みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

戦後70年に問う―個人を尊重する国の約束/私たちはこう生きる/水なしナスのカレー

2015-08-17 21:34:07 | 有機農業/野菜&ハーブ
大きくなりすぎたナスが10本くらい取れたので、
ナスのカレーを作りました。

ずんぐりとしたのが千両ナス。

長ナスは、輪切りにしてさきに炒めています。

千両ナスを入れてさらに炒めて、
水分が出てきたら、ふたをして弱火で煮込みます。


大きくなりすぎたさやが堅くなった
十六ささげの豆だけを取り出して
ナスのカレーに入れます。

トリムネ肉のミンチを入れて
ナスがとろとろになったら、
カレー粉を入れて、水なしナスカレーのできあがり。

辛すぎず、やさしい味のカレーです。

さやが堅くなってない十六ささげは、

ごまクルミ和えにして、ゆうご飯のおかずです。

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今日は新聞の休刊日。
じっくりと読みなおした、
昨日の朝日新聞と中日新聞の社説を紹介します。

  社説:戦後70年に問う―個人を尊重する国の約束   
2015年8月16日(日)付 朝日新聞

 終戦の年の秋、連合国軍総司令部(GHQ)が、日本政府の敷いていた言論統制を解いた。
 作家の高見順は、日記にこう残している。

 「自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは」

 明治憲法下の国民は主権者の天皇に仕える「臣民」で、その権利は法律で狭められた。

 日本の降伏を求めたポツダム宣言やその後のGHQの人権指令を経て、人びとは人権という価値と正面から向き合った。

■惨禍くぐり関係転換
 「お国のために」とのかけ声の下、戦時体制は人々の生命を奪い、生活を破壊した。その惨禍をくぐった戦後、国家と個人は根本から関係を改めた。

 国の意思を決めるのは国民とし、その人権を尊重する平和国家としての再出発だった。

 それは「国家のための個人」から「個人のための国家」への転換であり、戦後の民主社会の基礎となってきた。

 しかし、この結び直した関係を無効化するかのような政治権力の姿勢が、強まっている。

 憲法違反の疑いが強い安保関連法案が衆院で可決され、参院で審議中だ。憲法の下での約束では、国の原則をここまで変えるには、権力側は憲法改正手続きをとり、国民投票によって国民一人ひとりの意見を聞くのが筋だ。今起きているのは、重大な約束違反である。

 安全保障にはさまざまな考えがあろう。だが、各種の世論調査で「政府の説明は不十分だ」「今国会での成立は必要ない」との意見が多数であることは、国民に相談することなく一方向へ突き進む政府、与党への不信の広がりからではないか。

■国政の権威は国民に
 今年は、いまの英国でうまれ、各国の立憲主義の礎となったマグナ・カルタ(大憲章)から800年の節目でもある。

 強大な権力を誇る王であれ、法に縛られる。貴族が王に約束させ50年後に議会も開かれた。

 その後、権力者間の闘争や戦争を経て、多くの国が立憲制を選び取ってきたのは、権力とはそもそも暴走するものであり、防御の装置は不可欠だという歴史の教訓からだ。

 戦後日本に人権感覚をもたらしたGHQも例外ではなく、自らの占領への批判は封じる権力の姿をあらわにした。

 第2次世界大戦に至る過程でドイツ、イタリアでは、選挙で選ばれた指導者が全体主義、軍国主義を進めた。多数決が間違えることもある。

 英国下院のジョン・バーコウ議長は今月、東京で講演した。「世界最長の歴史をもつ議会といわれているが、改善の余地が常にある」。議会の役割は権力の精査であり、国民が関心をもつことを同じ時間軸で議論することが大事だ、と話した。

 国民の代表のはずの議会が、ともすれば権力側に立ち、国民感覚と離れてしまう。そんなリスクへの自覚、自戒だろう。

 日本国憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託により、その権威は国民に由来する」とする。

 その国民の意思が反映されるのは、たまにある選挙のときに限られていいはずがない。たえず国民が意思を示し、それを国政が尊び、くみ取る相互作用があってこその国のかたちだ。

 安保法案や原発問題などからは、国民を権威とした価値観をいまもわきまえない政治の時代錯誤が透けてみえる。

■権利を使ってこそ
 止められなかった戦争について、歴史学者の加藤陽子東大教授は「軍部が秘密を集中管理し、憲兵などで社会を抑えたことが致命的だった」と語る。

 全体主義が進むなか、治安維持法や言論、出版、結社を取り締まる法が、情報を統制し、反戦、反権力的な言論を弾圧した。体制にものをいう大学教授が職を追われた。国民の目と耳は覆われ、口はふさがれた。

 社会の生命線は、情報が開かれ、だれもが自分で考え、意見や批判をしあえることである。

 いま、人々が街に出て、デモをし、異議を唱える。インターネットで幅広い意見交換がある。専門を超え、研究者たちが外に向けて発言をする。

 重ねられた知に基づく議論の深まりを感じさせる動きだ。

 一方で、政府の秘密情報の管理を強め、情報に近づくことを犯罪にする特定秘密保護法が昨年施行された。自分と違う意見や、報道への制裁、封殺を求める物言いが政党の一部にある。

 精神的自由に干渉しようとするいかなる動きにも敏感でいたい。社会問題で声を上げることの結果は必ずしも保証されない。だが、表現の権利や自由を使わず、あきらめた先に待っている闇を忘れてはなるまい。

 国のために国民がいるのではなく、国民のために国がある。自由な社会は、一人ひとりの意思と勇気なしには成り立たないことも、歴史は教えている。


 社説:私たちはこう生きる 週のはじめに考える
2015年8月16日 中日新聞

 戦後七十年です。しかし歴史の歯車はまるで逆に回りだしたかのようです。私たちはどう考え、どう生きたらいいのか。三つの提言をしてみましょう。

 三つの提言というのは実は戦後五十年の社説も掲げていました。題は「僕たちはこう生きる」。

 その三つの第一は、日本の進路はあくまで平和の追求ということでした。

 冷戦後の世界は大国の重しがとれたが混迷を深めた。その中で日本は戦後の平和貢献をさらに広めようという提案です。平和追求はもちろん今も変わりません。私たちはそう言い続けてきました。

 冷戦には勝てたが…
 日本は憲法を守って海外へ自衛隊を派遣しても武器使用のないような方策をとってきました。他国の軍隊とは違いますが、それが日本のやり方です。

 かつて国際政治学者の高坂正堯氏は、国家とは力・利益・価値の体系であると記しました(「国際政治」)。力とは安全保障、利益とは国家間の利害、価値とはその国の正義、何を正当とするか、ということです。

 アメリカは三つともでソ連に勝った。しかし今はイラクやアフガニスタンへ仕掛けた戦争で苦しんでいる。かのイスラムの地ではアメリカの民主主義は通用しなかった。価値が違ったのです。

 それでは勝ち負けよりも、対立を減らし、流血を減らすにはどうしたらいいか。答えは容易ではありません。

 日本は敗戦・非武装という特殊条件を出発点として平和主義を貫いてきました。日米安保に守られつつではありますが、攻める武力より人を守る支援を大切にしてきたのです。

 戦後七十年の提言の第一には、やはり平和主義を唱えます。その深化と普及を求めます。

 国家暴走抑えるには
 次いで二つめ。

 戦後五十年社説の第二の提言は何と日本人改造論でした。

 「寄らば大樹」の日本人では気づかぬうちに再び無謀な戦争へと突入しかねない、だから改造を、というのです。

 では今の日本人はどうでしょうか。政府のいうことを唯々諾々と聞いているか。それとも熱狂しているか、反論しているか…。

 改造の必要などもはやないのかもしれません。安保法制や原発再稼働の是非をめぐって、賛否は分かれ、行動もあります。一人ひとりがよく考えているのです。

 二つめの提言としては、私たちが政治参加の意識をより強くすることといいたい。いうまでもなく政治と国民は一体です。

 三つめは、戦後五十年社説は戦中の新聞の反省も踏まえ、国家の暴走を抑えるシステムの構築を唱えていましたが、それはいつの時代でも同じです。

 権力とは、暴走するものなのです。止める方法はないのかもしれない。民主主義の最も発達したといわれるアメリカ議会は、のちに泥沼となるアフガン戦争を圧倒的多数で支持しました。世論も沸騰していました。

 しかし下院ではただ一人、カリフォルニア州選出のバーバラ・リー議員が反対しました。四二〇対一。リーさんの投票を支えたのはベトナム戦争以来の地元の反戦運動、平和主義です。武力は再びテロを招くと言い切りました。

 国家が暴走するのなら、止めるのは国民しかいません。

 平和主義とは武力行使よりも難しいかもしれません。

 先の国際政治学者高坂氏は正義のぶつかり合う紛争の原因除去はむずかしいと記したあと、こんな話を紹介しています。

 対ソ封じ込め政策を提案した米外交官ジョージ・ケナンはロシアの作家チェーホフの短編「往診中の一事件」が好きだった。主人公の医師は不治の神経症的心臓病の娘さんを診て、わが力の限界を知るが、求めに応じて泊まり、彼女にこう話す。

 <あなたの不眠症は尊敬すべき不眠症です。私たちの両親は、夜は別に話もせずぐっすりと眠ったものです。ところが私たちの世代はろくに眠ることもできず、煩悶(はんもん)し、おしゃべりし、たえず自分たちが正しいか正しくないか決めようとしている。子や孫の時代になったら…この問題は解決がついているでしょう>

 人類の不治の病でも
 この場合、病は衝突の種、両親は前の戦争世代、娘さんたちの世代は悩み、しかし対話するといったところでしょうか。戦争は人類の不治の病かもしれないが、治す努力は続けねばならぬというのです。ケナンには、戦争よりも封じ込めだったのです。

 二十一世紀の私たちはどう生きるべきか。平和主義を自信をもって続け、希望を捨てずに前へ進むべきだと提言しましょう。 


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