ならではの論理や飛躍を紡いでいくといった一種の実験性がある。
それがもっと極端になったところにたとえばジョン・ブアマンの「ポイント・ブランク」などもあるのだろう。
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