第二次大戦下のナチの敗色が濃くなってきた頃の若い時のインディをまず見せておいてから(ハリソン・フォードは若く見せるデジタルメイクを施されることになる)、それから20年以上経った宇宙開発たけなわの1969年頃の、つまり今の実年齢の設定のフォードを、それも半裸の姿で見せる。
フォードが年取ったことを自然に見せる工夫というわけだろう。
終盤になると時系列がムチャクチャになって、四作目でどうかと思わされたオカルト色がもっとエスカレートして荒唐無稽も極まれりとなる。
なんだか人を殺しすぎ。このシリーズでは最初からそうだと言われればそれまでだが、アントニオ・バンデラスの出番など、あれこれで終わり?と思わせる。
マッツ・ミケルセンがナチを蘇らせたのをヒトラーを称えるためかと思ったら実は逆というのをもっと生かせたのではないか。
地下鉄の場面は70年前後のかつて荒廃していた時代を考証的には出している。馬で乗り込んでいくシーンはNYの騎馬警官を生かしたわけだけれど、今さらながらどうやって撮ったのか。
ビートルズの曲をワンコーラスかけたのには、ずいぶん権利金かかるだろうに、おカネあるのねーと感心した。
インディが名付け親になった子が半分敵役半分味方というのは微妙な匙加減で、扮するフィービー・ウォーラー=ブリッジは脚本家でもあって「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の脚本にも参加している。というか、テレビのコメディ「フリーバッグ」の脚本家が007にも参加したというのが正確な位置づけらしい。
ずいぶん背が高いなと思ってたら、1m77cm。