押し入れからこんなものも出てきました。
ガラス板に感光剤(銀化合物)を塗った乾板です。
1800年代の終わりごろ、あるいは1900年代の初め頃のものでしょうか。
写っているのは誰でしょう?
まだ少年のように見えます。
なのに帽子とステッキを持っています。
ステッキが長すぎてバランスが…
昔の写真には、
普段着の写真はほとんどありません。
とくに女性は一日中家の中で独楽鼠のように働いていたはずですが、
ハレの日の写真ばかり、
写真はそういう時のものだった、特別のものだったということですが、
日常の姿を想像するよすがにはなります。
これは、35ミリのネガフィルムです。
これは私もかろうじて知っています。
父と母が結婚して私が生まれ、
ほんのしばらくの間、父は写真に夢中でした。
風呂場を暗室にして自分で現像していました。
父が結核に罹病するまで、3年間の短い間でした、
それから延べ5年間の入院と手術を経て退院しました。
父が再びカメラを持ったのは、
私が中学生の頃のことでした。
時は移り、デジカメになって、
写真は全く違うものになった気がします。
記念写真ではなく、
日常を切り取る感覚でどんどん撮るようになりました。
多くの人が写真を身近に楽しんでいます。
もちろん私も。
50年後、写真はどんな姿になっているのでしょう。
想像ができません。
ガラス板に感光剤(銀化合物)を塗った乾板です。
1800年代の終わりごろ、あるいは1900年代の初め頃のものでしょうか。
写っているのは誰でしょう?
まだ少年のように見えます。
なのに帽子とステッキを持っています。
ステッキが長すぎてバランスが…
昔の写真には、
普段着の写真はほとんどありません。
とくに女性は一日中家の中で独楽鼠のように働いていたはずですが、
ハレの日の写真ばかり、
写真はそういう時のものだった、特別のものだったということですが、
日常の姿を想像するよすがにはなります。
これは、35ミリのネガフィルムです。
これは私もかろうじて知っています。
父と母が結婚して私が生まれ、
ほんのしばらくの間、父は写真に夢中でした。
風呂場を暗室にして自分で現像していました。
父が結核に罹病するまで、3年間の短い間でした、
それから延べ5年間の入院と手術を経て退院しました。
父が再びカメラを持ったのは、
私が中学生の頃のことでした。
時は移り、デジカメになって、
写真は全く違うものになった気がします。
記念写真ではなく、
日常を切り取る感覚でどんどん撮るようになりました。
多くの人が写真を身近に楽しんでいます。
もちろん私も。
50年後、写真はどんな姿になっているのでしょう。
想像ができません。