prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「トリプルX  ネクスト・レベル」

2009年03月14日 | 映画


第一作ではヴィン・ディーゼル主演だったのが、アイス・キューブ主演になった(ディーゼルが一瞬、脱獄シーンのヘリコプターにいたような気がした)からといって、何が変わるというものではない。ちなみにまたディーゼル主演で第三作ができるというが、ふーんとしか言いようがない。監督はニュージーランド出身でかつて戦士だったマオリの男たちが今では酒くらって妻にDVをふるうだけに成り下がった姿をハードなヴァイオレンスを交えて描いた「ワンス・ウォリアーズ」のリー・タマホリだが、ハリウッドに慣れたここでは大幅に水増ししたヴァイオレンス描写だけが残った感じ。
(☆☆☆)

「アニーよ銃をとれ」

2009年03月12日 | 映画
アニーよ銃をとれ 特別版 [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ

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「政治的に正しい」見方っていうのは味気ないものだが、いったん知ると無視するのは難しい。つまり、バッファロー・ビル率いるインディアンを「飼っている」西部劇ショーの射撃の名人の女がヒロイン、というあたりで人種差別・ジェンダー・銃が作った国、といった今ぐらついているアメリカ的価値観のカードが並ぶわけで、いちいちそれに対する反発を頭ではねのけながら見ても楽しくないのだね。(もっとも、ロバート・アルトマンの「ビッグ・アメリカン」みたいに頭から皮肉に描いてもやはり案外面白くならないのだが)。
満員の客席の前で、実弾使った射的撃ちやるのですよ、的に当たったって、その後弾丸がどうなるのか心配になる。

ミュージカルなのだから、いちいち理屈をこねずに素直に見ればいいと思う一方で、歌と踊りの魅力がそれを無視できるほど大きいかというと、考えてみるとドサまわり一座の話ですからね、なんだか泥臭い。昔のミュージカルのヴォードヴィル芸を見ているとそんなことはいちいち感じないのに。
舞台で見れば別かもしれないが(余談ながら、日本では桜田淳子主演の舞台っていうのがあった)、大がかりな割りに芝居の額縁にいつもはまっているみたいで、案外のれない。


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アニーよ銃をとれ@映画生活

「人狼 JIN-ROH」

2009年03月11日 | 映画

題名から獣のような戦闘能力を持つ男の話かと思ったら、「赤ずきんと狼」をモチーフにした観念劇兼謀略劇なのね。
重火器装備はやたら強力なのだが、街は60年代風レトロの東京で、地下には「地下水道」か「第三の男」かといった大がかりな下水道が通っている、といった反体制ムードと銃趣味との合体。押井守の名前を軽く見てた。

実際どんな音なのかは知らないが。重機関銃の音がハリウッド式のやたら重量感を強調したものではなく、スムースな機械音に近いのが新鮮。
(☆☆☆)


「アメリカン・ギャングスター」

2009年03月10日 | 映画

デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウの二大スター競演には違いないけれど、直接からむ芝居はほとんどなく、ラスト近くになって出会ってからは馴れ合いの協力関係になるのでさほどの緊張感はない。脇のキャストもずいぶん贅沢に固めているが、顔見せの分、間延びしている。
死体に麻薬を隠して密輸するという手口はこの映画の舞台になっている70年代だったらショッキングだったかもしれないが今では常識だし、麻薬取締官が麻薬を横流ししているというのも同様。結局全体にこれといった見せ場はなく、構えが立派な分、エンジンのついていないキャデラックという感じ。
ジョシュ・ブローリンのメイクが、なぜか「Q&A」のニック・ノルティそっくり。
(☆☆☆)


「アフタースクール」

2009年03月09日 | 映画

叙述トリックというのか、展開につれて人物なり設定なりの違う面がつぎつぎと見えてくる作りなのだけれど意外と平板で、最初の方で赤ちゃんを産んだばかりの常盤貴子が化粧してなくてひどい顔でしょといったセリフ言うのだけれどどう見てもびしっとメイク決めてるように、ひとつひとつの具体的な細かいリアリティの詰めが甘くて、十分さまざまな面を乗せた多面体になりきれていない感じ。
(☆☆☆)

「第81回アカデミー賞授賞式のすべて」

2009年03月08日 | 映画
始まる前、ずいぶんファッションチェックがうるさい。ちょっとうんざりするくらい。世界中に放映されますって言って国名挙げたが、中国は入っていても日本には触れていない。
娘を連れて来場したベテランの主演男優賞候補フランク・ランジェラが「スケジュール空いてるよ」というのは、必ずしもジョークではない気がする。

不景気で経費削減といいながらヒュー・ジャックマンがワンマンショー的に活力いっぱいに盛り上げるかと思うと、何十ものミュージカル・ナンバーをコラージュ風に盛り上げ、総監督のビル・コンドンは監督した映画のインテリ臭さから離れたショーマンぶりを見せる。

プレゼンターが歴代の受賞者から五人ずらっと並ぶと、壮観。日本アカデミーで候補者を五人並べるとショボい感じになるのだが。
オリジナル脚本賞と脚色賞が続けて発表というのもたしか初めて、白紙に書かれた元の文章と映画になった場面が同時に示される演出が秀逸。
気のせいか、ノミネートのアナウンスでベン・キングスレーには〝サー〟がついて、アンソニー・ホプキンスにはつかなかった。キングスレーは称号にこだわると聞いたけど、そのせいか。

なんで「ウォーリー」に「ハロー・ドーリー」が出てきたのか不思議だったが、監督のアンドリュー・スタントンが高校の演劇授業で教師に起用されたかららしい。

「おくりびと」の受賞は、流れで見るとエアポケットに入ったみたいな印象。「つみきのいえ」の受賞はラストでダイジェスト風にまとめて流される。wowowの放映ではちゃんと見られたのだろうか。


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「北辰斜にさすところ」

2009年03月07日 | 映画
北辰斜にさすところ [DVD]

東北新社

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前半、旧制高校の生活の描写は、意味不明のかけ声(字幕がつく)なども含めて神山征二郎監督らしいかっちりしたタッチで風俗的に興味をひくけれど、ちょっと硬派風のタッチに傾いて、軟派とまでいかなくても、教養主義的なジェントルな雰囲気がもっと見たい気がした。

中盤から戦争が絡んでくるあたりはやや公式的で、なんで学制が変更されたのか、「民主主義」化がどうやってもたらされてどんな影響を戦後日本にもたらしたか、といったことが批判したいのだけれどちょっとはばかられるといった感じの描き方になって、すっきりしない。
(☆☆☆)


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北辰斜にさすところ@映画生活

「片腕マシンガール」

2009年03月06日 | 映画

ゲテモノ的センスで長編全編を通すのって、普通のドラマ作るのより難しいみたい。
ヒロインの女子高生が片腕につけたマシンガンをばりばりぶっぱなしていじめっ子どもを皆殺しにする出だしは、思い切って噴水みたいに大げさな血しぶきの噴出で半分ギャグに傾いていて良かったのだけれど、回想に入って片腕を失ってマシンガンをつけるまでに小一時間かかってしまうのは、いかんせん運びが悪い。
いったん片腕が天ぷら(!)になってしまうから、これで付け替えるのかと思うとなぜかあまりダメージがないまま「片腕ドラゴン」ばりに両腕使って暴れていて、改めて刀でぶった切られてやっと付け替えることになる。二度手間って感じ。

あと、出だしで殺されたいじめっ子の親が終盤に敵役になって出てくるっていうのはどんなものか。最初に親が鬼畜だから子も鬼畜なのだといった設定にしておかないと、なんか後味悪い。
アクション・シーンの身体の動きがあまり切れ味よくない。
(☆☆★★★)



「チーム・バチスタの栄光」

2009年03月03日 | 映画

原作と大筋は変わらないのに、面白かった部分がそっくり抜けているみたい。
医学的なディテールとか、厚生労働省と現場の医者との関係とかいった部分の書き込みは当然手薄になるけれど、主役二人の凸凹コンビ的な面白さが片方を女にするといった思い切った改変のわりに、なんだかメリハリがきかない。

それにしても、いくらテレビ局製作だからといってここまでCMぶちこまなくていいんでないの。
(☆☆★★★)


「シアトリカル  唐十郎と劇団唐組の記録」

2009年03月02日 | 映画
シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録 [DVD]

株式会社いまじん

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唐十郎の機嫌がいい時と悪い時の差の大きいこと、このドキュメンタリーの監督である大島新(大島渚の次男)にまで噛み付いてきて、カメラごと追い出したりする。

何か貧乏学生生活を二十年以上続けているような、大勢で車座になって焼酎を飲む座員たち。今どき、ああいう飲み方をする社会がほかにどれくらいあるものか。

ラストで、カットと声がかかってカチンコが写り、七割はドキュメンタリー、二割はドラマ、一割はどちらともいえないと字幕が出るが、わざわざこんな今村昌平が42年前に「人間蒸発」でやっていたような真似して言わずもがなのこと言わなくてもいいのにとちょっと思わせる。



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シアトリカル  唐十郎と劇団唐組の記録 公式ページ

イプセン作『野鴨』

2009年03月01日 | Weblog
作/ヘンリク・イプセン 構成・演出/原田一樹 
劇団キンダースペース第30回公演
出演/瀬田ひろ美・平野雄一郎・小林元香・古木杏子・嶋崎伸夫(青年座)・白州本樹(スターダス・21)・うえだ峻 他
シアターX(cai)カイ

歌舞伎の花道のような通路が客席を貫いてしつらえてあって、その一番後方に「野鴨」がいる屋根裏部屋がある、という設定になっている。「野鴨」を直接見せないのはその象徴的正確からして当然だが、存在を背後にまわすことで、その象徴性が個々の観客の「心の中」にあるかのような効果があがっているように思う。

夫婦の結婚してからの歳月と娘の年齢とが微妙に近いこと、二人のまるで別々の境遇にいるはずの人物がなぜか同じ病気を抱えていること、といった伏線が次第に立ち上がってきて、最後の銃声一発に集中しきる劇構成の巧みさ。

余計な「理想」を掲げて知らなくてもいいことを夫に知らせ家庭を破壊してしまう金持ちの親に反発している息子に、たとえば社会主義者の面影を見る。



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