こちらに引っ越してきて以来初めて、6年振りに京都に行ってきました。
若い人と、子どもを載せた自転車の多さに、
ああそうだった、これが京都の日常だった、
と思いながら、いつも通った橋を渡り、
母も、祖母も、私も毎日のように通った、今も賑わう出町商店街へ。
変わったところと、変わらない所と、ぶらぶらと見て歩き、
古本屋で、1冊百円の文庫本を三冊買って、
(この古本屋は古本3冊持って行けば、100円の本1冊と交換してもらえる)
出町輸入食品店でコーヒーを買い、
久しぶりにバスに乗って、4つ目のバス停河原町三条で降りて、
いつものコースの寺町通をぶらぶら。

お寺や菓子屋や紙屋や古本屋や画廊や骨董屋や
新しいおしゃれなカフエのウインドウを眺めながら歩きました。

良く通った本屋さん(三月書房、同人誌などがたくさん並んでいた)は残念ながら廃業していました。
シャッターには往時の本棚の写真・・・
下御霊神社を覗いたら、
崩れそうになっていた蔵が、修復されていました。
娘の通った高校の古い門も修復されていました。
土塀は無くなっていました。
また出町まで戻り、
スーパー(昔は市場)で白みそ(お雑煮用)などを買い、
又、新葵橋を渡り、鴨などを眺め、
長年暮らした家(今は息子の家族が住んでいる)へ帰りました。
三泊して、車で高速に乗って三重の田舎に戻りました。
新しくなっていたジャンクションでコースを間違えて、
だいぶ大回りしてしまいましたが、無事帰還。

夕べはよく眠り、今はパソコンに向かっている、というわけです。
こちらに引っ越してきた当初、
よく「なんでこんな何もない所へ越してきたんや?」と尋ねられました。
その時はホームセンターもスーパーもあるし医者も近いし、と答えましたが
確かに、ここには都会にあるモノはありません。
けれど、都会には田舎にあるモノがない、
それは、広い空や、手を触れられる畑の土、山の木々や、
曲がりくねった道や川や、海の波の音や砂、
さまざまな生き物の気配、
あるいは、ゆったり流れる時間や空間、といった抽象的なものかもしれませんが、
今の私には大切なものだ、と思いました。