みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

<マララさん>ノーベル賞平和賞受賞演説(全文)/戦車より学校を 平和賞マララさん受賞演説

2014-12-12 08:36:02 | ほん/新聞/ニュース
昨日のテレビは、どこをつけてもノーベル賞の話題。

そのなかで、いちばんこころ打たれたのは、
平和賞を受賞されたマララ・ユスフザイさんの演説。

けさ。パソコンをつけたらいつもよりブログのアクセスが増えていて、
そのおおくが「マララさん 演説」の検索。
検索でヒットするのは、ノーベル平和賞に決まった10月の
マララさんの「これは始まり」決意新た」のスピーチ全文。

今回の受賞演説は、わたしも全文を読みたくて調べておいたので、
以下に、紹介します。

  戦車より学校を 平和賞マララさん受賞演説
2014年12月11日 中日新聞

 【オスロ=小嶋麻友美】今年のノーベル平和賞授賞式が十日、ノルウェー・オスロの市庁舎で行われ、子どもや若者が搾取される問題に取り組み、教育を受ける権利を訴えるパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)=英国在住=とインドの人権活動家カイラシュ・サトヤルティさん(60)の二人に贈られた。マララさんは史上最年少での受賞。

 受賞演説でマララさんは「賞は私だけのものではない。教育を求める忘れられた子どもたち、変化を求める声なき子どもたちのものだ」と強調した。

 「なぜ“強い”といわれる国々は、戦争を起こす上ではたくましいのに、平和をもたらすことに弱腰なのか。戦車を簡単に造るのに、学校を造るのはなぜこれほど難しいのか」。大人たちに疑問を呈し、「今こそ行動に移す時。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち全てが関わらなければならない。子どもたちが工場で過ごし、戦争で命を落とし、学校に行けずにいるのを、これで終わりにしよう」と呼び掛けた。

 マララさんは賞金の全額を自身の基金に寄付した上で、故郷に学校を建設する意思も明かした。「私の村には女子の中学校がない。友人が教育を受け、夢をかなえる機会を得られるようにしたい」と語った。

 イスラム過激派による女子教育抑圧を告発したマララさんは二〇一二年、下校途中にこの過激派から頭を銃撃され重体となったが、事件後に搬送された英国の病院で一命を取り留めた。

 世界各地で児童労働から子どもたちを救う活動をしてきたサトヤルティさんは「子どもたちの夢を否定することほど大きな暴力はない。子どもたちへの深い同情をグローバル化しよう。子どもに対するあらゆる形の暴力を、私たち一人一人の手で終わらせることを求める」と訴えた。

 平和賞は、国家間の友好や軍縮、平和の推進などに尽くした人物や団体に贈られる。 


応援クリック人気ブログランキングへ してね 
本文中の写真をクリックすると拡大します。

 マララさんノーベル平和賞受賞演説の全文〈邦訳〉(2014年12月11日 朝日新聞)

ノーベル平和賞、マララさんのスピーチ全文/「これは始まり」決意新た (2014-10-11 毎日新聞)

   <マララさん>平和賞受賞演説テキスト(1) 
2014.12.11 河北新報

 ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんがノルウェー・オスロで行った演説のテキスト全文は次の通り。(敬称略)

<和文>(続けて英文)

 慈悲深く慈愛あまねき神の御名(みな)において。
 陛下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、親愛なる姉妹や兄弟たち、本日は私にとって本当に幸せな日です。ノーベル賞委員会にこの貴重な賞の対象に選んでいただき、恐れ多い気持ちです。

 支援と愛情を与え続けてくださる全ての方に感謝します。世界中から今も届く手紙やカードをありがたく思っています。優しい励ましの言葉を読んで私は元気づけられ、鼓舞されています。

 無償の愛を注いでくれる両親にも感謝したいと思います。私の翼を折らずに羽ばたかせてくれた父に感謝します。忍耐強くなることを教え、どんな時も真実を話すよう励ましてくれた母に感謝します。それがイスラムの真の教えだと強く信じています。

 私は最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、最初の若者としてこの賞を受けることをとても誇りに思います。きっと、いまだに弟たちとけんかしている最初のノーベル平和賞受賞者でもあるでしょう。あらゆる場所が平和になることを望んでいますが、私と弟たちはまだ努力している途中です。

 私はまた、子どもの権利擁護に長年取り組んできたカイラシュ・サトヤルティとこの賞を分かち合えて光栄に思います。彼が取り組んできた時間は、私が生きてきた時間の実に2倍もの長さです。私たちが力を合わせ、1人のインド人と1人のパキスタン人が平和的に団結し、子どもの権利のために共に取り組めると世界に示せることもうれしいです。

 親愛なる兄弟や姉妹たちよ。私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクである(民族的英雄)マイワンドのマラライにちなんで付けられました。マララという言葉は、「悲嘆に暮れた」「悲しい」といった意味です。でも、私の祖父は少しでも幸せを呼ぶようにいつも「マララ、この世界で一番幸せな女の子」と呼んでくれました。そして本日、重要な目的に向かって私たちは共に立ち上がっており、私は本当に幸せです。

 この賞は私だけのものではありません。教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。平和を求める、おびえた子どもたちのためのものです。変革を求める、声なき子どもたちのためのものです。
 私は子どもたちの権利のために立ち上がり、子どもたちに声を上げてもらうためにここにいます。今は彼らを哀れむときではありません。教育を奪われた子どもを目にするのが最後となるよう行動に移すときなのです。

 私は人々が私のことをさまざまな表現で語ることに気付きました。
 ある人たちは、タリバンに撃たれた少女と呼びます。
 権利のために闘った少女と呼ぶ人もいます。
 今では「ノーベル賞受賞者」と呼ぶ人もいます。

 私が知る限り、私はただ全ての子どもが良質の教育を受けるよう望み、女性が平等な権利を得られるよう望み、世界の隅々まで平和であるよう望む、一生懸命で頑固な人間にすぎません。

 教育は人生の恵みの一つであり、人生に欠かせないものの一つでもあります。これは私の人生、17年間の経験で分かったことです。私の故郷であるパキスタン北部のスワト渓谷で、私はいつも学校を愛し、新しいことを学ぶことを愛していました。特別な日には、友達と植物ヘナの色素で手を彩ったことが思い出されます。花や模様ではなく、数学の公式や方程式を描いたものでした。

 私たちは教育を渇望していました。なぜなら私たちの未来はまさに教室にあったからです。私たちは一緒に座り、本を読み、学んだものでした。私たちはこぎれいな学校の制服を着るのが好きで、大きな夢を見ながら座っていたものです。私たちは、両親に誇りに思ってほしかった。私たちも勉強で秀でて、いろいろなことを成し遂げられると証明したかったのです。男の子にしかできないと思っている人もいますから。

 物事は同じようには続きませんでした。私が10歳の時、風光明媚(めいび)な観光地スワトは、突如としてテロの舞台となりました。400以上の学校が破壊され、女の子は学校に通うのを禁じられました。女性はむちで打たれ、罪のない人々が殺されました。私たちの誰もが苦しみました。そして私たちの美しい夢は、悪夢に変わったのです。
 教育は、権利から犯罪へと変わりました。
 しかし、私の世界が突然変わった時、私の中の優先順位も変わりました。
 私には二つの選択肢がありました。一つ目は、沈黙したまま殺されるのを待つこと。二つ目は、声を上げて殺されること。私は後者を選びました。声を上げることにしたのです。
 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日に私と私の友達を襲撃しました。でも、彼らの銃弾は勝てませんでした。
 私たちは生き延びました。そしてその日から、私たちの声はより大きくなる一方でした。

 私が自分の話をするのは、それが特別だからではなく、むしろ特別ではないからなのです。
 多くの少女に共通した話なのです。
 本日、私は彼女たちの話もします。ここオスロには、私と同じ経験をした友達や、パキスタン、ナイジェリア、シリアの友達も来てくれています。私の勇敢な同志であるシャジアとカイナト・リアズは、あの日スワトで私と共に銃撃されました。彼女たちも痛ましいトラウマを経験しました。パキスタンから来てくれたカイナト・ソムロはひどい暴力と虐待に苦しみ、兄弟が殺されましたが、屈することはありませんでした。

 そして、私がマララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちです。シリア出身の勇敢な16歳のメゾン、彼女は今ヨルダンの難民キャンプに暮らし、テントを回りながら女の子や男の子たちが学ぶのを手助けしています。私の親友のアミナはナイジェリア北部出身です。そこでは(イスラム過激派)ボコ・ハラムが、ただ学校に行きたいと願っている少女たちを脅し、拉致しています。

 私はハイヒールの高さを加えても身長約157センチです。1人の少女、1人の人間としてここにいますが、1人で声を上げているわけではありません。私は大勢(の代弁者)なのです。
 私はシャジアです。
 私はカイナト・リアズです。
 私はカイナト・ソムロです。
 私はメゾンです。
 私はアミナです。私は学校に行けない6600万人の少女なのです。
 人々はよく私に、どうして教育が特に女の子にとって重要なのか尋ねます。私の答えはいつも同じです。
 私が(イスラム教の聖典である)コーランの最初の2章から学んだのはイクラという言葉で、「読みなさい」という意味です。そして「ペンによって」という意味のヌーン・ワルカラム。 


最後まで読んでくださってありがとう
クリック してね
 

 記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする