蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログとSNS

2014-10-05 | ブログ

わたしが、今、毎日しつこく見に行く、某SNS。
mixiのようなものであるが、当然、mixiではない。
ブログと違い、会員間のネットワークやコミュニケーションに重きを置いているようである。

同じSNS的機能を持つ、例えば、アメーバだとすると、
ゆるやかに会員同士のコミュニケーションができ、会員でなくても読めるし、コメントもできる。
いろんな会員間のコミュニティもあり、いろんなものに参加できる。

ここ、蝶ブログを開設しているgooにも多分あるのだろうけれど、
まったく興味がない。

で、その毎日訪れる某SNSは、会員にならないと、人の日記が読めない。
外部からだと最初のほんの数行だけ。コメントも入れられない。

「行きずりの者ですが・・・」というコメントはできない。
会員になると、コメントしてきた人のページに行ってみて、
まったく日記が書かれていなかったり、あるいは、ほんの少ししか書かれていなかったり、
人にばかり頻繁にコメントしたり、訪れてきて、自分の日記はお留守のような人だったり・・・、
で、こんな人、いやだな~と思えば、アクセス拒否できる。

中には、何度もハンドルを変えて、プロフィールも変えて、出直してくる超・不審人物がいる。
でも日記の中身が少ないから、すぐばれる。


その、わたしのお気に入りSNSで問題なのは、
訪れた人のところに、自分の足跡が残るということだ。
かつてmixiにもそんな機能があったが、選択性で自分で足跡を消せることもできた。(今は知らないが)

訪れた人の足跡が、しかも、きっちり時間付きで残る。
最後に訪れた時間が示されるのだが、ちょいちょい自分の管理ページをチェックしていると、
「あ、この人、2時間前にも、あら、1時間前にも、来てる・・・!!」なんてことが、わかってしまう。

そして、全員が見ることができる、各個人のページトップには、その人を訪れた人のハンドルと日付が、数人、出る。
あ、こんなところに、この人が、あの人のところに行っている・・・なんてかんじで、
まるで団地かマンションの、近しい幼稚園のママ友同士が、お互いの行動を監視し合っている目のようだ。

そんなことをネチネチやっている人が、実際にいるのかどうかは知らないが、
とりあえすは、そういう機能があるということだ。

その機能が実は、ネックになっている。
鬱陶しいのである。

自分がどこに行こうが、構わないではないか。ほっといてっ!
そして、自分のところに誰が来ようが、いいではないか。ほっといてっ!
見なければいい、気にしなければいいことだが。

当然、主となるのは日記。
日記にコメントがつけられたり、拍手(共感)されたりの機能があるのだから、
そこで十分、意見や感想、言いたいことは表現できると思うのだ。
足跡機能さえなければ、もっと快適なのだが・・・。
逆に、それが気になって、いつもいつも、自分の管理ページを見に行ってしまう。
誰か、来たかな?と。
足跡が気になる・・・。

あのSNSは、それがひとつの手なのだろうか。
だとしたら、まんまと罠にかかっている。


キライな人が一人いる。
(何度も、ここに書いているが)
その人のことが気になるのだが、最近、「キライなのに見に行きたい禁断症状」も克服して、
その人の日記がアップされても、見に行かなくても、済むようになった。
涼しい顔。
見に行けば、わたしの足跡が残るから、見に行かない。
ほんとうは、キライなのでとても見に行きたいのだが(この定義、おかしい)、ぐっと我慢。
そうすると、最近、その人が、わたしのところに、しばしば訪れるようになった。
彼女は、「キライなのに見に行きたい病」に、かかったばかり?
その人も、わたしのことが、絶対、大嫌いのなずなので、お互い、禁断症状・克服競争?

何個かアップされた日記を溜め、今度、一度だけ訪れた時に、日記を一気読みしようと思っている。
何度にも分けて読むと、時間が、その度に、あちらのマイページに残るから。

(しかし、まあ、わたしは、なんと、くだらないことを書いていることか・・・)


ちなみに、そのSNS、これでは息が詰まるだろうと、作り手側が、気配りしたのかどうだか知らないが、
自分のページを離れて、匿名で書ける日記がある。
そこには、皆さん、好きなように書いておられる。
やはり、匿名性というのは、多くの「しばり」から開放される。
匿名という気楽さや、責任のなさから、人間性が如実に現れる。

ある程度、なにかを書く人は、内容なり、表現なりに、慎みをもって書くべきだと私は実感する。


この蝶ブログは、ほとんど一方通行。
よくこれで、ここまで来たものだと自分で感心する。
書くほうも書くほう、お読みになるほうも、そう。
忍耐と継続性。
お読みになるほうは、おもしろくなければ、ぽい。
書くほうも、飽きたら、ぽい。ブログ閉鎖。
じつに簡単で後腐れがない。

しかし・・・
例えば、ある人のブログをじっと追っているとする。
最初に書きたいことが、ど~っと出てくる。
堰を切ったように。
真面目だったり、おふざけだったり、パロディだったり、重厚だったり。
何年かすると、書きたい内容が変わってくる。
濁流が澄んで来る。


(ちょっと読まない期間があったとしても)
ひとつのブログを腰を据えて読み続けるのも、人間観察、
定点観測のひとつかも知れない。
ただし、その人のことに興味を持ち、価値観がどこかの部分で共通するものがなければ、
とても続かない。

 

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