佐奈川に添って、和歌山別街道(紀州ー大和ー伊勢)がうねうねと続いています。
旧街道を行く度に、これが「道」だな~と思います。
「道路」は通過するところ、「道」は家と家、村と村や、村と田畑や山、そして村と町を繋ぐもの、だと実感します。
所々にお地蔵さんがあったり、道標が立っていたりします。
川は蛇行しながら、細くなったり少し溜りになったり、小さな溝の様になったりしながら、
山の襞に分け入り、いつの間にかわからなくなりました。
田や畑に、柵が張り巡らされているので、
シカ避けだろうな、と思いつつ見ていたら、
猿が居ました。山添いの道には何匹も居ました。
鉄条網の柵を、何の問題もないように出入りしていました。
近くの高い木の葉がざわざわと揺れ、時々ピッーピッというような声で呼びかわしているようでした。
猿は本当にお尻と顔が真っ赤、
緑の中にチラッちらと見え隠れします。(写真ではその色がだせませんでした)
ここでは電気柵なしにはキャベツも大根も芋も作れないと思います。
柿や蜜柑や桃や梨などの果樹も、どうしたらいいのでしょう?
イノシシには電気柵も役に立たないと聞いています。
本当に大変なことだなーと思います。
長い長~い間、日本では毎日のように山に入って、薪や柴などを採っていました。
山の姿は今と、ずいぶん違ったそうです。
猿がこんなに人家の近くまで来ることも、少なかったのではないでしょうか。
放し飼いの犬も居なくなり、山の猿や鹿たちにとって、
最早怖いものは何もなくなった、のが今の状態かもしれません。
このまま放置していたらどうなるのでしょう。
お金で、肉も魚も野菜も豆も小麦粉も乳製品も、何でも手に入れてきた時代は去っていこうとしています。
なのに、耕作放棄地がどんどん増えています。
増えるのは太陽光発電ばかり・・・
未来はどうなるのでしょう。
「飢え」の文字が散らつきます。
それとも、SF小説の様に、人はビル、あるいはドームの中で、
工場で生産された「栄養バー」のようなものを食べて暮らすようになるのでしょうか。