枕草子 第二百四十八段 いみじう仕立てて
いみじう仕立てて壻どりたるに、ほどもなく住まぬ壻の、舅に会ひたる、「いとほし」とや思ふらむ。
ある人の、いみじう時にあひたる人の壻になりて、ただ一月ばかりもはかばかしう来で、やみにしかば、すべていみじういひ騒ぎ、乳母などやうの者は、禍々しき言などいふもあるに、その返る睦月に、蔵人になりぬ。
「あさましう。『かかる仲らひには、いかで』とこそ、人は思ひたれ」
など、いひあつかふは、きくらむかし。
(以下割愛)
たいへん立派な支度をして婿を迎えたところが、幾日も経たないうちに通って来なくなった婿が、舅と出会ったとき「気の毒なことをした」とでも思うのでしょうか。
ある男性が、とても羽振りのよい有力者の娘の婿になったのに、たったの一か月さえ満足に通って来ないで、それっきりになってしまったので、娘の邸では家中で非難し、乳母などといった者には、婿に対して不吉なことを言ったりする者さえあるのに、その翌年の一月には、その婿が蔵人になってしまいました。
「驚いたなあ。『こんな関係があるのだから、まさか蔵人抜擢なんてあるまい』と、誰でも思っていたのに」
など、世間で噂するのは、当人も耳にしていることでしょうよ。
六月に、ある人が法華八講を催された所に、人々が集まりお説教を聞いた折に、蔵人になった婿が、綾織りの表袴・黒半臂など、たいへん鮮やかな装束で、置き去りにした妻の牛車の鴟尾(トミノオ・牛車の轅の後部末端が両側に突き出ている部分)というものに、半臂の緒をひっかけてしまいそうな近くに居たのを、「車中の妻は、どんな気持ちで見ているのだろう」と、車で来ている人たちも、事情を知っている人はみな気の毒がったことですが、そこに居なかった人たちも、
「よくもその男は、平気で居れたものだ」などと、あとあとまで噂したものでした。
まあ、やはり男というものは、思いやりとか、他人の思案などには、気がつかないものですねぇ。
薄情な男に、さすがの少納言さまも相当お怒りのようです。
妻問婚であり、複数の女性を妻とするのが普通の社会だったのでしょうが、やはりそこには、情愛があり、それなりのモラルがあったはずで、ここに登場している人物は極端だったのでしょうね。
いみじう仕立てて壻どりたるに、ほどもなく住まぬ壻の、舅に会ひたる、「いとほし」とや思ふらむ。
ある人の、いみじう時にあひたる人の壻になりて、ただ一月ばかりもはかばかしう来で、やみにしかば、すべていみじういひ騒ぎ、乳母などやうの者は、禍々しき言などいふもあるに、その返る睦月に、蔵人になりぬ。
「あさましう。『かかる仲らひには、いかで』とこそ、人は思ひたれ」
など、いひあつかふは、きくらむかし。
(以下割愛)
たいへん立派な支度をして婿を迎えたところが、幾日も経たないうちに通って来なくなった婿が、舅と出会ったとき「気の毒なことをした」とでも思うのでしょうか。
ある男性が、とても羽振りのよい有力者の娘の婿になったのに、たったの一か月さえ満足に通って来ないで、それっきりになってしまったので、娘の邸では家中で非難し、乳母などといった者には、婿に対して不吉なことを言ったりする者さえあるのに、その翌年の一月には、その婿が蔵人になってしまいました。
「驚いたなあ。『こんな関係があるのだから、まさか蔵人抜擢なんてあるまい』と、誰でも思っていたのに」
など、世間で噂するのは、当人も耳にしていることでしょうよ。
六月に、ある人が法華八講を催された所に、人々が集まりお説教を聞いた折に、蔵人になった婿が、綾織りの表袴・黒半臂など、たいへん鮮やかな装束で、置き去りにした妻の牛車の鴟尾(トミノオ・牛車の轅の後部末端が両側に突き出ている部分)というものに、半臂の緒をひっかけてしまいそうな近くに居たのを、「車中の妻は、どんな気持ちで見ているのだろう」と、車で来ている人たちも、事情を知っている人はみな気の毒がったことですが、そこに居なかった人たちも、
「よくもその男は、平気で居れたものだ」などと、あとあとまで噂したものでした。
まあ、やはり男というものは、思いやりとか、他人の思案などには、気がつかないものですねぇ。
薄情な男に、さすがの少納言さまも相当お怒りのようです。
妻問婚であり、複数の女性を妻とするのが普通の社会だったのでしょうが、やはりそこには、情愛があり、それなりのモラルがあったはずで、ここに登場している人物は極端だったのでしょうね。