晴、10度、75%
新年度が始りました。街に出かけると「一人暮らし、応援」などと書かれたコーナーを見かけます。電気店、生活全般の品を売る店、用もないのに見てしまいます。
49年前、一人暮らしを始めました。この家、親元を離れたかった私です。心配や悲しさなど微塵もなく、春の陽気のようにウキウキでした。見るもの、聞くこと全てが興味の対象でした。学校なんぞそっちのけで街を歩き回りました。今のように「一人暮らし」のコーナーなどありません。生活に必要なものを自分で揃える楽しさが蘇ります。ゴールデンウィークを過ぎた頃から落ち着きが戻って来ました。生活にもリズムができます。夜遅くまでベットで寝っ転がって本を読んでも叱られることはありません。
「一人暮らし」は責任も楽しさと一緒について来ます。月々の支払い、火の元、戸締り。ご近所には迷惑をかけない。出会う人には挨拶をする。そんな当たり前のことですが意識をします。今の新生活にはテレビは不可欠だそうですが、私はテレビを持ちませんでした。それでも何の不自由もありませんでした。小さな冷蔵庫、洗濯機、アイロンが新しい電化製品でした。ご飯だってお鍋で炊きました。今は電化製品もセット売り、鍋釜、食器も洒落たものが「一人暮らし」用としてセットになっています。便利だけど面白みに欠けています。
49年前の春の空気は私にとって最高の思い出です。「フークシャ」の鉢植えを買いました。連休明けには「オカメインコ」も飼い始めました。あの春揃えた物でいまだに使っているものがいくつかあります。見出し写真は「まな板」として求めたカッティングボードです。 お玉とフライ返しも一緒に買いました。どこで買ったかも覚えています。その日はGEのアイロンも買いました。そのアイロンは香港まで一緒でしたが、変圧器をかけていたので壊れました。 ラベンダーのサッシュもあの春以来洋服掛けにかかっています。
「一人暮らし」は自分と向き合います。一人で判断して行動を考えます。そしてその責任も自分で取ります。結婚して家族ができ、生活自体は変化がありました。でも、自分と向き合い、生活することの基盤はあの49年前の春から変わっていないと思います。
「一人暮らし」を始める新社会人、新入生、思い出に残るスタートになって欲しいと願います。
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