9月11日(金)
モントルー最後の夜
8:00、今夜のお食事はイラニアンレストランで。
イラン料理の店にはすでに2組の御夫妻がいらっしゃった。
銀行と、観光関係のお仕事をそれぞれリタイアされた方達で、
とてもフレンドリーで優しい態度と笑顔がすばらしかった。
イラン料理も初めての経験だったが、
思っていたより日本の味に近く、おいしかった。
次々に出て来たので、名前や順番は忘れてしまった・・・・
男性同士、女性同士という座席、これもアラブ式かもしれない。
奥様方は、全員が3~4ヶ国語を話されるそうだ。
Nさんは初めに親からフランス語を教えられたので、
フランス語の方が英語よりずっと得意だ、と言われた。
スイス人口の60%がドイツ語、20%がフランス語、
6.5%がイタリア語、0.5%がロマニッシュ語を話しているが、
首都ベルンを境に東ではドイツ語、西ではフランス語を話す人が多く、
南のティチーノ州ではイタリア語を話す人が人口の過半数を占め、
一方、ロマニッシュ語は近年、消滅の危機に瀕しているとのことだった。
(スイス連邦憲法では正式な首都は定められておらず、
憲法上ベルンは「連邦都市」と 定められており、
これを事実上の首都と見なしている。)とのこと。
私は日本語しか上手に話せないが、この辺りの人達は
幾つかの言語が話せないと生活に不便だということもよく分かった。
イスラム教の人達はお酒を飲まない。
お料理でもアルコールが熱で飛んでしまったものは大丈夫だが、
酔っぱらって、自制出来なくなるのは神の教えに反する、という。
だから、宴会でダラダラと飲み続けることは絶対になく、
食事時間は比較的早く終わったが、
店の前で、名残惜しそうに立ち話が続いた。
今夜でスイスとお別れだったのは、私達だけではなく、
Oさんも明日はドバイ経由で日本に、Nさんもドバイに、
さらに驚いたことにRさんも明後日には帰られるそうだ。
私達の為だけに御家族がスイスに来られたと伺い、
申し訳ない気持ちで一杯だったが、
「この旅は私達家族にとってもすばらしい有意義なものだった。
皆それぞれが独立をして、
なかなか一緒に旅行をする機会がなかったから、
父も心から喜んでいます。」とOさんから伺い、
少し、気は楽になったが・・・。
そして、私達の泊まっているホテルまで送って下さった時、
Nさんの大粒の涙を見て胸が詰まり、抱き合って再会を誓った。
その後、Rさんと、そしてOさんともしっかり抱き合ってお礼を述べたが、
日本語で「ありがとう、ありがとう。」としか言えなかった。
ステキな二人の男性と人目もはばからず抱き合うなんて、
これも、もちろん生まれて初めての経験だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます