お弁当のことを考えていたら、
ふと汽車弁当を思い出しました。
汽船、汽笛、汽車、「汽」の文字を描いただけでも、ノスタルジーを感じてしまします。
汽車を描いた魅力的な絵本がたくさんあります。
(イブ・スパンク・オルセン、作、絵『はしれ ちいさい きかんしゃ』)
ウン十年前、小学校へ行くには山陽本線の踏切を渡らなければなりませんでした。
長い長い貨物列車、車両を数えるのにも飽きて、
汽車の地響きを身体中で感じながら、
通り過ぎるのを、ただじーっと待ちました。
何に数回、父母の実家のある京都まで、
山陽本線に乗り、6時間とか8時間とかかけて行きました。
誰かが、トンネルだ、と叫ぶとみんな立ち上がり、一斉に窓を閉めます。
うっかり閉め遅れると、汽車の煙突の煙が車内に流れ込んで、
鼻の中まで真っ黒けになります。
煤の匂いを思い出します。
こう配がきつい坂に差しかかると、
汽車の音が変わりました。
頑張れ頑張れと、思わず力が入りました。
時々誰かの帽子とかが、窓の外を飛んで行きました。
(スズキ コージ 作・絵『エンソくん きしゃにのる』)
駅に着けば、肩からつりさげた箱に弁当を積み上げた弁当売りが、
何人も待ち構えていて、「弁当~弁当~」と大きな声で
ホームの端から端まで行ったり来たり。
窓から身を乗り出して、我先にと弁当を買う。
その喧騒が懐かしい!
お茶は陶器の小さな「どびん」に入っていました。
(瀬田貞二作、寺島竜一画『きしゃは ずんずん やってくる』)
たちまち汽車はディーゼルになり、電車になり、新幹線になりました。
新幹線には旅情がありません。
(鈴木晋一作、竹山博画『ちいさな きかんしゃ』)
40年近く前に亡くなった祖父(1894年生れ)にとって、
汽車はもっとずっと懐かしいものでした。
下の絵は祖父が、もう大分忘れた…、と言いながら
孫(私たち)のためにサインペンで描いた「汽車」です。
子どもの頃、繰り返し描いたそうです。