prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「そして僕は途方に暮れる」

2023年02月12日 | 映画
前半、主人公があまりの生活上の無能力無神経+浮気で同棲中の彼女にマンションを追い出されて(というか、自分から逃げ出して)放浪する羽目になり、知り合いのところを点々とし、その度に無神経と生活能力のなさを露呈しては追い出されるあるいは逃げ出す自業自得の半分喜劇の地獄巡りがセリフも芝居も好調で、ひきつるような笑いで乗せられる。新宿近辺のロケ効果も好調。
そしてついに苫小牧の実家の母親のもとに帰ってきたはいいが、ここでさらにとどめを刺されて、ということになるのが時節柄ことに効く。

通して見ると、東京→苫小牧→東京の三幕構成なのだが、この二幕目の苫小牧のラストでTHE ENDと出る。実は劇中の映画館で上映中の映画のラストで出ていたエンドマークなのだが、てっきりここで映画そのものの終わりだと思ってしまった。
早とちりする方が悪いと言われればそれまでだが、その前がかなり東京に出ていた登場人物(もともと同郷人多し)もかなり集まり良さげなムードで終わるのでここで終わってもおかしくないというか、座りはそれなりに良いと思う。

つまり座りがいい分、三幕目のどんでん返し的な展開がすごく蛇足感というか間延びして見えることになってしまった。似たようなアップの芝居が続くこともあり、元は舞台劇だというが、少なくとも映画のテンポでいったらどんでん返し的な処理はもっとスマートにいかなかったものかと思う。伏線ははっきりわかるのだし。

冒頭から結束されたキネマ旬報のアップから始まったり、本棚に「優作トーク」などといったかなり古い映画書があったり、先輩の部屋にウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」のポスターが貼ってあったり、後輩が映画製作の現場で働いていて、苫小牧でも父親と映画館に連れて行ってもらっていたというといった具合に、これが映画であることに自覚的な作りで、THE ENDもその延長にあるわけで、二度見直したらかなり見方が変わる可能性はある。
ただ、映画を見ている側とすると映画であることは忘れたくはあるのだね。

東京のテレビについている番組がどれもサンドウィッチマンが出ているものだったのに対して、苫小牧のそれが明らかに毛色が違う、第一テレビがブラウン管というのが芸が細かい。