マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

立ち止まらずには居られない。

2017-11-30 | 自然

近くの団地の木々

糺の森の木々
今年はモミジが赤くなるのが早くて、
ニレ科の木々の黄葉と一緒に楽しめます。
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一つ目小僧

2017-11-28 | Weblog
スーパーで買ってきたどら焼きです。

オディロン・ルドン(1840~1916)の一つ目の絵を思い出してしまいました。

ルドンの黒の時代と、後半の光輝く色彩の時代と
どちらの絵も好きで
子供の頃から時折画集を開いて見ていました。
パステルが好きになったのも、
ルドンのパステル画を見て、
ルドンの花のような絵が描きたい、
と思ったのが最初だったと思います。
でも、何といっても「一つ目」の絵が印象的でした。
怖いけれど吸い寄せられる…
悪魔とも天使ともつかない、植物とも動物とも知れないものがちりばめられ、
幻想の世界へ誘います。
どら焼きと一緒にするのは申し訳ないけれど、
このどら焼きを見たら「ルドン」が思い出されてしまったのです。

ルドンの大きな一つ目は何を見ているのでしょう。



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手作り暮らし、2

2017-11-25 | 手づくり
一方、さまざまなアクセサリー
夫が作る彫金やステンドグラスの作品も、
手作りの建物(店)に並べて、
お金に換えて暮らしていました。
〇十年前のことです。

下のは粘土で最初に作り始めた人形で、ほとんど残っていません。
右の人形は首と足が動きます。
左のは手と足が動きます。
ピンの部分ももちろん手作りです。

こんなのも数体残っています。

手作り暮らしは、
売れなきゃ困るけれど、
一つ作るのだって、時間も労力も並大抵ではなく、
売れたら売れたで大変、
眠る時間もない。
私たちはそれを「手作り地獄」と呼んでいました。
啄木の詩、
「はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る」
を実感する日々でした。

子どもも生まれ、手作りだけで暮らすことはできなくなりました。
そしてあっという間に時がたってしまいました。

でも、手作りは止められない。
見たこともないものが作りたくて、
せっせと手を動かしてきました。
これからもそのつもりです。

久し振りに織物も再開しようかなと思っていたけど、
たくさんの刺繍作品を段ボール箱に詰めつつ見ていたら、
やっぱり刺繍がすぐにもやりたくなりました。
すでに刺繍糸や布はどこかにしまったので、
移住して箱を開けるまで刺繍も裁縫もできません。

でも、
田舎に移転したら、
畑や、小さな果樹園で収穫した果物で、
ジャムやなんかもいっぱい作りたいし、
カフェも再開予定だし・・・
本もいっぱい読みたいし・・・
知らない場所に行くのだから探検もしたいし・・・
わぉー出来るかな!

手づくり暮らしは、いつも「わくわく、どきどき」です。






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手づくり暮らし、1

2017-11-22 | 手づくり
若い時は、
コートでもスーツでもセーターでも、
バッグでも、クッションもベッドカバーも、
子どものおもちゃも、
人形も、パズルも
なんでも、自分で作っていました。



(上は、昔、くずビーズを使って刺繍をしたものです。
色も形も不揃いで、同じビーズは二つとありません。
今は、くずビーズは手に入りません。
それに、小さなビーズの穴に針を通すのは至難の業、
もう作れません。)

なんでも作ったのは、服が買えなかったこともありますが、
手作りが楽しいからです。
だんだん生地屋さんが減り、
毛糸屋さんも減ってしまいました。

(主にクロステッチの作品)
服は豊富に、かつ安くなり、
リサイクルショップや百円ショップという便利な物も出来て、
必要な時にいつでも、なんでも手に入るようになって、
今では私も買うことが多くなりました。

(主にパッチワークやアップリケ、これらも昔作ったもの)
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よくできている

2017-11-19 | グルメ
朝晩しっかり冷え込むようになり、
紅葉が鮮やかになってきました。

人にあげるためのお菓子を選びに出掛けた
老舗の、菓子屋さんの、ショウウインドウを見るうち、
自分用にも、つい…
しっかり練り上げた羊羹です。
薄く切ってちびちび食べています。
紅葉したモミジが重なっている様子が表現されています。
さすが、プロの技。


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街の中の小さな発電所

2017-11-17 | Weblog
明治時代に作られた琵琶湖疏水(水路)は
琵琶湖から京都まで水を運ぶ大事業でした。

琵琶湖から、山の下を潜り抜け(トンネル)、
京都の街の、北の方まで「勾配」を駆使して、
水を運んだのです。
今も私たちは琵琶湖の水を飲んでいます。
その水は再び、いくつもの川と合流し、淀川となり、
大阪の人たちの飲料水にもなっています。
当時は舟を使って荷物の運搬にも利用されたそうです。
さらにその水を使って発電し、市電を走らせました。
また疏水の水を巧みに利用した庭園をつくり、
防火用水も張り巡らしました。
水路そのものの景観にも気を配り、
桜などの木が植えられました。

(上の写真は美術館辺りで、晩秋の光が反射して美しい。)
その結果、今や京都は一大観光地となっています。
お寺や神社がいくら多くても、
疏水が無かったなら、
とても今のような都市を維持することはできなかったと思います。
疏水は京都の偉大な遺産です。

写真は街中にある戎川発電所、
泡立つ水と、
木々の紅葉が美しい。

鮮やかな蔦の紅葉は煉瓦の建物と溶け合うかのようです。




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「お火焚き饅頭」

2017-11-13 | グルメ
京都の和菓子屋さんでは、今の時期には
「お火焚き饅頭」や「亥の子餅」が店頭に並んでいます。



農家では、収穫を終え、
田や畑の稲わらなどに火をつけて燃やし、
再び畑に鋤き込み、冬の準備です。
京都の多くの社寺では火を焚いて、祭りが執り行われます。

上は「お火焚き饅頭」。
お火焚きのマークの焼き印が入っています。
もっちりした薯蕷の皮、中はさっぱりした漉し餡です。
上品で美味しい、そして素朴なお菓子です。
こういう味わいがだんだん好きになっている自分に驚いています。

11月の初めころの亥の日、亥の刻が
「こたつ」などに火を入れる時なのだそうです。
偶然、我が家でも先日の亥の刻頃(朝10時頃)、
今年初めてストーブを点火しました。

こちらは「亥の子餅」、
「お火焚き饅頭」と同様、10月、11月頃にだけ食べるお餅です。
お餅にニッキ(シナモン)と黒胡麻が入っていて、
中は粒餡です。
亥の日に食べると縁起がいいと言われています。
こちらも美味しいお餅です。






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いつか・・・着たい着物

2017-11-11 | Weblog
普段気にしていなかったのですが、
箪笥に入っている着物の量が半端ない!
母の着物、母の母の着物、
父の母の着物、叔母の着物…
写真は祖母の着ていた着物です。

何と大胆な!
羽織が対になっているのですが、
柄合わせがすごい。
裏地の色合わせも大胆。

私が生まれたときにはもう亡くなっていて(享年40歳)、
会うことはかないませんでした。
背の高い女性だったそうですが、
上の着物に、下の写真の羽織を着たらどんな感じだったのでしょう、
想像も出来ません。
当時は、銘仙などの柄も色も変化に富んでいて、
今見ても驚くほどモダンなデザインに溢れています。
そこに、洋装のモボ、モガも混ざって、
髪のスタイルもいろいろ、
ファッション界はずいぶん楽しそうです。
戦争になるまでは…

10年位前に随分処分して、
その後もバザーに出したり、
友達に譲ったりしているのですが、
全然減っている感じがしない。
そこで、以前、娘の着付けをしてもらったアンティークの着物屋さんへも持っていきました。
もし、また誰かに手を通してもらうようなことがあったら、
着物も喜ぶと思います。

かつて、一枚作るのも一大決心だっただろうこれらの着物、
ポイと捨てるわけにはいきません。

そして実は私は着物が大好きです。
しかし・・・
娘の頃に数回着たきりで、
長い間着ていません。
もはや着方も分かりません。
着たい、着たい、と思いながら時が過ぎてしまいました。

草木染の手織りの着物もあります。
山繭の着物もあります。
これらは「我が家の重要文化財」として置いておくしかない、と思っています。

けれど、銘仙や木綿の絣の着物なら…

写真は絣などの普段着です。
いつか着たい!
そのためには帯や帯紐、襦袢や半襟や下駄も捨てるわけにはいきません。
楽しみでもあるのですがそれが大変。
だけどやっぱりいつか着たい・・

虫よけを入れて、
たとう紙に包んで整理しながら、
いつかきっと、と心に誓っています。

羽織の丈は時代によって長くなったり短くなったリしていますが
こんな太い帯締めが流行ることはもう無いでしょう。
まさにアンティークの帯締めです。





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秋の色

2017-11-07 | 自然
毎年、季節ごとに自然の華麗なる変身を
楽しむことができるのは
幸せなことだと思います。



雨上がりの柿の木、
残念ながらこの写真では、
首飾りのように連なっている雨の粒が見えない。
柿の木は折れやすいので登ってはいけないと子供の頃教わりました。
でも美味しそうな実、登り易そうな枝ぶり、
子どもを誘っているとしか思えません。


カラスウリの花をまだ見たことが無いけれど、
来年は見れると思います。


温州ミカンも黄色く、大きくなりました。

でも少々大味で、少々すっぱい、
剪定や摘果や肥料に工夫がいる、とのことですが、
何をどうすればいいのか?
これから研究です。


最後の写真はは京都で撮影、
他は三重の田舎の家の庭の木々。


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がらくた、宝物7

2017-11-04 | Weblog
鳥でも獣でも、
必要でないものを「ため込む」ことがあるそうです。
片付けをしていて、私も同じだなと思います。

旅の路上で目に留まった石は、今まで見たことがないくらいきれいに見えたし、
海辺で拾ったすっかり磨滅した陶器やガラスのかけら、
そして貝殻は格別面白い。
山道にひらりと落ちていた山鳥の羽は貴重なものだし、
見れば見るほど美しい。
チッチゼミの抜け殻だってめったに出会えない。

中央がチッチゼミ(最小の蝉)の抜け殻、15~20ミリ

不思議な形の木の実や、巨大な松ぼっくりだって捨てがたい。
レッテルはデザインの宝庫。
ビー玉やおはじきやブリキのブローチもとって置きたい。

掌に載せた小さなものが
すっかり忘れていた遠い昔のことを思い起こさせることもあります。
その場所を、あの頃を。

素朴な羽子板は「つくばね」が当たる音がとてもいい。
つくばねはどこへいったか…

でも私はコレクターではないと思います。
単に気紛れな、がらくた大好き人間です。
何をするでもなく、眺めて楽しむだけ。

思うに、私が絵を描いたり、
刺繍したりするときの源泉は、
これらのがらくたの中にある…みたいです。

上は「ヒシの実」
自然の造形にはかなわない!

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