まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

琴電 67

2006年05月21日 | 廊下から
琴電の電車は、ご存知『電車の博物館』と呼ばれるほどの、多種多様の古い電車が在籍しておりました。幾つかのお気に入りの車両の中から、60型67号の写真を…

琴電60型は、戦後に地方私鉄供出車として東京急行から4両がやって来ました。後に自社で鋼体化した車両3両が編入され、最大7両にまで増えましたが、現在は志度線の増結用として自社鋼体化車の65号が残るのみとなってしまいました。
さて、写真の67号は自社鋼体化グループで、元は木造制御車220号(元宮城電鉄クハ302)で、昭和40年に鋼体化されました。改造当初は志度線用で、後に長尾線で使用されて平成14年12月に廃車となりました。
この車両は木造車時代の面影を色濃く残しており、窓周りや露出した台枠が特徴的でした。十数年も琴電に通って、走っている姿を中々見ることが出来ずに、廃車となる1~2年前になって、やっと走る姿を記録でき、実際に乗ることも出来ました。廃車直前に旧塗装に変更され、更に引退イベントとして琴平線で810+820号と手を組み最後の力走を見せてくれたのも、いい思い出です。
詳しい日付は、ネガ箱を探さないと判りませんが、67号ミニ撮影会にも参加させていただき、普段見ることの出来ない角度で撮影もできました。
シンコーさまが、散々(?)書き込まれていますが、初めて挑戦したペーパー車体が琴電67号でした。貼り合わせに失敗して、そのままとなっていますが、再度挑戦してみようかなと思っています。まずは、材料を買ってこないと…

明日の22日から、久々に琴電に行こうと準備しておりましたが、時期外れの風邪に見舞われ、ダミダミ声で咳き込みだしたら止まらない状態です。泣く泣く旅行は中止、この公休日は家で大人しくしています。今までの変な天気が恨めしい…


定番の白山をバックに。62+67 学園通り~白山



長尾にて。




仏生山でのミニ撮影会での67号。この時はまだBW台車を履いていました。

参考資料:JTB 琴電-古典電車の楽園
     鉄道ピクトリアル №403・404

EF15 広島タイプ

2006年05月16日 | 工作室から
先日購入しました、天プラ『EF15』を広島仕様にしました。手元に資料が無かったので、Satokawaさまの掲示板でご教示頂いたHPの画像を参考にさせていただきました。

プロトタイプの選定ですが、当初の予定は202号機でしたが、付属ナンバーやHゴム窓のインパクトを残したかったので、178号機としました。外観は特に改造を行いませんでいたが、正面ワイパーをWP50タイプから原型のKW3タイプに交換しました。このパーツは、TomixのDF50の予備パーツの長さを詰めて取り付けました。
正面窓以外のHゴムは黒色となっていたので、側面及びモニター窓のHゴムを黒色に色差しを行いました。パンタグラフについては現在入荷待ちなので交換を行っておりません。

改造の所要時間は約1時間、たったこれだけでガラリと印象が変わり、私だけの1台に変身しました。皆様もちょっとした改造を行ってみてはいかがですか?


買ったばかりで、未改造の状態です。



改造後の姿です。

初めての電車

2006年05月14日 | 工作室から
客車と気動車に浮かれていると思われている私ですが、唯一ですが電車を作ったことがありまして、それがクモユニ147です。
そもそも、『古の飯田線』シリーズとして旧型国電を集めておりましたが、毎年夏に東急百貨店の日本橋店で開催されていた鉄道模型ショーに於いて、伝説のエンドウ“スカ”ボディーシリーズで119系のセットを購入したのが運の尽き、勢い余って岡山の某模型店で『荻原教』のクモユニ143キット(ほぼ、同一車体)を購入し、クモユニ147に仕立て上げました。これもクラブの競作ネタとなりました。完成後になって、雨樋の形状を間違っている事に気付きましたが、訂正できないまま今に至っております。印象が全く違うでしょ?
エンドウ119系を、最初に購入したのがクモハ+クハの2両セットでしたが、2年後に片運クモハ119を追加購入しています。これもまた“スカ”ボディーシリーズなのですが、この購入には壮絶なドラマが…

97年夏の模型ショーで、エンドウブースの“スカ”ボディーコーナーで、人だかりの後から様子を眺めていた私は、一瞬見えた水色の車体を見逃さず、カメレオンのごとく、人だかりの中からその車体を掴み取りました。
別の角度から見ていた、セノハチさんは同じく水色の車体を見つけ、私を探そうと思った瞬間に、見ず知らずの人が手を伸ばしたと同時に、更にその背後から一瞬伸びた手に鷲掴みされた水色の車体を見ながら、『まろねふさん、残念…』と思ったそうでしたが、暫くして人だかりの中から、水色の車体を手にして出てきた私に大変驚かれたそうです。
別の人がまさに手にしようと瞬間、背後から瞬時に伸びた手に驚き、商品を奪い取ったのが、実は私だった… まさに笑劇的だったとか(笑)

話が脱線しましたが、このクモユニは特に解説することが無い、素組みの車両なんです。床下はカツミのプラ製の安い製品で、クモハ119から転用した動力装置を組み込んでいます。変った点といえば、ヘッドライトレンズが無かったので、木工用ボンドの特性(乾いたら透明となる)と、表面張力を利用したものになっている程度です。

飯田線旧型シリーズは結局流れてしまいましたが、この119系とED62で飯田線シリーズとしています… こうなると165系も要るのかな? 





昔の思い出…

2006年05月13日 | 廊下から
列車に乗る為に、「みどりの窓口」は別として、駅の窓口で『○○まで1枚」といった感じで、ちょっとそこまで列車に乗るのに、窓口で切符を買う事を最近経験されましたか? 
私の田舎でも、数年前の某水族館開館に伴い、委託ではありますが切符の対面販売が復活しました。でも昔のように硬券ではなく、車内発券機によるレシートで、今から汽車に乗るんだという、ワクワクした気持ちにはならないですね。
昔は、窓口で「○○まで1枚」というと、切符の収納棚から切符を取り出し、日付印字機で日付を入れて、パンチを入れて販売してくれました。当時は子供でしたから、小児の片道切符を買っていたのですが、時々往復切符を買ってみるのが密かな楽しみでした。ある日、目的地(といっても浜田ですが…)までの小児往復切符の在庫が無い事があり、大人用切符に見たこと無い大きなパンチで台形の切込みを入れて更に、裁ちバサミでミシン目に切込みを入れて販売してもらい、何だか得をした気分になった事がありました。

近頃は硬券自体が珍しくなり、最近になって硬券に出会ったのが4年前に訪れた三岐鉄道でした。丹生川駅(販売委託駅でした)で帰宅したばかりの女子高生に切符を販売してもらったのは強烈な印象でしたが、無愛想で、おつりと切符が飛んできたのには更に驚きました…(笑)
 
ふと思い出した昔話でしたが、しみじみと昔話を語り出すようになったら、もう年寄りの仲間入りなんでしょうね(笑)


浜田駅で実際に使っていた日付印字機とパンチ

あらら~

2006年05月09日 | 廊下から
今日から、三越広島店にて『おとなのこだわり満載フェア』が開催され、天賞堂も出店するとの事なのでしたが、どうせ定年退職組を狙った高額商品を… と思っておりました。
午前中に会場に足を運んだ、なかのひがし様から『天プラも、ようけあるよ。』と連絡頂き、まぁ冷やかし程度にと、重い腰を上げたのでありました。
広島に来てもうじき20年、屋上ビアガーデン以外で初めて三越に入り会場に行くと、こじんまりとしたブースに模型が並んでおりました。SLやELの自社ブラス製品や多くのプラ製品を眺めていると、ショーケースの中から『おい、広島に東京からワザワザ来たんで、このまま帰るんか? もう無いのに買わんと後悔するで…ええんか?』と、訴えかけられてしまいました。すぐさま、心の中で『天使のまろねふ』と『悪魔のまろねふ』の闘いが始まりましたが、開始僅か3秒で天使がノックアウトされました(笑)

1年も前から予約させて、出来が悪いなどと散々けなしておきながら、天賞堂の店員の前では『欲しかったけど、買いそびれたんです』等と、おべんちゃらを並べてしまう自分が悲しかったです… 

あ~ぁ、老後の貯蓄がまた減ってしまった…(涙)