自分の蝶ブログは、ガラクタ入れになったり、玉手箱になったり。
なんでも突っ込んでいる、オモチャ箱である。
整理整頓しないで量を増やすのみ、は、わたしの日常とピタリ重なる。
質を追求し、厳選し、良いものだけを残せばよいのに。
まさに、断捨離も終活も手付かずの、自分の家と同じ。
脳があの世に行ったら、ブログ終いは、誰かに頼んでおこう。
メンドクサがられて、延々とブログ使用料が引き落とされるかも。
gooさんには長年お世話になったので、(微々たる)投げ銭代わりにお納めください。
というか、gooが存続しているか、心配ではあるが。
蝶ブログを紙媒体や、ダイジェスト版に納めようかと一時、考えて調べたことはあるが、今はこのままでよいと考える。
これ以上、わたしの私物のモノを増やすのは憚(はばか)られる。
電子データなら月々、わずかな利用料で預かってくれるし、第一、嵩張らない。
これからのわたしの目標は、モノを増やさないこと。
その後、徐々に減らして行くのが理想的展開。
だが、現実的には、わたし自身の消滅と共に、モノは全て廃棄。デフォルト。
コンピュータのように、ゼロか、1か。
選択肢は2つのうちの、1つ。
しかし、自分が消滅したら、モノを廃棄できない。
あとは全て任せた!と、負の遺産を押し付けることになる。
せめて、負の遺産だけはリセットしておかねば。
ゴミなら廃棄すれば済むが、処分するのに手間暇、労力とお金がかかるものは、後の人が迷惑だ。
ということは、ゴミも大量にあると廃棄にお金がかかる。
遺品整理屋さんは、ゴミの中に、ピカリと光る金目のモノがあると想像するが。
あるとも限らない。
立つ鳥跡を濁さず。
立つことを視野に入れて生きていくことになる。
いつも枕元には明日着る服のみを置いて寝る。全ての持ち物はそれだけ。
あと、スマホと充電器。
スカッとカッコイイが、災害備品、備蓄品など買い揃え、食品は買い替えたり、何も無しでは不安だ。
頭の中はどんどん記憶が衰えていくのがわかる。
それと共に気力が減少する。特に好奇心の、がた減り。
人生の節目、季節の移り変わりを実感する。
これから本格的に老人になっていく。
入り口でウロウロではなく、既にゲートを突破している。
無になる準備、無に向かう道のり、元気に意気揚々と、楽しく鼻歌まじりに、、、とは、まだそうは行かない。
老いの季節にどっぷり浸かると、また具合よくギアチェンジした走行になるのだろう、、、けれど。
季節の変わり目はやはり調子が良くない。