朝早くに目を覚ました役所広司が古い木造家屋の二階の部屋から階段を降りてきて玄関から出ると、そのままドアに鍵をかけないで近くの自動車の鍵を開けて乗り込むのにあれ?と思った。
玄関に鍵をかけなかったように見えたけれど見間違いかなと思っていたら、玄関のドアにはこの後も鍵がかけられることはない。仕事用の鍵がものすごく多いのが対照的。
盗むようなものなどないこと、それ以前に所有欲がない、少なくともモノにたいする執着がないことを表わしているといっていいだろう。
(と、思ったのだがプッシュしてから閉めると自動的に鍵がかかる仕掛けらしい。ホテルみたいで、見かけによらない)
公衆のトイレを掃除する仕事、というのを聞いて、どうかすると実際にトイレを素手で地位のある人が掃除する、あるいは子供にさせて精神的な修行・鍛錬にするといったそういう文字通りクサい話なのかと思ったし、製作面でそういった人脈が関わってもいるらしい。
渋谷区が建築としての公衆トイレを「売り」にしているのも、へえとは思う。
作中たびたび出てくるトイレのひとつが元宮下公園のMIYASHITA PARKの並びにある。
(実はMIYASHITA PARKから見下ろすと新宿の思い出横丁―ションベン横丁といった方がピンと来るが―みたいな二階建ての飲み屋が並んでいる。写真参照↓)
ボロい鳥居のある境内で田中泯のホームレスのブルーシートの「家」と警戒している割に立ち去ろうとはしない
魅力は主に半ば過去を描いたディテールで、部屋の棚に並べてあるのが本かと思ったらそれもあるけれどカセットテープだったり、文庫本、それもフォークナーの「野生の棕櫚」とか 幸田文の「木」とかハイスミスの「11の物語」といった有名な作者の割にマイナーな作品が並ぶ。
カセットテープはその後CDに取って代わられるが、今ではCDはすっかり駆逐されてアナログのLPの方がデカいせいもあってか人気らしい。
役所の部屋には明らかにテレビもビデオもない。二つ折りの携帯は持っているがスマートフォンは持っていない。
スマホの代わりにフィルムカメラを持ってわざわざフィルムを現像所に出している。浮世離れしているというか、ありえないというか、ここに描かれている街は東京らしいが「惑星ソラリス」の東京が未来都市に見立てられたように、過去にベクトルを向いた都市に見立てられているのかもしれない。
あたかも「こんにちは母さん」で山田洋次が隅田川近辺とスカイツリーを描いたような二律背反的なまなざしを感じる。
銭湯に浸かったあと浅草駅の地下鉄につながる汚い(しかし外国人受けしそうな)地下街でサワーを呑んでテレビの野球中継を見る。
そこの酔っぱらいたちとの距離感が絶妙。
前半では役所広司はほとんどセリフがなく、無駄なく的確な動作は「ベルリン天使の詩」の天使みたいな透明さに達している。
高速道路を走るカットがたびたび出るのが、ヴェンダースのロードムービー。を思い出させる。
MIYASHITA PARKの上階から二階建ての飲み屋街を見下ろした眺め。