雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

正月十余日のほど

2014-09-30 11:00:44 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十七段  正月十余日のほど

正月十余日のほど、空いと黒う、曇り厚く見えながら、さすがに日はけざやかに射し出でたるに、えせものの家の、荒畑といふものの、土うるはしうもなほからぬ、桃の木の若だちて、いと楚(シモト)がちにさし出でたる、片つかたはいと青く、いま片つかたは濃く艶やかにて蘇芳の色なるが、日陰に見えたるを、いとほそやかなる童の、狩衣はかけ破りなどして、髪うるはしきが、登りたれば、ひきはこへたる男児、また小脛にて半靴はきたるなど、木のもとに立ちて、
「われに毬打切りて」
など、乞ふに、また、髪をかしげなる童の、衵(アコメ)ども綻びがちにて、袴萎えたれど、よき袿着たる、三、四人来て、
「卯槌の木のよからむ切りて下ろせ。御前にも召す」
などいひて、下ろしたれば、奪ひしらがひ取りて、さし仰ぎて、
「われに多く」
などいひたるこそ、をかしけれ。

黒袴着たる郎等の、走り来て乞ふに、
「まして」
などいへば、木のもとをひきゆるがすに、あやふがりて、猿のやうにかいつきてをめくも、をかし。

梅などのなりたるをりも、さやうにぞするかし。


正月十日過ぎの頃、空が大変暗く、曇り空が厚ぼったく見えていながら、それでも日の光がくっきりと差し出ているときに、それほどの身分でもない者の、荒畑(アラバタケ・冬で何も植わっていない畑、あるいは開墾中の畑か)という土がきれいにならされていない所に、桃の木のまだ若木が盛んに徒長枝を出していて、その一方はとても青く、もう一方は色濃く艶やかで、蘇芳の色をしていて、その違いが日の光で目立っているのを、ずいぶん細い男の子で、狩衣はかぎ裂きなどしているのに、髪はきれいに整えているのが、登っているので、着物を縫い上げしている男の子、またすねを丸出しにして半靴を履いている子などが、木の根もとに立って、
「われに毬打(ギチャウ・毬を打つ柄の長い杖)を切ってくれ」
などと頼んでいると、また、髪の美しい女の子で、袙は綻びていて、袴もよれよれになっているけれど、立派な袿を着ているのが三、四人来て、
「卯槌にする木によさそうなのを切って落として下さい。ご主人でもご用です」
などと、もっともらしく言うが、いざ落とすと、寄ってたかって奪い合い、仰ぎ見て、
「私にもっとたくさん」
などと言っているのが、微笑ましい。

黒袴を着ている男が、走って来て頼むと、
「まだこの上にか」
などと嫌がると、男が木の幹をゆさぶるので、危ながって、猿のように木にしがみついてわめいているのも、とても可笑しい。

梅の実などがなった時も、同じようなことがあるようですね。



一月の卯槌・卯杖の行事の前日当たりの様子なのでしょうね。
子供たちの元気な姿が、そのまま素直に描かれています。少納言さまにとって、穏やかな一日だったのでしょうね、きっと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清げなる男の

2014-09-29 11:00:22 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十八段  清げなる男の

清げなる男の、双六を日一日うちて、なほ飽かぬにや、短き燈台に火をともして、いと明う掻上げて、仇の賽を責め請ひて、頓(トミ)にも入れねば、筒を盤の上に立てて待つに、狩衣の領(クビ)の顔にかかれば、片手して押し入れて、強(コハ)からぬ烏帽子ふりやりつつ、
「賽、いみじく呪ふとも、打ち外してむや」
と、心もとなげにうち目守りたるこそ、誇りかに見ゆれ。


小ぎれいな男が、双六を一日中打って、まだ満足しないのか、背の低い灯台に火をともして、たいそう明るくかき上げて(灯心をかき上げて炎を大きくする)、相手のサイコロに呪いを込めていて、すぐには筒の中に入れないので、相手は筒を盤の上に立てて待っていると、狩衣の襟が顔にかかるので、、片手でそれを押し入れて、固くはない烏帽子を後ろへ振りやりながら、
「さいころを、どんなに呪っても、打ち損ないをするものか」
と、じれったそうに見守っているのは、自信満々に見える。



いつの世も、勝負事にのめり込む男性は多いようですが、それを、少納言さまは意外に好意的に描写しているように思われるのですが、どうでしょうか。

なお、この双六の遊び方が今一つはっきりしないのですが、黒白十五程のコマを、サイコロを使って競い合うもののようです。いずれにしても、ここにあるように大の男がのめり込むのですから、賭け事なのでしょう。
また、「きよげなる」というのは、「見た目がきれいな」といった意味で、「きよし」とは明確に意味が違うようです。
「男(ヲノコ)」は、それほど身分の高くない男性を指します。「強からぬ烏帽子」も略式のものを指していて、あまり身分の高い者でないことが分かります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

碁をやむごとなき人の打つとて

2014-09-28 11:00:09 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十九段  碁をやむごとなき人の打つとて

碁を、やむごとなき人の打つとて、紐うち解き、ないがしろなる気色に、ひろひ置くに、劣りたる人の、ゐずまひもかしこまりたる気色にて、碁盤よりはすこし遠くて、およびて、袖の下は、いま片手して控へなどして、打ちゐたるも、をかし。

碁を、高貴な方が打つとて、襟元の紐をはずし、気楽な態度で、無造作に石を置くのに対して、お相手の身分の低い人は、座り方からして緊張している様子で、碁盤より少し離れて、及び腰になって、袖のたもとは、もう片方の手で押えたりして打っていいるのも、滑稽です。


現在でも見られるような光景ですが、さすがに少納言さま、厳しく観察されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐ろしげなるもの

2014-09-27 11:00:59 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百四十段  恐ろしげなるもの

恐ろしげなるもの。
橡の梂(ツルバミノカサ)。
焼けたる野老(トコロ・山芋)。
水茨(ミズフブキ・鬼蓮)。
菱。
髪多かる男の、洗ひて乾すほど。

                                    
見た目に恐ろしいもの。
つるばみのかさ(クヌギの実のかさ、即ち大型のドングリか)。
焼けた山芋。
みずふぶき。
菱の実。
髪の多い男が、洗って乾かす間。



この章段を見る限り「恐ろしげ」というのは、深刻な恐ろしさというほどのものではないみたいです。
全部で五つ列記されていますが、いずれもとげとげしいもののようです。前の四つは食用にされるもので、最後に髪の多い男を加えているあたりが少納言さまらしいといえばいえるのですが、少々ブリッコの感じがしないでもありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安の装束

2014-09-26 11:00:34 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
     枕草子  ちょっと一息


平安の装束

平安時代の人々は、どのような服装をしていたのでしょうか。
私などは、平安時代の装束といえば、まず十二単が浮かんでくるのですが、実際は実に多彩な着物が用いられていたようです。
その実態についても、一般庶民、特に地方の一般庶民の場合は難しい面も多いのでしょうが、宮中を中心とした貴族社会の服装については、文献や、実際に残されたり伝えられているものから相当正確に分かっているようです。

枕草子の中にも、装束に関する記事が数多く登場してきます。
その中で特に感じられることは、いったい何枚着ているのか、と思われるほど何枚も重ね着をしていて、しかもそれらが透けて見える色合いをとても大切にしていることです。
また、用いられている色の数は極めて多彩で、しかも微妙な表現がされています。
そして何より驚くことは、男性の装束に関する配慮です。上級貴族の服装は、それこそ十二単を上回るほど華やかなものであったようなのです。
王朝文化華やかし頃、当時の貴族はどのくらいの衣装代を使っていたのか、計算してみたいような誘惑にかられます。

枕草子をより楽しく読むためには、当時の装束をよく知ることがとても大切だと思います。
しかし、これはなかなか難しいことです。
枕草子に登場してくる着物や色の種類だけでもかなりあり、それらを参考書などで確かめてみるのですが、なかなか十分に理解することができません。何せ、漢字をパソコンから見つけ出すだけでも苦労しているような状態なのですから。
まことに申し訳ないことなのですが、装束などの描写に関しましては、一生懸命伝えられるよう頑張りますが、私の力はこの程度ですので、「ああ、そんな感じの装束なんだな」という程度で、読んでいただきたいと思います。
無責任なことですが、装束などに興味があるお方は、古典からだけでは無理ですので、その方面の専門書を見つけて勉強されるのも、きっと楽しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清しと見ゆるもの

2014-09-25 11:00:08 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百四十段  清しと見ゆるもの

清しと見ゆるもの。
土器(カワラケ)。
新しき鋺(カナマリ・金属製の碗)。
畳に刺す薦。
水をものに入るる透影(スキカゲ)。


清らかに美しく見えるもの。
土器。
新しい金属製のおわん。
畳の表にするこも。
水を容器に入れる時の光の影。



土器は、表面のなめらかさを指していると思われますが、素焼きのものは当時使い捨てにされていたので、常に美しかった。反対に金属製の容器は、銀か銅製と考えられますが、古くなるとくすんでくるので、特に新しいものと限定しているのでしょう。
最後の部分は、前段が、四つ物を並べた後「男」を登場させていることから、本段も、三点の物の後に「女」を置いたという研究者もいます。すなわち、御簾を通して見える水仕事をしている女性が美しいという意味です。
少々無理があるようにも思うのですが、少納言さまのすばらしい感性を考えますと、こちらのほうが正しいようにも思うのですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卑しげなるもの

2014-09-24 11:00:31 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百四十二段  卑しげなるもの

卑しげなるもの。
式部丞の笏。
黒き髪の筋わろき。
布屏風の新しき。古り黒みたるは、さるいふかひなきものにて、なかなか何とも見えず。新しう仕立てて、桜の花多く咲かせて、胡粉・朱砂など彩りたる絵ども描きたる。
遣戸厨子。
法師のふとりたる。
まことの出雲筵の畳。


下品なもの。
式部丞(シキブノジョウ)の笏(シャク)。
黒い髪の毛筋がよくないもの。
布屏風の新しいもの。古くなって黒ずんでいるものは、もともとどうというものではないので、かえって気にならない。しかし、新しく仕立てた布張り屏風に、桜の花をたくさん咲かせて、胡粉・朱砂(ゴフン・スサ・ともに彩色用)などで彩色した絵を描いているもの。
遣戸(ヤリド・引き戸のこと)の厨子。
法師が太っているの。
本当の出雲筵の畳。



「卑しげなるもの」を下品なものとしましたが、その内容からは、少納言さまがひどく軽蔑しているものというものでもないようです。
内容を若干補足させていただきますと、
式典などを担当する式部省の丞(三等官。六位相当)の持つ笏は、その裏に式次第などの備忘用の紙片を貼り付けているが、何度も剥がしたり張ったりしているので汚くなっている。
絹張りに対して布張り(麻や葛などの布)の屏風は安手のものなのに、大げさな絵などで飾り立てるのはむしろ下品だという意味で、少納言さまらしい観察です。
厨子(収納箱)の扉は観音開きが普通で、引き戸は下品に見えたのでしょうか。
出雲筵の畳が下品というのは意味がはっきりしません。「目が粗い」とか「『まことの』ではなく、『まこもの』が正当で『真菰』製は質が落ちる」などの説があるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胸つぶるるもの

2014-09-23 11:00:05 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百四十三段  胸つぶるるもの

胸つぶるるもの。
競馬(クラベムマ)見る。
元結縒る(モトユヒヨル)。
親などの、「心ちあし」とて、例ならぬ気色なる。まして、「夜の中など騒がし」ときこゆる頃は、万づのことおぼえず。
まだものいはぬ乳児の泣き入りて、乳ものまず、乳母の抱くにもやまで久しき。
     (以下割愛)


どきっとして胸がつぶれそうになるもの。
競馬を見るの。
元結を縒るの。
親などが「気分が悪い」ということで、いつもと違う顔いろをしている時。まして、「流行病などで世間が騒がしく」亡くなる人の噂が聞こえてくる時などは、心配で他のことは何も頭に浮かんでこない。
まだ物も言わない乳飲み子が泣きに泣いて、乳も飲まず、乳母が抱いてもなかなか泣きやまない時。

思いがけない場所で、まだはっきりと表ざたになっていない恋人の声を耳にした時は当然ですが、他人などが、その人の噂などする時も、たちまちどきどきしてしまいます。
たいそう憎らしい人が来たときにも、また、はらはらする。奇妙に、何かというとどきどきするのが、胸というものですよ。
昨夜初めて通ってきた男性の、今朝の手紙が遅いのは、他人事でさえはらはらします。



胸がつぶれる」という言葉は、現在でも使うことがありますが、少納言さまの時代とあまり変わらない感情のことのようです。
実際に、どきどきしたことで胸がつぶれた人を見たことがないのですが、実にうまい表現だと思います。

ところで、最後の部分ですが、「他人事でさえ・・・」などと言っていますが、少納言さま自身のことではないかと、少々気になってしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛しきもの

2014-09-22 11:00:12 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百四十四段  愛しきもの

愛(ウツク)しきもの。
瓜に描きたる乳児の顔。
雀の子の、鼠鳴きするに躍り来る。
二つ、三つばかりなる稚児の、いそぎて這ひ来るみちに、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人毎に見せたる、いと愛し。
     (以下割愛)


かわいらしいもの。
瓜に描いてある乳児の顔。
すずめの子が、チュッチュッと鼠の鳴き声のような声で呼ぶと、ピョンピョンとやってくるの。
二歳か三歳くらいの幼児が、急いで這ってくる途中で、とても小さなごみがあるのを目ざとく見つけて、とてもかわいい指でつまんで、大人たちに見せているのは、とてもかわいらしい。

頭を尼削ぎ(アマソギ・髪を肩のあたりで切りそろえたもの。尼と同じような髪形なのでこう呼ばれた)にした幼女が、目に髪がかぶさっているのを、掻きのけるようなことはしないで、顔を傾けて物などを見ている姿は、とてもかわいらしい。
大柄ではない殿上童(公卿の子弟で、元服前に清涼殿の殿上の間に作法見習いに出仕している童)が、装束を立派に着せられて歩き回っているのも、かわいらしい。

人形遊びの道具。
蓮の発芽したばかりの浮葉のとても小さいのを、池より取り上げたもの。
葵のとても小さいもの。
何であっても、小さなものは、とてもかわいらしいものです。

とても色白で、ふっくらとした乳児の二歳(数え年)ぐらいなのが、二藍の薄物などの着物の丈が長くて、たすきで結んでいる姿ではい出してきたのが可愛く、また、小さな幼児がまるで袖ばかりが目立つのを着て歩き回っているのも、みなかわいらしいものです。
八つ、九つ、十ばかりの男の子が、声はいかにも幼げで、漢籍などを読んでいるのも、とてもかわいらしい。

鶏の雛が、足を長く出したみたいに、白く愛らしい様子で、着物を短く来ているみたいに、「ぴよぴよ」と、やかましく鳴いて、人の後先につきまとって歩くのも、おもしろい。また、親鳥が一緒に連れ立って走るのも、みなかわいらしい。
かるがもの卵。瑠璃製の壺。どれもかわいらしい。



かわいらしいものが数多く列記されていますが、いずれも現在の私たちが十分理解できるものばかりです。
さすがの少納言さまも、このようなテーマになると優しい雰囲気が感じられます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人映えするもの

2014-09-21 11:00:29 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百四十五段  人映えするもの

人映えするもの。
ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。
咳(シハブキ)。恥づかしき人にものいはむとするに、先に立つ。
あなたこなたに住む人の子の、四つ、五つなるは、あやにくだちて、もの取り散らし、そこなふを、引き張られ制せられて、心のままにも得あらぬが、親の来たるに、所得て、
「あれ見せよ、やや、母」
など、引きゆるがすに、大人どもの、ものいふとて、ふともきき入れねば、手づから引き探し出でて、見騒ぐこそ、いと憎けれ。それを、
「まな」
とも取り隠さで、
「さなせそ」
「そこなふな」
などばかり、うち笑みていふこそ、親も憎けれ。われ、はた、得はしたなうもいはで見るこそ、心もとなけれ。


人前で調子づくもの。
大したこともない身分の子なのに、それなりに可愛がり甘やかせてしまったの。
咳。立派な方にお話ししようとする時に、決まって咳が出るんですよ。
近所のあちらこちらに住んている子で、四、五歳の年頃のなのは、わがまま放題で、物を散らかしたり、壊したりするのを、引っ張られて止められてしまい、思うように出来なくなっているのが、母親が来たので調子に乗って、
「あれを見せてよ。ねえねえ、お母さん」
などと、引っ張ってゆするのですが、大人たちが、おしゃべりに夢中で、すぐには聞き入れないものですから、子供が勝手にひっぱり出してきて、広げ散らかして騒ぐのは、とても憎らしい。それを、
「いけません」
と言って取り上げもせず、
「そんなことをするんじゃないよ」
「壊さないでね」
などと注意するだけで、笑っているのに至っては、母親まで憎らしくなってきます。こちらはこちらで、そう厳しく言うことも出来ず見ているのですから、気が気じゃありませんよ。



「人映えする」という言葉は、他にはあまり使われている例がないようです。
対象となる子どもから考えますと、関西弁でいう「いちびり」にあたるのでしょうね。
この段の主題は、前段の「可愛らしい子供」に対する「憎らしい子供」だと思うのですが、二番目に「せきが止まらない」などということが挟まれています。
何だか、間違って混入したのではないかとも感じてしまうのですが、主題を強調する独特の表現方法とする研究者もおられるようです。

小憎らしい子供にいらいらすることは現代も同じですが、このあたりを見る限り、少納言さまも普通の女性だったのだと親しみを感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする