今昔物語拾い読み ご案内
『今昔物語集』という壮大な説話集がある。
全体は三十一巻で構成されており、収載されている説話は一千六十話ほどにも及び、さらに、一話の中には似たような話が二編、時には三編載せられているので、それらを一話として数えるとさらにその数は増える。
また、三十一巻のうち、巻第八・巻第十八・巻第二十一の三巻は現存していないが、これらは伝承の過程で紛失されたものではなく、当初から未完であったらしい。また、巻第七や巻第二十三などには欠落している部分があるが、これらも、消失したというより当初から載せられていなかったらしい。
さらに、文中に、虫食いなどで読み取れない文字があるのは当然としても、それ以外に、当初から人名などが空欄としている部分があり、後で埋めようとしたのか何らかの理由があったのかは不明である。
つまり、『今昔物語集』はまだ完成途上だったのである。
個々の物語は、ごく一部の例外を除き、「今昔」(今ハ昔)という言葉で始まり、「ト ナム語リ伝ヘタルトヤ」と終る、実に見事な構成になっている。
作者あるいは編者は未詳である。諸説あるが確定に至っていないが、一人の手によるものらしい。
個々の物語は、「今は昔」とあるように、伝承されてきたものを集めて編集されたもので、編者(作者)のオリジナルのものはないようである。
この膨大な量の説話集は、見方によっては、あの「アランビアン・ナイト」を凌ぐほどの評価を得てよいと思われるが、必ずしもそうではないらしい。その理由の一つは、仏教説話的な傾向が強すぎることや、個々の作品が玉石混交と評されることがあることなどにより、今一つ評価が安定していないらしい。
『今昔物語集』の成立は、平安末期、西暦1120年の頃と考えられている。記事の内容からの推定であるが、その一方で、他の資料で見られるようになるのは西暦1449年からのことで、三百年ほどの間は、静かに眠っていたらしい。
現存している最古のものと考えられるものは、京都大学付属図書館蔵の「鈴鹿本」と呼ばれるもので、一部しか伝えられていないが紙質から原本である可能性が高いとされている。そして、それには『今昔物語集』と記されていることから、書名は当初からのものといえる。
作品は、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)に区分けされていて、仏法にまつわるもの、それ以外のものに編集されている。
興味深い話や、別の文献にも登場しているものが多く、読み物として楽しいものが多いのであるが、何分、仏教的なものの比重が高く、最初から読んでいくとなれば、私のような素人には、なかなか荷が重い。
そういう理由で、『今昔物語拾い読み』などと、自分に都合の良い掲題を付けて、あちらこちらを拾い読みしていこうと考えたのである。
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本稿は、『今昔物語集』の研究書でもなければ、正確な現代訳を目指すものでもありません。
このアラビアン・ナイトを凌駕するほどの説話集を、その物語の要旨だけを楽しむためにご紹介するものです。
果たして、どれだけの量をご紹介することが出来るのか、全編を読破することが出来るのか少々不安もありますが、順次ご案内して参りますので、よろしくお願いいたします。
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