みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

<空き家820万戸>思うように売れない「負動産」(白井康彦)/外来種のタカサゴユリが咲いています。

2015-08-21 10:05:29 | ほん/新聞/ニュース
昨日の中日新聞生活面、白井康彦さんの記事です。

わたしの母も、わたしが二十歳のころ祖母が住んでいた
岐阜市の中心部の古い持ち家に引っ越してきて
父が亡くなってからは、20年ほど一人くらいをしていたのですが、
大病したので娘の家に近いアパートに越してきてもらいました。
そのあと心不全と右半身不随で入院、
退院後は一人暮らしが無理になったので、
最期の2年間は、岐南町の有料老人ホームに住みました。

母の家はずっとそのままにしてあったのですが、
母が亡くなった後、兄が家財道具ごと家を取り壊し、
更地にしました。

母が住んでいた西柳ケ瀬地域は、高齢化で空き家が目立ち、
家がなくなると、コインパーキングに変わっているところも多いです。

  <空き家820万戸> 思うように売れない「負動産」  
2015年8月20日 中日新聞

 「思うように売れない。固定資産税の負担ばかりが重い」と悩む空き家の所有者は多い。そうした事態を避けるにはどうすれば良いだろうか。専門家は、所有者の負担が重い「負動産」とならないよう、早めの相談と、適切な管理を呼び掛ける。七月には、専門家有志らが一般社団法人「全国空き家相談士協会」(東京)を設立し、相談を受け付けている。

 「空き家をそのままにしている所有者からの相談が一番目立ちます」と話すのは、設立した協会の専務理事で、NPO法人「岐阜空き家・相続共生ネット」(岐阜市)の理事長を務める名和泰典さん(58)。この五年間で、空き家に関する相談を百件ほど受けてきた。

 名和さんは、空き家になり、危険な状況になるなど家が荒れていく実態と、その各段階で必要な対応をまとめ(イメージ図参照、字句は一部変更)、適切な対応をアドバイスしている。

 イメージ図では空き家を、近く住む人がいなくなりそうな「空き家予備軍」、家人がいなくなった「空き家」、老朽化が進み屋根や壁が崩れそうなどの「危険な空き家」の三段階に整理。古くなるにつれて対応が難しくなっていくことを説明する。

 対応策としては、空き家予備軍の段階では片づけ、空き家の段階になると適正管理が必要なことを示した。空き家の段階では、建物を残して売ったり貸したりする有効活用の道も探る。家が荒れて危険な状態になると、解体して敷地の再利用を考えることになる。今年五月には、空き家対策特別措置法が施行され、地方自治体による「特定空き家」指定を受けると、解体、修繕の勧告や命令を受けたり、命令に違反すると五十万円以下の過料を科せられたりする可能性も生じるようになった。

 名和さんによると、対応策をあまり考えず、危険な状態に近づいてから初めて、困って相談する人が多いという。早めに対応を考えれば、有効利用のチャンスに恵まれることもある。空き家となってから適正な管理ができないと、家の劣化が早く進み、有効活用は困難になる。

 名和さんは「お盆や正月などに、親と子どもたちが相続だけでなく、家のことも話し合って」と提言する。場合によっては、親の住み替え先を話し合うことも必要だ。

 今後も人口減少が進む中、都市部を除いては空き家が所有者の大きな負担になるケースは増えそうだ。名古屋市の司法書士、天野勲さん(53)は「そうした地域では、高齢の親が住んでいる家をできるだけ早く売るなど、『負動産』化する事態を避ける方法を真剣に考えて」とアドバイスする。

      ◇
 全国空き家相談士協会は、不動産業や建物管理業の経営者、法律家、税理士らで設立した。専門知識を持つ「空き家相談士」を独自に認定する制度を設け、育成していく計画。空き家の有効活用や、それに向けたリフォーム、適切な管理などの相談に乗る。問い合わせは、同協会=電03(3318)0231=へ。

◆23日に「全国110番」
 日本司法書士会連合会は23日午前10時から午後4時半まで「全国空き家問題110番」を実施する。空き家問題に詳しい司法書士が電話=03(3354)8771=で相談に応じる。無料。
(白井康彦) 


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ところで、
今年は家の庭にタカサゴユリが咲いています。



  

百合の仲間では、もっと遅咲き。
他のユリがなくなってから咲きます。


東の家の玄関横の植え込みにも、
数年前から咲いています。

鉄砲百合に似た白いきれいな花なので、
抜かずに大事に増やしているのですが、「国立環境研究所侵入生物DB」では、
「緑化資材にぜす抜き捨てる」と書いてあります。

 タカサゴユリ / 国立環境研究所 侵入生物DB 
近年各地で繁茂しているが花がきれいなためなかなか駆除されない.少なくとも外来種であることを周知する必要がある.

 タカサゴユリ(ホソバテッポウユリ, タイワンユリ)





咲かせずに見つけたら抜いたほうがよいのかもしれませんが、
花は見たいし、悩ましいところですね(笑)。

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新ミョウガの梅酢づけ/色とりどりの百日紅(サルスベリ)咲いています。

2015-08-20 09:09:05 | 花/美しいもの
プックリとふくらんだ新ミョウガの花。
ほんのりうす赤く色づいてて、色気を感じます。

このミョウガを、縦に半分から四分の一に切って、

80度くらいのお湯に一分ほどつけます。
 
ザルにあげて水分を切ったら、まだ温かいうちに、
千鳥酢と蜂蜜少々を入れてなじませておきます。

葉がよいくらいに茂ってきた芳香うら紫蘇。

葉付きの枝を何本か切ってきてもらいました。

葉の部分だけちぎって、うす塩を降って
2回くらいもんで、でてきた黒いアクを捨てます。

梅干で出た梅酢を入れると、真っ赤に発色します。 

これを細かくちぎった紫蘇といっしょに、ミョウガと混ぜて、
一時間ほどして、なじんで来たら、ビンに詰めて冷蔵庫に保管。

翌日から二週間ほどはおいしく食べられます。

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庭に何本か植えてあるいろとりどりの
百日紅が咲きはじめています。

赤花に白の覆輪の夏祭り


30センチほどの矮性ピンク


矮性白
  

いちょうに実がついています。

  
黄色く色づいてから、種を取り出したものがぎんなんになります。

あじさい・アナベル。
  
花後もきれいです。



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<曖昧語が映す社会>(3)社会学者・上野千鶴子さん「信頼」◆裏切りに怒りを表す時

2015-08-19 08:05:57 | ジェンダー/上野千鶴子
昨日、中日新聞の文化欄をなにげなく開いてびっくり。
上野千鶴子さんの写真入りの大きな記事が載っていました。

7月17日、名古屋のウイルあいちでのわいわいWANの
イベントの前の「全国一斉アクション」での記事です。

わたしはいけなかったのですが、記事から、
上野さんの思いとメッセージが直球で、こころに届きます。


2015年8月18日 中日新聞
写真をクリックすると拡大します。

<曖昧語が映す社会>(3) 
社会学者・上野千鶴子さん 

2015年8月18日 中日新聞

 歩みの遅い台風11号が過ぎた七月十八日。名古屋市内の歩道に立つ八十人を超す市民らに向かい、上野千鶴子さん(67)がメガホンを握った。「このまま安保法案を通したら、国会丸ごと違憲です。今踏みとどまらなかったら、後の子どもたちに顔向けできない」。強い存在感。理事長を務める認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)のイベント前、作家の澤地久枝さんが呼び掛けた全国一斉アクションで“ほえた”。

 政治の中で意味をなさなくなっている言葉として「信頼」を挙げる。

◆裏切りに怒りを表す時
 「私を信じてくださいというのは白紙委任と同じ。ぐだぐだ言うな、注文付けるな、多数決で選ばれたんだから後は私に任せなさいと。それを普通は独裁というの。全権委任なんてした覚えないよ」

 安全保障関連法案の衆院特別委員会強行採決、衆院可決、参院審議へと、強引に進める安倍晋三首相がさまざまな場面でいう「私を信じてください」「確信しています」に怒っている。

 「信頼して」と言い続けた政治家たちが、いかに信頼を裏切ってきたか、上野さんは指摘する。消えた年金、年金情報流出と続く年金不祥事。さらに福島第一原発事故も。「当時の野田首相の収束宣言も、東京五輪招致での安倍首相の『アンダーコントロール』(管理されている)もうそっぱちだった」。東京電力や科学者に対する信頼も揺らいだ。さかのぼれば、戦時中の「必勝の信念」。神風は、吹かなかった。

 「そうなると、信頼してくださいという言葉自体が『それウソだろう』と皆が感じる言葉になっている。どこまでしらを切るかという、役者度が政治家のバロメーターみたいになっている」

 民主主義で必要なのは、主権者の「信頼」を獲得することではなく、「納得」を獲得することだと強調する。「主権者は納得すれば同意する」。そして「根拠を示せば納得できる」。原発事故では、根拠を示すどころか、あらゆる面で秘密体質だったと憤る。

 信頼は何度も揺らいでいるのに、誰も責任を取っていないことにも怒っている。「安倍首相は責任を負うようなことを発言するけど、でも人質事件の際にもそう言ったのに二人の命が奪われた。責任取った? 原発再稼働も同じ。命が失われたらどうやって責任取るの? 取れないよ」。責任という言葉も誰も信じなくなった。

 そして-。「信頼を何度も裏切られた人たちが感じる感情は怒り」だと。だから今、国民は皆怒っている。「もともと怒っていたと思う。やっと、怒りを表現している」

 一九六〇年安保闘争で国会を二、三十万人ともいわれるデモ隊が囲み、岸内閣が退陣に追い込まれた。原発事故の際は、脱原発を叫び、最大二十万人(主催者発表)が国会前に。上野さんは「再稼働ができない日々が続いたのは、国民の声の力」と見る。

 今、若者たちが「あのときが分かれ目だったって後で言われたくない」と活動を続け、政治的な発言を普通はしない学者たちも、速いスピードで「学者の会」を組織した。各地で市民らが怒りの声を上げている。「信頼を裏切ることへの怒りがこれほど怖いことだというのを思い知れよということ」

 新国立競技場計画の白紙撤回を、安保法案が衆院を通過した翌日に発表したことも、前向きに考える。「納得できないと言い続けてついに押し戻した。おかしいと声を上げれば、変わるのだという『勝ち癖』の実感がすごく大事」。どれだけ怒りが続くか、忘れずにいられるか。「怒りやあらゆる要求は、表現しない限り存在しないのと同じだからね」。WANのイベントでも繰り返し、参加者にハッパを掛けた。

 政治家は、本来、信頼という言葉をどう使うべきなのか。上野さんは苦笑して、臨床心理学者の故霜山徳爾さんの言葉を教えてくれた。「信頼とは獲得するものではなく、贈られるものである」

 「信頼は自分がほしいと求めるものではなく、信頼を受ける相手から贈られるもの。素晴らしい言葉でしょ。求めて得られるものじゃないんです」
(野村由美子)

 <うえの・ちづこ>1948年富山県生まれ。東京大名誉教授、立命館大特別招聘教授。京都大大学院博士課程修了。専門は女性学、ジェンダー研究。94年『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞受賞。「安全保障関連法案に反対する学者の会」の発起人も務め、自身も国会前や各地のデモなどに参加している。 


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100円に値引きされていた千日紅、
いろいろ買ってきたので、庭に植えました。



  

  

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使いやすくてかわいい!かぎ針編みのミニバック/エアープランツと花苗たち

2015-08-18 18:48:26 | 健康/くらし/薪ストーブetc
平飼いの自然卵がたくさんあるので、
岐阜に出かけるついでに、姉たちにお届け。

お礼にハンドメイドのかぎ針編みの
ミニバックをもらいました。

母が機械編みの、オーダーメイドのニットの服を作っていたので、
姉も編み物が得意。
細編みと長編み、変わり編を組み合わせてあるのですが、
目揃いがとてもうつくしいです。
手編みが得意でニットの服はほとんどハンドメイド。
美的なセンスも抜群なので、余り毛糸でつくったという
ミニバックは、どれも素敵な配色です。

だれかにあげてもいいよ、と言われて、
気に入ったのを4つもらってきたのですが、
  
バックの中を整理するために、これは携帯、これには財布、
  
あとハンカチと日焼け止めクリームなどを分けて入れてみたら、
全部自分で使うことになりそうです(笑)。
バックを開けるたびに触れる、
やさしい手触りのニットのミニバックがここちいい。
母が編み物をしていた影響か、やはりわたしもニット製品は好きです。




いつももらう、お取り寄せの、
かやのだしとゴマと麺もいただいてきました。 

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出かけた用事は、ともちゃんのお付き合いで、
秋野菜の種を苗をささがしに種苗店めぐり。

わたしは、花苗と

花が咲きそうなエアープランツを購入。

花が少ない時期なので、玄関に置きました。


お昼ごはんは、県庁近くの「浜木綿」。
わたしは、野菜たっぷりの五目タンメン。

ともちゃんは、冷やし中華のセットです。








  


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戦後70年に問う―個人を尊重する国の約束/私たちはこう生きる/水なしナスのカレー

2015-08-17 21:34:07 | 有機農業/野菜&ハーブ
大きくなりすぎたナスが10本くらい取れたので、
ナスのカレーを作りました。

ずんぐりとしたのが千両ナス。

長ナスは、輪切りにしてさきに炒めています。

千両ナスを入れてさらに炒めて、
水分が出てきたら、ふたをして弱火で煮込みます。


大きくなりすぎたさやが堅くなった
十六ささげの豆だけを取り出して
ナスのカレーに入れます。

トリムネ肉のミンチを入れて
ナスがとろとろになったら、
カレー粉を入れて、水なしナスカレーのできあがり。

辛すぎず、やさしい味のカレーです。

さやが堅くなってない十六ささげは、

ごまクルミ和えにして、ゆうご飯のおかずです。

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今日は新聞の休刊日。
じっくりと読みなおした、
昨日の朝日新聞と中日新聞の社説を紹介します。

  社説:戦後70年に問う―個人を尊重する国の約束   
2015年8月16日(日)付 朝日新聞

 終戦の年の秋、連合国軍総司令部(GHQ)が、日本政府の敷いていた言論統制を解いた。
 作家の高見順は、日記にこう残している。

 「自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは」

 明治憲法下の国民は主権者の天皇に仕える「臣民」で、その権利は法律で狭められた。

 日本の降伏を求めたポツダム宣言やその後のGHQの人権指令を経て、人びとは人権という価値と正面から向き合った。

■惨禍くぐり関係転換
 「お国のために」とのかけ声の下、戦時体制は人々の生命を奪い、生活を破壊した。その惨禍をくぐった戦後、国家と個人は根本から関係を改めた。

 国の意思を決めるのは国民とし、その人権を尊重する平和国家としての再出発だった。

 それは「国家のための個人」から「個人のための国家」への転換であり、戦後の民主社会の基礎となってきた。

 しかし、この結び直した関係を無効化するかのような政治権力の姿勢が、強まっている。

 憲法違反の疑いが強い安保関連法案が衆院で可決され、参院で審議中だ。憲法の下での約束では、国の原則をここまで変えるには、権力側は憲法改正手続きをとり、国民投票によって国民一人ひとりの意見を聞くのが筋だ。今起きているのは、重大な約束違反である。

 安全保障にはさまざまな考えがあろう。だが、各種の世論調査で「政府の説明は不十分だ」「今国会での成立は必要ない」との意見が多数であることは、国民に相談することなく一方向へ突き進む政府、与党への不信の広がりからではないか。

■国政の権威は国民に
 今年は、いまの英国でうまれ、各国の立憲主義の礎となったマグナ・カルタ(大憲章)から800年の節目でもある。

 強大な権力を誇る王であれ、法に縛られる。貴族が王に約束させ50年後に議会も開かれた。

 その後、権力者間の闘争や戦争を経て、多くの国が立憲制を選び取ってきたのは、権力とはそもそも暴走するものであり、防御の装置は不可欠だという歴史の教訓からだ。

 戦後日本に人権感覚をもたらしたGHQも例外ではなく、自らの占領への批判は封じる権力の姿をあらわにした。

 第2次世界大戦に至る過程でドイツ、イタリアでは、選挙で選ばれた指導者が全体主義、軍国主義を進めた。多数決が間違えることもある。

 英国下院のジョン・バーコウ議長は今月、東京で講演した。「世界最長の歴史をもつ議会といわれているが、改善の余地が常にある」。議会の役割は権力の精査であり、国民が関心をもつことを同じ時間軸で議論することが大事だ、と話した。

 国民の代表のはずの議会が、ともすれば権力側に立ち、国民感覚と離れてしまう。そんなリスクへの自覚、自戒だろう。

 日本国憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託により、その権威は国民に由来する」とする。

 その国民の意思が反映されるのは、たまにある選挙のときに限られていいはずがない。たえず国民が意思を示し、それを国政が尊び、くみ取る相互作用があってこその国のかたちだ。

 安保法案や原発問題などからは、国民を権威とした価値観をいまもわきまえない政治の時代錯誤が透けてみえる。

■権利を使ってこそ
 止められなかった戦争について、歴史学者の加藤陽子東大教授は「軍部が秘密を集中管理し、憲兵などで社会を抑えたことが致命的だった」と語る。

 全体主義が進むなか、治安維持法や言論、出版、結社を取り締まる法が、情報を統制し、反戦、反権力的な言論を弾圧した。体制にものをいう大学教授が職を追われた。国民の目と耳は覆われ、口はふさがれた。

 社会の生命線は、情報が開かれ、だれもが自分で考え、意見や批判をしあえることである。

 いま、人々が街に出て、デモをし、異議を唱える。インターネットで幅広い意見交換がある。専門を超え、研究者たちが外に向けて発言をする。

 重ねられた知に基づく議論の深まりを感じさせる動きだ。

 一方で、政府の秘密情報の管理を強め、情報に近づくことを犯罪にする特定秘密保護法が昨年施行された。自分と違う意見や、報道への制裁、封殺を求める物言いが政党の一部にある。

 精神的自由に干渉しようとするいかなる動きにも敏感でいたい。社会問題で声を上げることの結果は必ずしも保証されない。だが、表現の権利や自由を使わず、あきらめた先に待っている闇を忘れてはなるまい。

 国のために国民がいるのではなく、国民のために国がある。自由な社会は、一人ひとりの意思と勇気なしには成り立たないことも、歴史は教えている。


 社説:私たちはこう生きる 週のはじめに考える
2015年8月16日 中日新聞

 戦後七十年です。しかし歴史の歯車はまるで逆に回りだしたかのようです。私たちはどう考え、どう生きたらいいのか。三つの提言をしてみましょう。

 三つの提言というのは実は戦後五十年の社説も掲げていました。題は「僕たちはこう生きる」。

 その三つの第一は、日本の進路はあくまで平和の追求ということでした。

 冷戦後の世界は大国の重しがとれたが混迷を深めた。その中で日本は戦後の平和貢献をさらに広めようという提案です。平和追求はもちろん今も変わりません。私たちはそう言い続けてきました。

 冷戦には勝てたが…
 日本は憲法を守って海外へ自衛隊を派遣しても武器使用のないような方策をとってきました。他国の軍隊とは違いますが、それが日本のやり方です。

 かつて国際政治学者の高坂正堯氏は、国家とは力・利益・価値の体系であると記しました(「国際政治」)。力とは安全保障、利益とは国家間の利害、価値とはその国の正義、何を正当とするか、ということです。

 アメリカは三つともでソ連に勝った。しかし今はイラクやアフガニスタンへ仕掛けた戦争で苦しんでいる。かのイスラムの地ではアメリカの民主主義は通用しなかった。価値が違ったのです。

 それでは勝ち負けよりも、対立を減らし、流血を減らすにはどうしたらいいか。答えは容易ではありません。

 日本は敗戦・非武装という特殊条件を出発点として平和主義を貫いてきました。日米安保に守られつつではありますが、攻める武力より人を守る支援を大切にしてきたのです。

 戦後七十年の提言の第一には、やはり平和主義を唱えます。その深化と普及を求めます。

 国家暴走抑えるには
 次いで二つめ。

 戦後五十年社説の第二の提言は何と日本人改造論でした。

 「寄らば大樹」の日本人では気づかぬうちに再び無謀な戦争へと突入しかねない、だから改造を、というのです。

 では今の日本人はどうでしょうか。政府のいうことを唯々諾々と聞いているか。それとも熱狂しているか、反論しているか…。

 改造の必要などもはやないのかもしれません。安保法制や原発再稼働の是非をめぐって、賛否は分かれ、行動もあります。一人ひとりがよく考えているのです。

 二つめの提言としては、私たちが政治参加の意識をより強くすることといいたい。いうまでもなく政治と国民は一体です。

 三つめは、戦後五十年社説は戦中の新聞の反省も踏まえ、国家の暴走を抑えるシステムの構築を唱えていましたが、それはいつの時代でも同じです。

 権力とは、暴走するものなのです。止める方法はないのかもしれない。民主主義の最も発達したといわれるアメリカ議会は、のちに泥沼となるアフガン戦争を圧倒的多数で支持しました。世論も沸騰していました。

 しかし下院ではただ一人、カリフォルニア州選出のバーバラ・リー議員が反対しました。四二〇対一。リーさんの投票を支えたのはベトナム戦争以来の地元の反戦運動、平和主義です。武力は再びテロを招くと言い切りました。

 国家が暴走するのなら、止めるのは国民しかいません。

 平和主義とは武力行使よりも難しいかもしれません。

 先の国際政治学者高坂氏は正義のぶつかり合う紛争の原因除去はむずかしいと記したあと、こんな話を紹介しています。

 対ソ封じ込め政策を提案した米外交官ジョージ・ケナンはロシアの作家チェーホフの短編「往診中の一事件」が好きだった。主人公の医師は不治の神経症的心臓病の娘さんを診て、わが力の限界を知るが、求めに応じて泊まり、彼女にこう話す。

 <あなたの不眠症は尊敬すべき不眠症です。私たちの両親は、夜は別に話もせずぐっすりと眠ったものです。ところが私たちの世代はろくに眠ることもできず、煩悶(はんもん)し、おしゃべりし、たえず自分たちが正しいか正しくないか決めようとしている。子や孫の時代になったら…この問題は解決がついているでしょう>

 人類の不治の病でも
 この場合、病は衝突の種、両親は前の戦争世代、娘さんたちの世代は悩み、しかし対話するといったところでしょうか。戦争は人類の不治の病かもしれないが、治す努力は続けねばならぬというのです。ケナンには、戦争よりも封じ込めだったのです。

 二十一世紀の私たちはどう生きるべきか。平和主義を自信をもって続け、希望を捨てずに前へ進むべきだと提言しましょう。 


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どうすれば安全安心:寝苦しい夜の快眠法 手足の冷やし過ぎは禁物/キンリョウヘンの遮光

2015-08-16 09:20:22 | ほん/新聞/ニュース
猛暑日が途切れたお盆前、
ともちゃんたちがキンリョウヘンの夏越し用の場所を
パイプで組んで、遮光ネットをはってくれました。

春に稲の育苗をしていたところです。

木の陰とかあちこちの半日陰の場所を探して
置いてあったランの鉢を集めてきました。

キンリョウヘンは、比較的暑さと直射日光に弱い蘭です。
夏の間に株が弱ると、花が咲かなくなります。

地面にも除草シートをしていてあるので、
夕方鉢に水をやって、周りにも打ち水しておけば、
夜の温度が下がって涼しくなります。


家の南の庭も、茂っていた下草を取ってさっぱり。


2度目の開花。
種無しキンカン「ちびまる」。


冷蔵庫で低温発酵させて朝焼くはずのパンが、
一次発酵で十分ふくらんでいなかったので、
そのまま、ナンのよう薄く延ばして、ウォーターオーブンでやきました。

ブックりふくれて、中に具を入れて食べるとおいしいです。
ちなみに、つかった粉は、北海道のはるゆたかです。

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お盆を過ぎて、朝は20℃くらいと、しのぎやすくなってきました。

夜はまだ暑いのでエアコンをつけているのですが、
朝はウォーキングに行く前に窓を開けて、
エアコンを切っています。

室温が30℃を超えたら、またエアコンをれることにしています。

今年は、熱中症対策ということもあり、夜もエアコンをつけていたので、
例年ののように、暑くて寝苦しいということが少ないです。

何年か続いていた、寝つきが悪いという悩みもも、
朝のウォーキングと、就寝1~2時間前にお風呂に入り、
内部体温を下げる、眠くなってからベッドに行く、
ということで、何とか改善されています。

以下の記事も参考になります。

どうすれば安全安心:寝苦しい夜の快眠法 手足の冷やし過ぎは禁物
毎日新聞 2015年08月13日 東京夕刊

 夏も真っ盛り。東京では過去最長となる8日連続の猛暑日を記録し、寝苦しい夜が続いた。エアコンを使っていても、うまく寝つけなかったり、眠りが浅かったりした人も多いのではないだろうか。生活習慣や寝具などを工夫し、快適な睡眠を得るにはどうしたらいいのだろう。専門家に聞いた。【田村彰子】

 ◇冷やすのは体幹や頭/寝る直前に温度上げる/背中の蒸れに注意を
 「日中、体の内部温度は活動を支えるために高く保たれていますが、夜になると内部温度が下がって心身が休息状態になります」

 睡眠に詳しい日本大医学部教授の内山真さんはそう説明する。夜になって体の内部温度が下がると、自然に眠くなる仕組みだ。「体内の温度が下がるのは、手足の皮膚から体内の熱を逃がすからです。この時に体表面、特に手足は熱くなります」。眠くなると乳児の手足が温かくなるのも、体内の熱を手足の皮膚表面から逃がして内部温度を下げているからだ。気温や湿度が高い夏は、手足から熱が逃げにくいため深部体温が下がらず、寝つきが悪くなる。

 このため心地よく眠るには、手足から熱を放出させなければならない。暑いからといってエアコンや扇風機で冷やしすぎると、手足が冷たくなって熱が逃げにくくなり、体内の温度が下がらず寝づらくなってしまう。手足が冷えがちな冷え性の人の寝つきが悪いのも熱を逃がすのが苦手だからだ。

 「吸水性のある手袋をつけたり靴下をはいたりして寝ると、手足を冷やさない上に汗も吸収してくれます。むやみに体の表面を冷やしてはいけません。だいたい夜中にコップ1杯半ぐらいの水分が蒸発しますから、それを補給して寝てください」。特に水分や塩分が失われがちな夏はこむら返りも起こりやすい。冷やすのであれば、頭や首筋、脇の下など体幹部分がおすすめだ。「体の中心にある動脈の太い血管を冷やすと冷めた血液が体全体に流れ、体の内部温度を効率的に下げるので眠りやすくなります」と内山さんは話す。

 エアコンや扇風機、寝具の使い方も、「体の内部の温度を下げること」を念頭に置くとよい。

 まず、室内環境から考えよう。「睡眠メソッド100」(かんき出版)の著書がある快眠セラピストの三橋美穂さんは「特に西日が差すような部屋を寝室にしている場合はカーテンを閉め、室内を暖めすぎないようにしましょう」と話す。エアコンを使い、就寝前に25度ぐらいまで部屋を冷やしておくといい。寝始めは体温を下げるために汗をかくので、涼しく感じられる方が寝つきやすい。ただし三橋さんは「寝る時は設定温度を26〜29度に上げると徐々に室温が上がるので、体温が下がった頃の冷えすぎを防ぎます」と指摘する。

 また、三橋さんは「扇風機は上手に活用しましょう。微風で首振りにして部屋の空気全体を緩やかに動かすようにすると、風が皮膚の表面を通る時に熱をとってくれるので、体感温度が下がりやすくなります」と解説する。寝ている間に体に負担のない風速は、うちわであおぐ程度の0・4メートル。扇風機の「強」は風速4メートルにもなってしまう。「氷を入れた洗面器を扇風機の前に置くと、より涼しい風を送ることができます。エアコンが苦手な人にはおすすめですが、あくまでそよ風ぐらいがいい。体に直接風が強く当たらないようにしてください」と三橋さん。

 室内環境を整えたあとは、寝具なども整えたい。「眠る時に大切なのは、布団の中の温度や湿度を表す『寝床内気候』を快適にすること。快適な温度は体温よりやや低い32〜34度、湿度は40〜60%です」と三橋さんは話す。

 特に、敷布団と密着する背中の部分の湿度や温度には注意を払いたい。三橋さんは「奈良女子大の実験で、背中の湿度がピークに達すると体温も上昇し、夜間に数回目が覚めているという結果があります」と説明する。立体構造で通気性が良い敷きパッドや、い草や竹などでできたシーツを使うと背中の蒸れを防げる。「家にあるもので代用するなら、B4サイズぐらいの段ボール紙をシーツの下に敷くと、肌が密着せずに眠れます。骨盤の上部から肩甲骨に少しかかる部分に敷くと良いです」と三橋さん。抱き枕も背中が大きく開く上、脇の下やひざの間といった蒸れやすいところに隙間(すきま)ができるので涼しく眠れる。三橋さんは「抱き枕の起源は、東南アジアで作られた竹で筒状に編んだものだとされています。それぐらい暑い季節に向いている。長さが100センチ以上あり、しっかり抱けるものがいい」と説明する。

 「何も着ないで寝るのと何か着るのとでは、何か着る方が汗が蒸発しやすく、内部の体温が下がりやすい」と、生活総合情報サイト「All About」で睡眠ガイドを務め、睡眠障害の治療に携わってきた医師の坪田聡さんは解説する。夜寝るために作られた寝間着は、汗をよく吸収して皮膚への刺激が少なくなるような機能が備わっていることが多いため、上手に活用したい。また、頭は冷やして眠るといい。「睡眠の大きな目的の一つに、脳の温度を下げて休ませることがあります。頭を冷やすと睡眠の質が良くなるというデータもありますね」と坪田さんは話す。

 坪田さんは「夏は朝型人間になると過ごしやすい」と説明する。朝に日光を浴びると人間は目が覚めやすく、目が覚めてから14〜16時間後に睡眠を誘発するメラトニンというホルモンが出始める。その1〜2時間後に寝つくので、朝日と共に6時ごろ起きると、午後10時〜午前0時には寝やすくなる仕組みだ。

 しっかり目を覚ますためには、朝食も食べたい。「何も朝食をとっていなかった人は、トリプトファンというアミノ酸がたくさん含まれるバナナと牛乳のセットがおすすめです。トリプトファンは脳の中で目を覚まさせておく神経物質セロトニンに変わります。セロトニンがたくさんあると目が覚めやすいのです」と坪田さん。

 睡眠と上手に付き合って暑い夏を乗り切りたい。 


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戦後70年首相談話【各紙の社説】何のために出したのか/不戦の誓い、未来に継承を

2015-08-15 15:16:39 | ほん/新聞/ニュース
敗戦後70年。
4つのキーワード「植民地支配」「侵略」「おわび」「反省」を入れるかどうか、
注目されていた安倍首相の70年談話。
首相官邸のホームページで全文を読んでみた。
 
4つの言葉は使われているけれど、強い違和感がある。
ほとんどお詫びも反省もしているように感じられず、
痰に言葉を並べただけの空疎な「談話」。
今朝の新聞各社の社説も、全国的に批判している新聞が多い。

特に、きょうの朝日新聞は、社説だけでなく、
紙面全体で痛烈に批判していて、読みごたえがあった。

  社説:戦後70年の安倍談話―何のために出したのか 
2015年8月15日 朝日新聞

 いったい何のための、誰のための談話なのか。

 安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。

 侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。

 しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。

 この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。

■「村山」以前に後退
 談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。

 日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。

 一方、安倍談話で侵略に言及したのは次のくだりだ。

 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」

 それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。

 日本の大陸への侵略については、首相の私的懇談会も報告書に明記していた。侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」などと認めてきた村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している。

 おわびについても同様だ。

 首相は「私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。

 確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある。

 政府として反省や謝罪を示しても、閣僚らがそれを疑わせる発言を繰り返す。靖国神社に首相らが参拝する。信頼を損ねる原因を日本から作ってきた。

■目を疑う迷走ぶり
 謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。

 それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。

 安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話の歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。

 そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。

 それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。

 この間、国内のみならず欧米の学者も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけた。世論調査でも過半数が「侵略」などを盛り込むべきだとの民意を示した。

 そもそも閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。

 それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。

■政治の本末転倒
 国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。

 首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。

 最たるものは靖国神社と戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。

 慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。

 出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。

 いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。

 その責めは、首相自身が負わねばならない。 


 平成27年8月14日 内閣総理大臣談話(首相官邸) 

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   社説:真の和解とするために 戦後70年首相談話
2015年8月15日 中日新聞

 戦後日本の平和と繁栄は、国内外での膨大な尊い犠牲の上に、先人たちの努力で勝ち得てきたものだ。戦後七十年の節目に、あらためて胸に刻みたい。

 安倍晋三首相はきのう戦後七十年の首相談話を閣議決定し、自ら記者会見で発表した。

 戦後五十年の一九九五年の終戦記念日には村山富市首相が、六十年の二〇〇五年には小泉純一郎首相が談話を発表している。

 その根幹部分は「植民地支配と侵略」により、とりわけアジア諸国の人々に多くの損害と苦痛を与えた歴史の事実を謙虚に受け止め「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明したことにある。

村山、小泉談話は継承
 安倍首相はこれまで、歴代内閣の立場を「全体として引き継ぐ」とは言いながらも、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点で出したい」と述べるなど、そのまま盛り込むことには否定的だった。

 戦後七十年の「安倍談話」で、「村山談話」「小泉談話」の立場はどこまで引き継がれたのか。

 安倍談話は「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として村山、小泉談話に言及し、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものだ」と受け継ぐことを言明した。

 この部分は評価するが、気になるのは個々の文言の使い方だ。

 首相が、七十年談話を出すに当たって参考となる意見を求めた有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」と具体的に言及したが、安倍談話では「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という部分だけだ。

侵略主体、明確でなく
 この表現だと、侵略の主体が日本なのか、国際社会一般のことなのか、明確にはなるまい。

 一九三一年の満州事変以降の日本の行為は明らかに侵略である。自衛以外の戦争を禁止した二八年の不戦条約にも違反する。アジア解放のための戦争だったという主張も受け入れがたい。

 安倍首相が、有識者による報告書のようにかつての日本の行為を「侵略」と考えているのなら、一般化したと受け取られるような表現は避け、日本の行為と明確に位置付けるべきではなかったか。

 「植民地」という文言も、談話には六カ所出てくるが、いずれも欧州列強による広大な植民地が広がっていたという歴史的事実を述べる文脈だ。

 「植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」との決意は当然としても、日本による植民地支配に対する反省とお詫びを表明したとは、受け取りがたい。

 特に、日韓併合の契機となった日露戦争について「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と意義を強調したのは、朝鮮半島の人々への配慮を欠くのではないか。

 いわゆる従軍慰安婦については「二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続ける」と言及し、「二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていく」と述べた。

 その決意は妥当だが、日韓関係改善を妨げている従軍慰安婦問題の解決に向けて問われるのは、今後の具体的な取り組みだろう。

 安倍談話は「七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」と表明した。

 その決意に異議はない。

 戦後日本は新憲法の下、平和国家として歩み続け、非軍事面での国際貢献で国際的な信頼を勝ち得てきた。先人たちの先見の明と努力は今を生きる私たちの誇りだ。

負の歴史に向き合う
 将来にわたって、過去と同じ轍(てつ)を踏まないためには、侵略や植民地支配という「負の歴史」とも謙虚に向き合って反省し、詫びるべきは詫びる勇気である。

 戦争とは何ら関わりのない将来世代に謝罪を続ける宿命を負わせないためには、聞く者の心に響くような言葉で語る必要がある。それが戦後七十年を生きる私たち世代の責任ではないのか。

 安倍談話が国内外で評価され、近隣諸国との真の和解に資するのか否か、引き続き見守る必要はあろうが、負の歴史とも謙虚に向き合い、平和国家としての歩みを止めないのは、私たち自身の決意である。戦後七十年の節目に、あらためて誓いたい。


  社説:終戦から70年 不戦の誓い、未来に継承を 
2015.8.15 北海道新聞
 
 太平洋戦争の敗戦から70年を迎えた。日本は焼け野原から再出発し、奇跡の復興、経済大国へと成長を遂げた。

 近年では東日本大震災や福島第1原発事故があり、その道は決して平たんではなかった。それでも一度も戦争に加わらず、平和国家として歩んできた。

 その憲法に基づく平和主義が瀬戸際に立たされている。終戦の日、例年にも増して自覚したいのは平和の大切さだ。

 将来世代のために何を守り、何を引き継ぐのかが問われる。

■和解の意図伝わらぬ
 安倍晋三首相はきのう、戦後70年談話を閣議決定し発表した。

 談話は▽大戦への反省▽戦後の平和国家としての歩み▽今後の国際貢献のあり方―を柱に構成し、分量が膨らんだ。

 戦後50年の村山富市首相談話は過去の国策の誤りを率直に認め、痛切な反省と心からのおわびを表明し、日本外交の基本となった。

 今回の談話では「植民地支配と侵略」「痛切な反省」など引き継ぐべき大事な文言は入れたつもりなのだろう。

 だが朝鮮半島などでの植民地支配は明言せず、西欧列強による植民地化の歴史に触れただけだった。先の大戦の「おわび」も「わが国は繰り返し表明してきた」と、間接的な表現にとどまった。

 中国や韓国とのこじれた関係を打開する和解のメッセージなのか―。国際社会も注視していた談話だが、これでは十分な説得力を持って伝わったとは言い難い。

 「子供たちに謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」とも述べた。ならば近隣諸国との間の問題の解決、和解を急ぐべきだ。

 中国や韓国が歴史問題を政治宣伝に利用するのであれば相互不信を招く。ただアジア諸国に計り知れない人的、物的被害を与えた日本の首相が率直に「おわび」を表明するのは当然だ。一般論にとどまったのは残念だ。

 積極的平和主義に基づく国際貢献も、その中身に疑問が残る。

 国際貢献を農村援助や復興、貧困対策など日本が得意とする非軍事分野に限るのならうなずける。

 しかし平和維持のためには軍事的手段もいとわず、脅威を排除するというのであれば平和主義とは相いれない。

 「未来志向」と言うが、これが今後の日本の進む道なら危うい。

■個人より国家なのか
 安倍政権は国民に大きな不安を巻き起こしている。

 与党は安保関連法案を強行採決で衆院通過させた。法案は政府が違憲としてきた集団的自衛権の行使を容認し、自国が攻撃されていなくても武力行使に道を開く。

 限定容認と言うが行使は政府の判断次第だ。歯止めはないに等しい。憲法が権力を縛る立憲主義の精神にも反する。

 政権批判に対し、首相の応援団的な自民党の勉強会では、言論の自由を顧みず「マスコミを懲らしめる」などの発言が飛び交った。

 この勉強会に出席した若手議員は安保法案に反対する学生団体に対し「『戦争に行きたくないじゃん』という利己的考えに基づく」と筋違いの言葉を投げつけた。

 個人よりも国家が大事。戦争の苦難は受忍されるべきだ。そうした戦前の風潮と似ていないか。

 多大な犠牲を払って手にした戦後の平和主義が危うい。なぜ日本はこんな地点にきたのだろう。

 戦争の悲惨さを知る人が少なくなったことが要因の一つだろう。殺し殺される恐ろしさを自分に引きつけて考えられない。

 戦争の本質を直視し、どんな経緯で開戦して惨禍を招き、経験したのかを考えることから始めたい。戦争体験を学び、次世代に継承する意味はかつてなく重い。

■被爆者の声聞かねば
 長崎の平和祈念式典は静かに進行する中、被爆者代表の「平和への誓い」で突然拍手がわいた。

 代表の谷口稜曄(すみてる)さん(86)は安保法案を推進する政府を強く批判し、「戦時中に逆戻りしようとしている」と言い切った。拍手は出席者の共感によるものだ。

 16歳で郵便配達中に被爆し、背中を熱線で焼かれた。被爆者こそが生き証人として戦争反対の先頭に立つ。その決意だろう。

 70年前の敗戦。国民は二度と戦争はするまいと誓った。権力にただ従うのではなく、自分たちで考えて決める。民主主義を定着させる誓いでもあったはずだ。

 最近目を引くのは安保法案反対の市民の集会やデモだ。労組や政党ばかりではない。若者や学生ら自発的、自然発生的なデモが目立つ。若い母親までもがベビーカーを押して街頭に出始めた。

 自分で考え、声を上げる。その積み重ねが政治の方向を誤らせず、確かな未来を開くと信じる。


  社説:戦後70年談話/戦略的意図を読み取れぬ 
2015年08月15日 河北新報
 
似て非なる物。そんな印象を拭えず、多くの国民はもとより国際社会、わけても先の戦争で大きな被害を与えたアジア諸国の十分な理解と共感を得られるかどうか危ういと言わざるを得ない。
 安倍晋三首相がきのう、発表した「戦後70年談話(安倍談話)」である。
 政府の公式見解とするため、閣議決定の手続きが取られた。一時傾いたとされる「個人の見解」では首相談話たり得ず、当然の対応だ。
 安倍首相がいかなる歴史認識を示すのか。大方、その一点を注視した。途上にある中国、韓国との和解の動向を左右する、つまり東アジアの安定に深く関わるからである。
 談話で安倍首相は、戦後50年の村山富市首相談話、60年の小泉純一郎首相談話を受け入れて「痛切な反省」を盛り込み、「植民地支配と侵略」「おわび」にも言及した。
 自身が設置した有識者懇談会の報告を踏まえ、強く談話の継承を求める公明党の意向にも留意。安全保障関連法案の参院審議への影響も意識して、個人の歴史観を抑制気味に調整を図った形だ。
 避けてきた「侵略」「おわび」に触れ、先の談話のキーワードを全て盛ったものの、国際的原則や過去の談話に沿わせるなど、自らの真意を覆い隠すかのようだ。
 侵略やおわびの主体の不透明さも否めず、姑息(こそく)と受け取られかねない。説明は回りくどく、自身の認識を回避した格好で、歴史修正主義者との疑念を払拭(ふっしょく)できまい。
 共同通信社の戦後70年に関する世論調査で、アジアの植民地支配と侵略への「おわび」の言葉を入れるべきだとの回答が67%を占めた。
 近隣国との関係改善への悪影響も懸念し、村山談話を明確に引き継ぐよう求めたと言え、不満の残った国民も少なくないだろう。
 首相談話は国民と国際社会に向けた宣言であり約束である。どう受け止められるか、反応を計算し尽くさねばならない。その点、国益を踏まえ中国、韓国との信頼関係再構築に向けて、絶好の機会を最大限生かしたとは言えまい。
 安倍首相は「歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」とする一方、村山、小泉両談話との違いにこだわり、過去を振り返るよりも「未来志向」の強い内容を目指した。
 戦後、平和主義を貫き、国の繁栄と国際貢献に努めた流れをアピールし、未来への希望と新たな使命を国内外に示す、というものだ。
 確かに歩みは誇っていい。ただ、自画自賛的な表明は、どれほど称賛を得られよう。
 女性の名誉、尊厳に言及、慰安婦問題を抱える韓国への配慮をにじませるが、談話は直接的な表現による反省と謝罪の明示を基本に据えるべきだった。そうした歴史観と慎み深い戦後評価で、和解の道筋をたぐり寄せ平和の基盤を強固にしてこそ、心に響く確かな未来を語れたろう。
 分量が多い割に内容は薄く、安倍談話は「個人の見解」を完全には超えられず、戦略性の乏しい内容にとどまった。よりよい形で「上書き」されるには至らず、あえて発表した意義が問われよう


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読書日記:(社会学者・上野千鶴子さん)政治を必ず変える民意の熱気

2015-08-14 21:58:38 | ジェンダー/上野千鶴子
毎週火曜日の毎日新聞夕刊のテレビ欄の下は「読書日記」。
今週の筆者は、上野千鶴子さんの「政治を必ず変える民意の熱気」でした。
2冊の本と、小熊英二さん企画・監督のドキュメンタリー映画を紹介されていて、
とてもタイムリーで励まされる記事です。

 読書日記:今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 政治を必ず変える民意の熱気
2015年08月11日 毎日新聞

 *7月14日〜8月10日
 ■異議あり!新国立競技場 2020年オリンピックを市民の手に(森まゆみ編・2014年)岩波書店・562円
 ■復刊 あたらしい憲法のはなし(童話屋編集部編・2001年)童話屋・309円
 ■ドキュメンタリー映画「首相官邸の前で」(小熊英二企画、製作、監督・2015年)=写真は一場面

==============
 「みなさん、あたらしい憲法ができました。……このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。……ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。」

 この高らかな宣言は、1947年に文部省(当時)が発行した中学1年用の社会科の教科書『あたらしい憲法のはなし』の冒頭である。復刻版が童話屋から2001年に刊行され、14年に14刷20万部超と版を重ねている。この教科書で憲法を学んだ世代は、いま80代。あたらしい憲法ができたときの興奮とよろこびを覚えているだろう。この教科書は1952年4月以降、使われなくなった。占領期の「逆コース」と共に、朝鮮戦争が始まり、日本が「反共の砦(とりで)」となったからであろう。

 日本国憲法は誕生してまもなくから逆風にさらされてきた。55年に自由党と民主党が合同して結党した自由民主党の党是は、当初から「憲法改正」。その正統を受け継ぐと自任する安倍総理は、結党以来の宿願の達成が自分の歴史的使命だと感じているようだ。

 あたらしい憲法は欠陥だらけ、それならと早くから「憲法改正」を唱えるひとたちは、ほかにもいた。はやくも49年に、丸山真男、鵜飼信成、辻清明、磯田進、中村哲らをメンバーとする公法研究会が「憲法改正意見」を提出している。そこには、のっけから「前文」の「日本国民」という言葉を「日本人民」と改めるとある。また「その権力を国民の代表者がこれを行使し」とあるのを「その権力を人民が行使し」と改めるとする。というのも、「国民の代表者」とは「間接民主主義を意味している。しかるに……民主主義の根本原則……はあくまで直接民主主義をいみする」からである。第1章第1条の「天皇」を廃し、「人民主権を宣言する章を設ける」べきである、とラディカルである。この「憲法改正意見」は、83年刊の武相民権運動百年記念実行委員会編『続憲法を考える 五日市憲法百年と戦後憲法』に収録されている。「五日市憲法」といえば、歴史学者色川大吉さんが発見し、最近では皇后陛下がごらんになって高く評価された「民権(人民主権)憲法」である。立憲主義のもとでは、憲法遵守(じゅんしゅ)義務を持つのは天皇以下、内閣、国会議員、公務員等であるが、今や違憲内閣、違憲国会を持つ日本では、天皇と皇后が最大の憲法遵守者かもしれない。

 多数派の専制が既成事実として積み重ねようとした決定を、民意が押し戻した例がある。新国立競技場案の白紙撤回である。森まゆみさんたちが『異議あり!新国立競技場』のキャンペーンを始めた頃、正直に言うがわたしは言ってもムダ、としらけた気分でいた。だが、おかしい、ヘンだ、と声を上げつづけた人たちの熱意がついに政治を変えた。

 歴史社会学者の小熊英二さんが、ドキュメンタリー映画『首相官邸の前で』を製作した(9月から公開)。3・11以後の脱原発運動の記録を、さまざまな人たちのブログやyoutubeから集めて編集したという、手法においても画期的な集合的プロジェクト。「デモで社会は変わりますか?」という問いに、柄谷行人さんは「デモのできる社会に変わる」と答えた。今夏の国会前の熱気は、その延長線上にある。官邸前の脱原発デモは最大時で20万人に達した。国会を20万から30万の人々が囲めば、政治は必ず変わる。

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 筆者は上野千鶴子、松井孝典、津村記久子、松家仁之の4氏です。
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 ■人物略歴
 ◇うえの・ちづこ

 東京大名誉教授、認定NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」理事長。「おひとりさまの老後」など著書多数。 


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今日はお盆、特に行事などはしないのですが、
子どもたちが相談して、午後に時間を合わせて来てくれました。

3時のおやつは、畑から収穫して冷やしておいた、
特大スイカを切りました。
包丁を入れたらパリッとひびが入るくらい実が充実していて、
今年たくさん切った西瓜のなかで、いちばんの出来です。

待ちきれない様子の小さな子たち。

切り終わったら、夢中でかぶりついていました。
西瓜をたんのうした子たちは、また遊びに熱中。


大人たちは、おみやげにもってきてくれた絶品の最中と、

手作りシフォンケーキでお茶を飲みながら、

おしゃべりに花が咲きました。

総勢おとな9人、子ども7人のにぎやかなひととき。

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<空き家を生かす>生活保護受給者への賃貸物件(白井康彦)/<母乳ストーリー>母親の孤独

2015-08-13 15:18:22 | ほん/新聞/ニュース
中日新聞の木曜日の生活面の記事はシリーズ<空き家を生かす!!>、
「生活保護受給者への賃貸物件」。
執筆社会通念は、日曜日にお話を聞いたばかりの白井康彦三です。

この<空き家を生かす!!>、過疎地の空き家対策から、
生活保護受給者に住むところをつなぐ実践を紹介するなど、
とってもおもしろいです。

あなたの自治体での空き家も生かすことを考えてみませんか。

 
 <空き家を生かす!!> 生活保護受給者への賃貸物件
2015年8月13日 中日新聞

 全国の賃貸住宅所有者でつくる公益社団法人・全国賃貸住宅経営者協会連合会(東京都)は十月から、賃貸住宅の空き室を生活保護受給者に貸しやすくするための事前登録制度を始める。所有者が受給者への貸し出しを原則的に認める物件を、インターネットで簡単に検索できるようにして、住宅を探す受給者に便宜を図りながら、空き室の減少を目指す。

 生活保護の受給者が賃料が安い物件に転居しようとしたり、ホームレスの人が新たに受給して賃貸住宅に新規入居したりする場合、現状では不動産仲介業者が物件所有者に「借りたい人が生活保護受給者だが、貸してもいいか」と一軒ずつ確認している。しかし受給者OKの物件がどれなのか分からないため、何軒も断られ続ける受給者が多い。

 生活保護には家賃に当たる住宅扶助が毎月含まれており、所有者からすると「定期収入がある人」と見ることもできる。賃貸住宅の供給過剰などで古い賃貸住宅の空き室が増えていることから、「空き室にしたままより、受給者に貸し出したい」と希望する声が強まっている。

 連合会には、全国約四十二万件の空き物件を網羅したデータベースがすでにある。所有者の申し出を受けて、「受給者に原則として貸し出せる物件」という趣旨の項目を新たに付け加え、簡単に検索できるようにする。自治体ケースワーカーらが受給者の家族構成などの事情に合った物件を選び、受給者本人が入居申し込みをする。

 連合会が七月中旬から、物件の登録を呼び掛けるパンフレットを作ったところ、自治体や所有者からの問い合わせ、受給者からの空き室紹介の依頼などが約百件に達した。事務局長の稲本昭二さん(54)は「高齢の受給者から感謝の声が寄せられています」と顔をほころばせる。

 ただし生活保護受給者の場合、家賃滞納や、保証人や緊急連絡先を確保できないことが貸し出しのリスクとなっている。連合会は▽自治体が所有者に家賃を直接支払う「代理納付」を認めている自治体が多い▽保証人や緊急連絡先の代行サービスを活用できる▽孤独死を防ぐ安否確認サービスや孤独死に備える補償保険がある-などを所有者に知らせ、空き室減少に結びつけたいとしている。

 生活困窮者が生活保護を受給できるように支援してきたNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」(東京都)によると、七月から住宅扶助基準の切り下げが実施され、生活保護受給者の住宅探しはさらに難しくなっているという。理事長の大西連さん(28)は「賃貸住宅業界から対策が打ち出されたことは歓迎したい」と話す。

 愛知県の賃貸住宅所有者などでつくる公益社団法人愛知共同住宅協会(名古屋市)は、受給者らのアパート探しの手伝いもしている。理事を務める弁護士の杉本みさ紀さん(49)は「生活困窮者の相談を受ける自治体担当者などからも、アパート探しの支援要請がある。簡単に検索できれば、素早い支援に結びつけられるのでは」としている。
 (白井康彦) 


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もうひとつ、
中日新聞生活面の記事で紹介したいと思っていたのが、
シリーズ<母乳ストーリー>。

ちょうど勉強会の準備などでいそがしい時期だったので、
記事をとりためておきました。

わたしの<母乳ストーリー>は昔々のことですけれど、
母乳にまつわる苦労話は、どれも身につまされて
「涙なしには読めない」ですね。

 <母乳ストーリー>安全な「バンク」のお乳 早産児には命綱に(2015年6月5日 中日新聞)

 <母乳ストーリー>臓器移植後に出産 薬のリスクで葛藤(2015年6月19日 中日新聞)

 <母乳ストーリー> 新米ママの悩み(2015年7月31日 中日新聞)

  <母乳ストーリー> 母親の孤独 助産師も医師も悩んだ
2015年8月7日 中日新聞

 裸ん坊の赤ちゃんが、体重計に乗せられた。「あ、大きくなってる」。母親の顔がほころんだ。東京都港区の産婦人科「白金高輪海老根ウィメンズクリニック」で、先月下旬に行われた「新米ママクラス」。助産師の福山真優子さん(30)が優しく見守っていた。

 クリニックで母乳外来を担当する福山さんは、長男(3つ)を出産後、母乳で悩んだ。切迫早産の危険から、妊娠中は胸のマッサージができなかった。二〇一二年五月に、里帰り先の石川県七尾市の病院で生まれた長男は、体重二五〇〇グラムで小さめ。乳首をうまく吸えなかった。「吸ってくれないと母乳が出ない」。乳首を刺激するため、一日十回も搾乳した。

 「おしっことうんちが一定回数出ていれば、母乳は足りているから大丈夫」。日頃、新米ママにこう指導していた。それなのに自分は不安で、授乳のたびに長男の体重を測定。体重は思うように増えず、粉ミルクを足した。母乳育児を勧めてきた助産師としての誇りはズタズタ。「一日中おっぱいを出して、母乳を飲めない子どもと格闘していた。孤独だった」

 三週間後、都内に住む指導役だった助産師に泣きながら電話で相談した。「このままじゃ母乳で育てられない」。助産師は石川県まで来て、胸や背中をマッサージして吸わせ方も一緒に考えてくれた。一カ月ほどすると長男は徐々に強く吸えるようになり、母乳は安定して出るようになった。

      ◇
 「産んだら母乳は勝手に出ると思っていた。母乳育児には、ものすごい苦労が伴う」。こう話すのはクリニックの産婦人科医、海老根真由美さん(44)だ。

 海老根さんも長男(7つ)を出産後、母乳育児でつまずいた。産婦人科医といえども、母乳に関しては素人だと痛感した。「母乳で悩み傷ついた経験から、母親たちに寄り添いたい」。別の病院で一緒に働いたことのある福山さんに声をかけ、一三年六月に開業した。

 クリニックには、母乳で苦労した産婦人科医がもう一人いる。同年九月に第一子の長女(1つ)を産んだ医師(43)。高齢の帝王切開で母乳が出にくく、患者としてクリニックの母乳外来に通院していた。

 「産婦人科医院はお産で忙しく、母乳指導する余裕がないところが多い。短い入院中に母乳育児を軌道に乗せることは難しく、退院後こそ支援が必要だと気付いた」。一四年二月、クリニックの仲間に加わった。

 クリニックは土日祝日も含め毎日開いている。「助産師も医師も母乳で悩んだ経験から、いつでも誰でも駆け込める場所にしたいと思った」と海老根さん。働いている人や父親も参加できるように、妊婦向けの母親学級は日曜日に開催。妊娠中から、母乳が出る仕組みなどを教えている。

 産後の育児支援に力を入れるのは、もう一つ理由がある。海老根さんは以前、埼玉県内の大学病院に勤務し、切迫早産など緊急性の高いお産を担当した。だが退院後に赤ちゃんが虐待で亡くなったり、母親が虐待で逮捕されたりする事件を目の当たりにした。

 厚生労働省の調査でも、一三年までの十年間に虐待で死亡した子ども五百四十六人のうち、一歳未満が44%の二百四十人。生後一カ月未満は百十一人で、加害者の91%が実母だった。海老根さんは「核家族化で、一人で育児を背負いがちの母親たちを救っていきたい」と話す。
 (細川暁子) 


産後うつの一因は「完全母乳」思想にあり?(2015年07月31日 東洋経済オンライン)

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つぶれ梅で、万能梅びしお。梅パワーで残暑を乗り切ろう!

2015-08-12 09:31:30 | 梅仕事/手作りしょくひん
二日間干した小梅は、しなしなになっています。


ちょっと出かける用事があるし、
夕立があるといけないので、
ビンに戻しておくことにしましょう。

ビンとホーロー容器があったのですが、

水分もとんで梅もしなびたので
一つに入ってしまいました。

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くずれた梅は、つぶして種を取り、
すり鉢であたります。


日本みつばちの蜂蜜とあわせると、
梅の酸味が効いた調味料になります。

蜂蜜を入れてまぜ合わせて、好みで甘くします。


さらにすり鉢であたって、


空きビンに詰めます。

傷まないのでこのまま保存。

いくつかのビンに小分けして、

すり鉢に残ったところにきゅうりを3本小口切りで入れて、
きゅうりの酢モミ和え。
夏バテ対策に良い一品です。

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