気ままに

大船での気ままな生活日誌

稀勢、白鵬に立ち合い負け!

2014-05-22 18:52:08 | Weblog

世紀の決戦は、後味の悪い勝負となった。立ち合い、稀勢がつっかけ気味で白鵬が立たないのが二度続いた。三度目も稀勢が立とうしたが、白鵬が立たないようにみえたか、一瞬、戸惑う稀勢。その間隙をぬって、白鵬が突っ込んできた。稀勢は待ったをすればいいのに、不十分で立って、まともな勝負をせず、簡単に寄り切られてしまった。がっぷり四つの大相撲を期待していたのに、何たる看板相撲だ。どっちも悪い、合わせようとしないだもの。国技館のお客さんはもちろんのこと、テレビを観ていた全相撲フアンのブーイングが天に上って、今日のような雷雲になって、雷を落としたくなるような、つまらない”大一番”になってしまった。

さらに、結びの一番、豪栄道が鶴竜を破って大歓声が上がったあと、なんと勝負審判ではなく、白鵬から物言いがついて、髷をつかんだということで、判定が引っくり返ってしまった。ビデオをみると、ほとんど勝負が決まったような段階で、たしかに豪栄道が思わず髷をつかんでいる。でも、これは、通常、逆転判定されるようなものではない。これで、ますますお客さんの鬱憤が溜まったようで、座布団が乱れ飛び続けた。

加えて、遠藤は大砂嵐のノックアウトパンチを浴びて、ひっくり返るし、踏んだり蹴ったり、いいことなしの12日目の夏場所だった。

でも、いつまでもうじうじうじしてたんじゃ、男がすたる。何事も、すぐ切り替えるのがおいらの身上。考えてみれば、稀勢は、まだ一差で白鵬を追っている。優勝の可能性は十分ある。優勝決定戦で白鵬をぶん投げてやればいいんだ!

とにかく、ぼくが応援に行く明日、13日目は、相手が豪栄道豪太郎で意気が上がらないが、とにかく二敗をキープしてほしい。そして、あと二横綱に圧勝して、白鵬との優勝決定戦に、持ち込む。さすれば、ぼくの初日での予想通り、13勝2敗で稀勢の里、初優勝になる。絶対、今場所は獲るゾ!

立ち合い、合わず。

一気に寄り切られる。

豪栄道、鶴竜に土と思われたが物言い

たしかに髷はつかんでいたが・・・

遠藤KOパンチくらう!

 

 

 

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徒然草と兼好法師 金沢文庫

2014-05-22 09:10:55 | Weblog

 ぼくの散歩道のひとつ、いたち川沿い。この道を徒然草の兼好法師が歩いている。いたち川という名にその証拠が隠されている。兼好法師が金沢のお兄さんを訪ねた時、この川沿いを通り、こんな和歌を残しているのだ。”かにわが ちにしより りのきて ぜだにねやを らはざるらん”それぞれの言葉のトップをつなげると、”いたちかは(わ)”となる。と、いうことが川沿いの道の案内板に書かれている。


金沢には二度ほど訪ねているという通説があり、それで、金沢文庫は兼好法師の展覧会を今回を含め、複数回、開催しているのだ。ぼくは、2008年9月に”徒然草をいろどる人々”展を観ている。ここでは、兼好の人脈や金沢来訪の有無を学術的に検討し、兼好は、どうも金沢に2度来訪したという確証はなく、せいぜい南北朝時代の一度ではないのかという説が有力としている。それに、同時代に、京都と鎌倉に同姓同名の占部兼好がいたようで、それも、混乱の原因となっているらしい。訪ねたのは実兄かどうか、これについても不明のようだ。

さて、今回のテーマは、金沢訪問の件はさらりと触れるだけで、もう少し大きな観点から兼好法師と徒然草をみてみようというものである。謎の多い兼好の人物像を探ると共に、教科書等でおなじみの兼好法師像など金沢文庫の徒然草コレクションを中心に、”徒然草”の世界を紹介している。難しい古文書だけではなく、徒然草の内容が絵画化された絵入本や絵巻、屏風など楽しいものも展示されている。

はじめに、兼好法師像。ちらし絵ともなった狩野探幽筆のもの。そして石島筑波賛のもの。つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、の序段のイメージで描かれている。

狩野探幽筆 意外と小さな図、

石島筑波賛 ひとり灯のもとに文を拡げての図

そして、重要文化財の金沢貞顕書状や卜部兼好書状立紙など7点が並ぶ。こういう古文書は、中身が分からなくても、年を重ねた古びた姿を観るだけで有難い気持ちになってくる。そして、各時代につくられた徒然草がいくつも。伝光悦・光広写本というのもあった。これは色替り料紙を使っている。つれつれ草(伝松永貞徳筆)も。現在でも人気があるが、江戸時代でもよく読まれたようだ。解説本も多く出版されている。

奈良絵本断簡も。六、十四、五十、五十三段などを絵本化している。絵巻でも各段の文章とそれに即した情景が描かれている。小さな豆本まである。いずれも色がきれいに残っている。徒然草絵巻だけでなく、兼好法師行状絵巻もある。そして屏風まで。五十三段の、仁和寺の和尚が足鼎をかぶってとれなくなった場面や八段の、”久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを 見て、通を失ひけんは・・・”の場面など、こっけいな段が人気のようで、あちこちで採用されている(笑)。

団塊世代のクラス会らしいグループが通り過ぎたあとは、静かに、ゆっくりと兼好さんの世界に浸ることができた。

奈良絵本

帰ってから久しぶりに徒然草を読んでみた。いくつも好きな段があるが、今回はチョー短い段をひとつだけ紹介しておこう。

第百二十七段
改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり。

来月、サントリー美術館でもあるらしい。

 

 

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