雑草を描く
庭の雑草(赤まんま、ミントの花、コスモス)を摘んでグラスに挿したらとても綺麗で、
描きたくなりました。
でも雑草を描くのはとても難しい。
葉や茎や花が絡み合って、
どんなに見てもどうなっているのか分からない。
さらに、どんどん変化して、朝と夕方とでは様子が違うのです。
花に向かい合っていると、草の香りとミントのいい香りが漂ってきます。
久しぶりだったけど、やっぱりパステルや筆を持つのは楽しいな。
(30×38cm・パステル、色鉛筆、白と黄色のアクリル絵の具)
庭の雑草(赤まんま、ミントの花、コスモス)を摘んでグラスに挿したらとても綺麗で、
描きたくなりました。
でも雑草を描くのはとても難しい。
葉や茎や花が絡み合って、
どんなに見てもどうなっているのか分からない。
さらに、どんどん変化して、朝と夕方とでは様子が違うのです。
花に向かい合っていると、草の香りとミントのいい香りが漂ってきます。
久しぶりだったけど、やっぱりパステルや筆を持つのは楽しいな。
(30×38cm・パステル、色鉛筆、白と黄色のアクリル絵の具)
暑い暑いと言っている内に、
ツクツクホウシやヒグラシの声が聞こえ始め、
夜は寝床で、賑やかなクツワムシの声を聴きながら
ああ、今年もこうやって夏が過ぎていくのだなと、寂しいような・・・でも
あと2週間もすれば、朝晩はだいぶ楽になるだろうと、嬉しいような・・・
庭の花も畑の野菜も、暑さでだいぶ疲れた様子です。
ヒマワリの花もそろそろ終わりです。
このところ、まったく雨が降りません。一時にどさっと降るのはやめてほしいのですが・・
クマゼミがいました。
ゴッホの蝉のデッサン(弟テオ宛の手紙の中に書かれている)まるで動き出しそうです。
ついでにゴッホがたくさん書いたヒマワリの中の小品を一枚
裏返しの蟹
本
久しぶりにゴッホの画集を開いてゆっくり見ました。
(ゴッホの展覧会のカタログ、弟テオとの往復書簡より)
どの絵にもゴッホの個性がきらめいています。
人が絵を描く、あるいは詩を書く、歌を唄う、楽器を奏でる、踊る、物語る・・・
最高に素晴らしいことだなとしみじみ思います。
殆どは消え去り、たまたまほんの一部残ったものを今目にしている、
それがどんなに世界を豊かにしている事か!
(パステル、絵の具)
↑ こちらに引っ越してきてすぐに植えたスモモの木、
未だひょろひょろだけど、
今年は初めて沢山咲いて嬉しい。
白くて小さい花で、花びらも薄くて、
背景が白っぽいと花が見えない。
実がたくさん成るといいな。
そうしたら、鳥から守る方法を考えなくちゃ・・・
↑ ハナモモの花、この木もまだ小さいけれど、今年は沢山咲きました。
ハナモモの花は、花柄が短く、枝から直接あっちこっち向いて花が咲いて、華やかです。
でも、昨日も、今日も小雨が降っています。
実は食べられません・・・
↑ ソメイヨシノは苗を植えてから4年経ち、随分大きくなり今年は花をたくさんつけました。
成長の早い木です。
小雨の中で次々と蕾が開き始めています。
暗い空の下で、桜の明るさは格別です。
ソメイヨシノの花は、花柄が長くてぶら下がるように花がつくので、
花は束になって同じ方向を向いて咲き、独特の風情があり
花びらに切れ込みがあることで、一段と華やかで軽やか!
どこの村でも町でも、山でも、桜の木は本当に多くて、
みんな桜が大好きなのだなと思います。
山や川の土手や公園や校庭に・・・
八重や、枝垂れや、白や濃いピンクや緑っぽいのや黄桜も。
枝を大きく伸ばした、1本のヤマザクラも素晴らしい。
お天気が悪いけれど、どこかに観に行きたいな。
昨日、一昨日は半袖Tシャツ一枚でも動くと汗ばむほどでした。
今からこれでは夏が思いやられます。
不安定な日が多かった3月もついに終り、
今日は4月1日、
今月はどんな1カ月になるのでしょう。
なにより戦争が終わってほしい。
残酷で、悲惨で、愚かな戦争
何度も繰り返して、分かっているはずなのに、なぜまた繰り返すのでしょう。
金のため、権力のため、宗教のため・・・
結果はいつも分かっている。
力も金もない人たちが、奪われ、追われ、傷つき、殺される。
ジャーナリズムが死んで、噓が蔓延し、嘘に慣れて、真実が埋もれて見えなくなる時が怖い、
日本は次第にその状態に入りつつある気がします。
近所の空地の何本かの常緑の木の様子が面白いので、
スケッチしました。
クレパスや絵の具を久しぶりに使いました。
スーパーで小さな笊に入ったきれいなアサリが目につきました。
同じ模様が無い!すべて違う、
薄い茶色から濃い茶色まで、色のバリエーションも素晴らしい!
なぜこんなに綺麗なのでしょう?
鳥や獣のメスは強く丈夫な子孫のために、
強そうで美しいオスを「目で見て」選ぶことが多いそうです。
そのためにオスはより強く立派に見せるために工夫する、というのは納得できますが、
貝の形や、貝殻の模様や色の美しさは誰に見せるのでしょう?
誰が見るのでしょう?
久しぶりに美味しいアサリの味噌汁をたっぷり食べてから、
お椀に残った貝殻を見てみれば、色あせていて、残念。
生きていたから、あんなにも美しかった・・・
画用紙、アクリル絵の具+パステル
日が長くなりました。
朝、ウトウトしながら障子が次第に明るくなるのを眺めています。
小鳥たちが賑やかに囀りはじめ、一旦静かになる頃、私は布団から抜け出ます。
この辺りの日の出は、5時35分、日の入りは、18時17分。
ついでに調べてみたところ、
根室では、日の出は、4時52分、日の入りは、17時48分
那覇では、日の出が、6時16分、日の入りが、18時48分
今では人は、時計の示す時刻で、動いたり、食べたり、働いたりしていますが、
それは、随分と無理があるのかもしれません。
ところで、日の出、日の入り時刻を調べていたら、
「市民薄明」「天文薄明」「航海薄明」の文字が目に入りました。
「薄明」は黄昏とかトワイライト、あるいは御来光、等と呼ばれます。
大気中の塵による光の散乱により発生する空の明るさです。
「市民薄明」は日の出前、日の入り後、1時間程度の、灯火無しで野外活動ができる明るさのことだそうです。
ということは日出時刻が5時半だったとしても、5時前から野外で、作業が出来る、
さらに、日の入りが18時半としても、19時過ぎまで野外で作業が出来る、ということになります。
確かにそうだな、と思います。
「天文薄明」は空が星明りよりは明るい状態で、30分程度だそうです。
「航海薄明」は空と海の境が分かる明るさだそうです。
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「薄明」とは関係ありませんが。
パステルでスケッチをしました。
「村の道」
村のゴミステーションの裏、
かつてはゲートボール場や児童公園だった空き地。
滑り台だけ残っています。
ブランコやシーソーや鉄棒や砂場などもあったのかもしれない。
常に下草はきれいに刈りとられ、
誰かの手づくりのベンチや竹を使った長椅子なんかが幾つも置いてあります。
大きな桜の木が何本かあって、
遅咲きの八重桜はまだ蕾ですが、
ソメイヨシノは満開、
(画用紙、アクリル絵の具、パステル)
「誰もいない公園」
左は完全に枯れてしまったレモンの木。
右はひょろひょろ背ばっかり伸びるプルーンの木。
プルーンは、もうすぐ葉が伸びてくるでしょう。
去年は花も咲いたのに、実が付きませんでした。今年こそ!
(アクリル絵の具、A4)
南伊勢町で、
日が落ちると、たちまち真っ暗になり、月が輝き始めました。
気が付けば、満天の星!
まるでプラネタリウムの中にいるみたいで、すごかった!
ずっと見上げていたかった!
星は私が持っているコンパクトデジカメでは撮れません。眼で視ているように撮れたらいいのに。
街灯に浮かび上がる集落や木々のシルエットは幻想的でした。
これも、撮れない・・・
可哀そうなくらいバツバツに伐った梅の木がありました。
近づいてよく見ると、花が咲いています。
きっと大きな木だったんだろうな。
帰ってから、その木が大きかった時の印象を描いてみました。
題名は「夜の梅」・・・羊羹みたい。
(京都には「夜の梅」と名付けられた小豆の粒あんの羊羹があります。
和菓子の名前は凝っています。)
ちょっと気取って「星降る里の夜の梅」笑
(スポンジと発泡スチロール、アクリル絵の具、19×)