気ままに

大船での気ままな生活日誌

新横綱・鶴竜の初日場所入りを観る

2014-05-11 21:36:31 | Weblog

数日間、右足の親指の負傷で遠出は避けていた。痛みもなくなり、その快気祝いに、大盤振る舞いの計画をたてた。その計画とは、歌舞伎座の昼の部をみて、そのあと両国に廻り、新横綱、鶴竜の初日土俵入りを観るというものあった。でも、いずれも予約なしだから、朝早く、出掛け、まず相撲の当日券を買い、その足で歌舞伎座に向かい、昼の部の幕見席に並ぶということにした。

しかし、その案は、はじめからつまずいてしまった。9時頃、国技館に着いたが、すでに満員札止めになっていた。さてと、思案した。今日は日曜日、歌舞伎の幕見も長蛇の列で、入れない可能性が高い。そこで一気に、予定は未定、君子豹変、朝令暮改で、こう変えた。

10時からの大相撲13日目のチケットを買う、隣りの江戸東京博物館の特別展”江戸と洛中”と企画展”徳川将軍の書画”を観る、お昼は駅前のちゃんこ居酒屋で飲む(汗)、そして2時から、力士の場所入りを観る、というものだ。実は、新横綱の鶴竜が関脇以下の力士と同じように、初日だけ、歩いて場所入りすることを小耳にはさんだのだ。こんなチャンスはめったにない、と思い、これを軸に調整をしたというわけ。歌舞伎はいつでもいけるしね。

この計画はすべて、うまくいった。飲んだあと、午後2時前から大勢の人に混じって、場外で待機。次々とお相撲さんがタクシーでやってきて、場所入りする。安美錦、千代丸、旭天鵬、そして、わああと大歓声はピンクの着流しも似合う、遠藤。

さて、鶴竜は?とみな待ち侘びる。そのうち、お付きのお相撲さんが、何人も道路に出てきた。いよいよだぞ。向こう側に黒のワゴンがやってきて止まる。それがぐるりとUターンして、ぼくの目の前に止まる。そして、出てきた。鶴竜だ!とみんなが叫ぶ。ぼくもとっさにカメラのシャッターを切る。ししかし、肝心の顔は撮れず、う、後姿だけ。今日のメインイベントは完璧ではなかったが、肉眼ではしっかり確認したから、よしとしよう。

そして、ぼくは、すぐに我が家に直行。大相撲夏場所初日の相撲を観たのだった。鶴竜の土俵入りには間に合わなかったが、相撲中継の途中で、みせてもらえたし、稀勢の里、遠藤の白星発進もみられたし、素晴らしい快気祝いとなったのだった。

力士の場所入り

栃煌山

安美錦

旭天鵬

千代丸

魁聖

そして、丁髷も、ういういしい遠藤!!!

付け人らしき力士が集まってきた

そして、鶴竜!!!うしろ姿

新横綱の見事な雲竜型土俵入り

ぼくらも忘れないで!(両国駅広小路にて、今週は秋田県まつり)



 

 

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石田徹也展/ノート、夢のしるし

2014-05-11 07:53:36 | Weblog

石田徹也展のポスターの絵、”飛べなくなった人”をみて、どこかで観たはずと、マイ・ブログをめくってみたら、同じ平塚市美術館で3年前に開館20周年記念展として”画家たちの二十歳の原点”の中で観ていた。そのときは、one of themだったので、余り目立たなかったのかもしれない。それが、今回は石田徹也の回顧展、110点もの作品をみることができる。

石田は1973年、焼津に生まれているが、もうこの世にいない。踏切事故で31歳で夭折しているのだ。焼津というと第五福竜丸を思い出すが、石田は8歳のとき、この船についての作文を書いている。そして、第五福竜丸というとベンシャーンの”ラッキードラゴン”、(ベンシャーン展は葉山で観ている)だが、石田は、この絵を観ていて、ベン・シャーンにずっと憧れていた。一方、赤塚不二夫にも共感をもち、”悲しみを突き抜けると、ナンセンスになる”という言葉を気に入っている。だから、ベン・シャーン+赤塚不二夫が石田徹也のバックボーンを構成していると言っても、そう大きな間違いはなさそうだ。

はじめの展示が、小学校5年生のときの、”弱いものいじめは、やめよう!”という、人権マンガポスターで最優秀賞をとったという作品。まさに、栴檀は双葉より芳しといえる。その後、美大を出て、”弱いものいじめ”をしている現代社会を痛烈に風刺した絵を量産するようになるのだ。

弱いものいじめは、やめよう(11歳)”ぶら美”のテレビ画像を撮ったものです。以下同様。

駐車場のドラマ(21歳) ベンシャーンの画風によく似ている。

居酒屋発(毎日広告デザイン最優秀賞) ”ビアガーデン発”とセット。この頃から器物と人体の合体がはじまる。

燃料補給のような食事 牛丼屋さんに入ったとき、こう感じたという。1990年代のバブル崩壊後の世相を辛辣に、時にユーモラスに描き続けた。

トイレへ逃げ込む人 ここしか安住の場がない人。


高崎だるまに絵づけ
 達磨がトイレになってオイオイ泣いている。

飛べなくなった人 子供の頃、自由にはばたいていた人も、社会人になり、飛べなくなった。廃棄された飛行機と一体となり空を飛ぶ。でも、泣き出しそうな顔。

めばえ(25歳頃の作) 学校教育の風刺。顕微鏡になって、ただ前方をみている。先生の顔はない。右側のノートは、この絵を描く前のデッサン。”ノート、夢のしるし”が多くの絵の横に置いてある。これも本展覧会の特徴。

こんな絵も。三浦知良がW杯メンバーに招聘されなかったときの絵。似顔絵も上手。なおこ、れまで出てくる人の絵は、ほとんど自画像。

ぶら美の一場面。大作が多い。これを6畳の部屋で制作していたという。

遺作。もう生きられないといった顔をしている。

 石田徹也作品にびんびんと響いてくる人も多いと思うし、そうでなくても、誰でもが一度や二度は心のうちに浮かんだ光景が、これらの絵の中にあるだろう。

なお本展は昨年秋の足利市立美術館につづくもので、平塚市美術館ののちは、砺波市美術館、静岡県立美術館で開催されるとのこと。

 

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