一昨日、息子の家に、娘たちと初めて行った。
渋る息子に、長女が音頭を取って、女性3人で押しかけた、というのが実情だが。
目からウロコだった。
親元を離れ、初めて一人住まいを始めた時に、私と探して選んだ住まいは、新築1K。
就職を契機に、自分の眼で見てチョイスし、昨年、住み替えた。
今度は、外は古くさい2DKの一軒家。
マンションの時より家賃は1万円も安い。
物件を探すときに、「画一化されたマンションばかりで、つまらない」と言っていた。
その彼が選んだ住まいが、これだったのか・・・。
ご近所さんを含め、昭和レトロのような、佇まい。
古築・安普請でガタピシ家屋だが、中はリフォームしてあってキレイ。
水周りや、床、建具は一新されたようだ。
特にトイレ、フロアー全般がピカピカ。
しかし、冷暖房なし。扇風機、電気カーペットなどは、もちろんなし。
夏暑く、冬寒いという。
外の気配が双方向で、よくわかる。
パソコンにまでも、サヨナラしていた。
情報遮断生活???情報源は、テレビだけ???
ネットカフェなど、ないし・・・・
潔いのはよいが、インターネットは、いったい、どこでやるのだろう???
一生、私は住めそうもない類の家ではあるが、自分なりに工夫して
どんな大邸宅より、こだわりライフを実践していた。
彼は、シンプル生活を好むようだ。
余計なものは一切排除し、気に入った最少必需品だけに囲まれていた。
キッチンには、サイフォン式のコーヒーメーカー、RIEDELの大ぶりのグラス、
白いシンプルな無駄のないラインの食器。
ただし最低限度の数量なので、我々3人分ものカップがなくて、回し飲み。
人は遊びに来ないんや・・・。
でも、分別ごみの仕訳グッズなどは徹底していた。

彼は、自炊で、素材を大切にするメニューを好んでいたが、
最近は仕事の関係から、自炊の機会が減ったらしい。
私は、玉ねぎやら、シーチキン、カニ缶、ジュースなどを持って行ったのだが。
義母からは、新米、ふりかけ、フリーズドライの味噌汁などが宅急便で送られていた。
お弁当は白米だけ炊いて持って行っているとか。
若いお嬢さんたちには、さぞや貧乏な青年だと思われているだろうなあ・・・
不憫に思って、誰か愛の手を差し伸べてくれないかなあ・・・
家の中がこんなにキチンとしていて、家事もちゃんと出来ていたら、
同居人は、ある意味、大変だろうけれど。
シンプルな低めのベッドに上質な羽根布団(義母から送られてきたもの)
大ぶりの観葉植物
オブジェだと思っていたが、実は、蚊取り線香立て(さっそく実際に使用)
琉球畳4枚
シンプルシェルフ
本は、奇麗に、でも無造作風に積まれていた。
どこかの雑誌で見たような風景。
Sinple is best.
モノのない美しさを実践していた。
彼がうちに帰って来たときは
「この家は、いい家なのに、モノが多すぎる」
「インテリアのコンセプトはないの?」
などと言っていたのを思い出す。

「暮らしの手帳」の編集長や、その他、シンプルで良質の時間、モノを
生活に取り入れている人々の著書を見せてくれた。
「思考の整理術」も。この本は、上の娘も同じ本を持っていた。
親とは真逆の方向に、子供たちは育ったようだ。
反面教師ですか。ね。
お金をこれでもかと、かけたり、モノがあふれかえっていたり、
時間の調整ができなかったり、
贅沢な生活と思っていた生活は、実は贅沢でも何でもない、
脂ぎってぶくぶく太った、頭を使わない生活なのでは。
整理整頓ができないのは、家の中だけではなく、心や頭の中もかもしれない。
平成のこの時代においては、モノに支配されない生活こそが、洗練された生活なのだろう。
究極の贅沢は、シンプルライフという、能動的に余計なものをそぎ落とした生活。
精神やポリシーに即した、極限ギリギリの選択が必要となる。
モノを捨てないためには、不必要なモノを買わない。
これがエコにつながる。
大量生産、大量消費、大量破棄の悪循環は、産業を活性化させた。
が、まさに見直される時期にきているようだ。
家の中では、私の生活と正反対の生活を送る彼。
すがすがしいシンプル生活。
大人になって、自立してひとりでシャンと歩いて行っている姿に、
安堵したような、眩しいような。
暮らしを大切にするポリシーに基づく実践を、私もちょっとは取り入れないと・・・
そう反省しつつ、家を後にした。
渋る息子に、長女が音頭を取って、女性3人で押しかけた、というのが実情だが。
目からウロコだった。
親元を離れ、初めて一人住まいを始めた時に、私と探して選んだ住まいは、新築1K。
就職を契機に、自分の眼で見てチョイスし、昨年、住み替えた。
今度は、外は古くさい2DKの一軒家。
マンションの時より家賃は1万円も安い。
物件を探すときに、「画一化されたマンションばかりで、つまらない」と言っていた。
その彼が選んだ住まいが、これだったのか・・・。
ご近所さんを含め、昭和レトロのような、佇まい。
古築・安普請でガタピシ家屋だが、中はリフォームしてあってキレイ。
水周りや、床、建具は一新されたようだ。
特にトイレ、フロアー全般がピカピカ。
しかし、冷暖房なし。扇風機、電気カーペットなどは、もちろんなし。
夏暑く、冬寒いという。
外の気配が双方向で、よくわかる。
パソコンにまでも、サヨナラしていた。
情報遮断生活???情報源は、テレビだけ???
ネットカフェなど、ないし・・・・
潔いのはよいが、インターネットは、いったい、どこでやるのだろう???
一生、私は住めそうもない類の家ではあるが、自分なりに工夫して
どんな大邸宅より、こだわりライフを実践していた。
彼は、シンプル生活を好むようだ。
余計なものは一切排除し、気に入った最少必需品だけに囲まれていた。
キッチンには、サイフォン式のコーヒーメーカー、RIEDELの大ぶりのグラス、
白いシンプルな無駄のないラインの食器。
ただし最低限度の数量なので、我々3人分ものカップがなくて、回し飲み。
人は遊びに来ないんや・・・。
でも、分別ごみの仕訳グッズなどは徹底していた。

彼は、自炊で、素材を大切にするメニューを好んでいたが、
最近は仕事の関係から、自炊の機会が減ったらしい。
私は、玉ねぎやら、シーチキン、カニ缶、ジュースなどを持って行ったのだが。
義母からは、新米、ふりかけ、フリーズドライの味噌汁などが宅急便で送られていた。
お弁当は白米だけ炊いて持って行っているとか。
若いお嬢さんたちには、さぞや貧乏な青年だと思われているだろうなあ・・・
不憫に思って、誰か愛の手を差し伸べてくれないかなあ・・・
家の中がこんなにキチンとしていて、家事もちゃんと出来ていたら、
同居人は、ある意味、大変だろうけれど。
シンプルな低めのベッドに上質な羽根布団(義母から送られてきたもの)
大ぶりの観葉植物
オブジェだと思っていたが、実は、蚊取り線香立て(さっそく実際に使用)
琉球畳4枚
シンプルシェルフ
本は、奇麗に、でも無造作風に積まれていた。
どこかの雑誌で見たような風景。
Sinple is best.
モノのない美しさを実践していた。
彼がうちに帰って来たときは
「この家は、いい家なのに、モノが多すぎる」
「インテリアのコンセプトはないの?」
などと言っていたのを思い出す。

「暮らしの手帳」の編集長や、その他、シンプルで良質の時間、モノを
生活に取り入れている人々の著書を見せてくれた。
「思考の整理術」も。この本は、上の娘も同じ本を持っていた。
親とは真逆の方向に、子供たちは育ったようだ。
反面教師ですか。ね。
お金をこれでもかと、かけたり、モノがあふれかえっていたり、
時間の調整ができなかったり、
贅沢な生活と思っていた生活は、実は贅沢でも何でもない、
脂ぎってぶくぶく太った、頭を使わない生活なのでは。
整理整頓ができないのは、家の中だけではなく、心や頭の中もかもしれない。
平成のこの時代においては、モノに支配されない生活こそが、洗練された生活なのだろう。
究極の贅沢は、シンプルライフという、能動的に余計なものをそぎ落とした生活。
精神やポリシーに即した、極限ギリギリの選択が必要となる。
モノを捨てないためには、不必要なモノを買わない。
これがエコにつながる。
大量生産、大量消費、大量破棄の悪循環は、産業を活性化させた。
が、まさに見直される時期にきているようだ。
家の中では、私の生活と正反対の生活を送る彼。
すがすがしいシンプル生活。
大人になって、自立してひとりでシャンと歩いて行っている姿に、
安堵したような、眩しいような。
暮らしを大切にするポリシーに基づく実践を、私もちょっとは取り入れないと・・・
そう反省しつつ、家を後にした。