prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「きみに読む物語」

2005年03月09日 | 映画
話の仕掛けはすぐ見当がつくので、小出しに謎解きしていく構成がかなりまだるっこい。クライマックスの後の締めくくり方なども二段切れぎみ。
細かい恋愛描写がもうちょっと引っ張りこむ力があるとよかったのだが、初めの頃ヘタするとストーカーと間違えそうでつまずく。

ジョアン・アレンの母親や婚約者など、恋路を邪魔するキャラクターが単なる仇役ではなくそれなりの事情があるのを出そうとはしているが、まだ中途半端。
こういう比較はどうかと思うが、監督(ニック・カサヴェテス)の父親のジョン・カサヴェテスは脇と主役で人物の扱いを本質的に変えずに、全員が自分の人生の主役って描き方したぞ。

過去のシーンで時代色や貧富の差がよく出ている。
画面がやたらと綺麗なのは、善し悪し。
後半ウォルト・ホイットマンの詩が朗読される場面があるが、前半ヒロインがいる教室の黒板に「草の葉」の一節が書かれている。

chemistryのプロモがエンドタイトルの後につくのは、まったくの蛇足。途中で出た。
(☆☆☆)



きみに読む物語  - Amazon

「オオカミの誘惑」

2005年03月08日 | 映画
およそ格好よくない女の子(舞台挨拶で見たら可愛かったぞ)に、優男とワイルド系のいい男二人が絡む、絵にかいたような夢物語。下手するとドロドロになりそうな設定も入ってくるのだが、あくまで夢を壊そうとしない作り。その分アクセントがなくて2時間近くはキツい。

オープニングはこの監督の前作「火山高」みたいにやたら凝った映像処理でまたヴァイオレンス・タッチで行くのかと思ったら、後はおとなしくなる。かといって甘甘にも徹しきれていない。
写真は、文京シビック大ホールの一階から地下ニ階までえんえん続く行列。カン・ドンウォンは身長186とか7とかいう長身で、舞台に立っても目立つ。白の上下に上着の裏地は赤、広い藍色の襟といういでたち。
(☆☆☆)



オオカミの誘惑 - Amazon

「シャドー・メーカーズ」 題名の影

2005年03月08日 | 重箱の隅
シャドー・メーカーズ(字幕スーパー版)

CICビクター・ビデオ

このアイテムの詳細を見る


ビデオ題名は「シャドー・メーカーズ」だが、原題は「ファットマン・アンド・リトルボーイ」。ポール・ニューマン主演の日本劇場未公開作。ファットマンとリトルボーイとは、それぞれ長崎と広島に落とされた原爆のコードネームのこと。

デブとチビとはふざけた名前だと思ってたが、その由来というと、かなり物騒。
同じ原爆とはいっても使っているのはそれぞれプルトニウムとウラン235と別物で、ウランの方はすでに実験も成功していたが、当時の技術では一発分の分量を集めるのがやっと、プルトニウムは量は集めやすいが実験する暇もなくしかも爆弾の図体が大きくて爆撃機に積めるぎりぎりの大きさだった。
あまりに大きかったため通常の方法では搭載する事が出来ず、穴を掘って爆弾を埋め、その上をB-29にまたがらせた上で原爆を吊り上げたくらい。だから後者をファットマンといい、それとの対照で前者はリトルボーイといった。

長崎の方は落とす場所もちゃんと決まっておらず、小倉にする予定もあったのが、出たとこ勝負で主に天候で決めたわけだし、つまり一発で済むのをやたらと急いで二種類の爆弾が使われた。なぜかって? そりゃあ、戦後処理用に核兵器のデータをとるためですよ。
それぞれの被害の様相を、占領軍は当時貴重だったカラーフィルムを使って記録しているのもその現れ。露骨に言えば、日本人で人体実験したってわけ。

ちなみにその記録班に「姿三四郎」「人情紙風船」「ハワイ・マレー沖海戦」のカメラマン、三村明がいた。カメラマンとしての腕とともに、アメリカで「市民ケーン」のグレッグ・トーランドの助手をつとめたりして英語が話せたから。




山種美術館と昭和館

2005年03月07日 | Weblog
九段下の山種美術館で「横山操 『越路十景』と日本画の風情」。
「蒲原落雁」の新潟の防風林がずらっと植わっている風景は、「はなれ瞽女おりん」で見た風景。幾何学的でもあり、自然美でもある。
山肌の照り返しを金色で、残雪を銀色で描いた大胆な表現。

続いて昭和館で入場無料なので「戦中・戦後のマンガと子どもたち」。
「チンポモドコ」という雑誌があるので、何かと思ったら「コドモポンチ」を右左逆に書いていただけだった。
なんだか戦中・戦後のマンガというのは、ギャグのつもりなのかどうかわからないギャグや、妙に予定調和的なところなど、最近だと聖教新聞の「バリバリ君」みたい。
そういったら、この施設自体がかなり異様な雰囲気だが。

一階のニュース映画コーナーでは、黒澤明が「蜘蛛巣城」を持ってロンドンでマーガレット王女に叙勲されたニュースが上映されていた。息子の久雄がまだ子供で横で笑っていた。


「スティング」とポール・ニューマンのH好き

2005年03月06日 | 重箱の隅
スティング

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

1930年代の大不況時代のアメリカのコン=マンにチャールズ・ゴンドルフという人がいた。コン=マンというのは「スティング」のポール・ニューマンやロバート・レッドフォードのようなスマートな詐欺師のこと。
で、「スティング」のニューマンの役名はヘンリー・ゴンドルフ。「ハスラー」とか「ハッド」の成功にあやかってか、ニューマンはHのイニシャルを好む性癖がある。「動く標的」では原作の主人公の名前リュー・アーチャーをルー・ハーパーに変えたくらいで、これもその伝のうちだろう。

なお、詳しくはこちら↓ 
この写真ではわからないが、帯に「スティング」のネタ本とあった。実際、あそこで使われた手口の大半は実際に使われたものであることがわかる。

詐欺師入門―騙しの天才たち その華麗なる手口

光文社

このアイテムの詳細を見る




劇団NAC公演「Macbeth」

2005年03月06日 | Weblog
三人の魔女がころころした若い女の子で、文字通り姦(かしま)しく喋りまわり踊って歌り、コンビニで買ってきたと思しきフライドチキンにかぶりつく(ふりをする)。
ラスト、マクベスが滅んでも、また同じ魔女たちが現れて冒頭の台詞を繰り返す。
特に現代化しているわけではないが、権力や殺人についてのドラマは嫌でも今に通じる。

一人のとびきり背の低い女の子(美月愛)が男の子の役を二役でやったり、マクダフが亡霊になって甦るだけでなく、ラストの軍隊にも同じ役者(蛯原祟)が混ざって旗を持ってたりと、一人で何役も演じるのが、面白い効果。

マクベス役の白州本樹は、なかなか男前。マクベス夫人のShibaは、丹波道場の出身でこの劇団の主催者。

セットは幕と階段とポールしか使わず、もっぱら台詞だけでちゃんとドラマが作れるのだから芝居は(シェイクスピアは、というべきか)面白い。



検診結果

2005年03月05日 | Weblog
癌検診の結果が送られてくる。胃・腸・肺ともにシロ。一応ほっとする。
自覚症状が全然ないから大丈夫だろうと思いながら、自覚症状が出るようでは相当深刻なわけで、封筒開けるまでヒヤヒヤする。

肺の検診のため痰を取らなくてはならなかったのだが全然出なくて困ったのに、今になって風邪でもういらないってくらい出る。



ポチョムキン

2005年03月05日 | 重箱の隅
ロシア革命時の戦艦の船員の叛乱と勝利を扱った旧ソ連映画「戦艦ポチョムキン」は長いこと映画史上の最高傑作の地位をほしいままにしていたのだが、ソ連崩壊後のロシアではてんで不人気だという。ポチョムキン、というのはエカテリーナ女王が領地に視察にまわってきた時、食糧や衣服などごく貴重な贅沢なものを集めて、映画のセットまがいに村人が豊かな暮らしをしているかのように見せかけ(北朝鮮かよ ! )御機嫌を取結んだ公爵の名前。
別に映画がハリボテとは言いませんけど(と、いうか勧善懲悪のアクションものとして無類に面白い)、なんだかなあ。




戦艦ポチョムキン

アイ・ヴィー・シー

このアイテムの詳細を見る

「ボーン・スプレマシー」

2005年03月05日 | 映画
最初から最後まで追っかけが続くから、ほとんどダレ場がない。
追われる展開については、危機また危機を乗り越える知恵の使い方といい、ドイツやロシアなどの大がかりなロケーションの緊迫感といい、文句なし。
ただし、ボーンが自分の失われた過去を追う方は、画にしにくいこともあってか、ほんのつけ
たり。
もっと露骨な理由としては、あまり過去を明かさないで更なる続編に客をつなぎとめるためだろう。

非英語圏でその国の言葉でだいたい通しているのもいい。もっとも、大詰めの大事な会話で途中からロシア人の方から英語を話し出すのは、相変わらず。ボーンのロシア語の方がうまいのでないと、優秀なエージェントって感じにならないと思うのだが。
(☆☆☆★★)


「カサブランカ」とヴィシー

2005年03月05日 | 重箱の隅
「カサブランカ」のラストで、クロード・レインズの警察署長が手にしていたガラス瓶をクズ籠に放り込み、その瓶をわざわざアップで撮っているシーンがあって、なんであんな風に強調していたのだろうと不思議だったのだが、あの瓶はヴィシー産のミネラルウォーターで、当時のドイツ占領下フランスで親ナチスだったヴィシー政権にひっかけて揶揄していたというわけ。
なお、ミネラルウォーターの方のヴィシーは肝臓にいいと言われ、飲み過ぎ食べ過ぎの時によく飲むらしい。あの署長、美食家なのかな。



カサブランカ 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ

このアイテムの詳細を見る

「いまを生きる」の複数の結末

2005年03月04日 | 重箱の隅
ネットで「いまを生きる」(原題“Dead Poets' Society”)の英語シナリオを検索してみると、クライマックスが生徒の一人が学園祭で自作の詩を朗読する場面になっているのにびっくりした。そういえばまた聞きだが、先生が白血病で死ぬという案もあったという。いま実際ある映画のラストが一番いいな。



いまを生きる

ブエナビスタ・ホームエンターテイメント

このアイテムの詳細を見る

劇団無限蒸気社第9回公演「BARBER ORCHESTRA」

2005年03月04日 | Weblog
「おばあちゃんです。もうすぐ生まれます」というコピーそのまんまの内容。難しくてよくわからん。
一番前に座っていたら、何百枚という新聞紙が天井から降ってくるクライマックスで新聞が3回もぶつかってくる。その一つは「朝日こども新聞」。

地下鉄のポスターのたけしの顔が小泉純一郎の顔に見えた。眼が据わった表情でいると、結構似てる。

スーパーで、田代まさしが頭を丸めたみたいな顔の人とすれ違ってびっくり。



CMに見る映画字幕風の字体

2005年03月03日 | 重箱の隅
CMで映画の字幕文字風の書き文字の字体を使うことがあるけれど、どういうわけかほとんど必ず間違うところがある。句読点「、」や「。」を使うことです。

実際の映画の字幕では句読点は使わないが、CMでは平気で使っている。知らないのか、使わなくてはいけない規則でもあるのか。

CMって妙な規則があるからわからない。たとえばオロナインCみたいな“医薬用外品”だと口をつけて飲んでいるところを見せてもいいけど、同じドリンク剤でも“医薬品”扱いだと飲んでいるところを見せてはいけない、とか。
そのくせ酒やサラ金の広告は山程やってるんですけどね。
そろそろ煙草のCMは、全面禁止になります。


「セルラー」

2005年03月03日 | 映画
ストーリーがラリー・コーエンなので、公衆電話周辺に限った「フォーン・ブース」(では脚本担当)の姉妹編みたいなものかと思ったが、シンプルなワン・アイデアを細かいアイデアを膨らませて詰め込むやり方は、近頃珍しいB級らしい作り。
ムダに2時間を越す映画が多い中、上映時間1時間35分と聞くとそれだけで手を合わせて拝みたくなる。

階段の途中でちょっとでも動いたら電波が途切れそうになったり、バッテリーが切れそうになったり、トンネルに入りそうになって慌てて引き返したりといった、考えられるケースを次々と丹念に生かしている知恵の使い方がいい。

金魚鉢を壊して悪人の気を引き付けるシーンが終わった後、ちゃんと金魚が小さい容器に移されて生きているところを見せる(それも特に強調しないで)というあたり、芸が細かくて嬉しくなる。あまりムダに人が死なないのもいい。
イヤミな弁護士(アメリカ映画では、本当に弁護士のイメージが落ちた)が文句をたれている後ろでその車が盗まれる、横長のサイズを生かしたマンガ的な構図のおかしさ。
警察に頼れなくなる設定の仕方、事件の背景をビデオ映像で説明ぬきでわからせてしまう経済的な語り口。

クライマックスで誘拐された連中があまり絡まない、ややムダにドンパチやカーアクションが入っている、のは残念だが、CGや爆発のアトラクションをむやみと詰め込んだバカでかくて大味なステーキみたいな映画が幅をきかす中、きちっとできた定食みたいでほっとする。

ただ、これくらいの出来と作りの映画は、前は珍しくなかったのだが。
(☆☆☆★★)



セルラー - Amazon

ドアの外開き内開きあれこれ

2005年03月03日 | 重箱の隅
山田洋次の「虹をつかむ男」で、映画館のドアが内開きになっていたのには驚いた。
映画館に限らず、大勢の人が集まるところのドアは必ず外開きだ。そうでなかったら、火なり地震なりで避難する時、後ろから押し付けられてドアが開かなくなってしまうではないか。撮影所の人間は映画館に行っていないのだろうかと疑ったくらいの凡ミス。

ついでにウンチクをたれますと、銀行の扉は必ず内開きです。強盗が入った時、外開きにしておくと、そのまま扉を突いて開けて逃走してしまいますからね。内開きにして、いったん立ち止まらせて、わずかでも時間を稼ぐようにしているわけです。
先日、落とし物を取りに行って気付いたけれども、警察署もそうだった。

ホテルの客室の扉も内開きです。廊下に向かっていきなり扉を開けたら、誰にぶつかるかわかりませんからね。
ビリー・ワイルダー(合掌)の「深夜の告白」で、外に開いたホテルのドアに人が隠れるシーンがあったけれど、これは知っていてついた映画のウソ。ワイルダー自身、誰も気がつかなかったとうそぶいている。

三谷幸喜の「みんなのいえ」で、デザイナーと大工が玄関のドアを外開きにするか内開きにするかでもめたが(ワイルダーを真似したかな)、なんでそうするのかという理由付けがないので、なんだか物足りなかった。

森村誠一の「東京空港殺人事件」でも外に開いたドアに隠れて隣の部屋に出入りするという場面がありますが、これはまったくの偶然(それも二回も!)という設定なので、ウソがバレバレ。似たような“ミス”であっても、扱い次第でただの欠点か劇的効果を優先したウソか分かれるということになる。