常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ニラの花

2013年07月27日 | 農作業


ニラを栽培するようになったのは、農園で地主さんからニラの株を分けてもらってからだ。それ以来もう5年も、ニラは春から夏にかけての貴重な栄養源になっている。わけても雪がとけて勢いよく伸びる一番取りのニラは感動的においしい。わが家のニラは幾度も刈って食べるので、花茎が出るのが遅い。それでもようやくところどころに、花茎が伸びてきた。まだ花が開かない、茎が柔らかいうちに摘んできて食べる。これも葉に劣らずにおいしい。

散歩の途中で見かけたニラの畑に、ニラの花が咲いているのを見つけた。我が家の畑とは違って、もう花は盛りを迎えている。よく観察すると、この白い花も結構と美しい。

寡婦の手にあまる捨て畑韮咲けり 米田双葉子

植物のサイトを見ていると、ニラの花も食用にすることが分った。中華料理では、ニラの花を塩漬けにして、しゃぶしゃぶの薬味として利用している。また韓国では、キムチやチジミの具に使われているという。アジアの地域ではニラは大切な食材として古くから利用されてきたのであろう。

ニラはベータカロチンやビタミンCの含有量が多く、その成分はビタミンB1と結合して吸収をよくする。胃腸にやさしい食材である。たくさんのお礼の肥料を施して、来年のおいしいニラに備えたい。

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イチジク

2013年07月27日 | 登山


イチジクが熟しはじめた。もう甘くなったのか鳥が啄ばんだ跡があった。もっとも熟したイチジクは皮が裂けて、薄ピンクの果肉が見える。こうなると鳥でなくとも熟しているのが分る。とて甘く、おいしい。実をもぐと白い乳汁が出てくるが、この汁がいぼやウオノメ、痔に効くとして用いられた。

無花果をさぐれば堅し採らで置く 島田 五空

聖書の「創世記」には、神によって造られた男と女、アダムとイブの話がその冒頭にある。彼らは、裸であったが、恥ずかしいとも思わない存在である。エデンの園に木の実がなっているのをイブは見つける。

「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」

と書いて、禁断の木の実を食べたアダムとイブは、知性に目覚め衣服をまとうようなったことが書いてある。

今、そのエデンの園から遠く離れ、人類が始めて地上に現われるときに、すでに存在していたイチジクが、こうしてこの地で実を熟させようとしていることの不思議さを思う。
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紫苑の花

2013年07月26日 | 日記


この花の仲間には、姫紫苑や春紫苑などがあるらしいが、その違いが分らない。道ばたに群がって小さな花をつけていた。大学の女子寮の名が紫苑寮といっていたから、キク科の花であることだけは知っていた。だから、この花を見ると、つい青春時代を回想してしまう。私も寮に入っていたので、寮生の交流会で女子寮を訪ねたこともあった。紫苑寮の風呂はお湯がたくさん出なくて、仕舞い湯のころにはソックス風呂になるという話を聞いた。門限を過ぎて帰った学生はこっそり窓を開けてもらい、そ知らぬ顔で蒲団に入る豪の者もあった。寮の名に相応しからぬ行いではないか。

紫苑といふ花の古風を愛すかな 富安 風生

先日、北海道の高校のクラス会の案内があったが、日程の都合で参加できなかった。もっとも、日程とはいいながら、北海道まで飛行機で行くのはそう容易いことではない。つい行きそびれるというのが実際だ。そのクラス会の様子を幹事のk君が冊子にまとめて送ってくれた。懐かしい面々のスピーチの内容が詳しく書いあるので、まるでその場にいるような臨場感があった。そのなかに、パワーをもらうスピーチがあった。Yさんのスピーチだ。彼女はこのごろ足を悪くしているらしい。

足を少し引きずりながら、厨房の仕事を続けているという。年かさは上から2番目だが、50代の人たちとも一緒に働いている。彼女がよりどころにしているのは、若い人たちからの同情はいらない、そんなつもりで楽しんで仕事をしていると語っている。つまりは、若い人には負けないということだろう。以前一緒に働いていた友達を飲み会の帰りに凍てついた階段で足を踏み外して転倒して脳挫傷で亡くしたこと、そんな寂しさに耐え、友人のように失敗しないように、階段を踏みしめながら働いていると語っている。いつも明るいYさんが少し暗い話になるけれどもと、断りながら語る覚悟に力をもらった。
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菜食主義

2013年07月25日 | 日記


野菜作りをしているから、野菜は人が食べるより多く摂っているかも知れない。だが、野菜ばかりというわけでなく、魚も肉も大好きで、しばらく食べないととても食べたくなる。何よりもうれしいのは、いままでの食べ方でないいい方法を見つけたときだ。自分で工夫などできないから、レシピ本やクックパッドに頼ることになる。

ジャガイモを収穫したので、何か変わった方法はと、探していたら、「新ジャガの焦がしマヨネーズ」というのを見つけた。茹でたジャガイモにマヨネーズを添えるのは誰でもやる方法でが、スライスしたジャガイモをマヨネーズでソテーするいうのが目新しい。教わった方法で作ってみると、その美味しさに感動した。

イギリスの劇作家バーナード・ショーは菜食主義者であった。ショーは自宅に菜園を作って野菜を栽培した。なかでもトマトとジャガイモが大好物であった。魚や肉はいっさい口にしなかったが、それは生きものを殺すのは人間性に反することと考えていたからだ。ショーは遺言で「私の葬列には人間を従えないで欲しい。棺の後には、牛、羊、ブタ、ニワトリ、それに水槽に入れた魚たちに行列を作って欲しい。私がこれらの動物たちを愛した記念として、動物たちにスカーフをまとわして欲しい」。

ショーの葬列が、この遺言のとおりに行われたどうかはその記録がないので確かめることはできない。菜食主義者にはマハトマ・ガンジーをはじめ、トルストイ、トマス・モア、モンテーニュ、リヒアルト・ワグナーなどの有名人がいる。
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尾花沢スイカ

2013年07月24日 | 日記


夏の風物詩といえばやはりスイカだろう。尾花沢の親戚から毎年のスイカが送られてきた。冬の大雪、6月末からの大雨を経て、無事収穫された小玉スイカだ。スイカは両手で抱えきれないほどの大きさであったが、小家族化で大きなスイカが売れなくなり、最近の主流は冷蔵庫にそのまま入る小玉スイカである。皮が薄く赤い実がびっしりと詰まり甘みも強い。

井戸で冷やしたスイカを簾から入る風を受けながら食べるのは昔ながらの風景である。実家の北海道でも畑にスイカを植えた。父は甘いスイカを作るのが自慢で、とくにスイカの生長には目をかけた。何よりも元肥が一番大切であった。勢いよく地を這う蔓のあちこちで花が咲くと、雌花に雄花なの花粉を受粉させる父の姿は今も記憶に残っている。

スイカの玉は次第に大きくなっていくがどれくらいになると熟すのか、その見極めも父の仕事であった。くみ上げた井戸水に冷やしたスイカを割るのは母の仕事であった。上手に包丁を入れると真っ二つに割られスイカの甘い匂いが部屋中に広がる。大勢の兄弟がわれ先にと手を伸ばしてスイカにかぶりつくのはひとつの醍醐味であった。

農夫躍りつ朝日に西瓜抱へけり 渡辺 水巴
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