まだ梅も咲かず、桜の蕾も堅く、外に出る時はモコモコの上着が手離せませんが、
数日前から、我家に鶯が「も・う・す・ぐ・春・だ・よ」と告げにやって来るようになりました。
先日のドライブの車窓から見た山や池。
まだ緑色は少ないのですが、何となく春めいています。
霞んでいるのも春のせい?
踏切りを見ると写真を撮りたくなります。
標識は蒸気機関車!
まだ梅も咲かず、桜の蕾も堅く、外に出る時はモコモコの上着が手離せませんが、
数日前から、我家に鶯が「も・う・す・ぐ・春・だ・よ」と告げにやって来るようになりました。
先日のドライブの車窓から見た山や池。
まだ緑色は少ないのですが、何となく春めいています。
霞んでいるのも春のせい?
踏切りを見ると写真を撮りたくなります。
標識は蒸気機関車!
前日は、一時かなり雪が舞いましたが、帰路はからりと晴れあがり、
遠くの山々が西日に照らされてきれいでした。
家に帰ってから、熊野古道の案内図を見て、行ったところを確かめていたら、
「栃原」の少し先に「馬鹿曲がり」の文字が。
どんなところなのでしょう。
次の日早速、もう一度「栃原」へ、そして「馬鹿曲がり」へ向かいました。
↓ 馬鹿曲がりの、本来のルートは、ここからこの急坂を降りて
このトンネルをくぐり抜けて、
さらに、細い橋を渡って行くようです。
かつては深い谷を降りては登る、曲がりくねった道で、難所だったそうです。
でも私たちは車を放置していくわけには行きません。
トンネルの入り口だけ眺めて、「馬鹿曲がり」の案内板の写真を撮って、
ルートを飛ばして、次に古道と車道が出会う所に先回りして、
車を降りて、またほんの少しその近辺の古道を散策するという、
我流の熊野古道散歩を続けました。
ひとつ屋根の下に仲良く4つの神様が並んでいます。
左から「庚申」「津島大王」「皇太神宮」「山神」
↓ 神祠の立て札
この傍から、古道はまた人ひとり幅の細い坂道を谷に降りていきます。
でも私たちは車で、谷の上にかかっている眼鏡橋を渡りました。
(眼鏡橋・明治40年に作られたレンガ作りの橋、その後、鉄道を通すために一つは埋められた)
そして、車を停めて、谷の向こう側から案内板に従って谷へ降りていきました。
立派なレンガの橋が見えます。
とても綺麗な水がサラサラと流れていました。
↑ 左上に、谷を登る古道が見えます。
家を出てから帰って来るまで、約3時間の「ドライブ散歩」でした。
谷川で拾ってきた石、
綺麗な層になっています。
手前の石は紙のように薄い。
「熊野古道・伊勢路」は熊野と伊勢を結ぶ古い道です。
幾つもの峠を越える細くて険しい道ですが、
今は、国道や広い県道と並行になっている所や交差する場所、車が通れそうな道も、一部あります。
私と夫は、車でしばらく「旧伊勢街道」を辿っていましたが、
現代の市街地に差し掛かって、先へ進むのをためらっている所だったので、
ここらで、熊野古道を探索してみようということになって、
まず家から比較的近くて、車で行けそうなところへ行ってみることにしました。
よく利用する国道42号線、車がビュンビュン走る広い道路を曲がるとすぐに
小さなかわいい駅(JR・栃原)がありました。
近くのお地蔵さん。立派な瓦屋根
扉に石がいくつもぶら提げてありました。
中耳炎の回復を祈るものだそうです(耳の形の石!に穴を開けている)
交差点などに「熊野古道」と記した旗が立っていて、
その旗に案内されて、少し進むと、
線路の傍に、宿がありました。
今は静かでしたが、春になれば熊野古道を歩く人たちが利用するのでしょう。
↑ 左の建物が宿(田島屋)
右の昭和レトロな建物は昔は病院だった?かもしれません。
(家に帰って調べてみると、現在は土曜だけ営業のカフェのようでした)
内部はすっかりおしゃれにリニューアルされているようです。
長い塀!
雪がちらついてきました。
ちらついていた雪がだんだん強くなってきました。
ここからしばらくは車の中から写真を撮りました。
かわいい手描きの看板、窓を開けてパチリ。
絵の動物は、犬や猫ではなく豚に見えます。
↑、新しい建物のようです(お茶の製造所)
↑ 別の製茶屋さん。こちらは古い建物で白壁の文字が素敵だったのに、見えない・・・
裏はずーっと、広い茶畑でした。
集落を抜け、海沿いの道に出ると、空間が一気に広がり、空が立体的に見えました。
そのまま堤防の道を走っていくうち、
すっかり日が陰ってしまいました。
↓ 河口付近
鴨がたくさんいました。
海沿いの集落は、海岸の形、河口や、港の形によって違いますが、
独特の雰囲気があって、海が見えなくても、ああ海が近いのだなとわかります。
そんな海の近くの集落の道を歩くのが好きです。
今ではこの辺りでも、浜に海藻や魚を干している所はほとんどないので、
潮の香は感じられません。
この集落は、道は、狭いですが(車を停めるところがない・・・)
大きな家が多く、広い庭や、蔵も方々で見かけました。
そして、海産物の加工場があちこちにあり、
廃業した所もあるようでしたが、
現在稼働中の所もあるようでした。
↓ 民家のレトロな窓ガラスがとても綺麗で思わずパチリ。
木の窓枠と、すりガラスと、透明ガラスの優美なデザイン!
窓ガラスから、この家の住人が、この建物を大切にしておられることが伝わって来ます。
図書館へ行ったついでに、
先日行った大堀川の対岸の、舟が見えた辺りへ行ってみました。
この辺りだけは、土の土手になっていて、川辺まで降りられそうです。
川の水量が少し減っていました。
周辺にペットボトルやポリ袋に入れたごみが!
本当に腹が立ちます!
この間程強い風は吹いていませんでしたが、寒い!
耳も目も痛い、車に戻ってホッと一息、
車はもちろん、暖かい上着や靴下やブーツもない時代の、冬の旅人はどんなだったろうと、一瞬思います。
右の土手が先日歩いた所です。
私が棲む町は、小さいけれど、ほぼ平野で
3本の川が、その平野を貫いて海へ流れ込んでいます。
川の表情がそれぞれ違っていて、興味深いです。
大堀川は直線部が多いようです。圃場整備などに伴って何度も改修されたと思われます。
そしてまたこの川は上流部は、小さな溝のようで、とても川とは呼べないような流れです。
それがあっという間に大きな川になって、海へ到達します(全長7キロ程度の2級河川)
そには漁港(大淀港)です。かつては魚介類の加工場なども立ち並んでいたそうです。
港近くには何軒もの酒造所があって(今も1軒健在)酒を載せた船も、農産物を載せた船も、盛んに出入りしていたそうです。
今も港には多くの漁船が係留していますが、かつての賑わいは想像できません。
土手の道はすごい風で吹き飛ばされそうで怖かった・・・
大堀川は右から左へ海方向に流れています。写真中央部で用水路からも水が流れ込んでいるようでした。
ここ(海まで1キロくらい)では、潮のためか、風のせいか、流れが逆流していて、
上の写真の地点で、流れがぶつかっているように見えました。
風になびく草が美しくて、たくさん写真を撮ってしまいました。
土手の道を行ったり来たり・・・
上の写真の逆方向から ↓
↑ 高い土手の左側は広い田んぼです。
放置された船が半分沈んでいました。
土手の道に鳥の羽根が散乱していました。イタチ?に襲われたハト?
亀の甲羅が2カ所に転がっていました。
完全にからっぽで、カラカラになっていました。
甲羅の年輪のような模様は、ある程度年齢の目安になるそうです。
この亀は自分でここまで登って来たのでしょうか、
それとも釣り人が、放置したのでしょうか・・・?
初めて太陽光発電のことを聞いた時は、素晴らしい、と思いました。
でも、次第に太陽光発電は、
素晴らしいものなどではなかった、というか、
どうやら、自然環境にとって、大変マズイものである、ということが徐々にわかってきました。
けれど、今やすさまじい勢いで広がって、止められそうもない勢いです。
こんもりとした林に挟まれ、小道を抜けた所の、
日の当たる明るい丘は、私のお気に入りの場所でした、
けれど、その片方の丘が丸裸になってしまいました。
太陽光発電にするためです。
あっという間に大きなドングリの木がたくさん切り倒されました。
切り株や地面にはタップリ除草剤を沁み込ませるそうです。
その丘に住んでいた生き物たちは、命を奪われ、住処を奪われました。
また、太陽光発電に使われるカドミウムや鉛やレアメタルなどの金属類(すべて輸入)は
徐々に地面に沁み込んで次第に死の丘になっていくでしょう。
そこに再び命が芽生えるのは困難です。
↑ カナダ製のパネルのようです。
太陽光発電の寿命は20~30年と言われています。
あっという間の事です、でも、世代が変わり、土地の持ち主が変わるなどする中で、
パネルを取り替えたり、きちんとメンテナンスを続けることが出来るでしょうか?
責任者はどこにいるのでしょう?
20~30年後、世の中がどうなっているか、私が見ることはできませんが、
いま、僅かのお金のために、未来を台無しにする太陽光発電が、
猛烈な勢いで日本中で増え、豊かな自然を潰し続けていることは本当に恐ろしい事です。
太陽光発電は国ぐるみの補助金事業でもあります。
その利権をねらって怪しい政治家や業者が蠢く世界でもあるようです。
土地(山や耕作放棄地)をタダ同然で手に入れたり、
電気を売り買いして、大儲けをして笑っている人がどこかにいるのです・・・
そして「あとは野となれ山となれ」原発と一緒です。
でも、山にも野にもなれない、
死の丘になるだけ・・・
今日はとても暖かです。
茶色の庭に緑がポッポッと現れて広がっていくのが嬉しい。
地面の下で、競争に打ち勝って、最初に顔を出した草がパーッと広がっていきます。
でもその後その草が優先するかと言うと、そうでもなくて、
しばらくするとその地図はまた塗り変わっていくのです。
よく日の当たる所を見ると、ありました。ヨモギです。
若いヨモギは葉の裏や茎が白っぽいので分かりやすいのです。
ヨモギの新芽はふわふわで本当に柔らかい!
少し摘み取ってヨモギ餅を作りました。
餅つき機の中で勢いよく回るヨモギ餅
餡入りの丸餅も少し作りました。
オオイヌノフグリも咲き始めました。
カラスノエンドウもツルを伸ばし始めています。
ハッサクは終わって、
ナツミカンが甘くなってきました。
木の下で、こんなにきれいに食べたのは誰でしょう?
椿がそろそろ咲き始めたな、と思いながら見たら、
木の中に何か丸いものが、
カボチャ!?
カボチャのツルは全部取り払ったと思っていたのだけど、
気が付かなかった・・・
食べられないだろうな・・・
「櫛田川・くしだがわ」は奈良県と三重県の県境に発し、中央構造線沿いに西から東へと流れています。
あと11~12キロくらいで海まで到達する地点に可動堰が設けられ、
農業用水としての水が取水されています。
また、ここで櫛田川は本流と秡川(はらいがわ)に別れ、どちらの川も伊勢湾を目指し、
平野を蛇行しながら流れていくのです。
また、可動堰の西には、北から「孫川」が流れ込み、
南から「佐奈川」が流れ込んでまるで湖のようになっています。
孫川に架かる橋の橋脚の影に、一艘の舟が係留してありました。
小さい舟だけど、美しい、木造の平底の和船です。まだ新しそうです。
(どこで作っているのでしょう?訪ねてみたい)
孫川に沿った道、
冬枯れの山の木々や冬の田んぼや、河川敷の叢の美しさをしばし堪能しました。
でも寒くて、急いで車の中に戻って魔法瓶の熱い紅茶をすする。
なのに、自転車でやって来た一人の若者?が河原に寝転んでスマホを見ている?
ああ驚いた!
気になるのは上の写真の右の小山、太陽光発電にされそうな嫌な予感・・・