気ままに

大船での気ままな生活日誌

真冬のチューリップ 江の島

2013-01-13 21:54:17 | Weblog
太目の細君が、珍しく、江の島からの富士山がみたいという。朝散歩で富士山がみえることは確認しておいたから、それならば午前中にと、9時頃に出掛けた。

雲ひとつない富士山が、江の島の橋から海上にみえ、細君は満足したもよう。さらに、細君を喜ばしたのは、江の島の頂上にある植物園”サムエル・コッキング苑”のチューリップだった。真冬のチューリップとして有名だが、うっかり、見逃すところであった。細君の言うことを聞いて良かったと思った。苑内各所に、色とりどり、2万本はあるというからすごい。

真冬の富士




真冬のチューリップ




真冬の椿 
椿園でただひとつ咲いていた”菊冬至”


真冬のランチ 
奥の江の島のレストランで、富士山をみながらのゴージャスな江の島御膳。昼酒も2本、OK。太っ腹な細君。


真冬のデート。




もちろん、この方にも御参りしてきましたよ。

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大磯の虎女&二宮の花月尼

2013-01-13 16:40:45 | Weblog
浅草新春歌舞伎で”寿曽我対面”をみたすぐあとだったので、いつもは通り過ぎる神社に寄ってみた。菜の花が真っ盛りな二宮の吾妻山。急階段を登り切り、ほっと一息つく辺りに、その神社はある。曽我兄弟の姉、花月尼が仇討の成功を富士浅間神社に祈願していたが、大願成就が叶い、お礼にこの地に浅間神社を建立した。ここは、彼女の嫁ぎ先、二宮氏の領地内なのである。

神社由緒にそのことが示されている。


神社の鳥居。お堂は石段を登った先にある。


吾妻山の麓の知足寺には、二宮太郎朝定・花月尼夫婦、そして、曽我十郎祐成・五郎時致兄弟の墓が並んでいるという。こんど訪ねてみよう。

・・・・・

二宮駅から東海道線でひとつ上ると、大磯駅。ここには、歌舞伎の曽我物には欠かせない”大磯の虎”がいる。浅草では中村米吉が演じた。云わずと知れた、大磯宿の遊女で、虎女が17歳、十郎が二十歳のときに恋におちる。その2年後、十郎と弟、五郎は、富士の裾野での鷹狩の最中に、父の仇の工藤祐経を討ち取る。しかし、そのとき十郎も家来に討ち取られ、五郎も生け捕りされ、処刑される。

十郎の死後、虎女は、曽我の里に兄弟の母親を訪ねたあと、出家する。そして大磯の地に庵を結び、菩薩地蔵を安置し、63歳の生涯を終えるまで、曽我兄弟の供養をつづけた。その庵あとと伝えられる、延台寺を訪ねた。

延台寺。石柱には曽我兄弟霊像と虎御石の文字が刻まれている。


それらは、曽我堂に安置されている。閉まっているが、ガラス越しにみることができる。


虎御石の由来。鎌倉時代の伝説の舞姫、虎御前の誕生のきっかけとなり、曾我兄弟の兄、十郎佑成の”身代り石”と伝えられる御霊石とのこと。いい男が抱くと、軽くもちあがるが、ブ男だと重くなって、持ち上がらないという、色好みの石という言い伝えもある(爆)。


虎御石は布に包まれ、安置されている。


虎女のお墓もある。


大磯宿の遊女のお墓も。ぼくの調査では(汗)、遊女のお墓は、ほかに、藤沢、川崎くらいしかない。


大磯宿といえば、虎女(虎御前ともいう)。多くの浮世絵などに描かれた。大磯の観光案内所で売っていた絵ハガキから。

五十三次之内 大磯とら (豊国)


東海道五十三次之内 大磯・虎ヶ雨(広重)


東海道中膝栗毛(十返舎一九) 喜多八虎子石を抱える


曽我時致乗裸馬駆大磯 (芳年)


東海道之内大磯 (豊国)



ワンコの曽我兄弟にも出会った。親の仇と思ったのだろうか、ワンと吠えられた。





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吾妻山の、菜の花満開

2013-01-12 10:36:38 | Weblog
朝散歩コースのお寺さんの梅が一輪だけ咲き始めたとお知らせしたのが5日ほど前。今朝、もう一輪、咲きそうな雰囲気になってきた。一輪、一輪、新春は進んでゆく。さて、東海道線を30分ほど下り、二宮まで来ると、新春は一気に進む。二宮駅北口から標高136メートルほどの吾妻山に登ってみよう。そこは、まばゆいばかりの春色で埋め尽くされている。

吾妻山公園の菜の花畑。








日当たりのよい山道では、水仙もどっと咲き始めた。鎌倉に比べると、一足お先にといった感じ。




まゆみ


相模湾の海もまぶしい


富士山がみえると最高なんだけど、今回は残念。次のお楽しみ。でも、丹沢方面の山々はばっちり。大山かな。


木々も春の訪れを待ち浴びていた。それぞれの姿で。

凜と


おかしく


ふしだらに(爆)




もちろん! こんどは富士山とツーショットで撮ってあげるね。



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新春浅草歌舞伎 海老蔵

2013-01-11 10:51:05 | Weblog
新春浅草歌舞伎に行ってきた。海老蔵の”極付・幡随院長兵衛”が観たかった。海老蔵にとって初役だという。

少年時代から、漫画や読みもので、粋でいなせな町奴のお頭、幡随院長兵衛を知っているが、歌舞伎でみたことはなかった。近年、映画にもテレビドラマにも取り上げられないし、しばらく長兵衛さんには無沙汰していた。ただ、浮世絵では、しばしば歌舞伎の一場面が画題として取り上げられので、この芝居の場面も、何度か目にしている。最近では、月岡芳年の”東錦浮世稿談 幡随院長兵衛”かな。この場面は、最終幕の”湯殿の場”で、長兵衛が騙され、無防備で湯に入ろうとしたところを、旗本奴の頭領、水野(片岡愛之助)らによって斬りつけられる。浮世絵では血みどろになって風呂桶の水を飲んでいる壮絶な場面だが、舞台ではそこまでは生臭くなく、簡略化されている。

第一幕から面白い。劇中劇で村山座の舞台が上演されている。そこに、酔った旗本奴が花道から入り込んで、舞台の邪魔をする。舞台番が止めようとして喧嘩となる。さらに騒ぎが大きくなると、客席から一人の着流しの男が舞台に上がってくる。待ってました!海老蔵。江戸で知られた侠客、花川戸(浅草です)の幡随院長兵衛。旗本奴を軽くいなして、その場を収める。芝居小屋の二階席にいた水野が、この一部始終を観ている。許しておけぬとだまし討ちを考えるのであった。

第二幕は長兵衛の家。水野の使いがやってきて、藤の花見の酒宴に招待したいという。騙し討ちはわかっていたが、長兵衛は喜んで参上すると答える。女房お時(孝太郎)、子分衆も引き止めるが、ここで断れば、男がすたると、駆け付けた弟(亀鶴)に死んだあとのことを頼む。そして、子分に、幾時かあとに、早桶で迎えにくるように耳打ちする。

そして、第三幕。酒宴の席でわざと酒をこぼされ、裃を乾かす間、風呂にでもと誘導される。そして、前述のように、風呂場で斬りつけられる。しかし、早桶が来たことを知った水野は、長兵衛の覚悟のほどに感じ入り、とどめをさすのを止めるのであった。

海老蔵の幡随院長兵衛、ぴったり。さまになっている。絶対、当たり役になる!何度でも上演してください。京都でも、大阪でも、どこでも、必ず行きます。

そして、もう一つの演目は、お正月公演らしい”寿曽我対面”。曽我物のひとつ。海老蔵は仇の工藤左衛門祐経役。血気にはやる曽我兄弟(松也と壱太郎)を、鷹狩総奉行の役目が終わるまでは討たれるわけにはいかないと、お年玉を二人に渡す。中身は富士の狩場の通行手形であった。潔く兄弟に討たれる覚悟を示したのであった。海老蔵が好演。きれいどころもずらり。大磯の虎(米吉)、化粧坂少将(梅丸)、舞鶴(新悟)など。幕切れの絵画の見得は、兄弟と舞鶴による富士山の形、工藤による鶴の形、鬼玉(亀鶴)による亀の形と、おめでたづくし。とても、きれいな舞台だった。

海老蔵が新春浅草歌舞伎に出演するのは、14年ぶりとのこと。まだ、新之助時代で、そのとき、21歳で大役、”勧進帳”の弁慶を演じた。実は、第二部ではこれが上演されている。海老蔵の弁慶、愛之助の富樫。14年ぶりの浅草で海老蔵の弁慶、めったにみられるものではない。そう思ったら、どうしても第二部もみたくなってしまった。席はなんとか取れそうなんで、行こうと思う。

とても、楽しい新春浅草歌舞伎でした。女性の方は着物姿で行くと、記念品がもらえますよ。







帰りに両国に寄り、大相撲初場所13日目の椅子席チケットを買ってきたのであった。 14日、千秋楽は、すべての席がもう売り切れなのであったのであった。
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正月ぼたんと氏家浮世絵コレクション展

2013-01-10 07:49:39 | Weblog
正月も松の内を過ぎると、八幡さまの人出も大分、収まってくる。そろそろ、いいだろうと、本殿の初詣りを兼ねて、正月恒例の正月ぼたんと氏家浮世絵コレクション展(肉筆浮世絵の美)の見学に行ってきた。

まず、神苑の牡丹園。第三鳥居側の入口に”正月牡丹見頃です”の大きな文字が。入園すると、たいての株は、いくつもの大きな花をつけ、まさに見頃だった。赤、桃色、白、そして黄色も一部、色とりどり。どれもいいが、独断と偏見で、牡丹を美人にみたて、美人コンテストを開いてみた。はたして、どの花がベストスリーに選ばれるでしょうか。

正月ぼたん美人コンテスト会場


ベスト三美人発表 お名前は省略します。







どうですか、お見事でしょう。惜しくも入賞を逃した、次点はこの方です。


あれ、すっかりおかんむりですね。では、正月ですから、入賞とします。




つづいて、浮世絵美人コンテスト会場。鎌倉国宝館。お正月には必ず開いてくれる、楽しみな肉筆浮世絵展。


ベスト三美人発表

酔余美人図(北斎)氏家コレクションのチャンピオン

桜花遊君立姿図(春信)

そしてこぶ付ですが、かくれんぼ図(めんないちどり図)(歌麿)


北斎、春信、歌麿と気ままさんのご贔屓ばかりじゃないですか。えこひいき反対!
では、この方たちも入れて、ベスト6に。お正月ですからね、大盤振る舞いです。

しだれ桜三美人図(月岡雪鼎)


ついでに背景大賞を。おふたりに。お正月ですからね。

牡丹の背景に欅さん。市指定の天然記念物だそうです。


太湖石さん。”湖石の庭”の牡丹。中国江蘇省の太湖の底から掘り出された天然の名石です。ムンクの叫びみたいな顔してるけど(爆)。


ついでに特別賞。昨日、井之頭公園でみたばかりなので。牡丹園に隣接している源平池のアオサギさんとカモさん。




本殿に初詣りしてきました。この1年も元気で遊べますように。

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井之頭公園の水鳥たち

2013-01-09 11:01:02 | Weblog
小学校時代のミニクラス会があって、三鷹に出掛けた。せっかくだからと、少し早めに行き、井之頭公園に寄った。小学生時代からの馴染みの公園で、1年生の遠足先がここだった。ついでながら、2年が上野動物公園で、3年生になると高尾山に登った。4年が相模湖で、5年生になると、泊まり込みで、五日市での林間学校、6年生は千葉の岩井海岸での臨海学校だった。最近のことはすぐ忘れるが、むかしのことはよく憶えている(汗)。

男5名、女1名のメンバーで、6時頃から集まりはじめ、仕事やら家事を終えて、全員がそろったのが7時頃。永年続く、気楽な会なので、それぞれ、好きな酒、好きなつまみを頼んで、わいわいがやがや、前述のような昔ばなしやたわいのない話をして楽しんだ。知らぬ間に随分、時間がたってしまい、はや10時になっていた。帰宅したのは、ぴたり12時00分、午前様ぎりぎりセーフだった。

さて、井之頭公園のこと。動物園の本園はもう閉まっていたけど、水生物園はOKとのことで入園。水鳥たちと遊ぶ。

水生物園


メタセコイヤと思ったが、ラクウショウの並木がまだまだ魅せてくれていた。


黒朱鷺 水墨画の朱鷺(笑) 頭が黒で身体が白


鍋鶴 こちらも水墨画、逆に、頭が白で身体が黒 


白鳥 こちらは、頭も身体も真っ白


あたいも白。白色コールダック。うしろの飼育室には原色コールダックもいた。小さなアヒル。


青くないのにアオサギ 大船の川でもよくみかける。


アオバトなのに緑色。とってもうれしかった。海水を飲むため、大磯の海岸に飛んでくる鳩として有名だが、まだ間近で見たことがなかった。ネグラに入り込んでいて、写真がうまく撮れない。でも緑色であることはわかる。


閉園ぎりぎりまでいて、近くの弁天様にお参りしようとしたが、こちらも閉門されていた。


さあ、次のミニクラスは、花見の頃かな。


武蔵堺駅前。


中学校のミニクラス会は来週 高校のもつづく。
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シャルダン展/静寂の巨匠

2013-01-08 13:32:31 | Weblog
シャルダン展みてきました。1月6日の最終日、滑り込みセーフ。

シャルダンという画家を認識したのは最近のこと。国立西洋美術館の(こちらは初日に出掛けた)”ベルリン国立美術館展”で、フェルメールの”真珠の首飾りの女”と一緒に観た、 ”死んだキジの静物”がシャルダンの作だった。モチーフのユニークさと写実性が印象に残る作品だったので、このシャルダン展は見逃すわけにはいかなかった。

第1章の”多難な門出と初期静物画”で、早速、これに類似した絵が出てきた。”死んだ野兎と獲物袋”2点。それぞれフィラデルフィア美術館とルーブル美術館蔵。隣りの”すももの鉢と水差し”は、フィリップスコレクション。いずれも昨年、訪ねた美術館なので親しみがわく。その他、ワシントンナショナルギャラリーやフリックコレクションなどもあり、あちこちの美術館から、現存作品数238点のうち、38点もの作品がここに集合している。すごいことだと思う。

第2章”台所・家事の用具と最初の注文制作”では、”肉のない料理”と”肉のある料理”が並んでいる。この頃から注文制作がはじまり、この絵も、同じ部屋に並べて、飾るためにつくった”対作品”なんだそうだ。シャルダンは生前は評価が高く、社会的にも成功した画家だったが、没後、急速に忘れられていった。それが、19世紀半ばに、フェルメール再評価で名高い評論家、トレ=ビュルガーの目にとまったのがこの作品で、即、彼の所蔵品となった。シャルダンも彼によって再発見され、”18世紀のフェルメール”とまで評価が高まる。そういえば、そのあとの章に出てくる作品は、モチーフも、やわらかい光と影も、フェルメール風だといえなくもない。

第3章”風俗画/日常生活の場面”。ちらしを飾る絵、”食前の祈り”。祈りを捧げるのは男の子だと音声ガイドさんが教えてくれた。その頃は男の子もスカートをはく習慣だったとか。心を平和にさせてくれる絵だ。この絵は、ルイ15世が所蔵したもの。この絵の(シャルダンによる)複製品も展示されている。いつもは、エルミタージュとルーブルに別れているから、同時展示は30年振りのことらしい。得をした気分。”羽根をもつ少女”もふたつあった。バトミントンの羽根とラケットをもつお人形さんのような少女が、すべて円錐形の構図の中に納まっている。絵ハガキがなかったのは残念。1737年作だが、この頃、シャルダンは相次いで、愛する妻と娘を亡くしている。この少女は娘さんではないかと、ふと思った。

フリックコレクションの”セリネット(鳥風琴)”。歌を忘れたカナリア(笑)に音楽を聞かせている情景。これは1752年前後の作。シャルダンは1744年に、裕福な未亡人と再婚して、さらに、1752年以降、国王の年金を受け、55年からはアカデミーの会計官をつとめ、57年にルーヴル宮内にアトリエ兼住居を授かっている。こうした安定した生活の中で制作された作品がつづく。

第4章”静物画への回帰” 1750年代の半ばに入り、シャルダンは風俗画を突然止め、再び、はじめの、静物画に専念するようになった。初心に帰る、だろうか。ここには、この展覧会を企画した方が最も推奨する、”木いちごの籠”がある。イチゴだけでなくコップの水にも感嘆。そして、”銀のゴブレットとりんご”と”桃の籠”もこの章に。80歳の生涯をルーブル宮で終える。

”静寂の巨匠”の作品を鑑賞するには、この美術館はぴったりだと思う。小部屋も多く、暖炉の上に飾られたりすると、どこかの邸宅内で鑑賞している気分になる。ただ、最終日ということあり、たくさんの人が押し寄せ、例の靴音も響き(笑)、ざわついていた。できれば、もっと前に来て、静かな雰囲気で観られれば、より印象が良かったかもしれない。

それと、ミレーやセザンヌまでシャルダンの影響を受けたこと、ディドロが大のシャルダンフアンであったことを知ったのも、この展覧会のおかげである。とにかく、見逃すに済んで、ほっとした。

食前の祈り


セリネット(鳥風琴)


木いちごの籠


銀のゴブレットとりんご、桃の籠



・・・・・

シャルダンという名の薔薇。 ぼくのブログから探索。そうそう、花といえば、”カーネーションの花瓶”も良かったですね。

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梅一輪

2013-01-07 21:52:53 | Weblog
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ

今朝の散歩で、大長寺の参道脇の梅が、本当に一輪だけ咲いているのをみつけた。年末、ひとつの蕾だけが膨らみかけていたので、そろそろかなと思っていた。有名な、服部嵐雪の句が思い浮かぶ。まだその実感はほど遠いが、気分だけでも、一輪ほどのあたたかさ。



まだ、ねぼけの花だけど(汗)。


午後は北鎌倉へ。梅といえば東慶寺。もう一輪くらい見つけることができるかも、と山門をくぐる。しかし、一輪もなし。

桜は咲いたか、梅はまだかいな、だった。

十月桜。

梅はまだ固い蕾だった。



でもねったらでもね、ウメノキゴケはうつくしい花びらをみせてくれていた。



ウメではないけれど蝋梅はますます盛ん。


次は明月院。こちらの蝋梅もますます盛ん。



水仙は二輪ほどのあたたかさ。


六地蔵さんは六輪ほどのあたたかさ。


マンサクの震えてるような花弁かな


最後は、円覚寺

黄梅院はその名の通り黄色い梅が。蝋梅だけど。


しんみんさんの詩












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丸の内でオリンピック選手に遭遇

2013-01-07 11:46:21 | Weblog
ぼくは、なんて運のいい男だろうと思う。何故って、三菱一号館美術館でシャルダン展をみた後、ワイフの待っている丸ビルに向かう途中で、ロンドン五輪のメダリストたちに遭遇したのだから。

丸ビルそばの道路沿いに人だかりが。それもすごい数のカメラの放列も。な、ななんだ。これは見逃すわけにはいかない、と群集の中に入った。大きな”達磨おとし”が人の輪の中にあった。どうもゲームをやるらしい。そして、和服を着た男女5,6名が垣間見えた。どこかでみたような人だなあ、誰だろう?女優さんかな。そのうち、”オリンピック”という言葉がちらりと耳に入った。おっ!お、オリンピックだ。そういえば、あ、あの小柄な女性は、まさしく重量挙げの銀メダリスト、三宅宏美選手だわい。あ、あの人は、気合だ気合だと気合を入れられたけど、1回戦で負けてしまった浜口京子選手ではないか。そして、あの美人はそういえば、バトミントンの、熊本出身の陣内貴美子さんではないか。おっ!ボクシング金メタルの村田諒太選手も。有名人好きなぼくは有頂天になり、(約束の時間をすっかり忘れて;汗)人々の隙間から写真を撮り始めたのであった。

カメラの放列

三宅宏美さん

浜口京子さん

陣内 貴美子さん


そして、アナウンスがある。”オリンピック選手とお正月遊びをしよう”というイベントであることを知る。そして前述の選手のほか、最後の1秒の逆転劇で日本中を大興奮を巻き起こしたフェンシングの3選手も参加する。もう一人はどなただったけ、すみません。




そして、まず、浜口さん、三宅さん、村田さんの3人での達磨落としのゲームが始まる。下からハンマーで順に外して言って、一番上の達磨さんを下げていくというゲーム。最初の登板は浜口さん。四コマ漫画でどうぞ。



し、失敗。 どうも気合が足らなかったようで(爆)。

あはははと大笑いしてたら、待ち合わせ時間が10分過ぎていることに、はたと気付く。おっ家内の顔が目に浮かぶ。あわてて、丸ビルに駆け付ける。すると意外とにこにこ顔。”美術にぶるっ!”をみてきて、今、来たばかりだと。おあいこだった。そして、丸ビル内でも関連のイベントをやっていた。


なるほど。こういうことだった。帰ってから7時のニュースでも。




是非、2020年東京オリンピック開催してほしい。その頃までは、この世にいるだろう。支持率がほかの都市より低いらしい。反対する奴の気がしれん。つねってでも、くすぐってでも賛成にまわさせるべきだ!!

そのあと、三菱二号館跡の明治生命館内マイプラザのレストランで昼食。昨年、ニューヨークで入った駅舎内のオイスターの名店の支店に入る予定だったが、たぶんノロでしょうね(不運ダワ、誰かが通報したんだべ)、今日まで営業停止になっていた。代わりに土佐料理のお店に入った。かつおのたたきがおいしくて、ついもう一本、熱燗をお願いしてしまった(汗)。記念に、土佐の偉人を描いたコースターをワンセット、頂いた。坂本龍馬、中岡慎太郎、ジョン万次郎、山内容堂、吉田茂、岩崎弥太郎の6人。すごいメンバーだ。これには入っていないが、牧野富太郎も、横山隆一もそうだからね。各界のトップといってもいい人ばかり。土佐はすごい。お店の名前もすごいけれど。”ねぼけ”



明治生命館は重要文化財になっている。三菱一号館は旧館を残して入れば十分、重文だったが、申請中にもかかわらず、突如、三菱地所が取り壊し、ただのコピー建築となってしまった。


重要文化財証



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国芳の描いた赤穂義士

2013-01-06 09:39:01 | Weblog
暮れに、勘三郎の大石内蔵助を観てほろりとし、年が明けたら、国芳の描いた赤穂浪士ににこりとした。えっ、新年に何故忠臣蔵?と尋ねる人あらば、この”浮世絵の中の忠臣蔵展”は12月11日から始まっているからいいの!、それにセットで”笑う門には福来たる展”があり、正月でもOKなんじゃと答えるべし。

そういえば、討ち入りのあった吉良邸は、えど博のすぐ近くだし、忠臣蔵関係の展覧会を開催するには、もともとぴったっりなんじゃ。尾張徳川の至宝展を観たあと、この企画展を楽しんだ。すばらしい展覧会で、ずいぶん得をした気になった。だって、国芳の”誠忠義士伝”が、一点のお欠もなく、一揃い、50点が展示されているのだから。壮観でありんす。えっ?47士でなく何故50士と尋ねる人あらば、途中で脱落した早野勘平らも入れているからなんじゃもんじゃと答えるべし。

浮世絵鑑賞については、2012年、国芳でおわり(年末には、浜美の”はじまりは国芳展”で〆た)、2013年は国芳ではじまったことになる。国芳を祖とする清方、深水、巴水らのフアンとしては、おめでたい滑り出しとなったのじゃ。では、絵をおみせしよう。ノーフラッシュ、カメラOKという展覧会はいいのう。これからの全展覧会OKにしてほしいんじゃ。さすれば、宣伝にもなるんじゃ。

はじまりは国芳







内蔵助

主税


それから国芳の弟子筋の作品。浜美と同じ構成になってきた。

月岡芳年。血みどろ絵(汗)


河鍋暁斎。安兵衛


歌川芳虎 忠臣義士銘々伝


おわりも国芳 本懐を遂げ、円覚寺で焼香。




今日の富士山のように晴れ晴れとした気持ちじゃったろう。赤穂の義士たちよ


水仙も咲きはじめました。


今日はこれからシャルダン展へ。最終日、本懐を遂げねば。
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