「河原町正面」でバスを降りて、東へ向かうと高瀬川が流れています。
小さな橋を渡ってさらに東へ行くと鴨川にぶつかります。
そこに「正面橋」がかかっています。
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「正面橋」です。ごうごうと地響きを立てて車が走る北の五条大橋と南の七条大橋の間に、こんな静かな橋が架かっているなんて!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/64/b4491720eb5e8b4f354d572c83f9a76f.jpg)
正面橋の北側は川に沿って石積み風の土手が残っています。
昔昔、この橋を渡ると正面に大仏さんがあったそうです。
「正面」の名はそこから来ています。
秀頼は東大寺の大仏の1.2倍もの巨大な大仏を建造しました。
残っていれば京の風景も変わっていたことでしょう。
徳川家康は知恵者と言われた秀吉をさらに上回る知恵者でした。
秀吉亡き後、秀吉の供養と言いくるめ豊臣家の持っている莫大な財産を大仏を作ることによって食いつぶさせたのです。
何もなくなった豊臣家が滅ぶのは時間の問題でした。
そして、、、
銅製の大仏は、砕いて溶かされて、
銅貨「寛永通宝」になって、なんと明治の中ごろまで300年近くに渡って流通することになりました。
(木製の大仏はそれ以前も何度も建立されているが、地震や火事で消失している。)
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橋は渡らないで再び高瀬川の方へ歩いて行くと、
ここは、かの有名なニンテンドーの発祥の地です。
凝った古い小さなビルはそのままにリニューアルされ、隣の新しい大きな任天堂のビルと並んで建っています。
文字の並びに注目!
路地を歩いていたら、波板トタン一面の壁画を発見!!
ぐるりと歩いてみましたが普通の住宅のようでした。
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(写真は1月18日に撮ったものです。)