goo blog サービス終了のお知らせ 

マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

タイルのかけらで、

2012-03-31 | 手づくり
天神さんでタイルのかけらを一袋300円で買ってきました。
100均でタイル用セメントも手に入れました。
豆腐のパックにそのセメントをいれ、水で溶いて、ヨーグルトパックで作ったヘラを使って、
手持ちの額などにぺたぺた貼り付ければちょっと左官屋さん気分。

白い額の方は、ポルトガルのタイルや皿の絵に憧れて、周りにアクリル絵の具で絵を描きました。
オレンジ色の方は、昔、瀬戸内の浜で拾ったガラスのかけらや瀬戸物のかけらも貼り付けました。

どんどん色々な物を貼り付けたくなりました。
石や貝や珊瑚やプラスティックだって面白いかもしれません。
でも何に貼りつけるか?






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばかじゃないの!

2012-03-29 | Weblog
原子力発電所の事故に備えて範囲を広げて避難訓練…
などのニュースを見る度つくづく「バカ」と思います。
大雪、洪水、地震、雷、日照り、津波、大風…などなど人知では防ぎようのない天災がいっぱいあるのに、
直ぐにも元を断つことができる原子力発電所の事故からどうやって逃げようか、
大の大人が必死になっている、どう考えてもお笑まんがです。
原子力発電を止めればそんな心配しなくていいのに、
着の身着のままどこに逃げようか心配しなくていいのに、
水や野菜の放射能汚染を心配しなくていいのに!
核は人類の手に負えない、やめた、と決めたらそれでいいのに、
未来を食いつぶし、不安と苦しみの種をまき散らすのは止めた、と…



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨上がり

2012-03-26 | Weblog


冬から春へのバトンは雨が握っているようです。
昨日は天神さんでした。
朝は青い空が広がっていたので久し振りに洗濯物も外に干して出掛けました。
お店のおじさんも、「先週は雨が降ったりやんだり、店を出したりしまったり大変やったけど、
今日はええ天気や…」なんて話しているのが聞こえました、
なのに、昼ごろから空が暗くなって冷たい風が吹いてみぞれ交じりの雨が降ったりやんだり、
止むたびに日がサーットさして、もう大丈夫かと思うのですが、
しばらくするとまた降ってきて、とても寒い一日でした。
でも天神さんの梅は満開で、梅園だけでなく、あっちにもこっちにもいろんなピンクがポッポッと咲いています。
大勢の参拝客に交じって雨宿りしながら眺めてきました。雨の中の梅も風情があるものです。
雨は何度も降っては止んで、その度に日が射して何もかもきらきら輝きだすのを見ることができたのも良かったです。
そして、私も娘たちも天神さんならではの楽しい掘り出し物(宝物)を手に入れることが出来ました。
古いお皿、合せの着物(これは新しいもの)、蒔絵の入った塗りのお道具?
タイルのかけらを何袋か、すべて信じられない格安で買いました。
やっぱり天神さんは楽しい!
(写真は「雨上がり」クラフト紙に色鉛筆で落書きしました)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島の一詩人、若松丈太郎の詩を読む

2012-03-19 | Weblog
福島県は草野心平、田中冬二、長田弘、他、すぐれた詩人が多く生れています。
NHKのテレビ番組でアーサー・ビナードの紹介で南相馬市の詩人、若松丈太郎のことを知り、
直ぐに図書館に予約して今読んでいます。
チェルノブイリの事故後1994年に「詩と思想」に掲載された詩を読むと驚愕します。
まるでそのまま、3、11の予言の詩ではないかと!
けれど若松の詩は、予言でも何でもなくただ事実を書き連ねているだけなのです。
フクシマに住む人の怖れと不安を詩人の言葉で表現し想像しているだけなのです。
予言だ、と感じさせているのは福島から遠く離れた都会に暮らす者(私)の傲慢であって、
原発の近くに住む人々は3、11以前からずーっと程度の差こそあれ、日夜『背筋に刃ものを突き付けられているような感覚』で暮らしていたのです。

   『 神隠しされた街 』 1994 若松丈太郎

  4万5千人の人々が2時間のあいだに消えた
  …
  チェルノブイリ事故発生から40時間後のことである
  千百台のバスの乗って
  プリチャビ市民が2時間の間にちりぢりに
  近隣3村をあわせて四万九千人が消えた
  四万九千人といえば
  私の住む原町市の人口にひとしい
  さらに
  …
  あわせて約十五万人
  …
  半径30kmゾーンといえば
  東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
  双葉町 大熊町 富岡街
  楢葉街 浪江町 広野町
  川内街 都路街 葛尾街
  小高街 いわき市北部
  そして私の住む原町市がふくまれる
  こちらもあわせて約十五万人
  私たちが消えるべき先はどこか
  私たちはどこにすがたをけせばいいのか
  事故後6年のちに避難命令が出た街さえもある
  …
  ツバメが飛んでいる
  ハトが胸をふくらませている
  蝶が草花に羽をやすめている
  …
  それなのに
  人声のしない都市 
  人の歩いていない都市
  四万5千の人々がかくれんぼしている都市
  鬼の私はさがしまわる
  幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
  …
  ついさっきまで人がいた気配はどこにも在るのに
  日がもう暮れる
  鬼の私はとほうに暮れる
  …
  すべてはほろびへと向かう
  …
  ほろびをきそいあう
  ストロンチウム90  半減期  27.7年
  セシウム137    半減期  30年
  プルトニウム239  半減期  24400年
  セシウムの放射線量が8分の1に減るまでに90年
  致死量8倍のセシウムは90年後も生き物を殺し続ける
  …
  神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
  私たちの神隠しはきょうかもしれない
  うしろで子どもの声がした気がする
  ふりむいてもだれもいない
  なにかが背筋をぞくっと襲う
  広場にひとり立ちつくす


  (…は文を省略していることを表わしています、多くの人に全詩を読んでもらいたいと思います)

  「福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971~2011」 若松丈太郎著(コールサック社 2011) 




  


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土になる木

2012-03-18 | Weblog
春が近い雨の合間に庭でごそごそするのはとても楽しいことです。
4年前に切り倒した山桜の切り株が今まさに土に還ろうとしています。
このままシリコンで固めて美術館にもって行きたいような気がします。
命の元がぎっしり詰まっているような力強い造形に圧倒されます。

菌糸に覆われ、コケが生え、アリや小さな虫もいました。
この切り株に芽生えているのは何の木でしょう。

久し振りにキセル貝のカラも、

紫陽花の新芽は緑のバラの花のようです。

庭の隅に生えていた菫とムスカリを寄せ植えにしてみました。

蔓をひっこ抜こうとして、石がごろりと転がり、
左手の薬指を石で挟んで怪我をしてしまいました。
軍手をしていたのに…朝7時ごろのことです。
切れたところは僅かで、大したことないと思っていたのですが、
一日中夜も痛くて、結局血も止まらず、指もパンパンに膨らんで来たので翌日お医者さんにいったら、
皮膚の下が挫滅している、爪の反対側はヒョウソウになりかけと言われビックリ仰天、
処置してもらったら直ぐに痛みも腫れも引いていきほっとしました。
でもお医者さんで処置してもらった直後(痛かった)フラーっとして気持ち悪くなったのでしばらく休んで帰りました。
なんとも情けない、、、
自分ではもっとどんどん力仕事もできる、と思っているのに、
これからはもっと注意深くやることにします。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼鏡をぶら下げる紐を作る

2012-03-15 | 手づくり
眼鏡なしでは本を読むのは勿論、お料理も買い物にも行けなくなりました。
食品や衣類の小さな文字の表示を見るにはどうしても必要です。
そういうわけでいつも首からぶら下げるようになりました。
付けたり外したり、付けたり外したり、たえずやっています。
家の中では眼鏡をエプロンのポケットに入れたり、そこらじゅうに置いていましたが、
すぐに行方不明になって…
今では家の中でも首からぶら下げています。
残念なことにネックレスなどのアクセサリーは付けられなくなりました。
そこで眼鏡をぶら下げる紐に一工夫しています。
細い革ひもに刺繍糸でステッチをしたり、
ボタンやビーズを使ったり、
北山のラ・ドログリーに行ってちょっと上等のフランスのリボンを買ってきて使ってみたり、
春なのでオーガンディのリボンを使ってみたり、
消耗するのであまり凝ったことはできませんが、
服や気分に合わせて楽しんでいます。
眼鏡も本屋さんで買った「読書眼鏡」!や百均の眼鏡を使っています。
眼鏡は縁があまりなくて、個性もない物の方が似合うようです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人類は絶滅へ向かって走り始めるのか、、、

2012-03-10 | Weblog
SFには核戦争後の地球が舞台になったものが沢山あります。
でも必ずしも核戦争で無くても、同じ状況が出現することを
フクシマの原発周辺の地域をみることで、知らざるを得ません。
誰もいない地球は絵空事ではないのです。
フクシマの事故で撒き散らされたセシウム137は広島の原爆168個強に相当する量なのですから。


スリーマイルで重大な事故が起き、チェルノブイリで大きな事故が起きて、
小さな事故は日常茶飯事、それら事故の分析から、
フクシマの事故は起こるべくして起こったということが明らかになってきています。


事故から1年経って収束どころかいまだ危機状態だというのに、
日本(世界)は原子力(核)からエネルギーを得ることを止めようとしていません。
原発を再開する声ばかり大きくなっています。


このまま核をいじり続けるなら、まちがいなく人類は絶滅して行くのだと思います。
なんと短い人類の歴史なのでしょう。
文明といわれるものが芽生えてから、たった1万年。
核を手にして数10年です。


近年、宇宙に向けて送り続けている信号を、
もし受け取る能力のある生命体があったとしても、
とても認知できないでしょう。
受け取る頃には地球の文明は絶滅しているのですから。


それともそのような進化した生命体もやっぱり短い間に核を手にして、
自ら滅びてしまっているのでしょうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利己的遺伝子

2012-03-09 | Weblog
リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の理論が話題になったとき、
遺伝子からだけ物事を見るのは間違っている、一面的で極端ではないのか、と反発して
ドーキンスの本も読まなかったのですが、そしてまだ今も読んでいませんが、
なんだか最近、個々の生物は植物も動物も人間も遺伝子の乗り物に過ぎない、という考え方、
勿論、比喩ではありますが、そうなのかもしれない、と思うようになりました。

利他的に見える行為も実は集団の遺伝子にとって結果的に利益になるということが目撃されたり、
あるいは共生とか共存などと人の都合の良い見方で言われていることも、
実は利己的な行為がうまく相互にバランスをとっている状態に過ぎないのではないか、などと思ったり。
自らの利己的な本性を晒したくなくて、誤魔化している一時的な状態かもしれないのです。

人間も、自分と自分の子供だけしか目に入ってないのが事実で
こんな競争社会にしてしまったことこそ、その証拠ではないか、などと悲観的な思いに駆られます。
小さい時から競争社会の中に放り込まれれば、他人を思いやることなど出来るわけ無いのですから。
偽善者が大手を振って、真実の善意は埋もれて大きな力を持つことはない…

相互扶助、助け合いの精神が基盤にならなければなければ成り立たない社会主義はやっぱり無理でした。
たちまち社会主義とは全く無縁のとんでもない利己主義の国家になってしまいました。
きっとそれはありえない空想の社会だったです。

けれど一方理想を持たずに生きていることに何の意味があるのだろう、
人間はなぜ生きて、考えるのだろう、と思うのです。
遺伝子の乗り物ならウイルスでいいのに、
なぜ人は生れて来たのだろうと。

私の頭の中は堂々巡りをするだけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰もいない公園

2012-03-05 | Weblog



雨が降りそうな空模様のせい、でもなくて、
最近は公園で遊ぶ子供たちを見かけることが少なくなりました。
夕方は小学校から帰って来た子供たちが遊んでいるのを時折見かけます。
お年寄りはデイサービスで車に乗って出掛け、
小さな子どもたちは家の中で遊んでいるのでしょうか?
たまたま通りかかったこの公園には、
4つの高さの違う吊輪があります。
昔ぶら下がり健康器というのがあったな、と思いだしながら、
背骨を伸ばそうとぶら下がってみました。
子供の時懸垂が得意だったのですが、
今はやっと一度だけ、、、
誰もいない公園に大きな木々が枝を伸ばしています。
葉が無い時は、木々の細い枝先までよく見えます。あの細い枝の先の先にまで根が吸い上げた水に満ちているのですね。
木は偉い!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今度は木綿の布で

2012-03-01 | 手づくり
木綿の端切れでちょっと派手目の袋を作りました。
まちと持ち手は、はき古したジーンズで作りました。
暖かくなるとウールのもこもこの物はもう持ちたくなくなります。
げんきんなものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする