みどりの一期一会

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社説:社説侵略への猛省を起点に 戦後70年談話に望む/首相も「侵略」を明確に認めよ 

2015-08-09 21:24:15 | ほん/新聞/ニュース
きのうは「議員と市民の勉強会」、
今日は朝から夕方まで、市民派議員アドバンスコース政策研究会。

午後からは、中日新聞の白井さんのお話を聞きました。
生活困窮者自立支援法と生活保護のこと、
とてもためになり、有意義な時間でした。
参加した市民派議員の皆さんも、きっと
ご自分の自治体できょうのお話を生かして、
政策に反映させることでしょう。

二日間、ずっと講師役で集中していたので、帰ってきて、
お風呂に入ったら、さすがどっと疲れが出ました。
ということで、
きょうのブログは、出かける前に下書きに入れておいた、
戦後70年談話の討議を重ねてきた有識者会議の報告書のこと。

読売新聞が、「70年談話懇報告 首相も「侵略」を明確に認めよ」
と社説に書いたのは、ちょっとびっくり。
読者が多い読売新聞の影響力は大きいので、こういう方向転換は歓迎です。

  社説:社説侵略への猛省を起点に 戦後70年談話に望む   
中日新聞 2015年08月07日

 有識者会議が報告書に「植民地支配と侵略」を明記した意味は重い。安倍晋三首相は「反省とお詫(わ)び」を表明した村山、小泉両首相談話を受け継ぐべきだ。

 安倍首相は戦後七十年の節目にどんなメッセージを発するのか。自身の談話を出すに当たり、参考となる意見を求めた私的諮問機関「二十一世紀構想懇談会」がきのう、報告書を首相に提出した。

 「安倍談話」は終戦記念日前日の十四日にも発表される。政府の公式見解とするため、閣議決定する方向で検討しているという。

負の史実と向き合う
 戦後五十年の節目に当たる一九九五年の終戦記念日に村山富市首相が、六十年の二〇〇五年には小泉純一郎首相がそれぞれ首相談話を閣議決定し、発表している。

 その根幹は「植民地支配と侵略」により、とりわけアジア諸国の人々に多くの損害と苦痛を与えた歴史の事実を謙虚に受け止め、「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明したことにある。

 歴史には、立場や経験によってさまざまな見方があることは否定しないが、「負の歴史」とも向き合う勇気と誠実さが必要だ。

 朝鮮半島や台湾などに対する植民地支配や、満州事変以降、大陸への侵略を拡大したことは、否定し得ない史実である。その行為を反省するなら、お詫びするのも、自然に発する心情ではないのか。

 安倍首相はこの二つの首相談話を「全体として受け継ぐ」とは言いながらも、「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」という文言を、自身の談話に盛り込むかどうかは明言していない。

 むしろ「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点で出したい」と、そのまま盛り込むことには否定的だ。

strong>歴史認識を受け継げ
 首相はかつて国会で「侵略という定義については、学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁したことがある。

 首相が昨年来、オーストラリアや米国の議会で行った演説を振り返ると、先の大戦を「反省」はしても、それを侵略とは認めず、お詫びもしないという態度を貫いているように見える。

 有識者の報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」したことや「一九三〇年代後半から、植民地支配が過酷化」したことを明記した。複数の委員から「侵略」という文言を使うことに異議があったと脚注に記しながらも、侵略だったと断定した意味は大きい。

 村山、小泉両首相談話が日本と国際社会との和解に大きな役割を果たしたことは報告書が認める事実だ。首相は自身の談話にも「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」を盛り込むべきである。

 根幹部分の文言を盛り込まなければ、歴代内閣の歴史認識を受け継いだことにならず、国際社会にも誤ったメッセージを与える。

 共同通信社が七月十七、十八両日に実施した全国緊急電話世論調査でも、安倍首相の談話に「植民地支配と侵略」への「反省とお詫び」を盛り込むべきだと答えた人は50・8%と半数を超えている。

 首相談話が、国民の思いと懸け離れたものでいいはずがない。

 安倍首相談話が村山、小泉両首相談話の根幹部分を盛り込まないなら、発表を中止するか、閣議決定せず、私的な談話にとどめるべきだ。閣議決定によって両首相談話を「上書き」し、歴史認識を改変することが許されるはずはない。

 有識者の報告書が、「侵略」を史実として認めたことは評価するが、中国や韓国との和解に関する記述が妥当とは思えない。

 例えば両国との和解が進まないのは「中国側が愛国主義教育を強化」し、「朴槿恵(パククネ)政権が日本と理性的に付き合うことに意義を見出(みいだ)していない」ためとの指摘だ。

 そうした一面は否定し切れないとしても、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)など日本側に起因する事情にほとんど触れず、自己正当化するような記述はとても誠実と言えまい。首相の考えに近い人を多く集めた私的懇談会の限界だろうか。

深甚なる反省と謝罪
 戦後日本は七十年間、平和国家として歩み続け、非軍事面での国際貢献を重ねてきた。先人たちの努力は、今を生きる私たちの誇りであり、その歩みを今後も引き継ぐと、国際社会に誓いたい。

 未来志向は否定しないが、その起点は、侵略の拡大と植民地支配の過酷化で、特にアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えた歴史に対する猛省にあるべきだ。他国への配慮ではなく、日本国民の誠意の表現として、深甚なる反省と謝罪の気持ちを表したい。

 首相談話は、そうした国民の率直な思いを大切にすべきである。さもなければ、いずれ戦後百年を迎える日本の将来に禍根を残す。


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 社説:70年談話懇報告 首相も「侵略」を明確に認めよ 
2015年08月07日 読売新聞

◆過去への反省と謝罪が欠かせぬ◆
 戦後日本が過去の誤った戦争への反省に立って再出発したことを、明確なメッセージとして打ち出さねばならない。

 来週発表される戦後70年談話を巡って議論を重ねてきた21世紀構想懇談会が、安倍首相に報告書を提出した。

 報告書は、戦前の失敗に学んだ戦後日本の国際協調の歩みを評価し、積極的平和主義を一層具現化していく必要性を指摘した。

 その中で、日本が1931年の満州事変以後、大陸への「侵略」を拡大したと認定した。的を射た歴史認識と言える。

 ◆「満州事変」が分岐点だ
 一方で報告書は、「侵略」に脚注を付し、一部委員から異議が出たことも示した。国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、歴史的にも満州事変以後を「侵略」と断定するには異論があることなどが理由に挙げられた。

 だが、歴史学者の間では、軍隊を送り込んで他国の領土や主権を侵害することが「侵略」だと定義されてきた。

 その意味で、満州事変以後の行為は明らかに侵略である。自衛のためという抗弁は通らない。自衛以外の戦争を禁止した28年の不戦条約にも違反していた。

 他の欧米諸国も侵略をしたという開き直りは通用しない。日本はアジア解放のために戦争をしたという主張も誤りと言えよう。

 報告書はまた、日本が「民族自決の大勢に逆行し、特に30年代後半から、植民地支配が過酷化した」との見解を示した。

 戦後日本の歩みは「30年代から40年代前半の行動に対する全面的な反省の上に成り立っている」と記した。中国や韓国との和解に向けた努力が必要なことにも言及した。いずれも重要な指摘だ。

 報告書は、謝罪に関しては提言していない。座長代理の北岡伸一国際大学長は記者会見で、「お詫わびするかどうかは首相の判断だ」と述べたが、お詫びの仕方を検討してもよかったのではないか。

 ◆誤解招けば国益を害す
 報告書前文には「戦後70年を機に出される談話の参考となることを期待する」と記されている。

 安倍首相談話で注目されているのは、戦後50年の村山首相談話と60年の小泉首相談話に盛り込まれたキーワードの扱いだ。これら二つの談話には「植民地支配と侵略」への「痛切な反省」と「心からのお詫び」が明記されていた。

 過去の首相談話のキーワードの有無だけで、今回の談話の政治的意味を機械的に判断すべきではないだろう。とはいえ、日本の首相がどのような歴史認識を示すのか、国際社会は注視している。

 安倍首相は「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と語り、物議を醸したことがある。

 中曽根元首相は、本紙への寄稿の中で「現地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、まぎれもない侵略行為だった」と明言している。

 ◆心に響くお詫びの意を
 談話に「侵略」と書かなければ、首相は侵略の事実を認めたくないと見られても仕方がない。それにより、日本の行動に疑念が持たれたり、対日信頼感が揺らいだりすれば、国益を損なう。

 日本の戦前の行為により多大な苦痛と犠牲を強いられた人々に対し、何の意思表示もしないことは、「反省なき日本」という誤解を与える恐れが強い。

 子々孫々の代まで謝罪を続けることに、国民の多くが違和感を抱くのは理解できる。

 今回限りということで、けじめをつけてはどうか。

 安倍談話は、村山談話の引用など歴代内閣の見解を踏まえる間接的な表現であっても、「侵略」と「植民地支配」に対する心からのお詫びの気持ちが伝わる言葉を盛り込むべきである。

 あるいは、戦争で被害を受けた人々の心に響く、首相自身のお詫びの言葉を示すことだ。

 ナチス時代を率直に反省したドイツの指導者たちは、お詫びを示す直接の言葉でなくても、思いのこもった表現で、フランスなど周辺諸国の信頼を得てきた。

 そうした例も参考になろう。

 首相は未来志向の談話を目指したい、と述べている。しかし、過去をきちんと総括した上でこそ、国際貢献も、積極的平和主義も評価されることを銘記すべきだ。

 政府・与党内では、70年談話を閣議決定すべきか否かで意見が分かれている。内閣として責任を持つべき談話である以上、やはり閣議決定する必要がある。

 戦後70年の日本の歩みを堂々と世界に発信すべきだ。 


 社説:有識者報告書 「和解」に資する談話を
毎日新聞 2015年08月07日

 安倍晋三首相の戦後70年談話について討議を重ねてきた有識者会議が報告書をまとめた。首相はこれを踏まえ、終戦記念日の前日に「安倍談話」を公表する予定だという。

 報告書の構成は大きく「20世紀の教訓」「戦後日本の歩み」「欧米やアジアとの和解」「21世紀のビジョン」の4分野に分かれている。

 このうち20世紀の教訓は、首相談話の歴史認識に直結する部分だ。その内容は、おおむねバランスの取れた妥当なものだと評価できる。

 報告書は、産業革命で先んじた西欧が19世紀に世界の植民地化を進めたものの、20世紀初めに「ブレーキがかかった」と指摘している。

 さらに第一次大戦後に中国をめぐる9カ国条約(1922年)や不戦条約(28年)が成立していたにもかかわらず、日本は「満州事変(31年)以後、大陸への侵略を拡大」し、「世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と表記した。

 日本の植民地政策については「民族自決の大勢に逆行し、特に30年代後半から植民地支配が過酷化した」と書き込んだ。

 つまり戦後50年の村山富市首相談話にあった「国策の誤り」「植民地支配と侵略」「多大の損害と苦痛」「痛切な反省」などのキーワードをほぼ踏襲する認識が示されている。

 有識者会議の16人は、安倍首相の私的な選任だ。歴史認識の確定を委ねられたわけではない。「侵略」の表記については、同意しない少数意見があったことも明記された。

 とはいえ、首相が自らの談話のために集めた会議で、村山談話と同趣旨の内容が歴史認識の主旋律になった意味は小さくない。

 もしも首相がこの部分を談話に反映させなかった場合、内外に極めて不自然な印象を与えるだろう。

 報告書には穏当ではない表現もある。各国との和解の歩みを描いたパートの韓国に関する記述だ。

 日本側が努力しても、韓国政府が「ゴールポスト」を動かしてきたと報告書は指摘した。韓国側の「心情」的な外交姿勢を批判するのに、日本も感情的な表現を用いるのは決して得策ではなかろう。

 ただ、本質はあくまで首相談話の内容である。

 70年談話に取り組む安倍首相の動機が、村山談話への不満であったことは過去の言動から疑いの余地がない。「全体として引き継ぐ」と述べながら、自ら「侵略」と明言するのを意識的に避けてきた。

 70年談話は安倍氏が個人の歴史観を披歴する場ではない。日本を代表する責任者の言葉だ。その性質を自覚し、近隣国との「和解」に資するものに仕上げるべきである。



  


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