みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

被爆70年の日本 核廃絶へ世界を動かせ/ふり返って希望を語る 原爆忌に考える

2015-08-06 21:37:37 | ほん/新聞/ニュース
今日は、広島に原爆が落とされてから
70年目の8月6日。

今朝届いた新聞各紙の社説も、
広島原爆投下70年の記事が並びます。

 社説:ふり返って希望を語る 原爆忌に考える
2015年8月6日 中日新聞

 被爆と戦後七十年。この国はあの日のように、分かれ道に立っています。ヒロシマとナガサキの歴史に学ぶべきもの、それは、希望なのかもしれません。

 長崎の夏も暑かった。

 アスファルトが放つ熱にあぶられ、せめてもの涼を求めて、街かどのスターバックスに駆け込んだ。そのメッセージは店内の柱に掲げてありました。 

 <“ほっとする”“のんびり”“落ち着く”という言葉で表されるコーヒーは、実は世界でも危険(政情不安定)な地域からやって来ることもあります。戦争と平和というとあまり身近に感じないかもしれませんが、今のんでいるコーヒーやフラペチーノがのめなくなるかもしれないと思うと、平和について考えるひとつのきっかけになるのではないでしょうか。

 今年長崎は戦後七十年の夏を迎えます。あなたにとって“平和”とは何ですか>

 ちょうど七十年前の夏、その街の歴史に刻み込まれたものの大きさが、アイスコーヒーの冷気とともに身にしみました。

 長崎大学元学長の土山秀夫さんは、待ち合わせの場所につえをついて来てくれました。世界平和アピール七人委員会の一人として、核兵器の廃絶を訴え続けてきた人です。

 九十歳。長年の疲労が重なって腰椎を骨折し、少し不自由な体を押して、五月に発足した「平和憲法を守る長崎ネットワーク」の共同代表を引き受けました。この穏やかな老紳士を誰が、何が、行動へと駆り立てるのか。

 長崎医科大学(現長崎大学医学部)の三年生だった土山さんは直接の被爆者ではありません。佐賀県の脊振(せぶり)山のふもとの遠縁宅で療養中の母親を見舞うため、原爆投下の四時間前に長崎市を離れ、命拾いをした人です。

見過ごすならば加担
 爆心地から五百メートルの母校の木造校舎では、一、二年生合わせて約四百人が、基礎医学の講義を受けていました。そのほとんどが爆風でなぎ倒された校舎の中で瞬時に圧死しました。

 かろうじて校舎をはい出た数人も、全身にやけどを負っていて、時をおかずに亡くなりました。

 土山さんの命を救った母親は福井の士族の出身で、女学校時代にはガリ版刷りの文芸雑誌を一人で作って配っていたという、当時としては珍しい進歩的な人でした。

 「理不尽を黙って見過ごすことは、理不尽に加担するのと同じこと」

 やさしかった母親が、時に厳しく語った言葉が心を離れません。

 土山さんは今年も、九日に市長が読み上げる長崎平和宣言の起草委員を務めています。

 当初示された原案は、「安保法制」に触れてはいなかった。

 土山さんは、強く訴えました。

 「戦後七十年、被爆七十年の節目の年に、日本がどう変わるのか、極めて重大な岐路に立たされている時に、ただ海外に向かって核兵器を廃絶せよと絶叫しても、あなたの足元はどうなのか、戦争に巻き込まれてもいいのかと、言われるだけだ。節目の年だからこそ、よけいに避けては通れない」

 「安保法制」という文字は、かろうじて書き込まれることになりそうです。

 土山さんの原動力とは、長崎の街の隅々にまで刻まれた、歴史ではないのでしょうか。

 世界中でヒロシマとナガサキだけが、戦争の行きつく果てを知っています。その悲しくも正視すべき歴史を踏まえ、特に若い世代に訴えたい。

 戦後七十年の節目は、内憂外患の年になりました。

 核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は決裂し、日本は戦争ができる普通の国になろうとしています。地球が逆回りを始めているようです。今を直視しようとすれば暗い気持ちにさせられるかもしれません。

歴史に学ぶことから
 歴史は絶対に変えられないし、変えていいものでもない。だが、歴史に学び、今に働きかける人が増えれば、必ず未来は変えられます。未来を生きる皆さん自身が、「希望」そのものだからです。

 きょう、節目の原爆忌。街かどのカフェで冷たいコーヒーでものみながら、さりげなく自分に問いかけてみてください。

 あなたにとって、「平和」とは何ですか。 


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  社説:被爆70年の日本 核廃絶へ世界を動かせ 
毎日新聞 2015年08月06日

 米国で生まれ広島市で育った据石和(すえいし・かず)さん(88)=米カリフォルニア州在住=は70年前のきょう、B29が飛び去った後の青い空に白い点を見た。近くにいた人に「何だろうね」と言いかけた時、閃光(せんこう)が18歳の彼女を包んだ。白い点は原子爆弾だった。3日後には長崎に原爆が落とされた。

 据石さんは一命を取りとめたものの、寝たきりの生活が約7カ月続いた。腰の骨が折れていて、歯茎からの血が止まらない。呼吸が苦しく体が冷えて、朝になると「今日は私が死ぬ番だ」と考えた。

 ◇核軍拡が止まらない
 奇跡的に回復した彼女は1957年、日系2世の男性と結婚するため米ロサンゼルスへ渡る。被爆による体調不良で医者に行っても当時は医療保険が適用されなかった。「敵国人(日本人)に州の金を使うな」と言う米議員もいたという。夫の正行さんも戦時下で米国による日系人強制収容を体験していた。

 だが、据石さんは米国を恨んだことはない。「米国広島・長崎原爆被爆者協会」の会長を務めながら、ママ、グランマ(おばあちゃん)として米国人に被爆体験を語ってきた。

 「私の体験を熱心に聞いて『申し訳ない。許してください』と言う人もいる。話せば分かるんです、米国人は。オバマさん(米大統領)の『核兵器のない世界』の呼びかけはなかなか浸透しないし、私の話もその場限りかもしれないけど、愛をもって語り続けるしかないんです」

 だが、世界を見渡せば殺伐たる状況だ。米露の核軍縮交渉は宙に浮き、クリミアを強引に編入したプーチン露大統領は核戦力の使用をちらつかせて「腕力で来い」と言いたげだ。中国やパキスタン、インドの大幅な核軍拡も伝えられる。

 北朝鮮は米国を攻撃しうる核ミサイルを開発中といわれ、まさに「核軍拡ドミノ」の趣だ。米国のシンクタンクは北朝鮮が2020年までに100発の核ミサイルを配備すると予測する。その脅威をまともに受けるのは日本だろう。

 核拡散防止条約(NPT)の空洞化も進んだ。インドとパキスタンはNPTに参加せず、北朝鮮は03年に条約脱退を宣言した。イランの核開発には米欧など6カ国が一定の歯止めをかけたとはいえ、NPT未参加のイスラエルが持つとされる核兵器が中東の不安要因になっている。

 しかも5年に1度、NPTの達成状況を検証するために開かれる再検討会議は今年5月、最終文書を採択できないまま決裂した。NPTにより核兵器を合法的に持てる国(米英仏露中)とそれ以外の国の温度差が、これほど開いた会議もあるまい。

 この会議では、最終文書で「各国首脳の広島・長崎訪問」を呼びかけようとした日本に中国が待ったをかけ、核軍縮に歴史認識を絡める展開となった。中国の強引さが目立つとはいえ、日本の根回しと詰めの甘さが露呈したともいえる。

 これが被爆70年のお寒い現実だ。謙虚に考えてみたい。核廃絶を訴えてきた日本の声が世界に正しく届いているか。「唯一の被爆国」と言いつつ米国の「核の傘」に頼る日本の立場を、各国は理解しているか。そして、終わりの見えない核拡散と核軍拡で世界が自滅しないために、日本は何をすればいいのか。

 ◇米大統領は被爆地へ
 これらの問いかけへの答えとして、日本政府はより真剣に、より積極的に核廃絶に取り組むべきだろう。第3の被爆を防ぐべく米国の「傘」に寄るのは、核抑止の上で間違いとは言えない。だが、米国の核戦略に遠慮して、言いたいことを言わないなら論外だ。日本はむしろ米国を説得し、世界を動かすことを真剣に考えるべきである。

 オバマ大統領にも言いたい。広島と長崎の式典に、駐日米大使に加え米高官も参列するのは朗報だが、大統領が「核なき世界」をめざすなら、恐ろしい兵器に倒れた市民への鎮魂は欠かせない。日本における来年の主要国首脳会議などの機会を生かし、大統領自身が被爆地を訪問してほしい。原爆をめぐる日米のミゾを越えての首脳訪問は、停滞する核軍縮、核廃絶の動きに弾みを与える機会にもなるはずだ。

 被爆者の平均年齢は今や80歳を超えた。70年の歳月は被爆の記憶をいや応なく風化させる。長崎市で市民団体「ピースバトン・ナガサキ」を主宰する調仁美(しらべ・ひとみ)さん(53)は、被爆体験を若い世代に引き継ぐ活動を続けている。被爆者がいなくなった時、核廃絶の声をどう上げていくか。それが問題だと彼女は言う。

 「被爆にまつわる生々しい、恐ろしい話を聞きたがらない人も増えています。若い人だけではありません。だから原爆に関する科学的な知識やエピソードを交えて、知ることへの興味を引き出し、基本的な知識を得る手助けをする。言葉では時に限界があるので紙芝居も使います」

 悲惨な現実を突きつければいいというわけではない。被爆直後の惨状を表現した「被爆再現人形」について、広島市の原爆資料館が常設展示から外す方針を示したのも時代の流れだろうか。被爆体験をどう語り継ぐか。これも「唯一の被爆国」だけが直面する大きな課題である。
 


  社説:原爆投下70年―核兵器禁止条約へ動こう 
2015年8月6日 朝日新聞

 今夜、広島が雨でなければ、そろいの赤い背番号「86」を着けたプロ野球広島東洋カープの選手たちが、本拠地マツダスタジアムを駆け巡るはずだ。

 公式戦での統一背番号はセ・リーグでは初めて。70年前の8月6日、広島に原爆が落とされたことを思い起こし、あるいは新たに知ってもらうための「ピースナイター」企画である。

 オーナーの松田元(はじめ)さん(64)は祖母と母が被爆者だ。東北出身の主力選手がブログに、カープに入って広島の女性と結婚して初めて「8月6日」を知ったと書いているのを読み、球団として「平和」や「被爆」の発信を意識するようになったという。赤い帽子に白いハトのあしらいや、きのうまでの原爆死没者数29万7684を記した袖のワッペンは自ら考えた。

 背番号86は企画をともにする地元中国放送の城(じょう)雅治・編成制作部長(52)の発案。ニュース部門にいた4年前、広島の原爆投下が8月6日午前8時15分と知っている小学生が33%、中学生で56%という市教育委員会の調査に触れた。その15年前は小学生56%、中学生75%だった。

 「急激な低下が衝撃だった。平和教育や原爆報道が盛んな広島でこれでは、全国はもっと知らないだろう。基本的なことだけでも、この球場から全国に、世界に発信できないだろうかと考えた」と城さんはいう。

■終末時計は残り3分
 広島と長崎への原爆投下から70年間、核兵器は戦争では使われなかった。東西冷戦が終わり、核戦争の恐怖は多くの人々の意識から遠のいた。

 だが、今も人類を破滅させるに十分な核兵器が存在し、多くが危険な臨戦態勢のままだ。パキスタンやインド、北朝鮮が核実験をし、ロシアが露骨に核戦力を誇示するなど、核をめぐる近年の状況は悪くなっている。

 原爆投下2年後、米科学誌が核による破滅までの切迫度を真夜中までの残り時間で表す「終末時計」の掲載を始めた。

 今年1月、3年ぶりに2分進められ、0時3分前になった。冷戦終結で一時は17分前まで戻されていたのが、米ソの水爆実験が相次いだ1953年の2分前に次ぐ時刻に進んだ。

 地球温暖化など肥大化した人類の活動による危機も総合した判断だが、対立する米ロによる核戦力近代化も強く警告する。

 ニューヨークで今年4、5月に開かれた核不拡散条約(NPT)の再検討会議では、危機感を強める非核保有国と一度手にした力を手放そうとしない核保有国が厳しく対立し、最終文書を採択できないまま閉幕した。

■「絶対悪」の規範を
 「我々の運命を、核保有国にゆだねていていいのか」

 行き詰まる核軍縮に、非核国の間ではここ数年、核兵器を条約で禁止しようという機運が急速に高まっている。

 国連総会から核兵器の違法性について問われた国際司法裁判所は96年、「核兵器の使用・威嚇は一般的に人道法違反」とする勧告的意見を出した。

 当時の裁判長で、その後アルジェリア外相を務めたモハメド・ベジャウィさん(85)は先月、広島でのシンポジウムで「核兵器は悪魔の兵器だ」と断言した。昨年までに3回開かれた核兵器の非人道性をめぐる国際会議では、核兵器が非人道的な兵器という国際規範を確立し、保有と使用を条約で禁止する「人道的アプローチ」をとるべきだという意見が大多数の国の支持を得たとも述べた。

 非人道性の議論に背を向ける核保有国にどう働きかけ、廃絶を実現するか知恵が必要だが、動き始めるべきときだ。

■被爆地から世界へ
 オスロにある国際法政策研究所の林伸生・上級法律顧問は「核兵器が戦略上、役に立つかどうかではない。広島市長らが再三演説で主張するように核兵器は『絶対悪』だ。核抑止の考え方は核保有国同士の国民だけでなく、第三国の国民も人質に取るものだ」と主張する。

 ベジャウィさんは、シンポジウムで初めて広島を訪れた。「原爆文学を読んでいたが、実際に訪れることは全く違った。比類ない体験だった」という。

 広島平和記念資料館を訪れる外国人は増えている。

 日本政府はNPT再検討会議で、世界の政治指導者や外交官、若者らが広島や長崎を訪ねるよう求めた。ならば来日する外国要人には必ず打診するなど、具体化を図るべきだ。

 広島の平和行政に携わった米国人のスティーブン・リーパー前広島平和文化センター理事長は「核兵器の非人道性で大々的なキャンペーンを展開できれば、核廃絶の国際世論は必ず盛り上がる。東京五輪はいい機会になるかも知れない」という。

 広島原爆の8月6日、長崎原爆の8月9日は、日本全国で覚えておきたい日付だ。原点である原爆の非人道性への認識を深め、そして世界に訴える。

 被爆国日本の責任である。



  


  



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