今日は5月31日、
2023年の5月は今日で過ぎ去る。
小雨が降っている。
いつからここに居るのかな。
触角の先が3つに分かれている。
マメコガネ?
雨のそぼ降る日でした。
いつも通る道を山の方へ少しそれていった所に、大きなお寺がありました。
(神照山廣泰寺、開創500余年になる曹洞宗のお寺)
ちょっと驚きました。
度会(わたらい)は江戸時代までの伊勢神宮領を管轄する地域で、
明治になって、天皇家の祖先神をまつる伊勢神宮が神道国教化の中核に位置付けられると、
神仏分離政策が積極的に行われ多くの寺が廃寺となり、
僧侶は失職し、建物や仏像や絵画などは壊されたり、焼かれたり、持ち去られたりしました(廃仏毀釈)。
なので、古い大きなお寺はあまり残っていないのです。
山門から本堂まで、モミジのトンネルの道が真っ直ぐ伸びていますが、
近寄るまで、本堂が見えません。
(立派な本堂なのに・・・本堂の写真を撮るのを忘れました。)
山門の脇に書かれた一言は「友人はもう一人の自分」。なんとアリストテレスの言葉だそうです。
七堂伽藍(衆寮、書院、大庫裏など)を回廊が繋いでいます。
宿坊?や座禅道場もあるようでした。
川や池をうまく利用し、建物と広い庭園の一体感が見事です。
鐘楼の天井に草花の絵が描かれています。こんな鐘楼初めて見ました。
山門の外側の、左の石垣にお地蔵さん。
「不許葷酒入山門」と石塔に掘られている文字のうち、
3番目の見慣れない文字「葷」。
調べてみたら、クンと読み、ニンニク、ニラ、ノビル、ラッキョウ、ネギなど、そして肉のことだそうです。
丁寧にお参りしていた男性に、声をかけたところ、
近所にお住まいの方で、月一でお参りして、心を新たにしているのだそうです。
そして・・・この寺は、もっと奥の方にあったのが、
昔、集落ごと引っ越してきた・・・と話してくださいました。
寺の周りは、今は、山になってしまった所も、昔は田や畑だった、そうです。
それがいつのことかはわからない、ようでした。
お寺の周辺のたたずまいも、良い感じでした。
山門の裏に立てかけてあった、ちょっと気になったスコップ
レモンの木はカミキリムシにやられて、完全に枯れてしまいました。
イチジクの大きな木も、カミキリムシの穴だらけになって、
枯れてしまった、と思いましたが、
主幹のまわりから、新たらしい枝がにょきにょき出てきて、
葉も繁り、何とか元気を回復しているようです。
虫もすごいけれど、イチジクの木も大したもんです。
心配ですが・・・
木の中を食い荒らして、木を枯らしてしまうカミキリムシの幼虫はテッポウムシと呼ばれています。
カミキリムシのために、果樹やサクラやブナやケヤキや様々な木が大きな被害を受けているそうです。
カミキリムシの幼虫がそんなに強くて悪い奴!だとは知りませんでした。
あくまで、人の都合ですが・・・
そしてまた、カミキリムシの種類によって、
生の木を食べて成長するものや、枯れ木や伐採した木の中で成長するものや色々いるらしいです。
↑ 「エグリトラカミキリ」(無理やりの残念な命名・・・)
↑ これは「リンゴカミキリ」に似ていますが、
調べてみたところ、「アオカミキリモドキ」のようです。
「ツチハンミョウ」同様、猛毒(カンタリジン)を持つ虫(足の関節部から毒を出す)で、要注意の虫!だそうです。
素手で触れると水ぶくれができるそうです。びっくりした!
ツチハンミョウ同様少し柔らかい、のだそうです。
毒を持っているので、硬い鎧の必要がない、ということでしょうか。
(エグリトラカミキリも、アオカミキリモドキも、朽ち木や伐採した木の中で成長、生木を枯らすタイプではないようです。)
カミキリにに似て、カミキリではないので、カミキリモドキ、
虫の世界にはたくさんモドキがいるようです。
*2年前に夫が見つけた「ツチハンミョウ」はこちら
*「鴈擬・がんもどき」というのもあります。
別名「飛竜頭・ひりゅうず」、
京都では「ひろうす」と呼びますが、
伊勢地方では「ひりょうず」と言うようです。
葉の間から覗く梅の実が大きくなってきました。
木の下に落ちた梅もあります。
青梅で、梅シロップを作ることにしました。
梅シロップは超簡単、木から少しもいで、拾った梅の中からもきれいなのを選んで、
ヘタを取って洗って、少しの間水に浸けて、拭いて、
梅と同量の氷砂糖と交互に瓶に入れるだけです。
夏の暑い日に、炭酸水で割って飲みます。
左の瓶は3日前に仕込んだもの、氷砂糖はほとんど解けました。
梅の実が黄色くなったら、今年もまた、梅干しを作るつもりです。
梅干しは、たまにおにぎりにしたり、キュウリなどで浅漬を作る時に刻んで入れたり、
青魚を煮る時に使うくらいで、
あまり食べませんが、無いと寂しいです。
梅と塩と赤紫蘇だけで漬けた梅は、
市販の梅干しとは一味違う爽やかさです。
同じ地域でも、米の種類が違うらしくて、
田植えの時期に随分差があります。
田植えの前、
水を張った田の縁に立つと、湖の中に道や丘や家があるように見え、
風が吹くと、さざ波がきらめき、
とても静かで、広くて、まるで、ファンタジーの世界に迷い込んだみたいな感じがします。
ほんの短いこの期間が大好きです。
でも、そんな幻想に浸れる期間は、あっと言う間に過ぎ去って、
私が住む村の田植えもすべて(たぶん)終わり、
やがて、田んぼは緑一色に変身します。
足があるのになぜカナヘビという名前なんだろうと思っていましたが、
可愛い蛇、が転じてカナヘビになったらしいです。
ニホントカゲに比べて、色合いが地味で、とても尾が長いことと、
トカゲのように艶々していないことが特徴です。
見慣れると可愛い生き物です。
日向ぼっこをしているのを見かけて、近寄ると慌てて、草むらに隠れますが、
たまたま、今日は農具を立てかけていた所で日向ぼっこをしていたようです、
慌てて逃げた先が、鍬やスコップ・・・
おかげで写真が撮れました。
カカナヘビにしては、尾が短いのは、一度切れたのかもしれません。
後ろ脚の第4指が長い!
レーキにしがみついて、真剣なまなざしです。
ウロコの様子や、耳が撮れたので嬉しい。
(目の後ろのへこみが耳)
トカゲたちは、敵が近づく気配、鳥の声や羽ばたきなどを聞くために、耳が大切です。
地味で目立たないイチモンジセセリ
大きな目と長い口吻、小さな三角の翅、
サツキの花に潜り込んで、蜜を吸っている様子を見ていると長閑な気持ちになります。
↑ 翅を開いて止まるダイミョウセセリ
↑ ダイミョウセセリより一回り大きい、アサマイチモンジ?
↑ 素早い動きのアオスジアゲハ、やっと一瞬止まってくれました。
おまけは、キリギリス?
まだ翅もないけれど、立派な足と触角です。
昨日タマネギ、今日ニンニクを収穫しました。
なぜか毎年「赤タマネギ」の出来だけはとてもいいのです。
今年も特大の赤タマネギがたくさん収穫できました。
一晩ベランダに並べて干しました。
朝日を浴びて、タマネギが輝いています。
明日からまた雨になるらしいので、
3個づつ束ねて軒下に吊るしましたが、
赤タマネギは大きすぎるので、1個づつ吊るしました。
ニンニクは、数は少ないものの、大きさもあって、しっかりしています。
左が普通サイズ、右が大サイズ。
去年は植え付け時期も何もかも全部遅れ、
花が咲きそうになってしまって、慌てて掘り上げたけれど、
割れたり、芯が悪くなっていたりして、食べられるのはほんの僅かでした。
今年は、よかった!
〈追加〉
古代エジプトでは、ピラミッドの建設労働者にはタマネギとニンニクが支給されていたそうです。
重労働に耐える力が、タマネギとニンニクから得られると考えられていたそうです。
勿論主食としては、現場近くにパン焼き窯が作られたそうです。
著者は、幼少時に野山で遊んだホンチ遊び(クモ合戦)の楽しさが忘れられず、
40歳代で脱サラして、クモ合戦のルーツ、クモに関する民俗学的な研究に没頭するようになったそうです。
ひ弱ないじめられっ子でも、強いホンチ(ネコハエトリ・雄)を見つけることが出来れば、
屈強の上級生も打ち負かすことが出来た・・・大自然の掟に真の自由と平等を享受した・・・と書いています。
当時、著者の住む町(横浜)の駄菓子屋には、ホンチを入れておく小さな箱を売っていたそうです。
中には仕切りがあり、6匹のホンチを入れることができ、それをポケットに入れていたのだそうです。
読むほどに蜘蛛への愛に満ち溢れて、思わず頬がほころびます。
各地のクモの呼び名(方言)遊び、伝承、古い文書に見る蜘蛛、絵画や祭り、銅鐸に描かれたクモ。
そして、なぜ蜘蛛が嫌われるようになったのか、
日本書紀や古事記、風土記に書かれた「土蜘蛛」とは何だったのか、など蜘蛛文化論、
厚い本ですが、後半に展開する短い章は、次々と楽しいお喋りを聴いているような感じがしました。
残念ながら著者は2007年に亡くなっています。
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『蜘蛛』ものと人間の文化史・107
斎藤慎一郎(1940-2007) 著
法政大学出版局 2002年
(著者は絵本も書いているそうです。)
遠くからでも、草むらの中に、赤い色が目立っています。
毎年、近所の雑草が生い茂る空き地に、アマリリスが元気に咲くのです。
柿の木が花をつけています。
柿の花にも雄花と雌花があるのは当たり前かもしれませんが、
雄花を見たのはこちらに来てから初めてで、
珍しく感じました。
↑ 雌花
↑ 雄花