チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

香港映画「ネオンは消えず」

2024年01月28日 | 映画

曇、4度、75%

 

 香港と言うとあの煌びやかな夜景を思い起こされる人が多いと思います。夜、飛行機が香港に着陸する時、遠くから見ても一つの火の塊のように明るい場所が香港です。私が香港に渡った1980年代終わり、それらの燈はまだ「ネオンで」でした。ネオンサインは大きく、道の真ん中まで張り出しています。その下を2階建バスや電車が走ります。香港人の話し声は大きく賑やかな街に圧倒されました。

 「サーズ」の後からこの「ネオン」は「LED」に変わりました。そして「ネオン」を作っていた職人たちは職を失います。この「ネオン職人」の一家にスポットを当てた話です。「ネオン職人」の父親は借金を残して亡くなっています。あることがきっかけでその父親がやり残した「ネオン」があることを知った妻、娘が父の遺志の「ネオン」を作り上げる話です。

 「香港映画」と言うとヤクザものに始りとにかく大袈裟な演技やセリフが気になります。この主演の女優の時に見せる演技はその大袈裟さえも含めて香港らしさを伝えてくれます。私に取って30年住んだ香港です。全編流れる「広東語」、家族が囲む食卓に上る食べ物、街の景色、全てが匂いまでも含めて伝わって来ます。2時間足らずの映画です。しかもマイナーな「香港映画」とあって上映は5日間のみ、さほど大きくない劇場にたったの6人しかお客はいませんでした。

 私たち家族が二番目に住んだマンションの部屋には小さな「ネオン」が壁に組み込まれていました。虹の「ネオン」でした。スイッチを入れると「ネオン」特有の「チリチリ」と音を立てました.日本人小学校に通っていた息子の友達は我が家に来るとそのスイッチをつけるのを楽しんでいました。まだ、街の燈も全て「ネオン」の時代でした。

 「LED」の明かりは澄んで輝度も高い物です。「ネオン」はくぐもった暖かさのある燈です。何気なく見ればその違いはわかりませんが、心を澄ませると「ネオン」の暖かさとあの「チリチリ」と言う音までが蘇ります。

 年内には一度香港に帰るつもりです。


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