今日のフォト。
私はこのカードをいつもお財布の中に入れて、持ち歩いている。
私自身、このカードに、自分の署名をしているけれど
家族の同意の署名は、得られていない。
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今日の動画。
映画「孤高のメス」の予告編。
自身も医師である大鐘稔彦の同名ベストセラー小説の映画化です。
脳死肝移植というタブーに挑んだ一人の外科医の感動のヒューマンドラマ。
大学病院中心の医療体制に反旗を翻し
ひたすら患者の命を救おうと、真摯に向き合う外科医・当麻鉄彦。
現役医師・大鐘稔彦氏の原作だけあって、外科手術のシーンは
とてもリアルで、ドキドキしてくる。
時は1989年。 この街の市長が倒れる。
末期の肝硬変だった。
「今、この命を救うのは、生体肝移植しかない」
けれど家族の肝臓は、適合しなかった。
そんな時、交通事故で運ばれて来た青年が、数日後に「脳死」と診断された。
かけがえのないこの子の命を 誰かに繋げて息子を生かしてほしいと
母親が息子の臓器提供を希望した。
この時、日本の法律ではまだ「脳死肝移植」は認められていなかった。
もしかしたら殺人罪に問われるかもしれない。
殺人罪として告訴されるかもしれない。
「脳死肝移植」は、マスコミの恰好のえじきとなった。
けれど命を救う手段は、「脳死肝移植」しか残されていなかった。
当麻鉄彦は、手術をする決心をした。
クライマックスの肝臓移植手術では、順天堂大学医学部の
現役外科医陣が完全バックアップしたそうです。
開腹した奥にある臓器、流血、そして医療の専門用語。
オペ室でのそのシーンは、臨場感に溢れ、凄じさが伝わってくる。
市長の肝硬変の肝臓と、脳死の青年の健康な肝臓の違いは
素人の私たちの目にも、はっきりとわかるくらいだった。
青年の肝臓が市長に繋がり、血流させると、まるで命が吹きこまれたように
繋がれた肝臓は、美しいピンク色に変わっていった。
ドナーとレシピエントの命がひとつになった、感動の瞬間だ。
スクリーン上で、開腹した臓器をリアルに覗いているのに
気持ち悪さは微塵もなかった。
医療もののドラマで、開腹手術をして
これほどリアルに、臓器の一部始終を見せた作品も類を見ない。
主人公の当麻鉄彦は、神の手を持つ外科医だが、オペ中に聴く音楽が、
クラシックではなく、都はるみの演歌という裏腹な人間性にも親近感を覚える。
原作の当麻鉄彦は、「ポール・モーリア」の音楽を好む設定になっていたらしい。
それがなぜ「都はるみ」なのかと、これは最後まで撮影スタッフで悩んだらしい。
けれど堤 真一が演じる当麻鉄彦は、クールで完全無欠のヒーローではなく
愛すべき男として描くために、ユーモアを表現するようにしたかったとか。
「脳死は、人の死」と定められた。
脳死の後、自分の・・・家族の・・・臓器を提供できるか、否か。
難しい問題ですね。
主人と私の考え方でも、全く違うのですから。
「孤高のメス」は、医療が直面する問題について、一石を投じている。