チューリップの葉の一部が花化している!
ツマキチョウ(雄)
写真に撮って図鑑で調べて判りました。
食草はタネツケバナなど。
羽を閉じて草むらにいると見つけにくい色模様の小さい蝶です。
羽を開くと羽先のとがったところの黄色い色と形がとても特徴的です。
桜が咲く頃の短い間の、お天気がいい時だけしか姿を現さない蝶なので
ギフチョウと共に春の妖精と言われるのだそうです。
夏から次の年の春になるまでずっと蛹で過ごします。
中には何年も蛹で過ごすツマキチョウもいるそうです。
モンシロチョウは年6~7回も発生しどんどん世代を交代するそうですが、
ひらひら飛びまわる人生(?)より、
じっとして長生きする生き方を選んだ蝶もいるわけで、
面白いなと思います。
それにしても、複眼の色や触角の先の色まで、春の草色にしっかり擬態しているのに驚きます。
写真に撮って図鑑で調べて判りました。
食草はタネツケバナなど。
羽を閉じて草むらにいると見つけにくい色模様の小さい蝶です。
羽を開くと羽先のとがったところの黄色い色と形がとても特徴的です。
桜が咲く頃の短い間の、お天気がいい時だけしか姿を現さない蝶なので
ギフチョウと共に春の妖精と言われるのだそうです。
夏から次の年の春になるまでずっと蛹で過ごします。
中には何年も蛹で過ごすツマキチョウもいるそうです。
モンシロチョウは年6~7回も発生しどんどん世代を交代するそうですが、
ひらひら飛びまわる人生(?)より、
じっとして長生きする生き方を選んだ蝶もいるわけで、
面白いなと思います。
それにしても、複眼の色や触角の先の色まで、春の草色にしっかり擬態しているのに驚きます。
『アニマルズ・ピープル』
インドラ・シンハ著(1950年インド、ムンバイ生れ、父はインド人、母はイギリス人)
谷崎由依訳 2011 早川書房 (コモンウェルス賞受賞作、ブッカ―賞最終候補作)
またまた面白い本に出会った。
面白いというのは言葉通りで、ユーモアがこの本の特徴なのだけれど、
実は実際にインドで起こった恐ろしい事故が下敷きになっている。
事故の起こった所、事故を起こしたアメリカの会社の名前などなど、
固有名詞がなまった程度でほとんどそのまま使われている。
しかしもちろんこの小説はそのことを告発する為とか何何の「為」にかかれたものではない。
オリジナリティ溢れる小説だ。
ただ、事故の大まかな経緯は思い出して確かめておきたい。
アメリカのユニオンカーバイト社がインド、ボーパールに殺虫剤の生産工場を作ったのは1969年。
スラムの人口密集地の風上だった。
1984年12月2日の深夜、事故は起こり、猛毒ガスがもれ、夜明けまでに2000人以上が死亡した。
最終的には1,5万人~3万人が死亡し、何十万人もの人が被害を受けたといわれている。
1989年にユニオンカーバイト社は遺族一家にに平均2200ドル払うということで和解したとされているが、
ほんの一部の遺族の手にしか渡らなかった。
事故の責任者は出廷命令を無視し続け、アメリカのどこかに隠れている。
何トンもの廃棄物は手つかずのままで放置され、
ヘキサクロロベンゼンや水銀などの汚染で、
今も現場に10分以上いると意識を失うと言われ、
付近の井戸は汚染され地域の人々の健康が損なわれいのちが脅かされている。
以上が事実。
物語は「カンパニ」の毒で背骨が曲がって、
四足で暮らす青年、自称「動物」の独白で進められる。
2本足で歩けない自分は人間ではない、肉親もいない、
名もない、だから、動物だ、と言い、みんなに「動物」と呼ばせる。
孤独で貧しくて信じられないくらい悲惨な状況なのに
ひねくれてるけどまっすぐで、タフで賢い。
「動物」にはホルマリン漬けの瓶の中の奇形の胎児らの声が聴こえる。
辛い話だが、読むほどに、物語の中に引きこまれる。
アメリカの「カンパニ」の悪行の底知れなさと同時に
カンパニや政府の役人の頭の軽さ、精神の貧しさが曝される。
一方、踏みつけられても踏みつけられても息を吹き返すインドの大地とそこに生きる人々のユーモアたっぷりの独特の哲学?知恵、そして、強く深い愛。
すがすがしい読後感の、命のドラマだ。
去年の3月11日、あり得ないことが起こることがある、ということを知った。
いったいどうしたらいいのか、
途方にくれたままで日々を過ごしている。
この本はそんな苦しみの真っただ中で暮らす人々を正面からとらえ「生きる」意味を問いかける。
素晴らしい本だった。
少しずつ概念が違いますが、以前から、アールブリュットとかプリミティブアートとかアウトサイダーアートとかナイーブアートとか呼ばれる絵にひかれて注目して来ました。
最近は専門の画集もたくさん出版され、美術館も出来て実物を見る機会も増えました。
アカデミックな訓練を受けないで、画家を職業とせずに絵を描き続けた人は世界に無数にいます。
動機も手法も様々で、中には驚くべき才能を発揮した人々がいて、
画家が描く世界とは違う世界を私たちに見せてくれます。
描いた人の人生そのものとその描いた作品が一体となっていることも多く、大きな感動を誘います。
グルジアの「ニコ・ピロスマニ(ピロスマニ)」やフランスの「セラフィーヌ・ルイ(セラフィーヌの庭)」の人生と絵画を撮った映画もあります。
どちらもいい映画でした。ピロスマニは30年位前に見たのに幾つかの場面は印象的で今も鮮明に思い出します。
「グランマモーゼス」や「山下清」の絵のように懐かしい心地よい絵画もあれば、
見たくないものを突きつけられるような、怖ろしい絵画もあります。
なぜ人は描くのか、
何千年も昔に洞窟の中で動物の絵を描いた人のことを思います。
歌わずにおれない、、、描かずにおれない、、、踊らずには居れない、、、語らずにはいられない、、、
これらは人間性のもっとも根源的なものかもしれません。
街角で、おそらく絵を描くという自覚もほとんどないままに描かれたものに出会うことがあります。
看板の絵や落書きです。お地蔵さんも…
アートとは呼べませんがその素朴さにはときどきドッキリさせられます。
最近は専門の画集もたくさん出版され、美術館も出来て実物を見る機会も増えました。
アカデミックな訓練を受けないで、画家を職業とせずに絵を描き続けた人は世界に無数にいます。
動機も手法も様々で、中には驚くべき才能を発揮した人々がいて、
画家が描く世界とは違う世界を私たちに見せてくれます。
描いた人の人生そのものとその描いた作品が一体となっていることも多く、大きな感動を誘います。
グルジアの「ニコ・ピロスマニ(ピロスマニ)」やフランスの「セラフィーヌ・ルイ(セラフィーヌの庭)」の人生と絵画を撮った映画もあります。
どちらもいい映画でした。ピロスマニは30年位前に見たのに幾つかの場面は印象的で今も鮮明に思い出します。
「グランマモーゼス」や「山下清」の絵のように懐かしい心地よい絵画もあれば、
見たくないものを突きつけられるような、怖ろしい絵画もあります。
なぜ人は描くのか、
何千年も昔に洞窟の中で動物の絵を描いた人のことを思います。
歌わずにおれない、、、描かずにおれない、、、踊らずには居れない、、、語らずにはいられない、、、
これらは人間性のもっとも根源的なものかもしれません。
街角で、おそらく絵を描くという自覚もほとんどないままに描かれたものに出会うことがあります。
看板の絵や落書きです。お地蔵さんも…
アートとは呼べませんがその素朴さにはときどきドッキリさせられます。
生成りのかっちりしたバッグを、リメイク出来ないかと、
ビーズやボタンや皮の端切れや布や色々並べて考えてみました。
結局、昔、何の目的もなく刺繍した端布がたくさんあるので、
それを切り刻んで、アンティークのリボンとレースも使って、
ボンドで貼ったり縫いつけたりしてアップリケのようにくっつけてみました。
堅くて針を通すのに苦労して、指抜きを使ったのですが、指先がぼこぼこになりました。
でもとても気に入ったので、満足です。
ビーズやボタンや皮の端切れや布や色々並べて考えてみました。
結局、昔、何の目的もなく刺繍した端布がたくさんあるので、
それを切り刻んで、アンティークのリボンとレースも使って、
ボンドで貼ったり縫いつけたりしてアップリケのようにくっつけてみました。
堅くて針を通すのに苦労して、指抜きを使ったのですが、指先がぼこぼこになりました。
でもとても気に入ったので、満足です。
地元は、例えば地蔵盆の地元なら、数十歩で歩けるくらいの狭い地域のことだし、
地元のコーラスグループ、といえば小学校や中学校の範囲位をさすことが多いかもしれません。
地元の野菜、という場合はこの辺では上賀茂の野菜や時には京都府内産の物をさすことがあります。
でも、原発の地元って?
何何県の何郡何町だけが地元って言うのはありえないことです。
最近は少し範囲を広げて誤魔化そうとしているようですが、
福島の事故の場合でも、茨城県や群馬県、千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県にも放射能のホットスポットがあるわけで、
原発の事故に限って言えば、被害の範囲はとてつもなく広くて、
原発の地元には、県や市町村の境など無い、ということを自覚すべき時だと思います。
外国から見れば、まさに日本全体が現在起こっている恐ろしい原発事故の地元です。
地元のコーラスグループ、といえば小学校や中学校の範囲位をさすことが多いかもしれません。
地元の野菜、という場合はこの辺では上賀茂の野菜や時には京都府内産の物をさすことがあります。
でも、原発の地元って?
何何県の何郡何町だけが地元って言うのはありえないことです。
最近は少し範囲を広げて誤魔化そうとしているようですが、
福島の事故の場合でも、茨城県や群馬県、千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県にも放射能のホットスポットがあるわけで、
原発の事故に限って言えば、被害の範囲はとてつもなく広くて、
原発の地元には、県や市町村の境など無い、ということを自覚すべき時だと思います。
外国から見れば、まさに日本全体が現在起こっている恐ろしい原発事故の地元です。
食べられるような実はならないけれど、紅白の花が咲く大きな桃の木がありました。
その木は都合で切り倒しましたが、
落ちた種から勝手に生えた小さな苗を植え替えて育てたら、
5年でこんなにちゃんと紅白の花が咲く桃の木になりました。
未だ桃の木の風格はありませんが、
緑が乏しい季節に咲く花の華やかさは格別です。
その木は都合で切り倒しましたが、
落ちた種から勝手に生えた小さな苗を植え替えて育てたら、
5年でこんなにちゃんと紅白の花が咲く桃の木になりました。
未だ桃の木の風格はありませんが、
緑が乏しい季節に咲く花の華やかさは格別です。
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参議院予算委員会公聴会での村田光平氏の発言(2012年3月22日)
(村田光平 地球システム・倫理学会常任理事 元駐スイス大使)
動画アドレス
文字おこし(カレイドスコープさん)アドレス
『このような場で発言させていただくことは、大変光栄に存じます。
今日、ここに参りますに当たりまして、特に、みなさま方に伝えたいことが
ございます。それは、いかに現在、日本、そして世界が危機的状況に直面し
ているかということであります。人間社会が受容できない、この原発のもた
らしうる惨禍のリスク、これをゼロにしなければならない、と私は福島事故
は全世界に想起させつつあると信じております。
そして、このような事故を体験しながら、なお脱原発に躊躇するというのは
倫理の欠如という誹りを免れないと、私は考えております。
特に、この処理方法がいまだに発見されていない核廃棄物、これに象徴され
るのは、今の世代の倫理の欠如と言えると思います。
そして、これは人類が緊急に取り組まなければならない課題だと信じており
ます。そして、この放射能汚染と、これを許すあらゆる行為は、計り知れな
い害悪を永久に人類と地球に残すものです。
私が出席した2005年のOBサミットは最終文書で、「未来の世代を含む、すべ
ての人の認められる人権」ということで、未来の世代の人権を認めているわ
けですが、放射能汚染は、まさにそれを蹂躙するものであります。
原発の死角、使用済み燃料は過去に危機的な状況を何度も引き起こしてきた。
特に今日、みなさまにお伝えしたいのは、福島4号機の危険な状況でございます。
毎日、日本すべての国民は、余震が起きるたびに怯えております。
この燃料プールが、もし崩壊して、1535本の燃料棒が大気中で燃えだした場合
には、果てしない放射能が放出されると。もちろん、東京は住めなくなるわけ
です。
この1353本という数字は、実は控えめでございまして、つい数日前、私が発見
した数字がございます。それは、1号から6号、共有のプールがございまして、
それは4号機から50メートル離れたところでございますが、そこに、なんと
6375本の燃料棒が収められていると、いうことであります。まさに、この4号
機が事故を起こせば、世界の究極の破局の始まりと言えるわけであります。
それにも関わらず、嘆かれるのは、危機感の欠如であります。
政治家にも危機感がない。こんなときにも笑っている議員がいる
この対策として考えられている燃料棒取り出し作業の開始が来年末以降という
のは断じて理解できませんし、放置してはならないと考えております。
国の責任が極めて重要だと信じます。
この点に関して、ついにアメリカが動き出したようであります。
数日前、入った情報によりますと、この著名な核科学者が中立の評価委員会の
設置の提唱を始めました。
これは、元国連職員で、世界中の著名な学者と連携を取っている松村昭雄さんが、
米政府の元・上級政策アドバイザーで、使用済み核燃料の第一人者であるボブ・
アルバレス氏、他の科学者たちに働きかけたものです。
この経緯については、2月に4号機プールにはチェルノブイリ原発の8倍のセシウム
があるで書いておきました。
太平洋を越えて、アメリカ西海岸へも放射性プルームが飛んでいき、事実、多く
のアメリカ人に重大な健康被害が出ています。
4号機プールが破損でもすれば、本当に北半球が終ってしまうので、米政府も、
いまだに危機感もなく世界に対しての責任感もない野田政権と日本政府に業を煮
やしたのです。そして上下両院の軍事委員会に、米軍の命の安全のための公聴会
を開くように働きかけ出した、ということでございます。
次に日本から世界の究極の破局をもたらしうるものとして指摘できるのは、六ヶ
所村の再処理工場であります。この六ヶ所村の再処理工場(が、いかに危険か)
につきましては、1977年の1月15日、毎日新聞が記事を書いております。
これによりますと、ケルンの原子炉安全研究所の発表では、極秘レポートであり
ますが、西ドイツの人口の半分、3050万人が死ぬであろうという報告であります。
そして、この再処理工場の恐ろしさは、実はヨーロッパでもシェルブールの停電
事件としてグーグルで、すぐ出てまいりますが、欧州全土を滅ぼしうるもの
だったと言われております。
この再処理工場の危険性を、私は内外に伝えておりましたところ、先週、欧州の
代表的な環境学者、エルンスト・フォン・ワイゼッカー教授から、その伝えを正
式に支持するという連絡が入っております。
日本は、福島事故を経験しまして、民事・軍事双方の核使用の犠牲国となったわ
けでありますが、悲しいかな、今や世界的規模の放射能汚染の加害国にもなって
しまっています。
毎日、いまだに毎時1億ベクレル近い放射能が出ているということも、さきほど
東電で確認いたしました。毎時0.7億ベクレルでございますが、おびただしい量の
放射能がでているわけでございます。
これを聞くにつけ、私はメキシコの原油流出事故が止まらないときに戦慄したの
を覚えております。まさに原油ならぬ放射能が同じような状況に置かれていると
いうことであります。
私は、福島を経験した日本は、民事・軍事を問わない真の核廃絶を世界に伝える
歴史的責務を担っていると信じております。
私が今まで、あちこちで講演する際、この主張に対して異論を唱える人は皆無で
ありました。
そして、私はこのような危機的状況、そして福島では、まさに、事故当初、作業
員の全面撤退が考えられていた。もし、その全面撤退が行われていれば、確実に
世界の究極の破局の第一歩が始まっていたわけであります。
このような認識が世界に正確に伝わるならば、脱原発というものが非常に早い時
期に世界的に実現しうるし、また、そうしなければ今の危機的状況を回避できな
いと、そのように私は信じております。
私は、そういう中で、ひとつの希望を与えてくれるものは、お配りした資料に書
いてあります「天地の摂理」であります。天地の摂理は人類と地球を守る、これ
が悠久の歴史から導き出される歴史の法則であると。しかし、そのためには惨い
警告を与えてきました。
私は、1年半前、バーゼルの核戦争防止会議で、「次の大惨事は核惨事である。も
し、これが起これば究極の破局につながりかねないので、人類の英知を導入して、
これを未然に防ごう」という呼びかけを行いました。残念ながら事故は起きてし
まいました。
そうした中で、この日本の事故の経験から、ほとばしり出る声は、ますます国際
社会の心ある人からの支援の対象になりつつあります。
具体的事例を申しますと、一月ほど前、マハティール元首相(マレーシア第4代
首相)から私に対しまして、いかに脱原発というものが正しいかと、マレーシア
は、核技術-人類がまだ把握していない技術-を、断固拒否したという主旨の手
紙を受け取っております。
それから福島の事故の教訓のひとつとして、これからは新しい文明作りを始めな
ければならないということでございますが、この新しい文明の突破口となるのが、
地球倫理の確立である、ということで、国連倫理サミットの開催と言うのを呼び
かけているのでございますが、これに対しまして、今月に入りまして、潘基文
(パン・ギムン)国連事務総長から、私に手紙がありました。
そして、加盟国が国連総会にこの議題を提出すれば、喜んで支持するという手紙を
くださいました。そして、アメリカのルース大使を通じまして、私たちがやってい
るこの国連倫理サミット、それから今の文明を、力の父性文明から和の母性文明に
変えると、こういう努力はオバマ大統領の提唱した「核兵器なきビジョン」が、
そのために力をあわせていくことがいかに大事であるかということを想起させる
ものであるとして、私に感謝の意を表明する手紙を下さっております。
そして、この核廃絶、真の核廃絶、民事・軍事を問わない核廃絶、これは福島事故
を契機に具体的な動機になってきましてた。それは、何と言えば、日本は、もし核
廃絶が実現せず、中国がおびただしい数の原発を造る場合には、黄砂だけでも被害
者は出てしまいます。これはなんとしてでも防がなければならないわけであります。
それから福島事故で、もうひとつ立証されたことは、いかに原発は核テロが容易で
あるかと、水と電気を止めればいいと。そして、防護されていない冷却燃料プール、
これさえ襲えばいいと。そういう事実を世界に知らせてしまったということで、
核保有国に取りましても、核廃絶は重要な、実質的な動機を与えられたということ
でございます。
そして、私は今までの経験から、核を進めようとしているフランス、インド、アメ
リカ等が、このような核廃絶を求める運動に対して、理解を示めしていると。中国
でさえ、天津科技大学が私に名誉教授の称号を与えました。
それからフランスは、昨年の国際会議に、私を招いてくれましたし、アメリカは、
先ほどのルース大使の書簡がありますし、インド前石油大臣は、私にエールを送っ
てきております。パチャウリIPCC議長も、しかりであります。
このように私は、核を推進する国に対する最大の貢献は、その国を核の恐ろしさに目
を向けさせること、これこそ、こういった国々に対する最大の貢献であると、その
ような信念のもとに活動を続けております。
そして、特にこの際、みなさま、福島4号機の危機的状況、再処理工場の恐ろしさ、
こういったものについて、ぜひ必要な危機意識を持って、これからその対処に、急い
で、緊急に、もっと国が責任を持って、対処、対応できるような体制づくりに、ぜひ
ご尽力いただきたいと思います。
以上であります。』
日本の新聞やテレビは情報操作されて、世界の常識から大きく外れています。
幸い現代はインターネットがあります。
情報を集めて、事実を伝えるために頑張っている小さなネット放送局をいくつも見ることができます。
残念ながら私は日本語だけしか理解できませんが、
様々聴いたり見たりしながら、自分なりに咀嚼して、
それらの番組やブログを役立てています。
参議院予算委員会公聴会での村田光平氏の発言(2012年3月22日)
(村田光平 地球システム・倫理学会常任理事 元駐スイス大使)
動画アドレス
文字おこし(カレイドスコープさん)アドレス
『このような場で発言させていただくことは、大変光栄に存じます。
今日、ここに参りますに当たりまして、特に、みなさま方に伝えたいことが
ございます。それは、いかに現在、日本、そして世界が危機的状況に直面し
ているかということであります。人間社会が受容できない、この原発のもた
らしうる惨禍のリスク、これをゼロにしなければならない、と私は福島事故
は全世界に想起させつつあると信じております。
そして、このような事故を体験しながら、なお脱原発に躊躇するというのは
倫理の欠如という誹りを免れないと、私は考えております。
特に、この処理方法がいまだに発見されていない核廃棄物、これに象徴され
るのは、今の世代の倫理の欠如と言えると思います。
そして、これは人類が緊急に取り組まなければならない課題だと信じており
ます。そして、この放射能汚染と、これを許すあらゆる行為は、計り知れな
い害悪を永久に人類と地球に残すものです。
私が出席した2005年のOBサミットは最終文書で、「未来の世代を含む、すべ
ての人の認められる人権」ということで、未来の世代の人権を認めているわ
けですが、放射能汚染は、まさにそれを蹂躙するものであります。
原発の死角、使用済み燃料は過去に危機的な状況を何度も引き起こしてきた。
特に今日、みなさまにお伝えしたいのは、福島4号機の危険な状況でございます。
毎日、日本すべての国民は、余震が起きるたびに怯えております。
この燃料プールが、もし崩壊して、1535本の燃料棒が大気中で燃えだした場合
には、果てしない放射能が放出されると。もちろん、東京は住めなくなるわけ
です。
この1353本という数字は、実は控えめでございまして、つい数日前、私が発見
した数字がございます。それは、1号から6号、共有のプールがございまして、
それは4号機から50メートル離れたところでございますが、そこに、なんと
6375本の燃料棒が収められていると、いうことであります。まさに、この4号
機が事故を起こせば、世界の究極の破局の始まりと言えるわけであります。
それにも関わらず、嘆かれるのは、危機感の欠如であります。
政治家にも危機感がない。こんなときにも笑っている議員がいる
この対策として考えられている燃料棒取り出し作業の開始が来年末以降という
のは断じて理解できませんし、放置してはならないと考えております。
国の責任が極めて重要だと信じます。
この点に関して、ついにアメリカが動き出したようであります。
数日前、入った情報によりますと、この著名な核科学者が中立の評価委員会の
設置の提唱を始めました。
これは、元国連職員で、世界中の著名な学者と連携を取っている松村昭雄さんが、
米政府の元・上級政策アドバイザーで、使用済み核燃料の第一人者であるボブ・
アルバレス氏、他の科学者たちに働きかけたものです。
この経緯については、2月に4号機プールにはチェルノブイリ原発の8倍のセシウム
があるで書いておきました。
太平洋を越えて、アメリカ西海岸へも放射性プルームが飛んでいき、事実、多く
のアメリカ人に重大な健康被害が出ています。
4号機プールが破損でもすれば、本当に北半球が終ってしまうので、米政府も、
いまだに危機感もなく世界に対しての責任感もない野田政権と日本政府に業を煮
やしたのです。そして上下両院の軍事委員会に、米軍の命の安全のための公聴会
を開くように働きかけ出した、ということでございます。
次に日本から世界の究極の破局をもたらしうるものとして指摘できるのは、六ヶ
所村の再処理工場であります。この六ヶ所村の再処理工場(が、いかに危険か)
につきましては、1977年の1月15日、毎日新聞が記事を書いております。
これによりますと、ケルンの原子炉安全研究所の発表では、極秘レポートであり
ますが、西ドイツの人口の半分、3050万人が死ぬであろうという報告であります。
そして、この再処理工場の恐ろしさは、実はヨーロッパでもシェルブールの停電
事件としてグーグルで、すぐ出てまいりますが、欧州全土を滅ぼしうるもの
だったと言われております。
この再処理工場の危険性を、私は内外に伝えておりましたところ、先週、欧州の
代表的な環境学者、エルンスト・フォン・ワイゼッカー教授から、その伝えを正
式に支持するという連絡が入っております。
日本は、福島事故を経験しまして、民事・軍事双方の核使用の犠牲国となったわ
けでありますが、悲しいかな、今や世界的規模の放射能汚染の加害国にもなって
しまっています。
毎日、いまだに毎時1億ベクレル近い放射能が出ているということも、さきほど
東電で確認いたしました。毎時0.7億ベクレルでございますが、おびただしい量の
放射能がでているわけでございます。
これを聞くにつけ、私はメキシコの原油流出事故が止まらないときに戦慄したの
を覚えております。まさに原油ならぬ放射能が同じような状況に置かれていると
いうことであります。
私は、福島を経験した日本は、民事・軍事を問わない真の核廃絶を世界に伝える
歴史的責務を担っていると信じております。
私が今まで、あちこちで講演する際、この主張に対して異論を唱える人は皆無で
ありました。
そして、私はこのような危機的状況、そして福島では、まさに、事故当初、作業
員の全面撤退が考えられていた。もし、その全面撤退が行われていれば、確実に
世界の究極の破局の第一歩が始まっていたわけであります。
このような認識が世界に正確に伝わるならば、脱原発というものが非常に早い時
期に世界的に実現しうるし、また、そうしなければ今の危機的状況を回避できな
いと、そのように私は信じております。
私は、そういう中で、ひとつの希望を与えてくれるものは、お配りした資料に書
いてあります「天地の摂理」であります。天地の摂理は人類と地球を守る、これ
が悠久の歴史から導き出される歴史の法則であると。しかし、そのためには惨い
警告を与えてきました。
私は、1年半前、バーゼルの核戦争防止会議で、「次の大惨事は核惨事である。も
し、これが起これば究極の破局につながりかねないので、人類の英知を導入して、
これを未然に防ごう」という呼びかけを行いました。残念ながら事故は起きてし
まいました。
そうした中で、この日本の事故の経験から、ほとばしり出る声は、ますます国際
社会の心ある人からの支援の対象になりつつあります。
具体的事例を申しますと、一月ほど前、マハティール元首相(マレーシア第4代
首相)から私に対しまして、いかに脱原発というものが正しいかと、マレーシア
は、核技術-人類がまだ把握していない技術-を、断固拒否したという主旨の手
紙を受け取っております。
それから福島の事故の教訓のひとつとして、これからは新しい文明作りを始めな
ければならないということでございますが、この新しい文明の突破口となるのが、
地球倫理の確立である、ということで、国連倫理サミットの開催と言うのを呼び
かけているのでございますが、これに対しまして、今月に入りまして、潘基文
(パン・ギムン)国連事務総長から、私に手紙がありました。
そして、加盟国が国連総会にこの議題を提出すれば、喜んで支持するという手紙を
くださいました。そして、アメリカのルース大使を通じまして、私たちがやってい
るこの国連倫理サミット、それから今の文明を、力の父性文明から和の母性文明に
変えると、こういう努力はオバマ大統領の提唱した「核兵器なきビジョン」が、
そのために力をあわせていくことがいかに大事であるかということを想起させる
ものであるとして、私に感謝の意を表明する手紙を下さっております。
そして、この核廃絶、真の核廃絶、民事・軍事を問わない核廃絶、これは福島事故
を契機に具体的な動機になってきましてた。それは、何と言えば、日本は、もし核
廃絶が実現せず、中国がおびただしい数の原発を造る場合には、黄砂だけでも被害
者は出てしまいます。これはなんとしてでも防がなければならないわけであります。
それから福島事故で、もうひとつ立証されたことは、いかに原発は核テロが容易で
あるかと、水と電気を止めればいいと。そして、防護されていない冷却燃料プール、
これさえ襲えばいいと。そういう事実を世界に知らせてしまったということで、
核保有国に取りましても、核廃絶は重要な、実質的な動機を与えられたということ
でございます。
そして、私は今までの経験から、核を進めようとしているフランス、インド、アメ
リカ等が、このような核廃絶を求める運動に対して、理解を示めしていると。中国
でさえ、天津科技大学が私に名誉教授の称号を与えました。
それからフランスは、昨年の国際会議に、私を招いてくれましたし、アメリカは、
先ほどのルース大使の書簡がありますし、インド前石油大臣は、私にエールを送っ
てきております。パチャウリIPCC議長も、しかりであります。
このように私は、核を推進する国に対する最大の貢献は、その国を核の恐ろしさに目
を向けさせること、これこそ、こういった国々に対する最大の貢献であると、その
ような信念のもとに活動を続けております。
そして、特にこの際、みなさま、福島4号機の危機的状況、再処理工場の恐ろしさ、
こういったものについて、ぜひ必要な危機意識を持って、これからその対処に、急い
で、緊急に、もっと国が責任を持って、対処、対応できるような体制づくりに、ぜひ
ご尽力いただきたいと思います。
以上であります。』
日本の新聞やテレビは情報操作されて、世界の常識から大きく外れています。
幸い現代はインターネットがあります。
情報を集めて、事実を伝えるために頑張っている小さなネット放送局をいくつも見ることができます。
残念ながら私は日本語だけしか理解できませんが、
様々聴いたり見たりしながら、自分なりに咀嚼して、
それらの番組やブログを役立てています。
疏水べりには古い桜の木が多く、大きく広がった枝が水面に届きそうです。
桜の色と、疏水の水の深い青緑色との対比がとても美しい。
ここは、疏水事務所と発電所がある所で、今は観光船(十石船)がぐるりと向きを替える場所になっています。
傍に踏水会があり、かつては疏水が水泳の練習場になっていたそうです。
見るからに深そうで、流れもあって、子どもたちはさぞや鍛えられたことでしょう。
この小さな子どもにはどんな桜が見えているのでしょう。
近代美術館(村山知義の宇宙『すべてのぼくが沸騰する』を開催中)の中から見る桜。
まるで襖絵のようです。
展覧会は少し物足りませんでしたが、
村山知義らが大正から昭和にかけて、映画や演劇や絵画や小説に全身全霊を注ぎ込んで、
けれど、じつに楽しげに次々と新しいことに挑戦していった様子が、
うらやましい気がします。
桜の色と、疏水の水の深い青緑色との対比がとても美しい。
ここは、疏水事務所と発電所がある所で、今は観光船(十石船)がぐるりと向きを替える場所になっています。
傍に踏水会があり、かつては疏水が水泳の練習場になっていたそうです。
見るからに深そうで、流れもあって、子どもたちはさぞや鍛えられたことでしょう。
この小さな子どもにはどんな桜が見えているのでしょう。
近代美術館(村山知義の宇宙『すべてのぼくが沸騰する』を開催中)の中から見る桜。
まるで襖絵のようです。
展覧会は少し物足りませんでしたが、
村山知義らが大正から昭和にかけて、映画や演劇や絵画や小説に全身全霊を注ぎ込んで、
けれど、じつに楽しげに次々と新しいことに挑戦していった様子が、
うらやましい気がします。