雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

共生は難しい

2020-10-22 18:55:22 | 日々これ好日

       『 共生は難しい 』

    今年は 例年になくクマの出没が多いようだ
    どうやら ドングリなどのエサになる物が
    不作らしいのが 原因らしい
    シカやイノシシ サルなども
    被害が出ている地域があるらしい
    外来の動植物も 生態系を乱すということで
    目の敵にされている物がある
    どれもこれも 人間様の都合のように思うが
    被害を受けている人々にとっては 放置するわけにもいくまい
    野生の動植物との共生は 難しい課題だ

                   ☆☆☆

 

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一を聞いて十を語る

2020-10-22 07:58:35 | 私の好きなフレーズ

   『 捨て去る資料の多さに、作品の質は比例する 』

かつて、ある女流作家のお話を聞く機会がありました。歴史小説についてのお話だったと思うのですが、「どれだけ沢山の資料を集めることが出来るか。そして、それらをどのように理解し、どのように関連付けることが出来るか。そして何よりも大切なことは、集めてきた資料をどれだけ多く捨てることが出来るか。捨て去る資料の多さに、作品の質は比例する」といった内容を語られたのが、強く印象に残っています。

それに引き換え、どうでしょうか。私たちの周辺には、十を聞いて一つを語る人などめったに出会うことがなく、「一を聞いて十を語る」人が実に多いと思うのです。
かく申す私の当ブログなどは、その典型的なものかもしれませんが、単なる世間話や社会的にそれほど影響のない人の場合は、断片的な知識をもとに世界平和や人類愛を語るのも、それはそれで結構なような気がするのですが、少なくとも、社会的影響力のある立場にある人の場合には、十を聞いて一を語れとはいいませんが、せめて、ある程度の知識に裏付けされたことだけを語って欲しいと思うのです。

       ( 「小さな小さな物語」第九部 No.530 より )          

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ニャンコは人気者

2020-10-21 18:43:25 | 日々これ好日

       『 ニャンコは人気者 』

    ペルーの「ナスカの地上絵」の近くの丘で
    新たにネコ科の動物の 地上絵が発見されたという
    紀元前200年頃に描かれた物らしく
    ナスカと同時代か それより早いものらしい
    絵の全長は37mにも及ぶ物で ロマンが広がる
    ネコは この時代によく使われたモチーフだそうで
    ニャンコは 古今東西を問わず 人気者らしい

                    ☆☆☆
    
    

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マスクの効果かな?

2020-10-20 19:02:46 | 日々これ好日

         『 マスクの効果かな? 』

     わが国の 死者数が昨年より減っている
     今年の1月から7月までの死者数が
     昨年の79万5千余人に対して 約1万8千人少なくなっている
     毎日報道されている コロナによる感染者数や死者数に
     一喜一憂している感があるが
     データーは 少し違う姿を現している
     社会生活が大きなダメージを受けるほどの対策は
     コロナ以外の疾病にも 役だった可能性がある
     1月の減少数が一番多いので 暖冬の影響もあるらしく
     マスクの効果だけではなさそうだが
     将来の公衆衛生を 考え直す機会になりそうだ

                     ☆☆☆

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ガンバレ 商店街

2020-10-19 18:50:50 | 日々これ好日

       『 ガンバレ 商店街 』

    GoTo商店街がスタート
    何かとトラブルが報じられる GoToシリーズだが
    GoTo商店街には 成功しそうな予感がする
    商店街を利用することは めったにないが
    多くの商店街が 苦戦しているらしい
    今回のキャンペーンが
    単なるコロナ対策ばかりでなく
    商店街復活の 端緒になって欲しい
    ガンバレ 商店街 !!

              ☆☆☆

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駅伝の季節到来

2020-10-18 19:02:33 | 日々これ好日

        『 駅伝の季節到来 』

     プリンセス駅伝が行われた
     全日本実業団対抗女子駅伝の 予選会であるが
     勝者ばかりでなく 惜しくも本戦に進めなかったチーム
     体調不良などで 満足に走れなかった選手もあり
     楽しい場面ばかりではないが
     それも含めて 駅伝は素晴らしい
     それにしても 積水化学の新谷選手は 凄い!!

                     ☆☆☆ 

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箱根路で羽ばたけ

2020-10-17 19:02:33 | 日々これ好日

       『 箱根路で羽ばたけ 』

     恒例の 箱根駅伝予選会が行われた
     いつもとは違うコースでの戦いとなったが
     箱根路への熱い思いに揺るぎはない
     毎年のことながら 悲喜こもごもの姿が見られ
     特に 僅差で敗れたチームの姿には 胸が痛む
     何かと嫌なニュースも聞かれる 大学スポーツ界だが
     予選突破チームは スポーツのすばらしさを背負って 
     箱根路で 羽ばたいて欲しい

                  ☆☆☆

                            

     

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八坂神社が国宝に

2020-10-16 19:09:13 | 日々これ好日

       『 八坂神社が国宝に 』

    京都の八坂神社本殿が 国宝に指定されたとのニュース

    国宝が満ち溢れているような京都で
    八坂神社が 国宝でなかったことに むしろ驚いた
    本殿は 1654年の再建と比較的新しいため 指定が遅れたのかもしれない
    八坂神社は 「祇園さん」の名前で親しまれているが
    全国にある 祇園社や素戔嗚尊を祭神にした
    およそ2300社の 総本社とされているようだ
    知名度は すでに十分すぎるほどだが
    たいへん おめでたいことではある

                    ☆☆☆
 

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身に添へる

2020-10-16 07:59:10 | 新古今和歌集を楽しむ

     身に添へる 影とこそ見れ 秋の月
              袖にうつらぬ 折しなければ

               作者  相模 

( No.410  巻第四 秋歌上 )
         みにそへる かげとこそみれ あきのつき
                  そでにうつらぬ おりしなければ

* 作者は、平安時代中期から後期にかけての歌人である。生没年は未詳であるが、( 998? - 1061? ) と推定され、行年は六十余歳であったと推察できる。

* 歌意は、「 わたしは 自分の身に添って離れない あなたの面影だと思って見ています 秋の月が 涙で濡れた袖に映らない時などないのですから 」といったもので、藤原範永朝臣から贈られた、「 見る人の 袖をぞしぼる 秋の夜は 月にいかなる 影か添ふらん 」という和歌に対する「返し」として詠まれたものである。
新古今和歌集では、「秋歌」に仕分けられているが、むしろ「恋歌」といえよう。

* 作者の相模は、平安王朝期に活躍した女流文学者であるが、その実力が現在に十分伝えられていない一人ではないだろうか。
相模の実父は不詳であるが、養父は武勇で名高い源頼光とされる。母は能登守慶滋保章の娘なので、清少納言や紫式部などと同程度の中下級貴族である受領クラスの家柄と考えられる。

* 相模は、十代の頃に橘則長の妻となるが、比較的短い期間で離別している。因みに、則長は橘則光と清少納言の子息である。
その後、相模守大江公資と結婚し、夫の任地である相模国に同行している。「相模」の名前は、これによるものである。
ただ、この結婚も帰京後に破綻している。1025年の頃のことで、原因は夫の女性関係らしいが、相模も藤原公任の子息である定頼と恋愛関係にあったようだ。

* やがて、一条天皇の第一皇女である脩子内親王のもとに出仕した。脩子内親王の母は、若くして世を去った中宮定子( 976 - 1000 )である。
 脩子内親王(シュウシナイシンノウ・( 997 - 1049 )
)は、幼くして母を亡くしたが、父の一条天皇には大切にされ、十二歳の時に一品に叙され准三后(太后太后宮・皇太后宮・皇后宮に準じて、身分・経済的待遇が与えられた。後世では、身分だけになっていった。)の待遇が与えられ封戸も厚遇された。父の死後は宮廷の支配的立場にあった中宮彰子や藤原道長と距離を取った。終生未婚であったが、従姉妹の娘である延子を養女として後朱雀天皇に入内させ、自身も養母として同道した。

* 相模が当時一流の女流歌人として評価されるようになった要因の一つは、脩子内親王に仕えたことが大きく影響したと思われる。
脩子内親王は1049年に薨去するが、その後は後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕え、宮廷歌壇で活躍を続けた。
能因法師や和泉式部など著名な歌人との交流が伝えられており、また歌人たちの指導的立場であったとも伝えられている。
1061年3月の祐子内親王家名所歌合を最後に消息が途絶えており、ほどなく世を去ったものと推定される。

* まことに個人的な感想であるが、中宮定子のファンとしては、その愛娘である脩子内親王に仕えて、数多くの歌合を通してその存在を示してくれた相模に大きな拍手を送りたいような気持ちなのである。
最後に、小倉百人一首に選ばれている和歌を載せさせていただく。

『 うらみわび ほさぬ袖だに ある物を 恋にくちなむ 名こそおしけれ 』

     ☆   ☆   ☆

 

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雪の便りが

2020-10-15 18:58:32 | 日々これ好日

        『 雪の便りが 』

     北国から 雪の便りがしきり
     山岳や高地が中心だが
     どうやら 冬将軍は目覚めていて
     出番のタイミングを計っているらしい
     当地などは ようやく秋本番だと思っていたが
     季節は 案外 あわてんぼうらしい

                  ☆☆☆

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