気ままに

大船での気ままな生活日誌

シモバシラならずも朝の紅葉に満足

2021-12-15 22:27:51 | Weblog

こんばんわ。

今朝の散歩で道端の草に霜が降りているのに気づいた。ならば、シモバシラ(シソ科植物)の氷の華が見られるのではないかと大船フラワーセンターへ一番乗り。まず、入り口に近いシモバシラの群生地に。しかし、葉を落とした茎に氷の華はない。ガーン。でも。まだ、もみじ山の群落がある。少しでも陽性反応を示してくれれば、マイブログ史上最速となるし、紅葉とシモバシラのツーショットが撮れるかもしれない。わくわくしてもみじ山に。

もみじ山の紅葉はまだ十分、見頃を維持していた。朝日を浴びて、輝いていた。

この下にシモバシラの群落がある。

果たして・・ガーン。茎は何もつけていない。もみじの落ち葉だけ。とほほ。これで新記録ならず。

隣りのスノードロップの花は咲いていた。紅葉の葉っぱと一緒に。シモバシラの代わりに紅白揃い踏み。

シモバシラは見られなかったが、たくさんの綺麗な落ち紅葉を見ることが出来た。昨晩、落ちたばかりかという新鮮な落ち葉。こんなきれいなのは、なかなか見られない。

早朝の紅葉は光り輝いていた。わざわざ早朝に訪ねた甲斐があった。

もみじ山の向かいに、普通のより数倍ある巨大な葉のヤツデが花をたくさんつけていた。花は巨大ではなく、むしろ、普通のヤツデよりも小さな感じだった。

近くに、普通のヤツデの花も見つけた。

この近くに、銀木犀の木があることを初めて知った。来年、花の頃に是非。そして、ひいらぎなんてんの仲間も冬の花を咲かせていた。

築山でももみじを見られた。

やくしまおながかえで

いろはもみじ

シモバシラはだめだったが、きれいな朝の紅葉をみられて、余は満足じゃ。できれば年内に、紅葉の残っているときに氷の華を見て見たい。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

コメント (2)
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遠藤彰子展 平塚市美術館

2021-12-15 08:24:53 | Weblog

おはようございます。寒い朝ですね。今日は、久しぶりに溜まっている展覧会記事です。

すでに終了しているが、平塚市美術館での遠藤彰子展を見てきた。たしかどこかで彼女の個展を見ているはずと、過去ブログを調べてみたら、2014年に上野の森美術館で遠藤彰子展/魂の深淵をひらくを見ている。そのときのブログ記事を再掲してみる。”四季シリーズでは、人間存在の暗い深淵に差し込む微かな光を頼りに描き上げたかのような、どちらかというとコワイ風景が続いたあとに、一転、次の部屋には明るい楽園風景の絵がずらりとあったり、また、会場から入ってすぐの”街シリーズ”の絵では不思議な立体空間にぼくらの頭をくらくらさせられる。青空を下に覗き込むような絵があったり、螺旋階段がずっと下までつづいていて、まるでバベルの塔をひっくり返したようなものとか。と、ある。

あれから、7年経過した。回顧展であるので、当然、前述の重要作品は重複して展示され、楽園シリーズや街シリーズもある。遠藤は、1989年からは500号 (248.5×333.3cm) をひとつの単位とする大作のシリーズを始めた。2000年代に入ると、500号を結合し、1000号、1500号となる更なる大型作品を発表している。今回はその超大作シリーズや本展のために作成したという新たな作品もあり、豪華な展覧会となっている。

写真撮影が、いくつかの作品のみ許可されているので、それらを掲載して、遠藤ワールドを再度、ブログ上で楽しみたい。それぞれの絵について作者自身の思いが綴られている。なるほどと合点のいくものばかりではない。でも、それはあたりまえのことで、ぼくの感性が足らないか、違うだけのこと。コメントにはぼくも知らなかったアインシュタインの言葉まで出てきたりして、どれもとても面白い。

街(たそがれ)(1982)黄昏のイメージは、私にとって終末のイメージであると同時に、最も美しい風景に感じられる(遠藤自身のコメント、以下同様)

一部拡大

楽園の住人たち(1974)芸術的イメージとは、つねに比喩できることを想うと、普遍的なものの中に価値を見出さなければならないはずである(遠藤)。

一部拡大

部屋(1976)このコメントは長いので、貼り付ける(笑)。

部分

私の街(1981) 迷路のような街の中で、絵の中の人物たちと一緒に旅を始めた。心のように見えないものを、象徴や寓意として表にあらわすことを考え始めた(遠藤)

私は来ている 此処に何度も(1990)

鐘 (2007-8) バロックの静物画のように、卓上から溢れかえる食物たち。果てしなく饗宴の鐘は鳴り響く。

雪・星ふりしきる(2020) 次のアインシュタインの言葉がこの絵の原点になっている。

部分

眸ひらく明日(2016) 明々と灯る都市の窓。カーニバルは噴水のように咲き開き、時が刻まれてゆく。

部分

ことば響くあたり(2019年)大樹は時間そのもので、枝を限りなく広げてゆく。今、花咲き誇るとき、その根方と水の辺にはさまざまな言葉が満ち溢れている。そして夕日はそれを静かに見つめている。

黒峠の陽光(2020)白い絵(ことば響くあたり)に対し黒い絵と呼ばれる。両者が並ぶ図。

炎樹(2017)

展示風景

本展は12月12日で終了しました。

遠藤彰子 1947 東京生まれ / 1969 武蔵野美術短期大学卒業 / 1986 安井賞展安井賞受賞 / 1986 文化庁芸術家在外派遣研修 / 2007 平成十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞 / 2014 紫綬褒章受章

とても面白い展覧会でした。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (2)
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