prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

山の湖 2

2020年08月15日 | 山の湖

「ありゃ、なんだ」
「馬鹿、金じゃねえか」
「金って何だ」
「見たことねえのか。お宝じゃねえか」
「お宝って何だ」
「お宝って、その何だ。探しに来ていたものよ」
「そうなのか? なんで探しに来てたんだ」
「そりゃ、お宝があればなんでも手に入るからよ」
「ホントか? じゃあ、ここにいくらでも女が降ってくるわけか」
「馬鹿、そんなわけないだろう」
「なんでだ」
「女は街まで買いに行かなくちゃいけねえ」
「だったら、ここに街を出せばいい」
 などといった会話が、下っ端の間で交わされていた。話していたのは、平五と文六の兄弟。
 馬鹿扱いされていたのは、弟の文六だ。
とはいえ、双子でそっくりなので、傍で見ていると自分で自分を嘲っているに見えてしまう。
 彼らが川に流されかける圭ノ介の命綱を握っていたので、圭ノ介が握っていた金の実物を間近で見ることができた。
 しかし、貧乏育ちで金の実物など見たことのない彼らには、それは意味不明なやたらきらきらする塊とも、地獄に見る仏の放つ神秘的な光とも見えた。
 そこまで極端ではなくとも、いざ実物を見聞に及んでもおよそ実感が湧かないのは、一行の誰しもが同じだった。
 そして、なぜ川に潜って出てきた圭ノ介が金を握って出てきたのか。


「どういうことだ」
 次之進は、圭ノ介に迫った。
 圭ノ介は面倒くさそうに口を開いた。下っ端の者に余計なことを耳に入れないため潅木の茂みの中に身を隠し、次之進の他は出川しかそばにいない。
「見ての通りだ」
「何がだ。どういうことなのか、さっぱりわからん」
圭ノ介は、滝の落ちる直前の水の白く泡立つ列を遠くから天地を分ける線に見立てるように、金をつかんだままの手を真横一文字に動かした。
「その滝が落ちている、すぐ前」
 次之進は、滝の手前の流れを速めている水のうねりを見やった。
「そこにこれが」
 と、手に握った金を示して見せた。
「隠されている」
「どれほど」
「あと、何十本か」
「何十本」
 出川が頓狂な声をあげた。
「なぜ、そんなものがこんなところに」
「俺が隠した」
「馬鹿な」
 出川が吐き捨てるように言った。
「なぜ、おまえのような身分の低い者が、そんな真似ができる」
 次之進は構わず質問を続けた。
「金は、安和国の滋野勝義が貯めこんだものか」
「もちろん。金を誰にも分けず、国のためにも自分のためにも使わず、一人で貯めこんで滅んでしまった。愚かな話だ」
 初めて、圭ノ介がまとまった話を始めた。
「俺はその貯め込む癖に目をつけた」
「というと」
「つまり、誰にも手が届かないところに宝を隠してしまいたいわけだ。勝義公としては」
「ふむ」
「そこで、俺は進言した。決して人の手の届かないところを。しかし、そうはいっても地面に埋めれば掘り返せばいいし、水に沈めただけだったら潜って取ってくればいいことだ。城の奥深くに隠したところで、燃やせばいいこと」
「うむ」
「しかし、流れる滝の上に隠したものはそうそう簡単に取っては来れない。何しろ、ひとつ間違えたら命がない」
「しかし、貴様は生きて戻った」
「運が良かっただけだ」
「それにしても、命知らずな」
「そうでもしないと、勝義公の懐には飛び込めんからな」
しかし、次之進はなかなか納得できなかった。それだけで滝から転落するすれすれまでできるものだろうか。
「しかしそれほど金を人には渡したくない男なら、隠した後隠すのに使った者たちを始末しようとはしなかったか」
「もちろんしたさ」
「どうやって生き延びた」
 圭ノ介はふっと黙った。
「待て」
 出川が口を挟んだ。
「ともかく、その残りの金も引き上げなくてはわしは国に戻れん」
圭ノ介は用心深くあたりを見渡した。
「こっちだ」
と、さらに斜面の上に次之進と出川を招いた。
いくらも上がらないうちに、潅木は立ち木になり、鬱蒼とした森につながっている。
その森の中に、ずんずん圭ノ介は入り込んでいく。人目をはばかるつもりらしい。
圭ノ介は、森の中でひときわ太い幹の樹に背をもたれかけた。
「お宝を引き上げるのに、俺一人では無理だ。助けがいる」
「むろんのことだ」
出川が勢い込んで言った。
「そのために、手勢を揃えて連れてきたのだ」
「それだけでは足りん」
「まだ人数が不足か」
「人数ではない。道具がいる」
「道具? どんな道具だ」
「一言では言えん。俺にしかわからん。里に戻って調達してくる必要がある」
「しかし」
 次之進はいぶかんだ。
「なぜ初めから運んでこなかった」
「俺一人が口先でいくら言っても信じはしなかっただろう」
「確かに」
 出川は大きくうなずいた。
「信じてもしないのに、重たい荷物を余計に運ぶわけもない」
「ではそのために、命がけで」
 ちょっと次之進は気圧されざるを得なかった。
 いくらお宝があるといって、そのまま押し流され崖の上から滝つぼに転落したら、まず命はないだろう。
(侍らしい格好はしているが、死ぬ覚悟ができている者がどれくらいいるだろう)
 それも、単に大義のために死ぬ覚悟ができているとか、お宝のためなら命がけというのといささか違う。
 自分でわざわざ命をかけなくては取りに行くことのできない場所に隠した、ということだろう。
 何か、平然と命を捨てにかかっているのか、あるいは余程の自身があるのか。
見当もつかなかった。
 いつもは戦で命がけの働きをしている次之進にも見当のつかない、異様な無神経というものに圧倒されつつあった。
「いくら俺でも、二度三度と命がけの真似はできない」
冷静な口調で圭ノ介が言った。
「どうするのだ」
「いずれわかる」
 森の木々がざわめいた。葉と梢が重たげにたわみ、わずかに遅れてごうっと風の塊が木々の葉の一枚一枚を押しのけ裏返しながら通り過ぎた。
 何か森がひとつの生き物になって言葉にならない声を発しているようだ。
ぞくりとするような興奮が、次之進の踏みしめている地面から湧き上がり、頭のてっぺんまで突き抜けた。
 それは里で主君に頭を下げて仕えている時にはおよそ感じたことのない、煮えたぎるような滾りだった。
(こいつが何者か知らぬが)
 圭ノ介は相変わらず樹に背をもたれさせたまま、梢の間からのぞく天を仰ぐようにして、妙に眠そうに立っている。
 目の前の二人の姿は、眼中になさそうな顔だ。
(とりあえず言うことは聞いておこう。後でどうするかは、その時考えればよい)
 出川はそれほどのことも考えているのかどうか、すでにそわそわして次の手を打つことばかり気にしているようだ。
(なんと愚鈍な)
 先ほどの高揚が嘘のように地べたに引きずり下ろされた。
 圭ノ介が樹から離れ、すたすたと歩き去る。次之進たちも後を追った。
「気がついたか」
 声をひそめて出口が耳打ちした。
「何にでしょう」
「誰か立ち聞きしていた」
 次之進はどきりとした。
「気のせいでは」
「人目をはばかるために森に入ったかと思ったが」
 出口は足を止めた。
「むしろ、我々を盗み見盗み聞きしやすくするために森に入ったらしい」
 次之進は黙ってしまった。冷や汗が出た。
 出川はすたすたと森を出て行った。
 次之進は、木の影に入ったまま、あれこれと考える。
 やはり出川の気のせいではと思いたかった。なぜ、盗み聞きさせる必要があるのか。
(我々を分断するためか)
 足軽小物はただの労働力として連れてきたに過ぎない。この山登りの目的も、実際は知らせたくはないのだ。
 おとなしく金を掘り出すために力としてのみ、彼らの価値はある。
 だが、彼らにも目もあれば耳もある。噂を立てる口もある。
 余計な噂を立てられたら、おかしなことを考える者も出てきかねない。
 そう一気に考えて、もう一つの想像の余地もあるのに気づいた。
 盗み聞きされたと偽って、次之進自身に余計なことを考えさせず、あくまで出川に忠節を尽くすように仕向けているのではないか。
 どちらとも考えられる。
 そう迷わせるのが、出川の狙いかもしれない。
 いずれにせよ、次之進は目の前の相手を侮っていたことを思い知らされた。あるいは何も計算せず、何も考えないようで結果としてうまく人を操る類の人間であることを知った。
 何もできないようでこういう嗅覚は発達しているのではないか。
(注意しなければならぬ)
 と、思考が一巡りして、盗み聞きした者がいたとすれば、誰かと改めて考えた。
 連れてきた一人一人の顔を思い出しては打ち消す。
考えても仕方ないことは考えないことだ。そうやっと自分に言い聞かせて、次之進は森を出た。


 誰が山を降りて、必要な道具を取ってくるか。志願する者が殺到したらどうしようかという次之進の悩みはあっさりと裏切られた。山から下りたがらない者の方が多かったのだ。
 指をくわえてそばにいるだけでも、お宝のそばがいいらしい。
兵馬まで降りたがらないのには意外だったが、全部手の者を連れて行ったら後の押さえが効かないと思うことにした。
 圭ノ介自身が山を降りるのは、出川が渋った。見張りが少なくなったら逃げるかもしれないというのだ。
「馬鹿馬鹿しいにも、程がある」
 圭ノ介はさすがに正面きっては言わなかったが、次之進の耳にははっきり内心呟いているのが聞こえた。
 命がけの大変な思いをして隠した金をどうしてそのままにして逃げるだろう。というより、何か彼奴は命を平然と投げ出すようなところがある。敵に捕まり、引きずり回されているというのに、周囲の大勢の方が気圧されてきていた。
(得体の知れぬ奴だ)
 圭ノ介は、周囲の木を切って枝を払うよう、残りの者たちに命じた。いや、直接命じたのは出川なのだが、みな彼の指揮に従うという気持ちはすでに薄れていた。
 山に入り里の秩序から離れると、もともと薄い上下関係の感覚がますます薄くなっていた。
 出川もさほど気にしている風でもない。ともかく、圭ノ介の言う必要なものを、改めて里に降りて調達してこなくてはならない。
 他にも、どうも長丁場の山籠りになりそうな気配なので、食料その他の必要な物資も運ばなくてはならないだろう。


 次之進は、一行から十人ほどを選んで下山することにした。
 圭ノ介はもちろん外せない。
 兵馬も連れて行きたいところだったが、そうすると後を任せられる者がいなくなってしまう。あとの人選は適当だったが、選んだ一人が崖の上に突っ立ったままでいるので叱ると、選ばれたのは双子の弟の文六の方だという。突っ立っていたのは、兄の平伍の方だ。
(混乱していかん)
 最初に登ったときとは違って上から綱をつたえばいいとはいえ、崖を降りるのはやはりまた別の恐怖をおぼえた。無我夢中で登った時には気づかなかったが、岩肌には苔も生えているし、つい下を見てしまうし、力の踏ん張り加減も難しい。ともすると滑りやすいのは下りの方だ。
 他の全員を降ろした後も、圭ノ介は降りてこない。
「何してる、早く降りろ」
 と、次之進が叫ぶより早く、すばやく圭ノ介は縄をつかむとほとんど落ちてくるのではないかと思わせる速さで、とんとんと岩肌を蹴りながらたちまちのうちに降りてきた。
 まるで、猿だ。
(こいつ、どこでこんな技を)
 いちいち次之進の勘にさわる。
「では、参りましょう」
 降りてきた圭ノ介は、妙に丁寧に裾の埃を払って先導して歩き出した。
 次之進は崖の上を振り返った。
 下からではすでに誰の姿も見えない。
(このまま縄を引き上げられ、登ることができないようにされたら)
 そんなことがあるはずがないと自分に言い聞かせたが、不安はぬぐい切れない。
 すでに圭ノ介はすたすたと空の笈をしょった姿で歩いていく。平伍いや文六が(早くいかないのか)と、怪訝そうな顔で次之進を見ている。
 次之進は何度か崖上を見上げたが、ついに人影は視界に入らなかった。
 次之進は、急ぎ足で河原を駆け、圭ノ介に追いついた。やっと他の荷物運びたちもついて歩き出す。
 しばらく、次之進と圭ノ介は黙って河原を並んで歩いた。
「木を切らせて、どう使うつもりだ」
 沈黙に耐えられなくなったのは、次之進の方だった。
「いずれわかる」
 圭ノ介はぼそっと答えた。本当は囚われの身であるはずなのに、なんという態度だろう。
「今、話せ」
「そのうち、だ」
 ぴしゃりと言われて、沈黙するしかなくなる。


 川を下っていくうちに、烏が河原にたむろしているのに気がついた。近づくと、すでに原型をとどめなくなっている屍が烏につつかれている。
 一行は歩調を変えず、黙ってその傍らを通り過ぎた。彼らにとっては、烏につつかれる屍それ自体見慣れた光景ではあったが、それが投げ出されたままなのはいぶかしかった。
 もう戦は収まって、一応の平和が来たというのに。いや、戦の最中でも、死体はすぐに埋められるか燃やされるかしたものだ。
 川沿いに里に下っていく一行の鼻腔を異臭がくすぐった。
 見て見ぬふりをして通り過ぎたので、はっきりとはわからないが、屍は首を切られている。おそらく処刑されたのだろう。それもどさくさ紛れのような、正規の処罰ではない勝者による一方的な処断だ。身につけていたはすでに河原に棲む者たちによって剥ぎ取られて、金か米塩に換えられたのだろう。
 一行の顔が一様にこわばった。
 次之進は腰の刀に手をやり、いつでも抜けるよう確かめた。
 他の仲間も一様に列を固め、結束を固める。
 いちいち指示を出さなくても、戦の中を生き延びてきた者たちに自然と身についた振る舞いだった。圭ノ介も当然のようにぴたりと次之進の傍らにつく。
 しかし、すでに処刑した者たちはどこかに行っており、何事もなく一行は河原を通り過ぎた。


 やがて、里の市についた。
 店の種類も客の数も、以前よりは減りはしているが、一見してどこが変わったわけではない。しかし、どこか違う。
 次之進一行は、市をくぐり抜け、当主の屋敷に向かった。
(あれ)
 たなびいている旗が変わっている。
 丸に一引きの紋から、違い鷹羽の紋になっている。前にここを出立した時には、当主斉藤家の家紋の丸に一引きの紋の旗指物が翻っていたはずだ。
 違い鷹羽の紋には、思い当たる家がない。
「もし」
 市に店を出している商人に、聞いてみた。
「ここの御当主さまは」
「ああ」
 商人はそれだけ言って、あと何を聞いてくるのか、値踏みするような顔をしている。
「斉藤国俊さまではなかったかな」
 異国の者のような顔をして聞いてみた。
「斉藤さまはな、亡くなられた」
 商人はこともなげに答えた。
「なに」
 次之進は当主の斉藤国俊その人には一度も実物にお目にかかったことはなく、顔もわからないが、それでも驚いた。
「では、今の御当主さまは」
「仁田義知さまだ」
「なに」
 聞き覚えのある名前だった。次之進は平静をせいぜい装って、さらに聞いた。
「それはどのような御仁で」
「斉藤さまの一の御家来だったそうで、お世継ぎがいないところからお家を継がれたそうだ。まだ攻め滅ぼした滋野の残党がいるかもしれぬから、まず結束を乱してはならぬとのことでな」
「左様で。いや、久しぶりのことで何事かと思いました」
「なに」
 商人を声をひそめた。
「よくあることだ」
「はて、何がでございましょう」
「乗っ取り」
 商人はぼそっと言った。
「乗っ取り」
 オウム返しに次之進は答えた。
「世継ぎがいないのをいいことに、国俊さまをどうにかしたのであろう。朝起きたら冷たくなられていたそうだからな。一服盛ったか、女に寝首をかかせたか」
 なんでもない口調で商人は話す。
 次之進も、それほどの驚きを感じずに聞き入っている自分に、かえって驚いていた。
 圭ノ介も、いとも平然とした顔で傍らで聞き入っている。
「では、御家来衆は」
「さて。誰が残って、誰が残らなかったのか」
 商人は、手元の壺をひょいと取り上げた。そしてその中に声を吹き込んだ。わんわん と壺の中で声が響いたが、何と言ったのかは聞き取れなかった。おそらく、
(わしの知ったことではない)(うかつに物は言えない)
 といった、大っぴらには口にできぬことを言ったのだろう。
「どうも」
 お手数をかけた、と礼を言って、次之進はそそくさとその場を離れた。
(厄介なことになった)
 あろうことか、山に行って帰ってきた、そのわずかな間に身の置き所が消えてなくなってしまったのだ。
 次之進はうろたえた。思いもよらない事態が出来してしまった。
 ふと気づくと、圭ノ介の姿が見えない。
「乾っ…、乾っ!」
次之進が叫ぶと、
「どうした」
 圭ノ介がにやにやしながら、物陰から姿を現した。
「どこにも逃げやしない」
 次之進がほっとしたのにかぶせるように圭ノ介は言った。
「運がいいな」
「運がいい?」
「そうとも。では、俺は買い物をしてくる」
 と、ぬっと手を出した。
「なんだ」
「金がいる」
「よこせというのか」
「これから入る金を考えたら、端金にも当たらんぞ」
 次之進は、黙って懐を探った。出川が預けた金が指先にさわった。
「これで足りるか」と、渡すと、
「なんとか。まあ本当に要るものは、金では買えんからな」
 と、立ち去りかける。
「待て、どこに行く」
「どこにも逃げやしないと言っただろう。川っ縁の…、そうだな、さっき烏がたかっていたあたりで待ち合わせよう」
 答えを待たずにくるりと身体を翻した。
 そして言い捨てるように、
「何人か、借りるぞ」
 まるで初めから圭ノ介の部下だったかのように、本来次之進の、いや出川の手の者たちだった男たちを連れて、市の人ごみの中に姿を消した。
(運がいい)
 圭ノ介の言葉を、反芻した。
いかに次之進の身分が低いとはいえ、このまま斉藤家ならぬ仁田家にのこのこ戻れるのだろうか。
 次之進たちの宝探しを、知っている者が残っているかどうか。いるとして、見つけられると信じている者がいるのか。
(これは、案外幸運かもしれぬ)
 このまま次之進たちが姿を消してしまっても、誰にも気づかないで済むかもしれない。見つけ出した金を、上の者に吸い上げられておしまいではなく、我が物にできるかもしれない。
 しかし一方で、そんなにうまくいくものかという恐れから逃れられず、気がついたら再び門の前に戻ってきてしまっていた。
 見覚えのない若い門番が前を固めている。
「何用だ」
 次之進が前に立つと、門番がすぐすっとんできた。
「ここの家に仕えていた者だが」
「誰も通すなと言われている」
「しかし」
「通していい者の顔はわかっている」
「しかし、私は前はよくこの家に出入りしていたのだ」
「それこそ通すなと言われている」
「しかし」
「謀反を企んでいるのであろう」
「まさか」
「昔出入りしていた者こそ、謀って謀反を起こすに決まっている。もたもたしていると、河原に連れて行くぞ」
次之進はどきりとした。
「嘘だ、嘘」
 気づいたら、愛想笑いが顔に浮かんでいた。
「召抱えてもらえんかと思ってな、つい嘘をついた。許してもらいたい」
 そして、そそくさとその場を離れた。
 たちまち愛想笑いはこわばった怒りに取って代わった。
 市の中を、腕組みして歩き回りながら、次之進は決意を固める。
(俺はもう、斉藤家とも、ましてや新田家とも関係ない人間だ)
 そう自分に言い聞かせた。
 必要な物を買い揃えたあと、次之進は河原で圭ノ介たちが来るのを待った。
次之進に従っているのは、連れてきた半数以下の四人にすぎない。
 いつのまにか、屍はどこかに消えていた。焼いた痕はないから、川に流したのだろう。
 日が暮れてきた。
 次之進は火を焚くように命じ、食事の用意をすることにした。
 もしこのまま、圭ノ介が戻ってこなかったらどうする。どうということはない。このまま逃げてしまえばいい。自分のような小物にいちいち追っ手はつかないだろう。そう思おうとしたが、出川のことは気になった。主君を失った小物の指揮官などに誰がついていくだろう。出川にこのことをどう伝えるか、あとどうすればいいのか、なかなか名案は出なかった。
 出川は妙に気位が高く、お飾りにはなりにくい。かといって、黙っていれば間違いなく圭ノ介がこの宝探しの主導権を握ることになる。彼なしには何も進まないのだから、そうなることは避けられない。そうなってから、あるいはそうなる前に出川を始末すべきだろうか。
 そう考えてから、次之進は考えた自分自身にぎょっとした。
 出川という人物に一度も敬意も尊敬も感じたことがないのに、始末することを想像しただけですでに萎縮しているとはどういうことだろう。
 次之進は、市でほんのいっとき感じた高揚感がみるみる醒めていくのを認めざるをえなかった。
 次之進は野心というものを持とうと考えたことはなかった。まったくないわけではないが、それがしばしば自分を滅ぼすさまをさんざん見てきて、その後を追おうという気にはならなかった。
 あるいはそれは言い訳で、単に欲望があらかじめ薄いだけなのだろう。
 いずれにせよ、我が気の小ささを今更のように思い知らされて、さむざむとした思いをしたところで、さらに河原を風が吹いてきた。
(まだ来ないのか)
 食事が済んでも、なかなか圭ノ介が現れないので、次之進は心細さを覚えてきた。
 小物たちも、少し次之進から距離を置いている。自分が出川に対して覚えているのに似た感情を、彼らは次之進に向けて抱いているのだろうか。
 侮りの気を、次之進は感じた。が、どうなるものでもなかった。ここで剣を抜いて恫喝し、畏怖せしめることはできるだろう。次之進は剣を取っての戦いの能力には自信があった。戦場で戦功を立てたことも一度二度ではない。しかし、それと人を率いる能力とはまったく別だ。
 次之進はまた、これと目をつけた上役についていくという真似も苦手だった。何より、ついていきたいと思わせる武将(と、呼べるなら)などいはしない。
 出川の下につくようになったのも、考えてみると下に従う者がいない将と、上に従う者のいない小物がちょうどいい組み合わせになっただけなのかもしれない。
互いにそっぽを向いて、形の上の主従を通すのも、ずうっと斉藤家に波風が立たずに済んでいればそれでも良かった。
(だが、隣国の主がさらに一段と愚かなもので、熟柿を掠め取るように簡単に国を併合できた。それが、かえって斉藤家の中に余分な野心を煽ることになったのかもしれない)
足音はしなかった。が、誰か来たのはわかった。
「乾か」
 次之進が声をかけると、荷物を担いだ圭ノ介が焚き火の明かりの中に姿を現した。
「ああ」
 相変わらずぼそっとした調子で圭ノ介が答えた。
「腹は減っていないか。飯はできている」
「減っている。いただこう」
 連れて行った雑兵たちも、それぞれ荷物を地面に降ろした。ひどく重そうだ。
「何を買ってきた」
「買ってきた、とは限らない」
 菰で作られた袋に包まれた荷物の中身を知りたくて、次之進は開けて見た。圭ノ介は特に咎めないで、さっさと飯を食べだした。
「なんだ、これは」
 袋の中には土が詰まっていた。
圭ノ介はがつがつと飯を頬張っている。木をくり抜いた碗を空けると、そのまま川の水をすくって二杯三杯と飲み干した。
「何に見える」
 と、やっと人心地ついたのか、飯のお代わりをしながら答えた。
「土だが」
「もちろん、土だ。だがどんな土でもいいというわけにはいかん」
「どういう土だ」
「たとえば粘土だ。これは川の下流でなくては手に入らない」
「粘土? 何に使う」
「いずれわかる」
 それだけ答えて、飯を平らげた。
 雑兵たちも、それぞれがつがつ食事を済ませて、それぞれ三々五々寝てしまった。
(はて)
 眠れないでいた次之進は、後から使われた椀を数えてみた。四つある。いや、四つしかない。
 圭ノ介が連れて行ったのは、四人だったはずだが…
 一つ足りない。
 どうしたのだろう、と思いながら次之進はそのまま寝てしまう。
 翌朝、一行は上流を目指した。
 次之進はときどき振り返って人数を確かめたが、どうしても一人足りない気がする。
次之進は、急ぎ足の圭ノ介に並びかけながら訊いた。
「きのう何人連れて行った」
「何?」
 圭ノ介は足を止めない。
「山を降りるとき、全部で十人いたはずだ」
 次之進は振り返り、後の人数を朝の明るい中で確認した。
「今は九人しかいない」
「初めから九人しかいない」
「そんなはずはない」
「九人だ」
 ぴしゃりと言われた。
そう言われると、十人いたという証拠はない。しかし、ここで気圧されたまま済ませるわけにはいかない。声を励まして重ねて訊く。
「あと、一人どうした」
「あとの一人とは、誰だ」
 誰と言われても、適当に選んだので双子の片割れ以外はほとんど名前も知らない。
「俺は連れて行った連中の名前も知らない。だから、仮にいなくなったとしても確かめようがない」
「しかし、山で待っている者の中には顔見知りの者もいる。それにどう言い訳する。
「本当のことを言うだけだ。その上で逃げたと言えば、こちらに責は問われない」
 それ以上は追求できなかった。
 あとは、黙々と歩き続けた。二度目となると、かなり気持ちは楽になるが、担いだ荷物の重さはそれ以上にこたえた。
 滝の音が聞こえてきた。
「おーい」
 滝の上で手を振っている男がいる。
 兵馬だ。
「おーい」
 思わず次之進は手を振り返した。
 山を下っていた他の全員が手を振っている。たった一泊だというのに、何ヶ月も別れていたような騒ぎだ。
 驚いたことに、圭ノ介までがにこやかに手を振っている。
(何のつもりなのか)
 再び、崖登りが始まった。まず、運んできた品々を木で組んだ腕の先につけた滑車で井戸から水を汲むように次々と引き上げていく。滑車は口径の違うものが二種類貼りあわされており、梃子の原理で二分の一ほどの力で荷物を上げることができる。
 これほどの短期間で、これだけの仕掛けが作られていることに、次之進は驚いた。
(いつのまに)
 指導した者がいるとすれば、圭ノ介を於いて他にいない。しかし、実地に指導にあたった人間は当然別のはずだ。
(兵馬が、か)
 その圭ノ介はめずらしくはしゃいでいる。どういうものか知らないが、いよいよ準備が整ったという感じだ。
 やがて、下の者が一人づつ同じように梃子の原理を応用した滑車から垂らした昇降機に乗った。ちょうど腰が入るほどの大きさの木の板の両端に穴を開けて縄を取り付けたものだ。
 大変な思いをして崖にしがみついて登らなくても、黙って座れば上から何人か力を合わせてえいやえいやと引き上げてくれるのだから、嘘のように楽に崖の上までたどり着ける。
 もっとも、安全は確保されていないので、いつでも崖にしがみつけられる体勢は取っていなくてはならないのだが。
「逆行しない仕掛けが必要だな」
 圭ノ介がぼそっと呟いた。
 おそらく、滑車が回る方向を決め、逆に回って転落しないようにする仕掛けのことだろう、と次之進は考えたが、それと聞く前にすばやく圭ノ介は板の上に尻をねじり込んだ。
 次之進が崖から離れ、上に合図を送る。
 みるみる圭ノ介の身体が上まで引き上げられていく。
 相変わらず、轟々と滝が飛沫を撒き散らしながら落下している。その勢いで風が起きて、昇降機に乗った圭ノ介の身体が揺れているような気がする。
 最初出発する時に、圭ノ介は鑿や鋸や斧や鉋などの道具を一式揃えさせたが、まずはこの昇降機ができただけでも、周囲が彼を見る目は変わってくるだろう。
(いっそのこと、完全に火辺めに任せきってしまうか)
 などという馬鹿げた考えが、ふと頭に浮かんだ。
(馬鹿な)
 すぐ頭から振り払った。
(どう勝手な真似をさせないか、考えろ)
 次之進が崖を登る番が来た。いざ乗ってみると、見ている時とは違い、ひどく揺れる。
 下を見ると気持ち悪くなりそうで、上を見上げた。兵馬の顔が崖から突き出ているのが見えた。目ですがりつくようにひたすら凝視する。と、兵馬のすぐ横に圭ノ介の頭が突き出た。何かごそごそ話し合っている。
(いつの間に手なづけたのか)
 足元は宙に浮いたままでぐらぐら振り回される扱いの乱暴さに、そう思うゆとりもなく、やっと崖上にたどり着いた。
 少しめまいが治まってから、あたりを見渡したが、誰も次之進の方は見ていない。
 木が切られ、枝が払われた。さらに里から粘土が集められ、運んできた荷物が開かれると、さらに見たことのないような鉄製その他のさまざまな道具が現れた。何が進行しているのか、わかったようでわからない。
 兵馬が合図を送り、作業していた者全員が手を止めて集められた。その中の平伍の顔を見て、誰がいなくなったのか次之進は思い出した。
双子の弟の文六だ。二人同じような顔があると、一人欠けてもあまり目立たないらしい。
「大事な話がある」
 と、圭ノ介が切り出した。
 何事か、と汗まみれ泥まみれの中で光る目が集中した。
「詳しい話は、馬場次之進さまから」
 と、圭ノ介はいきなり話を次之進に振ってきた。
 まったく心の準備ができていなかった次之進はうろたえた。
 そのうろたえぶりを見て、集まった一同は(これはただごとではなさそうだ)とすぐに察した。
 次之進は、息を大きく吸い込み、止めた。
「実は」
 せいぜい平静を保つようにして切り出す。
「われらが仕えていた、斉藤家は今、ない」
 奇妙な間が開いた。
「ない、とはどういうことだ」
 やっと、出川が口を切った。
「滅びたのです。今はお屋敷は仁田家のもの」
「仁田?」
 出川の声の調子が頓狂に上がった。
「仁田、とは仁田か」
「はい」
「なぜあれが」
「乗っ取ったからです」
 他の一同は、きょとんとしている。どう反応していいのかわからないようだ。
「ちょっと待て。それでは、わしはどうすればいい。どこに戻ればいいのだ」
「それは」
 俺に聞くことか、次之進は内心思った。
「さて、なんでしたら仁田さまにじかに聞けばよろしいかと」
「さま、などとつけるな」
 いっぺんに不機嫌になった。
「だいたい、なぜわしの留守中に家を乗っ取る」
(知るか)
 とは、さすがに口にできなかった。
「しかし、現に仁田が」
さま、を抜いてみた。
「国を治めている以上、うかがいを立てるのは避けられないかと」
「そのような真似ができるか」
 当り散らす。
「あれは、一時はわしの配下だったのだぞ。そのような者の下命を拝さねばならぬいわれはない」
「待ってくれ」
平伍が前に出てきた。
「俺の弟はどうした」
 次之進は黙った。そして圭ノ介を見た。
 圭ノ介は平伍から視線をそらそうとしている。
 何か、心苦しくて話しづらいと見せているが、本心でないのは確かだ。
「どうした」
 平伍はなおも迫ってきた。
 圭ノ介がくるりと身を翻し、額を地面にこすりつけて土下差した。およそ彼らしくない芝居がかった真似だが、それがかえって周囲を落ち着かせた。
「申し訳ない」
「どうしたというのだ」
「おそらく、仁田は敵の配下か、配下らしき者をことごとく成敗しようしている。決して誰もそむかないように」
 その場にいた者が、一斉に浮き足立った。ここにいるのは、形の上ではすべて出川の配下だ。もろに敵の配下ということになるではないか。
冗談ではない、という空気がその場を支配した。
「おそらく」
 さらに圭ノ介は続けた。
「我等がのこのこ里に戻ったら、まして宝を持って戻ったりしたら」
「あっさり成敗されて、お宝だけ奪い取られる」
はっきり口に出して応えたのは、平伍だった。
 その顔に現れていたのは弟を奪われた怒りや悲しみではなく、もっと冷ややかな仮面のような無表情だった。
「我等はこれからどうするか」
 圭ノ介が立ち上がり、ぐるりを見渡した。
「みすみす手に入れたお宝を国に持って帰ってみすみす召し上げられることはない」
「そうだ」
「そうだ、そうだ」
 群れの中から声が上がった。
「俺たちが手に入れたものは、俺たちのものだ」
「そうだ」
 歓声が上がった。
「山分けすれば、全員一生食うに困らない」
「殿様暮らしも夢じゃねえか」
「殿様なんか、糞くらえだ。いつ寝首をかかれるか、わからねえじゃねえか」
 どっと笑い声が上がった。
 出川は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 平伍がそれに気づき、ずいと詰め寄る。
「何か文句あるか」
 出川の目に怯えが走る。
 平伍はそれを見逃さなかった。
「こいつ、怯えてるぜ」
 嘲り笑いが起こった。
「よう、お殿様」
 平伍が肘で出川を突付いた。
 後ろの誰かが足払いをかけ、出川はどうと地面に転がった。
なおも踏みにじろうとする衆を制止して、圭ノ介が出川に顔を近づけた。
「生きていたかったら、おまえも働くんだな」
 圭ノ介は、さらにじろっと立ちすくんでいた次之進を一瞥する。
 次之進は思わず身体を硬くした。
「これからもよろしく頼むぞ」
 次之進は思わず何度も首を縦に振ってしまう。
 圭ノ介は大声で呼びかけた。
「さあ、これからが本番だ」
 おうっ、と鬨の声が上がった。
「もう、俺たちを縛る連中はいない。俺たちの物は俺たちの物だ」
戦に勝った時でも、これほど力のこもった鬨は上がるまいと思わせる雄叫びが続いた。
(これからどうなるのか)
 次之進は不安なまま、持ち場に散っていく衆を見ながら、圭ノ介の行き先を目で追った。
 と、兵馬がぴったりその後に相伴して小走りについていく。
(くそ)
 怒りがこみ上げてきた。
(今に見ていろ)
 出川がさらに、その後を腰をかがめて子犬のようにくっついていった。




「パブリック 図書館の奇跡」

2020年08月14日 | 映画
外にいると凍え死ぬほど寒いシンシナティのホームレスたちが寒気を避けるために図書館にやってきていたのが、立て籠り事件にまで発展する。

そうなるまでに、図書館員(監督脚本を兼ねるエミリオ・エステヴェス)が前に悪臭がするホームレスを他の利用者の苦情に従って外に出したら75万ドルというべらぼうな賠償金を請求されたり、次の市長を狙う検察官(憎まれ役が板についたクリスチャン・スレイター)が圧力をかけてきたり、といったいかにも今のアメリカにありそうな事情を絡めて説得力のある展開にしている。

前半のスケッチ的な場面に張り巡らされた伏線の回収の意外性といい、各キャラクターの見せ場の用意といい、後味のよさといい、最近珍しいくらいがっちりした脚本。

ホームレス一人一人に至るまでのキャスティングと全体の演技アンサンブルの見事さ。
女優さん二人(黒髪のジェナ・マローンと金髪のテイラー・シリング)を魅力的に撮っているのも監督としての腕だろう。

スタインベックの「怒りの葡萄」(十代に読むべき本と作中で言われる)が重要なモチーフになっていて、その引用の朗読を聞いてもテレビ局のキャスターが何のことかわからない、事件性を煽って数字をとることしか考えてないのは、いかにもな話。

そういえば、スピルバーグが「怒りの葡萄」をミニシリーズドラマ化するという話、どうなったかな。今再生する意義というのは十分ある。

ホームレスの多くが黒人で軍隊経験があり、国に尽くしたのに何だこの扱いはという怒りをのぞかせるのをうんと誇張するとランボーにつながるのだろう。
いったん失業して家を失うと、なかなかやり直しがきかないというのは、日本でも言えることのはず。

市民的抵抗、それが正しくないと考えたら相手が国であってもノーを言う精神は日本ではおよそ根付いていないアメリカのもの。

登場人物の多くがアルコールやドラッグ、精神疾患の問題を抱えているのも今らしい。




8月13日のつぶやき

2020年08月13日 | 映画



「麦秋(1934)」

2020年08月12日 | 映画
小津安二郎作品みたいなタイトルだが、実は逆で小津作品の方がこれからタイトルをもらったわけ。小津のアメリカ映画ファンぶりがうかがえる。ただしこちらの読みは「むぎのあき」。

こちらの内容はというと、もともと農業とはまるで縁のなかった夫婦が農地開拓に挑み、本当に麦が実る話で、その大勢の仲間が力を合わせて水路を掘って水を導くのがクライマックスになる。

ここが映画的にダイナミックな見せ場になっているとともに、なんだか旧ソ連の労働運動みたいな感じになっているのが面白いところ。

監督のキング・ヴィダーはハンガリー系で祖先がハンガリー革命を逃れてアメリカにやってきた人とのこと。




「廿日鼠と人間(1939)」

2020年08月11日 | 映画
スタインベックの小説よりは舞台劇の方をもとにした映画化。
人工的なセット(森などもセット)でセリフをやりとりするのが基本的な作り。

冒頭で主人公二人が列車にただ乗りした後、その列車の扉が閉められるとそこにタイトル文字が書いているという具合に、人工性をむしろ強調している。

知恵遅れ(と書いた方が感じが出る)の大男レニーにロン・チャニ―Jr.、世話焼きの相棒ジョージにバージェス・メレディスという組み合わせ。

見ていて、レニーが力が強すぎて柔らくてかわいい動物(ついには人間)を撫でているつもりで殺してしまうのは、1931年のボリス・カーロフ主演、ジェームス・ホエール監督版「フランケンシュタイン」のモンスターが花びらを湖面に撒いている女の子を花びらと同じつもりで湖に投げ込んでしまう完成作からはカットされた幻のシーンを引き継いだように思えてくる。

メアリー・シェリーによる「フランケンシュタイン」の原作ではモンスターは高い知性の持ち主で、狂人の脳を入れられてしまうというのは映画の脚色( フランシス・エドワード・ファラゴー、ギャレット・フォート、ノンクレジットでロバート・フローリー、ジョン・ラッセル)で、「廿日鼠と人間」の小説版が書かれたのは1937年だからありえなくはないと思うのだが。

レニーをやっているロン・チェイニーJrがモンスター俳優として有名なところからそう連想式に考えたのだが、チェイニーはこの映画で売り出したのでモンスター俳優として人気を博するのはこの後という順番になる。




8月10日のつぶやき

2020年08月10日 | Weblog


山の湖 1

2020年08月09日 | 山の湖
 戦さに勝って、これほど嬉しくないことがあるのか、と次之進には思えた。
もともと勝った勝ったとはしゃげるような戦ではなかった。こちらが強くて勝てたのではない、相手が勝手に負けてくれただけなのだ。
 あきれるほど、隣国・安和国の兵には戦意がなかった。相対する前に、さっさと刀槍を捨てて逃げてしまう、どころかいつの間にか姿を消してしまう部隊が続出した。
なるほど、隣国の主君、滋野勝義は愚公だった。けちくさい蓄えばかりを専らとし、およそ臣下に富も所領も渡さない、と言われた。先日の滅亡ぶりを見ると、それも大袈裟な噂ではない。
 勝義は自害もできず、家臣の手で首をはねられ、その首も大して手柄と看做されず、その家臣自身もあっさりと首をはねられた。
 戦ともいえぬ、殺伐たる滅亡があるだけだった。
 一方で、妙な噂は残った。滅んだ滋野家に莫大な財宝がある、というのだ。
 ただの根も葉もない噂ではないか、と次之進には思えた。
 それだけの財宝があれば、滋野家はもう少し装備や人員にも費用を割けたのではないか、とも思えたが、使うのを惜しんだからこそ身を滅ぼしたともまことしやかにささやかれた。
そう言われるとそう思える。というのも、次之進の主君・山名重成も似たようなものだからだ。
 戦に「勝って」以来、重成は滋野の残された財宝を見つけようと躍起になっている。どれほどのお宝が自分のものになるのかと、勝手に期待を膨らませている。苦労知らずというか、まるで戦に勝てば欲しいものがことごとく手に入るかのように思い込んでいるらしい。
 次之進は今度の「戦」で、それでも滋野側の侍大将の首を取っている。
その功績に対して報償をとらせる代わりに財宝を探して来い、と命じられた時は、何の冗談かと思った。
(まさか、それが報償の代わりのつもりなのか)
 次之進は怒るより先に、ほとんど笑いがこみ上げてきた。
(阿呆らしい)
 刀も槍も鎧も具足も投げ捨てて、どこかに行ってしまいたい気分になる。
 配下が増えた、といっても、言うことを聞く者などいはしない。たまたまおまえの刀槍に運の悪い敵兵がひっかかっただけではないか、と、どいつの顔にも書いてある。
 下手すると、こちらの寝首をかいて手柄を奪い取りそうだ。
 それもそうなので、実際、次之進の挙げた手柄とは、相打ちになった敵味方の死骸を見つけ、敵の首を掻き切って持っていったら、思いがけず大物だったというだけだ。敵味方を間違えなくて良かった、と本当に思う。
 その意味で、
(あいつは敵になるのか味方になるのか)
 と、先頭を行く圭ノ介の獣のような面相を思った。
 財宝の在処を知っている、と奴は称している。
 しかし、なぜさほど位階の高くない、累代の家臣というわけでもない男が宝の位置を知っているのか。
 確かに、奴は金の棒を持っていた。
 奴のような位の者が、手にするのはおろか、目にすることもないはずの、本物の金だ。
せいぜい親指と同じくらいの大きさだが、金の塊には違いない。
 正確に言うと、違いないと思うだけだ。なぜなら、そんなものを次之進は見たことはないから、違っていても見分けのつけようがない。
 齧ればわかると、したり顔で言う仲間もいたが、齧ったらどうなるのか知らない。ひどいのになると、金とはどんな味がするのか講釈する、知ったかぶりが横行するばかりだ。
 主君、斉藤国俊その人にしてからが、金の塊など見たことがあるのかどうか。
斉藤家の所領には金山もなければ、これといった商いになる産物もない。
 一応累代の家臣ということになっている次之進にしても、実際には百姓に畑を借りて作物を作り、腹の足しにしなくてはならないくらいだ。
 次之進には嫁の来手もない。親が早く死に口うるさく言われないだけましだが、うさ晴らしに女遊びするにもたまに博打に勝った時に、早くことを済ませと言わんばかりの泥臭い女を買いに行くくらいが関の山だ。
(うんざりしているのは、殿様も一緒なのかもしれない)
 圭ノ介が、実際に金の棒を見せた時のことを、次之進も覚えている。
 雲間から一瞬射し込んだ日の光を浴びた見たこともない豪奢な輝きに、戦が終わったすぐ後の、疲労と興奮とが入り混じった空気が一瞬にして凍りついたものだ。
「これがあと、百本はある」
 圭ノ介は、言い放った。
 どこにあるのか、当然問いただされる。
 問いただしたのは、次之進の直属の上司である、出川だった。国俊も同席していた。
「山にある」
「山のどこだ」
「俺が行かないと、わからん」
「ふざけるな、その手はくわんぞ」
「どんな手だ」
「ありもしない宝を餌に、山に逃げ込んで助かろうというのだろう」
「だったら、俺をここで斬ってみるか。俺は死に、おまえらはお宝を逃す。誰にもいいことはない」
 あちこちで鳩首して話し合いが持たれた。重臣たちのみならず、足軽小物までが、我がことのように話に加わった。
 結局(やらせてみれば)という意見が大勢を占めた。
「五人もついていけば、足りるだろう」
「馬鹿を言っては困る」
 尊大な態度を崩さず、圭ノ介は言った。
「三十人は欲しい」
「なんだと」
 出川はすぐに激昂する。
「俺でも三十人は動かせんぞ」
 圭ノ介は鼻で苦笑した。そのように、少し離れていた次之進には見えた。
次之進だけでなく出川にもそう見えたらしく、手にしていた鞭を圭ノ介の顔に振り下ろした。
 弾かれたように圭ノ介の身体が吹っ飛んだ。
「何がおかしい」
 女のような声で出川は喚いた。
 圭ノ介は、打たれた顔を覆いもせず、ゆっくりと向き直った。
 あれほど突然振り下ろされたのに、圭ノ介は鞭をまともに顔で受けず、身体をとっさにひねって耳元に当てるのとどめたらしい。
 とどめたといっても、耳たぶがいくらかちぎれかけ、血が首筋に流れていた。
「いつでも、きさまなど殺せるのだぞ。きさまが死んでも、我々は一向に困らん。ありもしない金などで釣ろうとしても無駄だ」
「ありもしない?」
 また、手を開いて見せた。
 掌の中からさす光に、その場の者たちはまた金縛りにあったように動けなくなる。
「その金を、見せるな」
出川が呻くように言った。
「見たくないか」
圭ノ介はまた、金を握り締め、また掌を開く。
「あ」
 その場にいた者たちすべての口から同じ音が漏れた。
 掌から金がなくなっていた。
 うろたえる一同を尻目に、圭ノ介はもう片方の手を開いて見せる。
 なくなったはずの金があった。
 出川はまた鞭を振り回したが、圭ノ介は易々とその下をかいくぐり、持っていた金を近くの川に投げ捨てる。
 あわてて、何人もの下人が拾いに走ったが、圭ノ介はくしゃくしゃになった頭を掻いてその慌てようを見ている。
「おーい、どこ探してる」
 と、その髪の毛の中から、金が現れた。
 たびたび振り回された周囲から、怒りの声が漏れる。
 今度はうやうやしく、出川の前に膝まずいで、手にした金を献上してみせた。
 出川は金をひったくり、がりっと噛んでみる。噛まれた表面に、くっきりと表面に出川の不揃いな歯型がついた。
 出川は不機嫌な顔でそれを懐にしまい、
「首に縄をつけろ」
 と、次之進に命じた。次之進は傍らの兵馬に目で命じ、ともに圭ノ介を押さえつけて縄を首にかけた。圭ノ介はまったく抵抗しなかった。
「立て」
 兵馬が膝で追い立てるようにして、圭ノ介を立たせた。
「その隠し場所とかに、何日で着く」
「あんたがたの脚にもよるが、まず二日」
「引ったてい」
 引き立てられようとしながら、圭ノ介は命じた出川に向かって振り返り、
「さっき、懐に入れた金、殿様に渡さないでいいんかい」
「渡すに決まっておる」
 あわてた調子で、出川が答えた。そして、あたふたと殿様の方に急いで行った。


 出川にしてみれば俺たちに行かせるつもりだったのだろう、と、次之進は思った。
 何も山に分け入り、川を渡って、泥だらけになって、雨風に打たれて、水粥をすするつもりはなかったはずだ。見つからなかったら責任を問われるだろうし、見つかっても自分のものになるわけはない、間抜けな役回りを勤めたかったわけがない。
 それが、圭ノ介のひとことに慌てて殿のところに金を持って言上つかまつったところが、お褒めの言葉を賜り、そのままおまえが三十人隊を率いて山に入れと言いつかったわけだ。
 ざまあみろ、と思う。
 その分こっちにもとばっちりが来るにせよ、とりあえず上で蓋をしてこちらの息を詰まらせているようなあの男が痛い目に合うのは、溜飲が下った。
 次之進は苦い笑いがこみ上げてくるのを抑えようとはしなかった。


 日が暮れていた。
 河原で森で集めてきた粗朶を積み上げられている。
朝早く出て、里から持ってきた握り飯は昼前に食べつくしていた。聞くところによると、一日三食食べる国もあるというが、この貧乏国では二食欠かさず食べられれば上等だ。
兵馬が、紐で結わいた鉄の帯を曲げて籠のように編んだ拳ほどの大きさの容器をぐるぐる振り回している。
 その姿を見て、次之進は(童のようだ)と思った。ついでに死んだ弟のことも思い出しかけたが、すぐ頭から振り払った。
 中には乾かしたコケを詰めて火が保存されているのを振り回して火を熾し、これを薄い紙に移し、絶えず口と火吹き竹で吹いて、次第に太い木に移していく。戦ではないので、まずい干し飯を齧って水を飲み込む必要はないが、わずかに塩味がついた薄い粥だけでは 腹が持たない。気の効いた者は、手製の釣り竿や突き棒を作って川魚を捕り、
「これが海なら、塩味がつけられるんじゃが」
 などと勝手なことを言いながら、炙って食べている。
 兵馬も、突いてきた鮎を炙って食べた。次之進が俺にもよこせというと、尻尾だけよこした。腹が立った次之進は、自分も捕ってきた。
 兵馬が少し分けろというので、頭を分けてやった。尻尾より頭を分けただけ、兄貴分の貫禄だと言うと、兵馬はただ笑っていた。
 夜がふけ、三十人は野宿した。
 圭ノ介は首の縄を二重にして、さらに袋に首まで押し込められ、さらに寝ずの番が交代しながらつきっきりで見張られた。
 もっとも、当人は「これは温かい」などと喜び、すやすやと寝息をたてて眠り、朝まで目を覚まさなかった。


 次の日、きのうの粥を温め直して腹に入れただけで、一行はまた出立した。
ほどなく、切り立った崖が立ちふさがった。
 崖からは轟々たる音をたてて、多量の水が滝となってなだれ落ちてきている。
おびただしい水がしぶきとなってあたりを包む中、滝つぼに渦巻く水のまわりを不思議な翠玉色の光が満たしていた。
 圭ノ介は、立ち止まり、その滝つぼを見つめた。
「そこに宝があるのか」
 一同は、色めきたった。
 圭ノ介は、黙ってただ滝つぼを見つめている。
「あのように水が渦巻いているところから、無事運び出せるのか」
 怖気づいた者たちが、異口同音に言い出した。
「待て」
 出川が、圭ノ介の前に出た。
「宝は、あそこにあるのか」
「いいや」
「では、どこだ」
 圭ノ介は、黙って指を上に突き上げた。
「上? 上とはどういうことだ」
「上だ」
「上とは何だ、もっと上流といいいうことか。山奥か」
「とにかく、この崖を登らないといけない」
 圭ノ介は断言した。
 一同から、口々に不満の声が漏れた。
「冗談じゃない、こんな急な崖を登れるか」
「水しぶきで岩肌がつるつる滑る」
「山奥に誘い込んだところで、こいつの仲間が襲ってくるかもしれないぞ」
 不満や不安を口に出してみると、ますます不満不安が募る。人の不満不安を聞いても、同じく負の心情が募る。
 たちまち、一同の間に険悪な空気が満ちた。
「どうする」
 出川が、自分でも誰に言ったのかよくわからないまま、おずおずと言葉だけ口に出した。
「どうするって」
 圭ノ介が苦笑した。
「それ決めるのが、あんたの役目だろう」
 出川はきょとんとして、立ちすくんだ。
 そのまま、何も言えずにぼうっと立ったままでいるのに次之進は業を煮やし、
「おまえが登れ」
と、圭ノ介の首の縄を引いた。
「俺がか」
「そうだ。案内するのが、おまえの役目だ」
「わかったよ。だけど、首ったまに縄つけたまま登るのは勘弁してほしいな。下手に引っ張られてあとちょっとのところで墜落なんてことになったら、たまったものじゃない」
 兵馬がちらと次之進の方を見た。
 次之進が目でうなずくと、兵馬は縄を圭ノ介の身体にぐるぐる巻きにした。
「やれやれ、縄を外してくれるんじゃないのかい」
「崖を登ったら、またほどいて握る」
「だったら、あんたの方が先に登ったほうがよくないか」
 兵馬が一瞬気圧されたように黙り、次之進の方を見た。
「俺が崖を登って、そのまま逃げちまっていいのか。あんたたちが登ってくるのをのんびり待っていると思うのか」
「わかった。登ろう」
 兵馬が圭ノ介を睨みながら言った。
「俺も登る。一人だけでは、危ない」
 次之進が続いた。
「仲のいいことで」
 一瞬、怒りがこみ上げた兵馬が、圭ノ介の身体に巻きつけかけた縄をとり、ぐいと首を締め上げた。
「下らんことを言うな」
 さすがに、圭ノ介もそれ以上へらず口は叩かなくなった。
まず、兵馬がきりりと襷をかけ、草鞋がしっかり足になじんでいるか確かめてから、岩肌にとりついた。
 崖の高さは、まず十間(18メートル強)といったところだろうか。
「行け」
 次之進が命じ、圭ノ介もまじめな顔になって岩にとりついた。次之進も、縄を一巻き肩にかけて登りだした。
 いざ登りだすと、思った以上の難物だった。
滝の水飛沫で濡れた岩肌はつるつる滑る。岩のわずかな隙間にも苔が生えて、力をかけるともろく崩れてくる。水飛沫が宙を漂い、息苦しいばかりだ。
 次之進の顔に、岩のかけらが当たった。
 わざと落としたのか、と一瞬思ったが、確かめようがない。
 指先の感覚がなくなってきた。
 飛沫でびしょ濡れになっていても、汗びっしょりになっているのがわかる。
 辛うじて見上げると、先頭の兵馬が登りきったようだ。
(よし)
 圭ノ介もじりじりと危なげなく登っていく。
(こいつ、山歩きに慣れているのか)
 それ以上考える余裕はなく、ひたすら残された膂力を振り絞ってよじ登っていく。
圭ノ介がほぼ登り切った、と思うより早く、その姿がかき消えた。
 どうしたのか、と急ぎ登り切ると、兵馬が圭ノ介の首の縄をつかんで引き上げたのだった。
「離せよ」
 怒りに燃える目で睨みつける圭ノ介の身体にまわした縄を兵馬は黙って外し、また手に持った。まったく警戒を緩めていない。
「何びくついている。二人がかりで」
 次之進も安心する気にはならなかった。自由を奪っていても、どこかこいつには油断ならないところがある。
 次之進は自分が巻きつけてきた縄の束を外した。崖から下を見下ろすと、めまいがするほど高く感じる。
 近くに潅木が生えていたので、そこに縄の片端を縛り、残りを崖下に投げ落とした。なんとか下まで届いたらしい。下でたむろしていた連中がぽつぽつと縄に取り付いて、それを頼りに登ってくる。
「あまり大勢しがみつくな」
 次之進が声をかけたが、滝の轟音でよく聞こえないようだ。
 気づくと、圭ノ介は兵馬を連れて川の方に向かっていた。
 川の両側は水で侵食されたのか、切り立った岩が迫っている。その間を白く泡立つ水が勢いよく流れ、ますます岩を噛み削っているようだ。
「おい、何している」
 圭ノ介は聞こえないように、岩の上で足を踏ん張ってじっと迫った岩と水面のあたりを眺めている。
「何をしている」
 圭ノ介は、いきなり川上を眺めやった。一番岩の間の狭まった少し上のところに、ぽしょぽしょと頼りなげに潅木が生えている。
 圭ノ介はくるりと踵を返し、崖近くまで戻ってきた。
 次之進は、それ以上声をかけることができなかったが、圭ノ介がすばやくそばを通り過ぎたとき、少しその口もとに笑みが浮かんでいるのを、見逃さなかった。
(何を考えているのか)
 次之進は後を追った。
 すでに、崖下から総勢の半分ほどが上がってきている。
 圭ノ介は大きく身体を崖から乗り出すようにして、残りの連中を見下ろした。あまりに身体を乗り出すので、(危ない)と次之進はひやりとし、すぐなぜこいつの心配をしなくてはならんのだ、と腹が立った。
 と、同時にまだ彼の口もとにかすかな、それとわからないような笑みを浮かべているような気がしてきた。ただ体勢として見下ろしているだけでなく、
(こいつ、我等を見下しているのか)
 と思わせた。
 その一方で、頼りなげな綱にしがみついて、懸命に足をかけて登ってくる仲間の姿を見下ろしていると、次之進も何か自分が偉くなったような気がしてきて、あわてて、
(いかんいかん)
 と、頭を振ってせいぜい小隊の隊長でしかない、しかもお目付け役の出川がくっついてきている自分の身分を思い出した。しかし、山の中に入ってしばらくしているうちに、そのような秩序感覚が少し薄れてきている気もする。


 そうこうするうちに、全員崖の上に登ってきた。
「こんなところに連れてきて、あとどうするつもりだ」
 腹立たしげに出川が言った。
「まず、縄を引き上げてもらう」
 まだ崖下にぶら下げたままの縄を示した。
 言われるまま、自然に兵馬が縄をたぐり上げだす。
「わしが命じるまで、言うことを聞くな。ここで命令できるのは、わしだけだ」
 出川がせいぜい貫禄を見せようとして叱りつけた。そしてすぐに、
「上げろ」
 兵馬は、すばやく縄をたぐり上げた。たぐり上げられるや圭ノ介は、
「こっちだ」
 圭ノ介は、先に立って川上に歩きだす。兵馬は身を翻して、輪に畳んだ縄を持ってついていく。今度は、出川も口を出す暇がなく、そのまま黙ってついていった。
 岩の狭まったところを通り過ぎ、そこらに生えている潅木をつかんで引き、どの程度しっかり生えているか確かめた後、
「これに縄を縛れ」
 と、命じた。
 兵馬が言われた通りに、しっかり縄を潅木の根元近くに縛りつける。もう一方の端を、圭ノ介は自分の肩の回りにしっかり十文字にまわし、こちらにしっかり縛りつけた。
(何をしようとしているのか)
 圭ノ介は縄が潅木にしっかり結び付けられているかを確かめた。
「その結び付けてある方の縄をしっかり握って、離すな」
 一同は、当惑して圭ノ介のしていることを見守る。
 圭ノ介は獣の皮で作った上着を取り、着物をくるくると脱ぎ捨てる。下帯ひとつつけない全裸になると、あちこちの傷が目に入った。刀や槍による傷ばかりでなく、大きな火傷の跡もある。
 何かそれは、違う性格の動物の身体のようだった。
 圭ノ介はざぶざぶと川の流れに入っていく。流れは速い。たちまち身体がとられる。踏ん張ろうにも、かなりの深さがあるので浮いてしまい、踏ん張りようがない。たちまち流れに流される。
 あわてて、縄の近くにいた三人ほどが飛びつき、しっかり腰を落として流れに抗した。
(危ない)
 次之進は冷やりとした。このまま流されたら、間違いなく滝から放り出され、はるか下の滝つぼまでまっさかさまだろう。
 恐れというものを知らないのか、それともどうかしているのか、圭ノ介はそのまま犬のように顔をあげたまま水に浮いて流されていく。流れは川幅が狭まっているところで一番早くなる。命綱を握った三人は懸命に握り締めている。
 圭ノ介の身体が反転して、頭を川上に向けた。流れが容赦なく顔を直撃し、息をするのも難しそうだ。だが、意に介しないように大きく身体を跳ね上げて息を吸い込み、水に潜った。
 なかなか姿を現さない圭ノ介に、いつのまにか一行は心配げに、じりじりしながら待った。
(大丈夫か)
 誰しもが思ったとき、圭ノ介が川面から姿を現した。小さな歓声が、誰からともなく洩れた。
 出川は、自分も安堵のため息をついたあと、すぐ渋面を作って見せたが、誰も見ていなかった。
 圭ノ介が硬く拳を握った腕を上に突き出して、大きく(引き上げろ)と合図を送った。
 急いで、三人が縄を引き始めた。流れに抗するには三人でも力不足で、さらに進んで何人かが縄に取り付き、力を合わせて引いた。
 圭ノ介も力の限り泳ごうとするが、十分に息をするのも難しい。半ば砕ける水の塊に顔を押さえつけられながら両手両足をぐるぐる水平にまわしているらしいが、流れの中でしばしば体勢が崩れかける。そのたびに、命綱を握った腕の肉に縄目が食い込んだ。
 それでもなんとかやっと、圭ノ介の身体が引き上げられてきた。さすがに精根尽き果てたように荒い息をしている。
 水浸しの背中からも、汗が噴き出しているのがわかる。
「一体、何だというのだ。何のためにこんな命知らずな真似を」
 出川が叱責した。
 その声も、圭ノ介が硬く結んでいた掌を開いた時、ぷつりと断ち切られた。
 圭ノ介を二重三重に囲んでいた人垣の間のざわめきが大きくなった。
「何だ」「見えないぞ」
 そのざわめきが、ぴたりと止んだ。
 圭ノ介の手の中には、金色に光る人差し指ほどの塊があった。





「ウィジャ ビギニング 呪い襲い殺す」

2020年08月09日 | 映画
母親が二人の娘をこっそり使ってウィジャ盤(日本でいうこっくりさん)を操って言葉巧みに客から金をとる商売をしていた一家が、本当の霊に襲われるというホラー。

話の趣向からするとブライアン・フォーブス「雨の午後の降霊祭」か黒沢清「降霊」みたいではあるが、怖がらせ方としては娘が霊に憑かれて変貌するのがメイン。

製作にマイケル・ベイが噛んでいるせいか、いきなり音がでかくなるのは困りもの。




「トラブル・ボックス~恋とスパイと大作戦~」(Don't Drink the Water )

2020年08月08日 | 映画
ウディ・アレン監督脚本でマイケル・J・フォックス主演の映画なんてあったっけと思って調べてみたら、「ブロードウェイと銃弾」と「誘惑のアフロディーテ」の間の1994年のテレビ作品。

テレビ作品とはいっても、撮影はこの頃のアレン作品を続けて担当していたカルロ・ディ・パルマだし、フィルム撮影とおぼしき厚みのある画面。

もとはアレンが舞台のために書いた戯曲で、とにかく喋り倒す形式でどこまで面白いこと言っているのかよくわからず、初期の日本人にはわからないと言われていた作品群に近い。

東西冷戦下という設定自体、証文の出し遅れの感が強い。
フォックスは実は一枚看板ではなく、大勢いる主役の一人。アレンも出演しています。



「レネットとミラベル 四つの冒険」

2020年08月07日 | 映画
四つのエピソードからなるオムニバス。というか、フランス語でいうコントってこういうのではないかな。
色彩の配置のセンスの良さ。
田舎っぽいのと精練されたのと対照的な女の子を置いているようで、全体とするとコケティッシュ。
男が近づくだけで一種のスリルが出る。




「ブリット=マリーの幸せなひとりだち」

2020年08月06日 | 映画
見通すと、これが「人形の家」の現代版であることに気づく。

夫の浮気という一見ありふれた理由から家を出て見ず知らずの人だらけの環境で62歳の女性がほとんど知りもしないサッカーのコーチを引き受ける羽目になる。

夫はサッカーに夢中だったが、妻はまるで興味がない。という以前に心を閉ざし何にも興味を持たないようになっている。
「(掃除や洗濯の染み抜きの)重曹はサッカーより役に立つ」というセリフが初めの方にあるが、夫の服についた香水の香りに重曹を使いながら、それが自分のものではないことに頭がいかない。
それだけ実は心が冷えきっていることに、家を飛び出してから気づいていく。

サッカーのコーチをやるのに許可がいるというのはともかく、酒を飲むのにも許可がいるかのように言われて真に受けるあたり、これまでまるで酒を飲む習慣がなかったらしいのが窺えるし、少しづつ主にサッカーをコーチする(とも言えないが)うちに殻を破っていくドラマになっている。

警官がいい人というのは意外と新鮮。
主演のペルニラ・アウグストはカンヌのパルムドール作「愛の風景」の監督のビレ・アウグスト夫人だと思っていたら、離婚していたのね。

ラストの締めくくり方がなかなか粋。




「アラビアのロレンス」

2020年08月05日 | 映画
公開当時にデヴィッド・リーン監督が来日インタビューで語っていたフロイト的演出に絡めてメモ風に。

ロレンスがマッチの火を指でもみ消す、マゾ的体質の提示→マッチの火を吹き消すカットにアラビアの砂漠に太陽が昇ってくるカットがつながる。アラビアの砂漠と太陽が自分に与えられた艱難辛苦を楽しむ体質につながる。

無謀ともいえる英雄的行動でアラブ人ガシムを救出し、真っ白なアラビア風衣装(花嫁衣裳なのだとか)をプレゼントされ、短剣を抜いて自分の姿を映して見る。短剣を掲げるポーズは、ナルシシズムと勃起のメタファー(通訳をつとめた矢島翠=のち加藤周一夫人は英国紳士然としたリーンがファリック・シンボル Phallic symbol =男根の象徴なんて言葉を平気で使うのに驚いたという)

後年トルコ軍の将校に捕まって鞭打たれて解放される(レイプされたのであろうのをボカした表現)あと、急激にエキセントリックになって攻撃しなくてもいいトルコ軍を襲って全滅させる。その後、同じ短剣は血まみれになってだらりと下がっている。短剣に移っていた自分の姿は汚れたものになり、勃っていたポテンツも抜けてしまうということだろう。




8月4日のつぶやき

2020年08月04日 | Weblog


「WAVES ウェイブス」

2020年08月03日 | 映画
音楽が大きな比重を占める映画であることは確かだけれど、その分使われている音楽にあまり馴染みがない人間にはあまりピンと来ないということにもなる。

スクリーンサイズが三通り変わるのだが、今のシネコンの上映だと画面が横長になっても下の部分を切ることになるわけで、つまり画面が小さくなってしまうので、視野が広がったり狭まったりするというより、狭まったり狭まったりということになる。

スタイル意識過剰という気もする。




8月2日のつぶやき

2020年08月02日 | Weblog