雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

いみじう仕立てて

2014-05-31 11:00:15 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十八段  いみじう仕立てて

いみじう仕立てて壻どりたるに、ほどもなく住まぬ壻の、舅に会ひたる、「いとほし」とや思ふらむ。

ある人の、いみじう時にあひたる人の壻になりて、ただ一月ばかりもはかばかしう来で、やみにしかば、すべていみじういひ騒ぎ、乳母などやうの者は、禍々しき言などいふもあるに、その返る睦月に、蔵人になりぬ。
「あさましう。『かかる仲らひには、いかで』とこそ、人は思ひたれ」
など、いひあつかふは、きくらむかし。
     (以下割愛)


たいへん立派な支度をして婿を迎えたところが、幾日も経たないうちに通って来なくなった婿が、舅と出会ったとき「気の毒なことをした」とでも思うのでしょうか。

ある男性が、とても羽振りのよい有力者の娘の婿になったのに、たったの一か月さえ満足に通って来ないで、それっきりになってしまったので、娘の邸では家中で非難し、乳母などといった者には、婿に対して不吉なことを言ったりする者さえあるのに、その翌年の一月には、その婿が蔵人になってしまいました。
「驚いたなあ。『こんな関係があるのだから、まさか蔵人抜擢なんてあるまい』と、誰でも思っていたのに」
など、世間で噂するのは、当人も耳にしていることでしょうよ。

六月に、ある人が法華八講を催された所に、人々が集まりお説教を聞いた折に、蔵人になった婿が、綾織りの表袴・黒半臂など、たいへん鮮やかな装束で、置き去りにした妻の牛車の鴟尾(トミノオ・牛車の轅の後部末端が両側に突き出ている部分)というものに、半臂の緒をひっかけてしまいそうな近くに居たのを、「車中の妻は、どんな気持ちで見ているのだろう」と、車で来ている人たちも、事情を知っている人はみな気の毒がったことですが、そこに居なかった人たちも、
「よくもその男は、平気で居れたものだ」などと、あとあとまで噂したものでした。

まあ、やはり男というものは、思いやりとか、他人の思案などには、気がつかないものですねぇ。



薄情な男に、さすがの少納言さまも相当お怒りのようです。
妻問婚であり、複数の女性を妻とするのが普通の社会だったのでしょうが、やはりそこには、情愛があり、それなりのモラルがあったはずで、ここに登場している人物は極端だったのでしょうね。
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世の中に

2014-05-30 11:00:30 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十九段  世の中に

世の中に、なほいと心憂きものは、人に憎まれむことこそあるべけれ。
誰てふもの狂ひか、われ「人にさ思はれむ」とは思はむ。されど、自然に、宮仕え所にも、親・同胞のうちにても、想はるる・想はれぬがあるぞ、いとわびしきや。

よき人の御事は、さらなり。下種などのほどにも、親などのかなしうする子は、目立て、耳立てられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるは、ことわり、「いかが想はざらむ」とおぼゆ。ことなることなきは、また、「これを『かなし』と思ふらむは、親なればぞかし」と、あはれなり。

親にも、君にも、すべてうち語らふ人にも、人に想はれむばかり、めでたきことはあらじ。


人生で、何といっても不愉快なことは、人に憎まれているらしいということが一番に違いありません。
どこのどんな気がふれている人でも、自分から、「人に憎まれたい」とは思いますまい。けれども、自然に、宮仕えに出ている所でも、親兄弟の間でも、愛される者と愛されない者とがあるのが、実に辛いことです。

高貴な方の場合は、申すまでもありません。下々の身分の者でも、親などが可愛がっている子供は、周囲の人目を引き注目されて、大事にしたくなるものです。見た目にも良い子は、もちろん、「この子を可愛がらぬはずがない」と思われます。何の取り柄もない子の場合は、それはそれで、「この子を『可愛い』と思うらしいのは、親なればこそだ」と、しんみりしてきます。

親にも、ご主君にも、すべてのつきあう人は誰にでも、人に愛されることほど、すばらしいことはありますまい。



現代の私たちとて全く同じことで、少納言さまにしては極めて素直に表現されている気がします。
『想はるる・想はれぬがあるぞ、いとわびしきや』といった部分が、個人的には大好きです。
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男こそなほいとありがたく

2014-05-29 11:00:48 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十段  男こそなほいとありがたく

男こそ、なほいとありがたく、あやしき心ちしたるものはあれ。
いと清げなる人を捨てて、憎げなる人を持たるもあやしかし。
公けどころに入り立ちたる男・家の子などは、あるが中によからむをこそは、選りて想ひたまはめ。及ぶまじからむ際をだに、「めでたし」と思はむを、死ぬばかりも想ひかかれかし。人の女、まだ見ぬ人などをも、「よし」ときくをこそは、「いかで」とも思ふなれ。かつ、女の目にも「わろし」と思ふを想ふは、いかなることにかあらむ。

容貌いとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれによみて、怨みおこせなどするを、返りごとはさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち嘆きてゐたるを見捨てて、いきなどするは、あさましう、公け腹立ちて、見証(ケンソ)の心ちも、心憂く見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。


男というものは、何とも実に不可思議なもので、奇妙な心情を持っているものですねぇ。
とても美しい女性を見捨てて、不器量な女と同棲しているなんて不思議な限りです。
宮中に出仕して覚えめでたい男性とか、良家の子息などは、とりわけ良さそうな女性を、よく選んで想いを寄せるべきです。手の届きそうもない身分の女性であれ、「すばらしい」と思うような人を、命をかけて恋してかかればいいのです。
然るべき人の娘や、宮仕えの未婚の女性で、「いい人だ」と噂に聞く女性をこそ、「ぜひとも妻に」と思うでしょう。そのくせ一方では、女の目から見ても「くだらない」と思う女を愛するのは、一体どうなっているのでしょうか。

容貌とても美しく、心情も優れた妻が、字も上手に書き、歌も巧みに詠んで、男の薄情を恨んで手紙をよこしたりするのに、男は返事だけは体裁よくするものの、妻の家に寄りつかず、妻がいじらしく嘆いているのを見捨てて、他の女のもとに行きなどするのは、あきれてしまって、むかっ腹が立って、傍から見ていても、不愉快に見えるのに、当人の問題となると、男というものは、全く女の苦悩が分からないものなんですよ。




書き出しの『男こそ、なほいとありがたく』だけを見ますと、男性に対する称賛の文章だと思ってしまうのですが、とんでもないことです。
この中の「有り難く」というのは、感謝などではなく、文字どおり「あるはずがない、理解できない」といった意味のようです。
この章段は、当時の一般的な風潮なのか、少納言さまの個人的な恨みなのか、それはよく分かりません。
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ちょっと一息 ・ 清少納言の性格

2014-05-28 11:00:37 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
       枕草子  ちょっと一息 

清少納言の性格

少納言さまは、どのような性格の持ち主であったのか? とても興味があります。

古来、様々な文人や学者などが推察されているようですが、どうも、「女性らしく、たおやか」といった評価は少ないようです。むしろその極端のような性格で、理知的で教養豊かであることは認めながらも、「出しゃばりで、知識を鼻にかける」といったイメージが強いように思われてなりません。
しかし、この評価には、かの紫式部の意見が強く反映されているように思われるのです。紫式部が仕える中宮彰子は、少納言さまが仕える定子とは政争の関係にあったことや、教養の豊かさが宮中に知れ渡っていた先輩を煙たく思っていたことも十分考えられます。
そのあたりのことや、果たして紫式部がどのような性格の持ち主であったのかということも勘案すべきだと思うのですが、少納言さまが、なよなよと人の意見に揺れ動くような女性でなかったことも確かのようです。

いずれにしても、私たちは『枕草子』を中心とした作品を通して少納言さまの性格や品格を推察すべきだと思うのです。そういう意味では、二百三十八段から続いている「何々は・・・」という章段は、少納言さまの考え方が強く出ているように思われるのです。
 
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万づのことよりも情あるこそ

2014-05-27 11:00:43 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十一段  万づのことよりも情あるこそ

万づのことよりも、情あるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。
無(ナ)げの言葉なれど、切に心に深く入らねど、いとほしきことをば、「いとほし」とも、あはれなるをば、「げに、いかに思ふらむ」などいひけるを、伝へてききたるは、さし向かひていふよりも、嬉し。
「いかでこの人に、『思ひ知りけり』とも見えにしがな」と、常にこそおぼゆれ。

かならず想ふべき人、問ふべき人は、さるべきことなれば、取り分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをも、うしろやすくしたるは、嬉しきわざなり。いとやすきことなれど、さらに得あらぬことぞかし。

おほかた、心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女も、ありがたきことなめり。
また、さる人も、多かるべし。


全てのどんなことよりも、思いやりがあることが、男はもちろんのこと、女であってもすばらしいことだと思いますわ。
何でもない言葉なのですが、心からそう深く思い込んでいるわけでもないのでしょうが、気の毒なことには、「お気の毒だ」と言い、かわいそうなことには、「ほんとに、どんなにつらいことでしょう」などと言ったということを、他の人から伝え聞いたときは、面と向かって言われるより、嬉しいものです。
「ぜひこの人には、『感謝している』という気持ちをわかってもらいたい」といったことは、いつも心にかかるものです。

自分を愛してくれているに違いない人、安否を尋ねてくれるに違いない人は、当然のことなので、格別のことでもありません。そうでもなさそうな人が、ちょっとした受け答えであっても、心強くしてくれたのは、嬉しいことです。ごく易しいことなのですが、なかなかそうは出来ないものですよ。

大体、気立てのよい人で、本当に才気もなくはないという人は、男も女も、めったにいないもののようです。
いえいえ、そういう人も、沢山いるのでしょうが、ね。



ちょっとした心遣いの持つ大きな意味が述べられています。
一番最後の、「また、さる人も、多かるべし」という文章は、少納言さま、完全に読者を意識している感じです。
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人のうえいふを

2014-05-26 11:00:16 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十二段  人のうえいふを

人のうえいふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ。
いかでか、いはではあらむ。わが身をばさし措きて、さばかりもどかしくいはまほしきものやはある。
されど、けしからぬやうにもあり。また、おのづからききつけて、恨みもぞする、あいなし。
また、思ひ放つまじきあたりは、「いとほし」など思ひ解けば、念じていはぬをや。さだになくば、うち出で、わらひもしつべし。


人の噂をするのに腹を立てる人ときたら、全くやりきれません。
どうして、人の噂を言わないでいられましょうか。自分のことは別にして、他人の噂ほど無性に話したくなるものが他にありますでしょうか。
けれども、噂話は、あまり褒められたものでもないですわね。そのうえ、本人が自然と耳にして、恨みに思うかもしれないのが、まずいのです。
また、きっぱりと嫌いになってしまえない人のことなどは、「気の毒だ」などと大目に見るので、我慢して言わないのですよ。そんな気兼ねのない時は、人前で存分に噂話をして、笑い者にしてしまうのですよ。



いやいや、大変な内容の章段です。
少納言さまが特別そうだったのか、宮中の女房方全体がそうだったのかはともかく、こうまではっきりとは言えないまでも、現代人の心理も大差ないような気もします。
それにしても、「人のうえいふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ」という書き出しは強烈です。
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人の顔

2014-05-25 11:00:20 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十三段  人の顔

人の顔に、「とりわきてよし」と見ゆるところは、たび毎に見れども、「あなをかし」「めづらし」とこそおぼゆれ。
絵など、あまたたび見れば、目も立たずかし。近う立てたる屏風の絵などは、いとめでたけれども、見も入れられず。
人の容貌は、をかしうこそあれ。憎げなる調度のなかにも、一つよきところの、目守(マモ)らるるよ。
「醜きも、さこそはあらめ」と思ふこそ、わびしけれ。


人間の顔で、「特別に美しい」と見えるところは、会う度に見ても、「まあすばらしい」「うっとりしてしまう」と思われます。
絵などは、何度も見れば、目につかなくなるものです。身近にいつも立っている屏風の絵などは、とても立派だけれど、見向きもされません。
人間の容貌というものは、面白いものです。みっともない調度(目や鼻や口などの顔の部分)の中でも、一か所良いところがあれば、目をひかれるというものです。
「同じように、一か所醜いところがあれば、目をひくに違いない」と思ってしまうのが、私なんかは情けないのですよ。



現代の私たちにも、十分伝わってくる内容です。
文章をそのまま読みますと、少納言さまは、「目や鼻や口などのほとんどは美しいが、一つだけ欠点がある」と言っているように読み取れます。
さて、少納言さまは美人だったのでしょうか、それとも・・・。
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古体の人

2014-05-24 11:00:51 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十四段  古体の人

古体の人の、指貫着たるこそ、いと怠々(タイダイ)しけれ。
前にひき当てて、まづ裾をみな籠め入れて、腰はうち捨てて、衣の前を整へ果てて、腰をおよびて取るほどに、うしろざまに手をさしやりて、猿の手結はれたるやうに、ほどき立てるは、頓のことに出で立つべくも見えざめり。


古めかしい人が、指貫をはこうとしているところは、何とも無精たらしい。
指貫の前の部分を体にあてがって、まず単衣や衣などを指貫の中に押し込んで、腰ひもは結んだままになっていて、衣の前の部分をきちんと整えてから、指貫の後ろの部分が垂れ下がっているのを、へっぴり腰で取ろうとして、後ろの方へ手を伸ばして、猿が後ろ手に縛られているような格好で、結んだままの腰ひもをほどきながら立ちあがるのは、火急の用には間に合うようには見えません。



若者びいきで、年寄りに厳しい少納言さまらしい内容です。
それにしても、年寄りがよろよろと指貫を着る様子を詳しく描写したものですねえ。

なお、「古体の人の」については諸説があって、「古代の人」というものもあるようです。ただ、文章の内容からすれば不自然と思われ、「古めかしい人」つまり「かなり老齢の人」として読み取りました。
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十月十余日の

2014-05-23 11:00:37 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十五段  十月十余日の

十月十余日の、月のいと明かきに、「歩きて見む」とて、女房十五、六人ばかり、みな濃き衣を上に着て、ひきかへしつつありしに、中納言の君の、紅の張りたるを着て、領より髪をかき越したまへりしが、あたらし、卒塔婆にいとよくも似たりしかな。
「雛の典侍」とぞ、若き人々つけたりし。しりに立ちて笑ふも、知らずかし。


十月十余日、月が大変明るいので、「歩きながら眺めよう」ということになり、女房十五、六人ばかり、全員が濃い紅の衣を上に着て、地面を引きずって汚れないように長い衣の裾を折り返していましたが、中納言の君(三十歳前後の女房で、道隆の従妹にあたる。とても小柄だったらしい)が、紅の糊がよくきいているのを着て、襟もとから髪を前に廻していらっしゃったのが、お気の毒なことに、卒塔婆にとてもよく似ているんですよ。
「ひひなのすけ」(雛は人形。典侍は次官にあたる地位。「お人形の典侍さん」といった意味)
と、若い女房たちはあだ名を付けていました。後ろに立って、背比べをして笑っているのを、本人はご存じなしなのです。



中納言の君という女房は、時々登場しています。この時典侍だったようですから、上臈女房か、そうでなくても身分としては高いわけです。
厳しい身分社会ですが、若い女房たちは、案外に自由に振舞っていたようです。
少納言さまは、中宮直属の女房だったようで、典侍などへの登用はありえなかったでしょうし、女房たちの中での位はそれほど高くないままだったようです。
それでも、中宮にごく近くで接することも多く、大臣や天皇とさえ近く接しているようですから、厳しい身分社会の中であっても、日頃は私たちが考えるほど距離を取っていたわけでもないようです。
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成信の中将

2014-05-22 11:00:33 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五十六段  成信の中将

成信の中将こそ、人の声は、いみじうようきき知りたまひしか。
同じ所の人の声などは、常にきかぬ人は、さらに得きき分かず。殊に男は、人の声をも手をも、見分ききき分かぬものを、いみじうみそかなるも、かしこうきき分きたまひしこそ。


成信の中将ときたら、女房の声を、とてもよくお聞き分けになったものですよ。
同じ所から聞こえてくる女房の声なんか、いつも聞きなれていない人は、全然聞き分けられません。特に男性は、女房の声も筆跡も、見分けたり聞き分けたり出来ないものなのに、どんなひそひそ話でも、成信殿は正確に聞き分けられたんですよ。



この辺りの章段は、特定人物の回想談が続いています。
成信の中将(源成信)も、おなじみの人物です。この人が、女房の声を聞き分けるのに優れていたという話ですが、その中で「殊に男は、人の声をも手をも」と『手』が加えられています。
『手』とは筆跡のことですが、おそらく少納言さまの得意の分野だったのでしょう。
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