チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

香港 高街 鬼屋

2013年11月08日 | 香港

曇り、22度、75%

 香港島のセントラルから2階建てのトラムに乗って、西に向かいます。右手にマカオフェリーを見た辺りからトラムは左に大きく曲がります。トラムは年中オープンカーですので、街の匂いが解ります。曲がった途端に鼻を突く匂い、見るとどこの店も大きな魚や貝柱、ヒトデまで干した物を売っています。ここは香港の一大塩乾物を売る街、サイイップーンです。セントラルから、トラムで僅か15分ばかりのこの街も古から人が住む街です。セントラルに近いにもかかわらず、飾り気のない街の人たち、声高の話し声、ありのままの香港です。トラム通りから、山向きにクイーンズロード、第1街、第2街、第3街、高街と東西に走る道があります。かなり急な坂道を、買い物を片手に、赤ん坊を背負ったおばあさんたちが上る姿をよく見かけたものです。

 この高街に、英国様式の石造建築物を見つけたのは、20年以上前のこと。古い建物を写真に収めていた頃のことです。 草が生え放題、この写真からはよく解らないのですが、中の建物は黒焦げの状態でした。当時の香港は、今ほど高層建築物もなく、古い建物が傾いたような状態で町中に見られました。しかも、英国風もあれば中國的な建物もある、要するに東西のメルティングポットのようなところでした。さて、この建物、私の記憶でも随分この荒れた状態のまま放置されていました。 10年ほど前でしょうか、改築工事が初まりました。看板には政府の建造物と記されています。今では、サイイップーンの社区総合ビルとして使われています。

 この建物が、鬼屋(お化け屋敷)と呼ばれていることを知ったのは、1週間ほど前のこと、新聞のサイイップーンの地下鉄開発の記事で知りました。途端に、私の頭には20年前のあの姿が甦ります。火事で焼けて放置されていた大きなビルですから当然と思いました。ところが、記事を読むうちに、鬼屋と呼ばれている所以は別のところにありました。

 1892年に建てられたこの建物は、政府の病院関係者の宿舎として作られた物だそうです。その後、第二次大戦中、日本軍が占領したとき、日本軍はこのビルの地下で、捕虜の処刑を行ったといわれているそうです。つまり、それ故にこのビルは、鬼屋と呼ばれるようになったのです。戦後一時的に精神病院として使われた後、2度の火事がビルを襲ったと記されています。

 新聞片手に、気持ちが沈みます。この日本軍の処刑云々は、史実かどうか解りません。ただ、そういう言い伝えがあることに驚きました。

 この建物の向かいは、大きなジョージ5世の公園があり、いつ見てもこの建物に陽が注していることがありません。 香港にしては珍しく、元の建造物を生かした建替えです。我が家から、歩いて20分、涼しくなるとモモさんとの散歩で足を延ばします。

 20年以上もこの建物の暗い印象が私の胸から消えませんでした。その土地その土地、歴史に因る深いものを秘めていると改めて感じています。

コメント
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