マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

『カースト』

2023-08-31 | book

中日新聞で、本書の翻訳者を紹介する記事を読みました。

早速図書館に予約して、だいぶ順番を待ち、ようやく借りてきました。

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『カースト』アメリカに渦巻く不満の根源

イザベル・ウイルカーソン 著

秋元由紀 訳

2022、岩波書店

(18か国語に翻訳されたベストセラー・ノンフィクション・496頁)

☆上の青い文字をクリックすると、試し読みで、目次など23頁まで読むことが出来ます。

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私が子供の頃の教科書には、

コロンブスが1492年に「新大陸」を発見した、と書いてありました。

まるで何もない未開の大陸を発見したかのような記述でした。

事実は、その頃、現在の合衆国地域に住んでいた先住民の数は、200万~1800万人と推定され、

アステカ、インカ、マヤなどの都市には計7000~9000万人もの人が住んでいたと考えられています。

1世紀半後には、350万人くらいになってしまったそうです。

ヨーロッパからやってきた人たちが、

金も銀も土地も水も、人の命も、歴史も、ありとあらゆるものを奪い盗ったのです。

 

初期には先住民を奴隷に使おうとしたそうですが、

白人の持ち込んだ病気に感染してたちまち多くの人が亡くなってしまいました。

アフリカから連れてきた黒人は比較的ヨーロッパから持ち込まれた病気に強いことで、

奴隷船でどんどん送り込まれてきました。

 

アフリカでは、「黒人」はいません。それぞれの地域のそれぞれの名があるのです。

ベルベル人、ハウサ人、ヨルバ人、 イボ人、オロモ人、アムハラ人・・・

ヨーロッパで、ポーランド人とか、ドイツ人とか、オランダ人とかそれぞれの地域の名で呼ぶように。

けれど、アメリカ大陸では、黒か白かで分けられ、黒はアウト・カーストとして、

人格を剥奪され、暴力と虐待に曝され続けてきました。

 

ナチスは、ユダヤ人差別のために、アメリカの黒人を差別する様々な法律を研究し真似たそうです。

そのナチスでさえ、そこまではできない、と言ったほど、

アメリカでの黒人差別の実態は、理不尽で残虐非道だったそうです。

リンチはまるでカーニバルの見世物のように、子どもまでもが見に集まることもあったそうです。

また、遺体の一部を持ち帰ったり、死体のそばで写真を撮って、

絵葉書にして送り合ったりしたそうです。

 

自由も、民主主義も、ずーっと「黒人以外」の話でした。

しかしアメリカの土台を実際に築いたのは黒人だったのです。

ジム・クロウ法(差別法)が1964年に撤廃され

今では、スポーツや、音楽や、絵画や、あるいは研究や、ビジネスで地位を得、政治家やお金持ちになった黒人もいますが、

差別は無くならず、社会を腐らせ、混乱させ、多くの人が、苦しんでいます。

「差別があまりにも長く続いたために、多くの人々の心の奥に刷り込まれてしまっている・・・」

と著者は書いています。

 

重たい本でした。

今も続く欧米白人の、差別、そして際限のない強欲のルーツを見た思いがしています。

もう1冊、こちらも重たい本。

『収奪された大地』 ラテンアメリカ500年

エドゥアルド・ガレアーノ 著

大久保三男 訳

1991年、藤原書店(494頁)

*1997年 新装版

平和を求める中南米の人々の心を踏みにじってきたのも、

金や銀や石油やゴムやコーヒーや様々な資源を我が物にしようとするアメリカやヨーロッパの国々の「強欲」です。

でも、この本が書かれてから、32年経ちました。

ウルグアイ、コスタリカ、メキシコ、ブラジル、ベネズエラ・・・

ほんの少しづつですが、世界は変わりつつあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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枝豆

2023-08-29 | 自然

畑は畝も見えなくなり、ほぼ草むらと化してしまいました。

その草むらの中で、枝豆とオクラだけは順調に実をつけてくれています。

とくに今年の枝豆は美味しくて嬉しいです。

枝豆をつまみながら、冷奴醤油をかけ、

味噌汁も飲んだら、全部大豆!

 

枝豆の種の生産地は北海道、オクラは台湾と印刷されています。

袋に種はほんの僅かずつしか入っていませんが、(オクラ3ml、枝豆5ml)

自分達で食べる分には十分です。

とくにオクラはとても食べきれません。

一つ花が咲いて、一つ実が付いて、あっという間に大きくなっていくのを眺めるだけ・・・

 

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「鰹の神輿」のある港

2023-08-27 | 

宿田曾浦(三重県度会郡)の、祭りの神輿のご神体は「鰹」!

(女性が担ぐ、カジキマグロの神輿もあるそうです。)

田曽浦は漁港として、かなり大きく、たくさんの舟が係留されていました。

港を出れば、太平洋です。

鰹の1本釣りの遠洋漁業の基地として栄え、かつては鰹節を作る工場などもあったそうです。

志摩辺りでは、一般の人は釣り禁止の港や浜が多く残念ですが、

ここではルールを守れば、釣りもOKとなっていて、ホッとします。

カキがこびりついた岸壁をのぞき込むと、小さな魚が沢山泳いでいました。

港の水深は深そうです。

午後4時ごろ訪れた時には、港は静かでしたが、きっと早朝は賑わうのでしょう。

 

高い所にお墓が見えます。

港町には、小さな商店が数軒あって、パン屋さんや食堂や飲み屋らしき店も、人の姿もちらほら。

新しい家も古い家も、ペンキで、青や水色やピンクや緑や黄色や茶色などにペったりと塗ってあるのが、珍しく感じました。

ペンキは潮風から外壁を守るためだと思います。

カラフルな色が、この港町を特徴づけています。

 

港周辺の避難所を示す案内板が方々にありました。

避難階段?

紀伊半島の津々浦々、数え切れないほど、大小の漁港があります。

でもそれぞれが、それぞれの歴史を持っていて、

外から見れば似たように見えても、

実は、どの町も村も個性的で、ユニーク!ということがとても興味深いのです!

 

福島の事故から12年経っても、溶け落ちた炉心がどこに在るかさえわからない状態なのに、

大地に溶融した核燃料を1ミリも取り出すことさえできないのに、

原発事故の責任を放置し、

生命の源である海へ放射能汚染水を捨て、

更に原発を増やそうとするような人たちは皆、

鰹の神様、鮪の神様、鰯の神様、貝の神様、

クラゲの神様、鯨の神様・・・海のすべての生き物に、

祟られるぞ~・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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籾殻(もみがら)を貰う

2023-08-25 | 自然

2~3日雨が降ったり止んだりの日が続きました。

今日は晴れるかな?

田んぼの稲の穂が重たそうに垂れ下がっています。

既に稲刈りが終った田もあります。

数日前、雨の前、近所を自転車で一巡りした時に、

田んぼの隅に「もみ殻」が積み上げられているのを見つけました。

立て札が立っていました。

去年も同じ場所で見かけた立て札ですが、貰いに行くチャンスが無く残念でした。

親切なことに、今年はスコップと笊箕も置いてあります。

早速大きな袋を数枚車に積んで、たくさんいただいてきました。

籾殻は土壌改良にとてもいいので助かります。

出来ればまた「籾殻燻炭」も作りたいと思っています。

立て札の文の語尾「・・・だもんで。」はこの辺りでよく聞きます。

名古屋、静岡方面の特徴的な話言葉の語尾です。

京都、大阪地方でよく使う「・・・やね。・・・やな。」もよく聞きます。

両方の地域の言葉が混ざっているのも(おそらく文化も)この辺りの特徴になっていると感じています。

 

 

 

 

 

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ユニークな箕獅子

2023-08-23 | Weblog

かつての関西からの修学旅行のメッカ、夫婦岩で有名な二見(伊勢市、以前は度会郡)には、

ユニークな獅子舞が今日まで、伝えられています。

しばらく前に、この獅子頭のことを知って、見てみたいと思っていましたが、

実物を見ることが出来ました。(二見、賓日館、中村左洲展にて)

頭部は2枚の箕(ザルミ)、舌と耳は杓文字(シャモジ)、目はダイダイの実を使ってあり、

鼻はヒョウタンで、挿してあるのは梅の枝だそうです。

胴は蚊帳(カヤ)で出来ています。

鮮やかな色も素晴らしい。

獅子頭は普通、木彫りか張り子で黒や赤や金が塗られていますが、

もしかしたら、最初は、こんな風に身近にあるもので作られていたのかもしれません。

そして、二見以外にも、どこかに、こんな獅子頭を使った獅子舞が今もあるのかもしれません。

二見では1月半ばの祭りでこの箕獅子の舞が見られるそうです。

 

 

 

 

 

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河口付近へドライブ(櫛田川その2)

2023-08-22 | Weblog

大平橋から、土手の上をそのまま櫛田川の河口まで走りました。

河口では、満潮時と干潮時と風景がまるで違います。

この時はすっかり潮が引いていました。

満潮時には、写真手前まで、潮が満ちるのでしょう。

海へ下りる階段が左右にある、ゆったりした休憩所がありました。駐車場もトイレもあります。

若い人がひとり、スケボーの練習をしていました。

しだいに、西も東もピンク色に染まり始めました。

川の向こう側、左(西)方向には松阪の港や工場が見えます。

黄昏(誰そ彼)時が好きです。

でも真っ暗になったら、車も走りにくい。

街灯も少なく。ガードレールのない高い堤防の上の道は特に危険です。

急がなければ・・・ということで、

堤防から急坂道を下り、田んぼの中の細い道を走り、集落の中へ入って行ったのは良いのですが、

たちまち行き止まり、右へ左へと向きを変えて走れば、

道はどんどん細くなり、溝に落ちそう・・・

そして、また行き止まり。

・・・家が密集していて、家々の駐車場には車も見えるのに、なんてこった!

暗くなって益々迷い道、ここはどこだ?

しょうがない、バッグからスマホを出して・・・と思った所で、

道路標識のある少し広い道へ出てホッとしました。

 

 

 

 

 

 

 

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渡れなくなった橋(櫛田川、その1)

2023-08-21 | Weblog

新聞の地域版に、先日の嵐(台風7号)で「・・・櫛田川(くしだがわ)の水が危険水位に達し、

川にかかる太平橋の橋脚の一部が壊れたので、現在通れません・・・」と言う記事が出ていました。

どこにある橋だろう、と思って調べてみたら、意外に近い。

でも知らなかったなー、と思いつつ、夕暮れ時に見に行ってきました。

その橋は幅が狭くて、徒歩で、あるいは自転車やバイク、車は軽自動車しか通れない細い橋でした。

土手へと曲がった坂道を登らなければ、

道路から、橋は、木々に隠れて見えない位置にありました。

橋脚の向こう側の一部が破損しているようでした。

橋の上流側に、赤い柱のようなものが何本も建っています。

上流から流れてくる、木などが橋脚に直にショックを与えないように、

また枝などが橋脚に絡みついて溜まらないようにする役目があるそうです。

驚いたことに、橋脚の一部が、木を使った、枕木構造になっていました。

(矢印の先)

赤い柱のてっぺんにいたのは、たぶんノスリ。

櫛田川は古代に大きな氾濫を繰り返し、支流と本流が入れ替わった過去があります。

現在はたくさんのライブカメラが設置され、水量の測定や管理もかなりしっかり行われているようです。

県境の源流は、多雨地帯で、川は中央構造線に沿って西から東へ流れ、伊勢湾に注いでいます。

上流には今も多くの流れ橋や潜水橋が残っているそうです。

いつか見に行こう!

 

 

 

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スイカ、最高!

2023-08-19 | 自然

西瓜の苗の植え付けが遅かったので、だめかなーと思っていましたが、

大きいのが1個、小さいのが2個出来て嬉しいです。

まな板の上に載せ、切る時はドキドキです。

 

外側が緑色の縞模様で、中が真っ赤、黒い種、大きくて、重たくて、甘くて!

西瓜はなんて見事な造形なのでしょう!

スイカの原種は、小さくて、中も白っぽいそうです。

それを、こんな風に変えてきた「ヒト」はやはり面白い、と思います。

 

西瓜と言えば、私は「フリーダ・カーロ」の絵を思い出します。

外から見れば、信じられない程苦しい人生を歩んだ女性です。けれど、それは、違うのです。

西瓜には、VIVA LAVIDA(人生万歳)と書かれています。

(フリーダ・カーロ、1907~1954)

 

夫は「ルフィーノ・タマヨ」の絵を思い出すと言います。

(ルフィーノ・タマヨ 1899~1991)

どちらもメキシコの画家なのが面白い。

西洋の絵にもスイカが出てきますが、あまりおいしそうじゃないのが不思議です。

そう言えば西洋の写実の静物画に描かれている食べ物には、どれもあまり食欲がわきません。

 

日本の浮世絵にもたくさんスイカが出てきます。

(浮世絵はネットで検索してコピー、太田記念美術館他)

今は日本のどこにもない風景ですが、その情感は変わらないことをしみじみ思います。

日本の昔の多くの絵には、そこはかとないユーモアがあります。

そのユーモアの中にある温かみを大切にしたいものです。

 

フリーダカーロをもう一枚。

『あなたをどれほど愛していることか・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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真っ直ぐな川

2023-08-18 | 自然

夕暮れ時の外城川(ときた)川です。

小さな橋の上から、川下方向を見ると

反対側の川上を見ると

このあたり、田んぼも、外城川も定規で線を引いたようにまっすぐで、

ほとんど用水路のようです。

圃場整備がなされる前は、田の一つ一つはもっと小さく、

川もうねうねしていたかもしれません。

同じ川や田であっても、まるで違う田園風景だったかもしれません。

この外城川も河口付近(伊勢湾)まで行けば、中洲や潟湖を形成し、

葦が生い茂り、蟹や貝が棲み、漁港もあります。

 

 

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水銀

2023-08-16 | Weblog

先日訪れた図書館の、「戦争と平和を考える展」の隣りの部屋は、

地域の歴史資料館になっていました。

その図書館に近い「丹生・にう」では、水銀の原石である「辰砂」を古代から昭和に至るまで長く発掘していました。

資料館には、原石や、水銀の精錬の様子の再現模型などが展示してありました。

水銀の鉱脈は中央構造線に沿って散らばっています。

*丹生では中央構造線の露頭を見ることができるそうです。

伊勢神宮(外宮)も中央構造線上にあります。

また、水銀の鉱脈は「修験道」と重なります。

修験者たちは、錫杖を持って、金や水銀などの鉱脈を探して歩く「山師」でもあったのです。

↓ 水銀の原石「辰砂」の赤い色、

(高松塚古墳の「飛鳥美人」の女性の唇の赤色はこの辰砂を使った絵の具で塗られていることがわかっているそうです。

衣装の緑色はマラカイトを使った緑青、青色はアズライトを使った群青だそうです。)

奈良の大仏の鍍金(金メッキ)はこの地で発掘された水銀を使って行われました。

全国から集められた金を水銀で溶かして、

大仏に塗り付け、火をかざして水銀を蒸発させて、金メッキをしたそうです。

水銀の蒸気を吸って、水銀中毒(水俣病)になり、徴用を終えて、

無事に故国に帰りついても、健康に生きることは叶わなかった人が多くいたことが想像されます。

(砂金から金を取り出すときも、同様の方法を使うことがあったそうです)

水銀の原石、辰砂から取り出した赤い色は縄文時代から使われていました。

水銀には腐敗を防ぐ作用があることもかなり早くから分かっていたようです。

不老不死の薬として飲用されたりすることもあったそうです。

また、即身仏になるためにも、使われたのではないかという話もあります。

 

体温計、血圧計、朱肉、マーキュロ、歯科のアマルガム、化粧の白粉、

殺菌灯、水銀灯、軟膏・・・そして、肥料、農薬、

かつては身の回りに、本当にたくさん水銀が使われていました。

それらが、少しづつ安全なものに変わってきたのは、進歩だと思います。

 

でも、昨日の新聞にアマゾン流域で発生している水俣病のことが出ていました。

「ミナマタ」は今も終わっていません。

 

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