マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

太江寺(たいこうじ)

2025-03-12 | 

「潮音山・太江寺」は伊勢西国三十三カ所巡礼の一番目の霊場だそうです。

そんな巡礼道があることなど全く知りませんでした。

海に近いこのお寺、「潮音山」とはカッコいい。

山門は色鮮やかです。

(写真下の方に豚のような白い象?・・・)

立派な仁王さん。

山門をくぐってさらに石段を登って本堂に到着

太江寺は行基が開創したと伝わる古刹です。

天平時代の開創以来、興隆と衰退を繰り返し、

特に江戸時代の落雷による火災では諸堂が焼失したそうです。

その後、本堂は再建(1814年)され、現在に至っているとのことです。

その本堂は狭い敷地に立つ小さなお寺ですが、雰囲気のあるいいお寺です。

今も火祭りなどに加え、さまざまな行事、滝修行などもあるようです。

本尊は重要文化財に指定されている鎌倉時代の木造千手観世音菩薩坐像。

(本尊開帳は年に数回)

本堂の隣りに鳥居、

伊勢神宮や二見輿玉神社とのかかわりが深く、

他にもお稲荷さんや庚申さんや神様がいろいろ・・・

神仏混淆の見本のような興味深いお寺です。

屋根瓦が丁寧に補修されていました。

お稲荷さんの鳥居だけ朱色、他の鳥居は白(木なり)

↓ 石仏の列の中ほどの上部に行基さんの像、

薬師如来の祠には安産祈願の絵馬がいっぱい。

手前に穴の開いた石が供えてありました。

宿坊(ユースホステル)がありました。

↑ 宿坊の屋根の瓦もすごい。

手前は藤の枝、境内には藤棚がいくつもありました。藤の花咲くころは美しい事でしょう。

お寺へ続く坂道はなかなかの急勾配。

黒猫が近付いたり遠ざかったりしながら、坂道を行き来する人をチェックしているようでした。

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太江寺(たいこうじ)への道

2025-03-11 | 

前回の記事と時系列が前後します・・・

車検が終ったとの連絡があったので、代車に乗って車を取りに伊勢方面へ向かいました。

乗り慣れた車はちょっとだけ綺麗になっていました。

そこで、その朝、たまたま、新聞で見てちょっと興味を引かれた「二見・太江寺」まで足を延ばしてみることにしたのです。

二見の海沿いの広い道路から、山側に曲がり込むと旧道が太江寺へと続いています。

旧道沿いに参拝者のための駐車場が見つかってほっとしました。

細いうねうね道が続きます。

道沿いには廃屋となってしまった家もありましたが、

古い作りのまま補修しながら暮らしている様子がうかがえる家や、

丁寧にリニューアルした家もありました。

伊勢地方では、注連縄は一年中戸口に掛けます、お正月に新しいものに取り換えます

昔の家を見る度に「大胆」と「繊細」の見事なコンビネーションに感心します。

まるでタイムスリップしたような気がする町並みです、

昔は、茶屋や宿や土産物屋などもあって、賑わっていたのかもしれません。

そして、十王堂の所を曲がって、太江寺へ向かいました。

(左の赤い看板には、

津波避難所300メートル先、太江寺境内、海抜28,6メートルと書いてあります。)

 

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冥界の王・閻魔

2025-03-09 | 

「ウソをつくと閻魔さんに舌を抜かれる」という戒めは、

昔の子どもには効き目がありました・・・たぶん・・・

古びたお堂の中の閻魔さんや、地獄絵図の閻魔さんは、本当に恐ろしげで、

私はそのような絵はなるべく見ないように避けていました。

今見れば結構興味深い。

二見(伊勢)の「太江寺(たいこうじ)」の参道の登り口に「十王堂」がありました。

お堂の建物は新しく作られています。

ガラスの扉を開けて入ると、

あの世の裁判官たちがずらりと並んでいました。

真ん中あたりに魂を計る天秤があります。

リアルと、空想が入り混じった奇妙な造形にちょっとぞくっとします。

(天秤の下がっている方、人体に見えます・・・右は何?)

昔の人の頭の中の風景を垣間見る瞬間でもあります。

自分の中にある、様々な情感が揺さぶられます。

古い神社やお寺に行って

石段や生い茂った木々や苔、

お堂や仏像などを眺めていると、

時を超える空気が体におしよせてくる気がします。

 

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ちょっとだけ熊野古道 その2

2025-02-25 | 

前日は、一時かなり雪が舞いましたが、帰路はからりと晴れあがり、

遠くの山々が西日に照らされてきれいでした。

家に帰ってから、熊野古道の案内図を見て、行ったところを確かめていたら、

「栃原」の少し先に「馬鹿曲がり」の文字が。

どんなところなのでしょう。

次の日早速、もう一度「栃原」へ、そして「馬鹿曲がり」へ向かいました。

↓ 馬鹿曲がりの、本来のルートは、ここからこの急坂を降りて

このトンネルをくぐり抜けて、

さらに、細い橋を渡って行くようです。

かつては深い谷を降りては登る、曲がりくねった道で、難所だったそうです。

でも私たちは車を放置していくわけには行きません。

トンネルの入り口だけ眺めて、「馬鹿曲がり」の案内板の写真を撮って、

ルートを飛ばして、次に古道と車道が出会う所に先回りして、

車を降りて、またほんの少しその近辺の古道を散策するという、

我流の熊野古道散歩を続けました。

ひとつ屋根の下に仲良く4つの神様が並んでいます。

左から「庚申」「津島大王」「皇太神宮」「山神」

↓ 神祠の立て札

この傍から、古道はまた人ひとり幅の細い坂道を谷に降りていきます。

でも私たちは車で、谷の上にかかっている眼鏡橋を渡りました。

(眼鏡橋・明治40年に作られたレンガ作りの橋、その後、鉄道を通すために一つは埋められた)

そして、車を停めて、谷の向こう側から案内板に従って谷へ降りていきました。

立派なレンガの橋が見えます。

とても綺麗な水がサラサラと流れていました。

↑ 左上に、谷を登る古道が見えます。

家を出てから帰って来るまで、約3時間の「ドライブ散歩」でした。

谷川で拾ってきた石、

綺麗な層になっています。

手前の石は紙のように薄い。

 

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ちょっとだけ熊野古道・その1

2025-02-24 | 

「熊野古道・伊勢路」は熊野と伊勢を結ぶ古い道です。

幾つもの峠を越える細くて険しい道ですが、

今は、国道や広い県道と並行になっている所や交差する場所、車が通れそうな道も、一部あります。

私と夫は、車でしばらく「旧伊勢街道」を辿っていましたが、

現代の市街地に差し掛かって、先へ進むのをためらっている所だったので、

ここらで、熊野古道を探索してみようということになって、

まず家から比較的近くて、車で行けそうなところへ行ってみることにしました。

よく利用する国道42号線、車がビュンビュン走る広い道路を曲がるとすぐに

小さなかわいい駅(JR・栃原)がありました。

近くのお地蔵さん。立派な瓦屋根

扉に石がいくつもぶら提げてありました。

中耳炎の回復を祈るものだそうです(耳の形の石!に穴を開けている)

交差点などに「熊野古道」と記した旗が立っていて、

その旗に案内されて、少し進むと、

線路の傍に、宿がありました。

今は静かでしたが、春になれば熊野古道を歩く人たちが利用するのでしょう。

↑ 左の建物が宿(田島屋)

右の昭和レトロな建物は昔は病院だった?かもしれません。

(家に帰って調べてみると、現在は土曜だけ営業のカフェのようでした)

内部はすっかりおしゃれにリニューアルされているようです。

長い塀!

雪がちらついてきました。

ちらついていた雪がだんだん強くなってきました。

ここからしばらくは車の中から写真を撮りました。

かわいい手描きの看板、窓を開けてパチリ。

絵の動物は、犬や猫ではなく豚に見えます。

 

↑、新しい建物のようです(お茶の製造所)

↑ 別の製茶屋さん。こちらは古い建物で白壁の文字が素敵だったのに、見えない・・・

裏はずーっと、広い茶畑でした。

 

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山の中の植物園「波瀬植物園」

2024-12-01 | 

櫛田川の源流、奈良との県境に近い高見山の山麓、波瀬に私設の植物園があります。

代々林業を続けてきた田中家が地域の木や山野草や石などを集めて作ったのが波瀬植物園です。

植物園の入り口にある「おふく茶屋」、残念ながらお休みでした。

「おふくそば」と「でんがら・棒葉(ほうば)の葉に包んだお餅」を食べたかった・・・

この日の午後3時ごろ、訪問者は私たち二人だけのようでした。

左のポストに入園料300円を自分で入れて門をくぐって入ります。

入り口付近には苔むした大岩がたくさん配してありました。

春先の、水芭蕉とミツマタの頃には訪れる人も多いそうです。

 

モミジの葉が散り敷いた赤い道、イチョウの葉の黄色い道を辿り、

苔に滑りそうになりながら、ゆっくり散策しました。

園内は山の斜面を利用し、

小川や池や大きな石や切り株などを配し、あずまやがあり、

植物園というより庭園のような感じがしましたが、

おもな木々や草花には名札がついています。

↓ こんな看板が何本も立っていました。心無い人が居るようです。

大きな切り株

国道沿いには小さな道の駅もありますが、

午後4時をわずかに過ぎていて、閉店していました。

 

奈良県境に近い波瀬(はぜ)は、大和(奈良)を通って伊勢へと向かう和歌山街道の宿場町として栄えたそうです。

櫛田川沿いに高い石垣を築いて造られた本陣、脇本陣が今も残っています。

↓ 一部資料館として公開されています。

 

↑ 国道側(植物園側)から、櫛田川を挟んで和歌山街道側を見る

 

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紅葉と橋と・・・

2024-11-28 | 

一日中雨が降った翌日、お天気になりましたが

方々に水溜まりも出来ていて、外仕事はできないので、

山の方へ紅葉を見に行こうということになり、

ポットに熱い紅茶を入れて、

以前から行きたかった波瀬(はぜ)方面へ車を向けて午後2時頃出発しました。

櫛田川の源流、奈良県との県境の方(西)へ向かって、どんどん遡ります。

川は蛇行し、道も蛇行しているので

たくさんの橋を眺め、たくさんの橋を渡りました。

真っ赤な橋、朱色の橋、錆びて茶色になった橋、黄色の橋、青い橋、緑色の橋、

↓ そして前から行きたかった「沈み橋(沈下橋、潜水橋)」に立ち寄ることが出来ました。

櫛田川には、同じような「沈み橋」が本もあるそうです。

かつては木と石でで作られていた沈み橋も現在はコンクリートでガッチリと作られています。

増水時には文字通り水の下に沈み、木切れや土砂などが引っ掛かることなくスムーズに流れ

その役目を果たすそうです。

↓ 道沿いの木々、すっかり葉を落とした木と、真っ赤に紅葉した木と、

↓ ここにも小さな橋が

川沿いの木々の紅葉が美しい

* 帰路、夕闇迫る中、車を走らせていると、道路わきで手を振るおじさんが!

車を止めて尋ねると、トラックのバッテリーが上がってしまったので、

この先の家の方まで乗せてほしい、とのことで、

その人を載せてほんの10分くらい言葉を交わしました。

その方の話によれば「・・・罠にテンがかかってな・・・

殺したくないので、山に放しに行ってきたんや・・・

そして車に戻ったら、エンジンがかからんのでな・・・」

「テン!珍しいですね」と私が言うと

「・・・かわいいよ!」と顔をほころばせて言うのです。

狩猟免許を持っているそうで、その辺りのことなど色々お聞きしたかったけれど、

あっという間に、ご自宅付近に到着し、丁寧にお礼を言って降りて行かれました。

 

往復約130キロのドライブでした。

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柿畑と伊勢街道

2024-10-26 | 

近くのよく通る道ですが、ここも伊勢街道(本街道)です。

榛原(奈良)から伊勢市の筋向い橋で参宮街道、熊野街道と合流し、内宮へ向かいます。

関西方面から伊勢へ、東西に横切る最短距離(榛原-内宮、90キロ)ですが、

険しい峠道が多く次第に峠越えの少ない初瀬街道を利用する人が増えて本街道は廃れていくようになったそうです。

集落の周りは田んぼと柿畑、

艶々で美味しそう、でも今年は猛暑のせいでカメムシが発生して出来が良くないそうです。

 

とても大きな1本の渋柿の木、無数の柿、

雨が降りそうな暗い日で、緑の葉の色も柿の赤い色も灰色になって柿が見えないので、

写真加工でコントラストを強めてみましたが・・・

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伊勢街道 2

2024-10-10 | 

先日の伊勢街道ドライブ散策の続きです。

先日行ったところまで、幹線道路を使って行って、

そこからのスタートです。

細いぐねぐね道は、松阪の市街地に入ると、広い真っ直ぐな道へと変わり、

道の両側にはゆったりとした歩道があり、料理屋やホテルや銀行や、

いろいろな商店の新しいビルが並び、旧街道の趣はありません。

そして、大半の個人商店はシャッターが下りていました。

松阪も他の地方都市の例に漏れず、買い物客は幹線道路の広い駐車場のあるホームセンターや

イオンモールなどに集中しているようで寂しいです。

松阪城址の近くには武家長屋が、

また町中には本居宣長の屋敷や、豪商(三井)など松阪の名士らの跡地や旧宅などが丁寧に保存され一部公開されています。

でも、私たちは寄り道せずに、あっという間に通り過ぎ、また細いぐねぐね道へ。

細いぐねぐね道が大好きですが、問題は写真を撮りたいところを見つけても、

昔ながらの街道は道幅が狭くて駐車できないのです。

行ったり来たりして、空き家の前などに何とかスペースを見つけて車を止める、ということを繰り返します。

それも出来ず、撮影を断念、ということも多いのです。

人がいない所を撮影していますが、ここは普通に生活道路なのです。

昔の道がなぜ『ぐねぐね道』かというと、

人が長距離を歩く時は、まっすぐの道を歩き続けるのはとても疲れるのだそうです。

向こうまで見晴らすことが出来ないことで、歩き続けることが出来る、

少しづつ景色が変わることで、歩みを止めずに次へと進むことが出来る、

そうだよなーと思います。

この蔵の間を通り抜けると、田や畑が広がり、踏切りがありました。

人と自転車専用!

街道沿いはずーっと途切れなく家が並んでいますが、裏側は、田や畑だったんだ!

と、ちょっとびっくり。

 

松阪市市場庄の家々は「妻入り」が多く、

格子戸の会を作って、格子戸を保存し、家の前に屋号の札をぶらさげています。

「ぞうりや」「かごへい」などいろいろ面白い屋号がありました。

(伊勢地方では、注連縄は一年間かけたままで、お正月に新しいのに取替えます。)

私は助手席で「わ~すごい」とか「あれ見て見て、面白!」とか「きれい!」とか「いい所やな~」などと言い、

車は通り過ぎていきます。

↓ 元は米屋の倉庫のようです。

そんなこんなで、暗くなってきたので

この日は三渡川の畔、旧初瀬街道と交わる所(いがごえ追分)で終了、

約3時間余りのドライブでした。

次回はここから出発になります。

 

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伊勢街道 1

2024-09-20 | 

伊勢街道は、今も普通に、町と町、村と村を繋いで、

人や車が利用する便利な道として存在しています。

道は舗装され、道幅が広げられたところもありますが、

驚くほどむかしのままの集落が残り、人が暮らし、行き来しています。

その伊勢街道を、少しずつ、車で、あるいは自転車で辿ってみようと思っています。

この日は車で、櫛田川の、かつて「渡し」のあったところから出発、ということにしました。

土手を登れば櫛田川です。

街道には、方々に道標や石燈籠が残っているので、分かりやすいです。

『右さんくうみち(参宮道)』の道標、横には『左けこうみち(下行道)』と彫られています。


力強い文字です!

↑ 右端は散髪屋さん、ガラス戸越しに髭を剃ってもらっているおじさんが見えました。

↓ 和菓子屋さん、営業中!

街道沿いは、新しい家や、美しくリフォームした家も多いのですが

ついつい古い建物や廃屋などに目を奪われます。

↓ 『禁酒の神様』いろいろな神様がいるもんです。

街道は軽自動車向きの細い道が多く、すれ違うのはちょっと大変、

昔はそれでも十分広かったのだと思います。

現在は大抵近くの田んぼの中などに新しい広い道路(バイパスなど)があり、

大きな車はそちらをを利用しているようです。

そのことが集落の姿を昔のまま保つことが出来た理由ではないかと思います。

この日は雰囲気のある『神戸(かんべ)神社』と堂々とした立派な建物の『信楽寺』の隣りの 『閻魔堂』あたりまで辿りました。

町の古い案内図がそのまま残されていました。

次回は、この辺りから出発したいと思います。

 

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