雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

麗しの枕草子物語 ご案内  

2020-09-25 07:59:29 | 麗しの枕草子物語

        麗しの枕草子物語 ご案内

               千年の時を経て

『 春はあけぼの。 
  やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、
  紫だちたる雲の、細くたなびきたる。 』


ご存知『枕草子』の冒頭部分です。
今から千年余り前、平安王朝文学の全盛期に、清少納言は『枕草子』を書き残してくれました。
この名著の魅力は、原文を読んでいただくしかないわけですが、フアンの一人として少しでも多くの方にこの名著に触れていただきたく思い、原文(一部割愛している)と拙い現代訳を紹介させていただきました。
カテゴリー内の「 『枕草子』清少納言さまからの贈り物 」をぜひ覗いていただきますようお願い申し上げます。
そして、この「 麗しの枕草子物語 」は、『枕草子』の中の物語性の強い章段を頂戴して、現代文で紹介させていただいたものです。

『枕草子』を楽しむ一つの方法としてご覧頂ければ幸甚でございます。
 
           

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀れなるかな翁丸

2020-09-13 08:44:47 | 麗しの枕草子物語

         麗しの枕草子物語

              哀れなるかな翁丸


帝のお側近くで飼われている御猫は爵位をいただいておりまして、「命婦のおとど」と名付けられ、たいそう可愛がられておりました。

ある日のこと、かの御猫は縁側で体を長々と伸ばして気持ちよさそうに寝ておりました。ただ、その格好があまりにもだらしないものですから、世話役の女官が、
「何とまあ、お行儀の悪い。お部屋に入りなさい」
と声をかけましたが、御猫は動く気配さえも見せません。
世話役の女官は少しばかりおどかそうと思い、庭にいる大型犬の翁丸を呼びました。

「翁丸はどこにいるの。命婦のおとどに噛みついておやり」
と命じました。
いつものように庭にいた翁丸は、もともと忠実な性格ですから、女官の命令に直ちに反応して、その逞しい体を揺するようにして御猫に向かって走りかかりました。
御猫は大変驚き、御簾の内に走り込みました。

ちょうどそこには、帝が朝食の御膳についておりましたが、飛び込んできた御猫にたいそう驚かれました。そして、怖がっている御猫を懐に入れてやり、控えの者たちを呼びました。
直ちに、控えておりました蔵人たちが駆けつけましたので、
「あの乱暴者の翁丸を打ち懲らしめて、犬島へ流してしまえ。今すぐにだ」
と命じられました。

翁丸は、蔵人や滝口の武者たちに追い回され、散々に打ち懲らしめられたうえで追い払われてしまいました。
御猫の世話役の女官も謹慎することにまでなりました。
「可哀そうに、あんなに堂々と庭を歩きまわっていたのに」
と女官たちは同情し、
「三月三日には、桃の花を頭に飾り、腰には桜の花を差してもらって見事な晴れ姿を見せていたのに、こんなことになるなんて思いもしなかったことでしょうに」
と、わたしも哀れでなりませんでした。

「中宮さまのお食事時には、お下がりをいただこうとて必ず庭先に控えていたのに、寂しいことです」
などと言いながら三、四日が経ちましたが、そのお昼頃、激しく啼く犬の声がするので、どうしたのだろうと思っていますと、そのあたりの犬たちもその声の方に向かって走っていっています。
やがて、下級の女官が走ってきて、
「大変なことです。犬を蔵人二人がかりで打っているのですよ。あれでは死んでしまいます。何でも、追放した犬が帰ってきてしまったので、懲らしめているのだそうです」
と言うのです。
それではあの悲しげな啼き声は翁丸に違いありません。急いでその女官を止めに行かせますと、やがて、啼き声がしなくなりました。
しかし、戻ってきた女官は、
「死んでしまったので、内裏の外に捨ててしまったようです」
と、報告するのでした。

「ああ、可哀そうなことをしてしまった」と、私たちは悲しんでおりましたが、その夕方に、体中が腫れあがった汚らしい犬がよろよろと庭先を歩いているので、
「翁丸ではないかしら。近頃あんな犬は見たことがありませんよ」
とわたしが言いますと、近くに仕えていた女官たちも「翁丸」「翁丸」と呼びかけました。
しかし、その犬は呼びかけに見向きもしないのです。

「あれは翁丸だ」とか、「いや違うみたいだ」とわたしたちが話していますと、中宮さまが、
「右近を呼びなさい。右近なら翁丸をよく知っていますよ」
と言われました。
早速、右近内侍を召し出して、「あれは翁丸か」と中宮さまがお尋ねになられましたが、右近にもなかなか判別がつかないようなのです。
「とても似てはいますが、翁丸より憎らしげな感じです。それに、わたしが呼んでも寄ってもきません。翁丸は『打ち殺して棄てた』と報告されています。蔵人二人に打ち懲らしめられたのですから、とても生きてはいないでしょう」
と返答されましたので、中宮さまは、とても悲しそうでございました。
暗くなってから食べ物を与えたのですが、食べようともしないので、やはり右近の言う通りかもしれないということになりました。

その翌朝のことです。
中宮さまが御髪などを整えています時、私は御鏡をお持ちしておりましたが、いつも翁丸が坐っていた柱の基にあの汚らしい犬が坐っているのです。
「ああ、昨日は可哀そうなことをしてしまった。死んでしまったとなれば、この次は何に生まれ変わってくるのかしら。それにしても、打たれている時は辛かったことでしょう」などと考えていますと、その坐っていた犬が、ぶるぶると体を震わせ、涙を流し続けるのです。
「それでは、やはりお前は翁丸なのですね。昨日は、追放の身であることを知っていて、名乗ることが出来なかったのですね」と思いますと、その心根が哀れでなりません。

わたしは、御鏡を投げ出すようにして、翁丸に声をかけました。
翁丸は身を伏せて、応えるように激しく啼くのです。
中宮さまも、安心したかのように微笑んでいます。
帝も姿を見せられ、「犬でも、そのような神妙な気持ちを持っているのだなあ」と感心されていました。
わたしは、「はやく傷の手当てをさせなくては」などと翁丸の世話を始めますと、
「とうとう、あなたが翁丸贔屓であることが露見してしまいましたね」
と、女房たちが笑うのです。

やがて、帝のお怒りも解けて、翁丸は以前の姿を取り戻すことが出来たのです。


               (第六段  上にさぶらう・・、より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学問も命がけ

2020-09-01 08:26:46 | 麗しの枕草子物語

       麗しの枕草子物語 
         
           学問も命がけ

中宮定子さまが、たいへん美しく気立てもとても優しいお方であることは、一度でもお会いになったことのある方なら承知されていることです。さらに、聡明さにおいても、それはそれは素晴らしいお方でございます。
このお話は、中宮さまからお聞きしましたものでございます。

     * * *

村上帝の御時のことでございます。
宣耀殿(センヨウデン)の女御というお方は、小一条の左大臣の御娘でございます。
そのお方が、まだ姫君であられた頃、父君がお教えになられましたことは、
「第一に、お習字の稽古をしなさい。次には、琴を上手に弾けるように心がけなさい。その上で、古今集二十巻を全部暗誦することを学問としなさい」
というものでした。

このようなことは、良家の姫君であれば、当然の知識として学ぶものですが、さて、その程度といえば様々でございます。
一口にお習字と申しましても、見事なお手並みもあれば、判読さえ困難なお手並みの姫君も最近では珍しくありません。琴も同様ですが、古今集を全て暗誦するとなれば、これはなかなかのことで、文章博士だとて、そうはすらすらと詠み上げられるものではありますまい。

ところが、この女御の教養の高さは宮中で誰一人知らない者がいないほどに知られておりましたが、たまたま帝がこのお話を耳になされ、全く隙のない女御の鼻を明かしたいとでも思われたのでしょうか、物忌でお部屋に籠られておりました時に、古今集を持って来させたうえ、部屋の中ほどに几帳を立てさせました。
女御はいつもと様子が違うと思っていますと、帝は古今集を開かれまして、
「いついつの、どのような時に、誰それが詠みたる歌は、いかに」
と、女御に問いかけられたのです。

「ああ、こういうご趣向であられたのか」
と、聡明な女御は即座に帝の意向を察知しましたが、「間違って覚えていたり、忘れた所があったりすれば大変なことになる」と緊張されたのは当然のことでございます。
帝は、古今集をよく知る女房を二、三人ばかりお召しになって、碁石で正否の数を数えさせるようにしたうえで、女御にむりやり答えるように命じられたのです。
その時の様子を思い浮かべますと、大変な緊張が伝わってきますとともに、その場に居合わせた方々をうらやましくも思うのです。

いよいよ帝は質問を始められ、戸惑っている女御に繰り返し催促なさいますものですから、仕方なくお答えになられました。
さすがに、下の句まで全てを申し上げるような利口ぶったところはお見せになられませんが、どれもこれも露ほどの間違いもなかったそうでございます。
「何としても、少しでも間違いを見つけないことには止められないぞ」
と、帝は悔しいほどに思われましたが、とうとう十巻を終えてしまいました。
「あーあ、全く無駄骨であったなあ」
と仰って、古今集に栞で目印をして、帝は寝所に入られました。

帝は、しばらくお休みになってお目覚めになられましたが、
「このまま勝ち負けをつけぬまま終わるのはよろしくない」とお考えになり、さらには、「明日になれば、女御は別の古今集で準備をするかもしれない」とも懸念され、「今日のうちに決着しよう」と、お部屋に灯りを増やさせ、夜遅くまで質問を続けられたそうでございます。
しかし、最後まで女御はお間違いにならなかったのでございます。

この様子を、女御に仕えている女房がお里の大臣家にお伝えしたものですから、大臣殿はじめ皆さま大変心配なされ、経を唱えさせ、宮中の方角に向かってお祈りし続けたそうなのです。
実に優雅て、感動的なお話ではございますが、事と次第ではお里の名誉にも関わることであり、やんごとなき方々の学問は、まさに命がけでございますねぇ。


              (第二十段 清涼殿の・・、より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつの世も宮仕えは

2020-08-20 08:03:26 | 麗しの枕草子物語

       麗しの枕草子物語

           いつの世も宮仕えは

正月も十日を過ぎて、除目(ヂモク・春は地方官の、秋は宮中の官吏の定例の異動があった)の頃となりますと、任官を待つ家々では、悲喜こもごもの姿が見受けられます。

今年こそは受領の任が与えられるという期待が大きい家などでは、数日前から、それはそれは大騒ぎでございます。
かつてこの家に仕えたことのある人々は、主人が閑職にあったためやむを得ず他家へ移っている者や、田舎に戻っている者たちなど大勢が集まって参ります。
任官祈願の牛車が出掛けるとなれば、我も我もと随行する者が実にたくさん集まってきます。

いよいよ受領が決定される日ともなりますと、集まってくる人の数はさらに増えて、出されるご馳走を食い散らかし、酒を飲みまくり、まるでお祭のような騒ぎです。
やがて夜も更けて、騒ぎ疲れた頃になっても、任官を伝える使者が訪れる気配がありません。さすがに、飲み食いに励んでいた人たちも様子のただならぬのを感じてか、「どうも、おかしいな」などと、ささやき合い始めます。
外の様子などを耳を澄ませて窺っていますと、先払いの声などが聞こえてきて、上達部(カンダチメ・上級貴族)たちが次々と内裏から退出なさっています。
情報を掴むために内裏近くに行かせていた下男の姿を見つけても、事の結果を訊ねることもできません。

そのようなことになっていることも知らずに訪ねてきた人が、
「殿は、どちらの国守になられましたか」などと訊ねますと、
「前の某国守ですよ」と、答えているのです。
それが、このよう時の慣わしだそうですよ。

やがて、詰めかけていた大勢の人たちは、沈みきった雰囲気に堪えかねて、要領の良い人から順番に、一人去り、二人去り、家の中はさらに静かになっていきます。
しかし、永年の恩顧のある人や郎党たちは逃げ出すこともできず、「来年国守の交替があるのは、あそこと、あそこと・・・」などと、指を折っているのです。

「すまじきものは宮仕え」とか申すそうですが、なんとも、はい・・・。


            (第二十二段  すさまじきもの・・、より)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安の高級車

2020-08-08 08:20:36 | 麗しの枕草子物語

       麗しの枕草子物語

            平安の高級車

わたしたちの時代の乗用車といえば、もちろん牛車でございます。

一口に牛車と申しましても、大臣や公卿方が用いる美しく飾られた車から、身分の低い者が使う荷車に屋根を付けたようなものまで様々なのです。
使われる牛も、逞しくて輝いているような毛並みのものから、痩せ細りよろよろとしているものまで様々ですし、牛飼たちも、服装といい躾けといい、これも大きな違いがあるのです。

そして、やはり、それぞれの車にはそれ相応の品格というものがなければなりません。
例えば、檳榔毛(ビロウゲ)の煌びやかに飾られた高級車は、ゆったりと進ませたいものです。それを、いくら逞しい牛に引かせていて、車の性能が良いからといって、慌ただしく走らせているのは、実に興ざめなものでございます。
反対に、粗末な車をゆるゆると走らせているのは良くありません。もっとてきぱきと走らせるべきです。

これは、いつの時代でも、そうだと思いますわ。


                 (第二十九段  檳榔毛は・・、より)



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の花の散るごとく

2020-07-27 08:10:23 | 麗しの枕草子物語

        麗しの枕草子物語

            桜の花の散るごとく


小一条大将殿の御邸で、上達部(カンダチメ・上流貴族)の方々が「結縁の八講」を催されるとのことでたいそうな評判でございました。
遅く行くと牛車の止める場所がないということなので、私は朝露とともに起きて参りましたが、すでに大変な混雑でした。牛車の引き棒を重ねなければならない状態で、後ろの方は講師の声がようやく聞こえる程度なのです。

六月半ば(旧暦)のことですから、とっても暑く、お庭の蓮の花だけが涼しさを伝えてくれています。
お部屋の方には、左右の大臣方を別にしますと、上達部の方々のすべてが集まっているご様子です。それぞれに涼しげなご装束をお召しになっていて、それはそれは見事な眺めでございます。
その次には、殿上人や若い公達の方々が、狩装束や直衣などをとてもおしゃれに着飾っておられ、この方々はあちらこちらと動いていらっしゃいます。
まだ幼い君なども、とても可愛らしい様子で坐っていらっしゃいます。

私たち女性は、当然牛車の中から拝聴することになります。もちろん牛は離されていますが、たくさんの牛車がぎっしりの状態です。
そのような状態の女車に対しても、講師が登場するまでの間は、美しく着飾られた貴族の方々が何かとお世話をされたりお話をされたりしておられるのです。
その中でも、ひときわすばらしい様子のお方は義懐権中納言殿(従二位権中納言。花山天皇の叔父にあたり、この時三十歳)でございました。

法華八講は朝夕二度の講座が行われますが、朝の講座の講師は清範殿でございました。
文殊菩薩の化身と噂されるだけあって、まことにすばらしいお説教でございました。ただ、まことに残念なことですが、この日は後に避けられない用事があり、朝講が終わるとともに帰らねばなりませんでした。
しかし、さて退出しようとなりますと、ぎっしりと並んでいる牛車の群ですから、それは大変なことになりました。
後方にある牛車の方は、自分が前に出られるものですから気持ちよく承知してくれるのですが、簡単に牛車を移し替えることなど出来ません。
さらに、凄まじいまでの暑さの上に、私が帰ろうとしていることを知った殿方たちが、
「朝講だけで帰るのですか」
と、責めたり冷やかしたりするのです。それも、年配の上達部の方までがですよ。

ようやく外に出られそうな所まで来ました時、かの義懐権中納言殿が声を掛けてこられたのです。
「『退散するも、また良し』、ですな」
と、お笑いになるのです。まことに、実にしゃれた言葉です。
私は、人々の声と暑さから逃げ出すことに必死で、ご返答も出来なかったものですから、外に出てから、
「こう暑くては、五千人の中にあなたもお入りになるかもしれませんよ」
と書いて、使用人をやって伝えてもらいました。

これは、釈迦が説法されていた時、「五千人の生意気な人たちが出て行こうとするのを、あえて制止せず『このような増上慢の人は退出するもまた良し』と言われた」という法華経にある説話を引用されているのです。
義懐殿は、途中で退出する私を増上慢だとからかったのですが、そこには悪意など全くなくおしゃれな会話を楽しんでおられるのです。私も、「あなたも暑さのために途中で退出して、五千人の増上慢の中に加わるのではありませんか」と実に失礼なご返事を差し上げたのですが、義懐殿であれば、ちゃんとしゃれだと受け取ってもらえると思ったからなのです。

さて、あの見事なまでの雄姿を拝見いたしましてから僅か五日ばかり後に、義懐権中納言殿が法師になられたとお聞きいたしました。
花山天皇のご退位にともなうご出家なのでしょうが、将来を嘱望されていたお方の決断は、政(マツリゴト)のもつれからとはいえ、まことにおいたわしい限りでございます。
この世の無常を、「桜の花の散るさま」とか「白露のはかなさ」などと人は例えますが、とてもとてもそれでは表しきれないほどの無常を感じる出来事でございました。


                             (第三十二段  小白河と・・、より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男も女も後朝の頃は

2020-07-15 08:14:32 | 麗しの枕草子物語

       麗しの枕草子物語

            男も女も後朝の頃は


七月の頃ともなりますと、あちらこちらを開け放ったままで夜も過ごしますので、夜中にふと目が覚めて外を見ますと、大きな月が美しく輝いていたりします。
月のない闇夜でも、それはそれで捨てがたく、下弦の月が顔を出す頃もとても情緒があるものでございます。

さて、そのような早朝のことでございます。
美しく磨き上げられた板敷の部屋の戸口近くに、真新しい畳が一枚敷かれています。
三尺の几帳は畳より奥の方に置かれているものですから、月を眺めるのには良いのでしょうが、外からも丸見えになっているのです。
恋人が帰ってしまった後なのでしょうね、女は、表は淡い色合いで裏は濃い紅の打衣などを頭から引き被って、なお朝寝の最中です。
身につけている物は黄生絹の単衣と単袴だけで、その袴も長く伸びていて、下紐も解けたままなのでしょう。艶やかな髪も、磨かれた床に長々とうねっています。

折から、二藍(紅色がかった青色)の指貫にごく淡い香染めの狩衣で、その下には白い生絹に紅の単衣が透き通って見えるといった様子の男が通りかかりました。
霧にすっかり湿ってしまった狩衣を肩脱ぎにして、髪も少し寝乱れたままで、烏帽子も無造作に被っています。
「朝顔の露の消えないうちに手紙を書かなくてはならないなあ」
などと、後朝(キヌギヌ)の別れを思い出しながら帰る途中なのです。

『 をふの下草 露しあらば・・・ 』
男は口ずさみながら先ほどの女の局の前を通りかかりました。すると、格子が上がっていて、中の様子がかいま見えています。
近付いて、御簾の端を少しばかり引き開けてみますと、女が一人なんとも艶(アデ)やかな姿で寝ています。枕元のあたりには、朴に紫の紙を張った扇が開いたままになっており、陸奥紙も散らかっていて、後朝の別れの後と思われます。

さすがに女も人の気配を感じて、横たわったままで覗いてみますと、男が微笑みながら長押に寄りかかって坐っているのです。
顔を合わせるのを憚る程の身分の人ではないのですが、とても気軽に応対できる気分でもなく、
「憎らしいことに、こんな姿を見られてしまったわ」と、思う。
男は、そんな女の気持ちを知ってか知らずか、
「ずいぶんと、名残惜しそうな朝寝ですね」
と言いながら、御簾の内に半分体を入れてくるので、
「露が置くより先に起き出して、私一人を置いてけぼりにした人が恨めしくてね」
と言う。

その後も二人は他愛もない言葉を交わし合い、女の様子からはまんざらでもない雰囲気が感じられます。
男は、自分の扇で枕元の扇を取り寄せようとして、腰を浮かせます。
「あまりに近付き過ぎじゃないかしら」
と言いながらも、胸がときめき、女は思わず身を引き締めます。
「どうも、嫌われたみたいですなあ」
と、男は引き寄せた扇をいじりながら、気を持たせたり、恨みごとを言ったりしていましたが、いつか辺りは明るくなり、人の声も聞えだし、日も差してきました。

この局から帰って行った男も、いつの間に書いたのか、露に濡れたまま手折った萩の枝に付けた後朝の文を持って来させたのですが、使いの者は、見知らぬ男の姿に差し出すこともできません。
手紙に焚きしめられた香りが、とっても滑稽に感じられます。

くだんの男も、明るくなってきて人目に立つほどになってきたので、局を離れます。
「自分が別れてきた女の所も、こんなことになっているのかなあ」
などと心配しているのですから、いやはや、可笑しいったらありませんわねぇ。


                            (第三十三段 七月ばかり・・、より)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は檜に

2020-07-03 08:11:07 | 麗しの枕草子物語

          麗しの枕草子物語

               明日は檜に


「あすはひのきに」って木をご存知でしょうか?
このあたりではあまり見かけない木ですし、私など名前も聞いたことがなかったのですが、吉野の御嶽に詣でられた方などが持って帰ってくるそうですよ。

枝ぶりなどはとても荒々しくて手を出しかねるほどですが、どういうつもりで「あすはひのきに」などと名付けたのでしょうか。
何事につけ、頼むことの虚しさを思いますと、「明日は檜にしてやろう」などということも、あてにならない約束なのではないでしょうか。
「一体誰と約束したのか」と思うにつけましても、約束した相手の名前を聞かせてもらいたいものです。



                           (第三十七段 花の木ならぬは・・、より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶯はお馬鹿さん

2020-06-21 08:25:01 | 麗しの枕草子物語

          麗しの枕草子物語

               鶯はお馬鹿さん


鶯は、和歌ばかりでなく漢詩などでも素晴らしいものとして作られていて、声も姿もあれほど上品で可愛らしいのに、九重の内で鳴かないのは、いったいどういうつもりなのでしょうか。

そのことを初めて聞きました時には、
「まさかそのようなことはないでしょう」
と笑っていたのですが、十年ばかり宮中にお仕えしていますが、ほんとうに鳴く声を聞いたことがないのですよ。実に不思議なことなのですが、ほんとうなのです。
内裏には、竹林や紅梅もたくさんあるのですから、頻繁に通ってきてもよいはずなのに、どうしてなのでしょう。
内裏から退出した時など、貧しい民家の荒れ放題の梅の木などでは、それはそれは、うるさいほどに鳴いていますのにねぇ。

鶯は夜は鳴かないのですが、それも寝坊のような気がするのですが、今更どうすることも出来ないでしょうね。
また、夏や秋の終りになっても、年老いたしやがれ声で鳴いたりするものですから、下々の者に「虫食い」などと名付けられてしまうのですよ。あなたは、雀などとは違うのですよ、まったく・・・。

『 あらたまの 年立ちかへる 朝よりも 待たるるものは 鶯の声 』
と詠われているように、春に鳴くからこそ歌にも詩にも情緒あるものとして大切にされているのです。
それを、時も考えずに、夏や秋に、しかも年老いてまで鳴いているとは・・・。
ほんとうに鶯はお馬鹿さん。


                               (第三十八段 鳥は・・、より)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼の子哀れ

2020-06-09 08:04:27 | 麗しの枕草子物語

          麗しの枕草子物語

              鬼の子哀れ


簑虫は、とても哀れなものでございますねぇ。

簑虫は、鬼が産んだ子供ですから、「きっと親に似て、恐ろしい心を持っているはずだ」と決めつけられて、親からはみすぼらしい衣を着せられて、
「すぐに秋風が吹きますからね、その頃には迎えに来ますから、待っているのですよ」
と言い置いて、逃げて行ってしまったのです。

そうとも知らない子供は、風の音を聞き分けてか、秋も半ばの頃になりますと、
「ちちよ、ちちよ」
と、心細げに泣くのです。
いくら鬼の子とはいえ、簑虫の泣く声は何とも哀れなものでございます。


                      (第四十段 虫は・・、より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする