マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

孤高のメス

2010年06月08日 | 映画
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今日のフォト。
私はこのカードをいつもお財布の中に入れて、持ち歩いている。



私自身、このカードに、自分の署名をしているけれど
家族の同意の署名は、得られていない。









                 










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今日の動画。
映画「孤高のメス」の予告編。









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自身も医師である大鐘稔彦の同名ベストセラー小説の映画化です。
脳死肝移植というタブーに挑んだ一人の外科医の感動のヒューマンドラマ。









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大学病院中心の医療体制に反旗を翻し
ひたすら患者の命を救おうと、真摯に向き合う外科医・当麻鉄彦。



現役医師・大鐘稔彦氏の原作だけあって、外科手術のシーンは
とてもリアルで、ドキドキしてくる。









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時は1989年。 この街の市長が倒れる。
末期の肝硬変だった。









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「今、この命を救うのは、生体肝移植しかない」
けれど家族の肝臓は、適合しなかった。









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そんな時、交通事故で運ばれて来た青年が、数日後に「脳死」と診断された。



かけがえのないこの子の命を 誰かに繋げて息子を生かしてほしいと
母親が息子の臓器提供を希望した。









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この時、日本の法律ではまだ「脳死肝移植」は認められていなかった。



もしかしたら殺人罪に問われるかもしれない。
殺人罪として告訴されるかもしれない。









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「脳死肝移植」は、マスコミの恰好のえじきとなった。
けれど命を救う手段は、「脳死肝移植」しか残されていなかった。



当麻鉄彦は、手術をする決心をした。









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クライマックスの肝臓移植手術では、順天堂大学医学部の
現役外科医陣が完全バックアップしたそうです。



開腹した奥にある臓器、流血、そして医療の専門用語。
オペ室でのそのシーンは、臨場感に溢れ、凄じさが伝わってくる。









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市長の肝硬変の肝臓と、脳死の青年の健康な肝臓の違いは
素人の私たちの目にも、はっきりとわかるくらいだった。



青年の肝臓が市長に繋がり、血流させると、まるで命が吹きこまれたように
繋がれた肝臓は、美しいピンク色に変わっていった。



ドナーとレシピエントの命がひとつになった、感動の瞬間だ。









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スクリーン上で、開腹した臓器をリアルに覗いているのに
気持ち悪さは微塵もなかった。



医療もののドラマで、開腹手術をして
これほどリアルに、臓器の一部始終を見せた作品も類を見ない。









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主人公の当麻鉄彦は、神の手を持つ外科医だが、オペ中に聴く音楽が、
クラシックではなく、都はるみの演歌という裏腹な人間性にも親近感を覚える。









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原作の当麻鉄彦は、「ポール・モーリア」の音楽を好む設定になっていたらしい。
それがなぜ「都はるみ」なのかと、これは最後まで撮影スタッフで悩んだらしい。









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けれど堤 真一が演じる当麻鉄彦は、クールで完全無欠のヒーローではなく
愛すべき男として描くために、ユーモアを表現するようにしたかったとか。









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「脳死は、人の死」と定められた。 
脳死の後、自分の・・・家族の・・・臓器を提供できるか、否か。



難しい問題ですね。
主人と私の考え方でも、全く違うのですから。



「孤高のメス」は、医療が直面する問題について、一石を投じている。












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