雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

情欲の僧と菩薩 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 17 - 33 )

2024-07-19 08:00:20 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 情欲の僧と菩薩 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 17 - 33 ) 』


今は昔、
比叡の山に若い僧がいた。
出家してから後、学問への志はありはしたが、遊び戯れることに心を奪われ、学問をすることがなかった。ただ、わずかに法華経だけは習い受けていた。
ところが、やはり学問の志はあったので、常に法輪寺(ホウリンジ・京都市西京区嵐山に現存。)に詣でて、虚空菩薩にお祈り申し上げていた。けれども、すぐに思い立って学問をするということもなかったので、相変わらず何も知らない僧のままであった。

僧は、このような自分を嘆き悲しんで、九月の頃に法輪寺に詣でた。すぐに帰ろうとしたが、その寺の知り合いの僧たちがいたので、話などしているうちに、いつしか夕方になったので、急いで帰途についたが、西の京(右京)のあたりで日が暮れてしまった。
そこで、知人の家を訪ねたが、その家の主人は田舎に出掛けていて、留守番の下女の他には人がいなかった
。仕方なく、別の知人の家を訪ねようと歩いて行く途中に、唐門のある家があった。その門前に、袙(アコメ・内着。肌着。)をたくさん重ね着した、こざっぱりとした若い女が立っていた。
僧はその女に近寄って、「比叡山から法輪寺にお参りして帰る途中ですが、すっかり日が暮れてしまいましたので、今夜一晩だけこちらの御屋敷に泊めていただけないでしょうか」と言った。
女は、「しばらくそこでお待ち下さい。伺ってまいります」と言って、屋敷内に入っていったが、すぐに出てきて、「おやすいことです。どうぞお入り下さい」と言った。

僧は喜んで入ると、放出(ハナチイデ・母屋から張り出した建物。応接などに使われた。)の間に火を灯してそこに案内した。
見ると、きれいな四尺の屏風が立てられていて、高麗縁の畳が二、三畳ばかり敷かれていた。
すぐに、袙に袴を付けたこざっぱりとした女が、高坏に食べ物を乗せて持ってきた。
僧は、皆食べ酒なども呑み、手を洗って坐っていると、奥の方から遣戸(ヤリド・引き戸)を開けて、几帳を隔てて女の声で、「あなたはどういうお方ですか。どうしてここにおいでになられたのですか」と尋ねた。
僧は、「私は比叡山から法輪寺に詣でて帰る途中でしたが、日が暮れてしまったのでこのように宿をお借りしています」とその由を答えた。
女は、「いつも法輪寺にお参りになられるのであれば、そのついでに、どうぞお立ち寄り下さい」と言うと、遣戸を閉じて奥に入って行った。

女は遣戸を閉めたが、几帳の袖の所がからまってきちんと閉まらなかった。
やがて、夜が更けた頃、僧は建物の外に出てみたが、南面(ミナミオモテ・寝殿造りの正殿)の蔀(シトミ・上下に分かれている横戸で、下は固定し上は押し上げて開ける。)の前を行きつ戻りつしながら歩いていると、蔀に穴があるのが見えた。
そこから覗いてみると、家の主と思われる女がいた。年の頃二十歳余りに見える。美しい顔をしていて姿もたいそうすばらしい。紫苑色(シオンイロ・表が薄紫で裏が青の襲。)の綾の衣を着て横になっている。髪は衣の裾のあたりで輪になっていて、いかにも長そうである。その前に、女房二人ばかりが几帳の後ろで寝ている。そこから少し離れて、女童が一人寝ている。先ほど、食べ物を持ってきてくれた者らしい。室内の様子はまことにすばらしい。

二段の厨子の棚には、蒔絵の櫛の箱や硯の箱が無造作に置かれている。香炉に空薫(カラダキ・それとなく香を漂わせること。来客の際、隣室で香を薫いたりする。)しているのか、良い香りが漂ってくる。
僧は、この主の女を見ているうちに、すっかり思慮を失ってしまった。
「自分には、どういう宿世があって、この屋敷に泊まり、この女を見つけたのだろう」と嬉しくなって、この思いを遂げなければ、この世に生きている意味がないように思われ、皆が寝静まり、その女も寝入ったと思われる頃、あのうまく閉まっていない遣戸を開けて、そっと忍び足で女に近寄り、傍らに添い臥したが、女はよく寝入っていたので、全く気がつかない。

そば近くによると香の薫りがいっそうすばらしい。
「目を覚ますと声を立てるだろう」と思うと、萎縮しそうになる。ただ、仏を念じ奉って、女の着物を開いてその懐に入ると、女は驚いて目を覚まし、「どなたですか」と言ったので、「こうこう、こういう者です」と僧が答えると、女は、「貴いお方だと思えばこそ、宿をお貸ししたのです。このようなことをなさるとは、残念でなりません」と言った。
僧はなおも近づこうとしたが、女は着物を身にまとい、全く許そうとしなかった。その為、僧は情炎に身も心も堪え難くなったが、人に聞かれると恥ずかしいので、強引な振る舞いもできない。

すると女は、「わたしは、あなたのお言葉に従わないというのではありません。わたしの夫は、去年の春に亡くなりましたので、その後、妻にと言う人がたくさんありましたが、『これといった取り柄のない人とは結ばれまい』と思って、このように独り身でいるのです。そして、むしろ、あなた様のような立派なお坊様のような人を貴ぶようにしているのです。ですから、あなたを拒み申し上げるわけではありませんが、どうなのでしょうか、あなたは法華経をそらんじて読むことができますか。貴いお声でしょうか。そうだとしましたら、『御経を貴んでいる』と他の者には見せかけて、あなたにお近づきいたしますが、いかがでしょうか」と言った。
僧は、「法華経を習い奉ってはおりますが、未だに空では読めません」と答えた。
女は、「それは、そらんじるのが難しいからですか」と尋ねた。
僧は、「その気になれば、空で読み奉ることは出来ないわけではありません。しかし、わが事ながら、遊び戯れることにばかりに身を入れていたので、空で読めないのです」と答えた。
女はそれを聞くと、「速やかにお山に帰って、御経を空で読めるようになってから、またおいでください。その時には、こっそりとあなたのお望み通りにこの身を差し出しましょう」と答えた。
僧はそれを聞くと、それまでの思い詰めていた気持ちも落ちつき、夜も次第に明けてきたので、「それでは」と言って密かに部屋を出た。
女は、朝の食事などさせて送り出した。
        
                  ( 以下 ( 2 ) に続く )

     ☆   ☆   ☆

* 本話は、今昔物語中、屈指の長編です。

     ☆   ☆   ☆

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地蔵菩薩が詠んだ和歌 ・ 今昔物語 ( 17 - 32 )

2024-07-16 08:06:07 | 今昔物語拾い読み ・ その4

    『 地蔵菩薩が詠んだ和歌 ・ 今昔物語 ( 17 - 32 ) 』


今は昔、
上総の守、藤原時重朝臣という人がいた。
上総国の守(国守)に任ぜられて、国を治め民を安んじて、在国することすでに三年に及んでいたが、長年の宿願があって、「国内において法華経一万部を読み奉る」という庁宣(チョウゼン・国司が発する命令書)を発した。

されば、国内の山寺も里の寺も、すべてこの経を読み奉らない人はいなかった。
守は、「読んだ後は、各々読んだ巻数を報告せよ。それによって、籾一斗を法華経一部に当てて与えよう」と言った。
すると、この国や隣国の上下の僧共はこの事を聞いて、各々が経を読み、読み終えて巻数を捧げ持って、星の如く数知れず国司の館に集まってきた。
そのうち、一万部の巻数に達したので、守は大いに喜び、その年の十月に法会を営んで供養し奉った。

その夜、守の夢に一人の小僧が現れた。その姿は端麗で、手に錫杖を取り、喜んでいる様子でやってきて、守に告げた。「汝が行った清浄の善根を我はたいそう嬉しい」と。そして、和歌を詠んだ。
『 一乗の みのりをあがむる 人こそは みよの仏の 師ともなるなれ 』
( 一乗の  御法(法華経の教え)をあがめる 人こそ 三世の仏の 師となるのである )
また、
『 極楽の 道はしらずや 身もさらぬ 心ひとつが なおき也けり 』
( 極楽へ 行く道といえば 身について離れることのない 心一つが 正直であることだ )
また、
『 さきにたつ 人のうえをば ききみずや むなしきくもの けむりとぞなる 』
( 先立って 死んで行く人について 見聞きしていないか 虚しい雲の 煙になってしまうものだ )
と。
小僧はこのように仰せになると、近寄ってきて、自ら左の手を伸ばして守の右の手を取って、「汝は、これから後いっそう無常を観じて(観想して)、後世往生の勤めをなしなさい」と仰せられた。
守はこれを聞いて、涙ながらに感激し、小僧に「今お教え下さったことをすべて守ります」と申し上げた。このように見たところで、夢が覚めた。

その後、まだ夜が明けきらぬうちに、智りある僧を招き集めて、夢のお告げを語った。これを聞いた僧たちは、涙を流して、「これは、地蔵菩薩の教えである」とたいそう尊んだ。
守は早速仏師を呼んで、日ならずして等身の地蔵菩薩の像を造り奉って、開眼供養し奉った。
その後は、守の一家はみな頭を傾け、掌を合わせて、日夜を問わず地蔵菩薩を帰依し奉ったのである。

これを思うに、人にご利益を与えるためには、地蔵菩薩も和歌をお詠みになるのだと、この話を聞いた人は皆尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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妻の供養に救われる ・ 今昔物語 ( 17 - 31 )

2024-07-13 08:21:47 | 今昔物語拾い読み ・ その4

      『 妻の供養に救われる ・ 今昔物語 ( 17 - 31 ) 』


今は昔、
大和国、吉野の郡に一人の僧が住んでいた。名を祥蓮(ショウレン・伝不詳)という。
説教を仕事にして世渡りしていた。法を説いて人を教化していたが、自らの戒律についてはおろそかであった。

さて、この祥蓮もいつしか年を取り、重い病にかかって、数日のうちに死んでしまった。
その後、三年ほど過ぎたある夜のこと、妻である尼が夢を見た。
「尼は、遙かなる山を通り過ぎていたが、日の光は全くない。やがて日も暮れて夜になったので、大きな岩のもとに留まって、ただ一人で夜が明けるのを待っていたが、近くで人の泣き悲しんでいる声が聞こえた。よく聞くと、亡き夫祥蓮の声であった。尼はその声を聞いて、悲しく思いながら訊ねた。『もしや、祥蓮様ではありませんか』と。すると、『我は祥蓮である。我は、生きていた時、戒律を破って恥じることなく、多くの信者から布施を受けながら、その償いを全くしなかった。その罪によって、この孤地獄(コジゴク・孤独地獄。八大地獄などとは別に、散在している地獄、らしい。)に堕ちてしまった。ところが、生きていた時に、時々地蔵菩薩を敬い拝み奉ったことがあったので、毎日三時(サンジ・昼間に勤行する三回の時刻で、早朝、日中、日没。)に地蔵菩薩がおいでになり、我が苦しみを肩変って下さる。これ以外には、全く助かることがない』と言って、和歌を詠んだ。
『 人もなき みやまがくれに ただひとり あはれわがみの いくよへむ 』
( 誰もいない 深山の蔭で たった一人で 情けないことに地獄の責め苦を いつまで受け続けるのだろう )
と言うのを聞いたところで、夢から覚めた。

その後、尼はすぐに仏師に頼んで、三尺の地蔵菩薩の像一体を造り奉った。そして、法華経一部を書写して、吉野川の川上の日蔵(ニチゾウ・三善氏。905 - 985 。はじめ道賢と称したが一度死んで蘇生した後に日蔵と称した。
)君の別所において供養し奉った。
その夜、尼の夢に、故祥蓮が嬉しそうな様子で、端正な姿で清浄な衣服姿で現れ、尼に告げた。「そなたの善根の力によって、我は罪を許されて、ただ今、法華経と地蔵菩薩のお助けをいただいて、浄土に参るところだ」と。そこで尼は夢から覚めた。
その後、尼は喜び、また貴く感じて、ますます地蔵菩薩に帰依し奉ること限りなかった。
これを聞く人も、また尼を誉め称えた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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地蔵菩薩一筋の僧 ・ 今昔物語 ( 17 - 30 )

2024-04-11 08:02:54 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 地蔵菩薩一筋の僧 ・ 今昔物語 ( 17 - 30 ) 』


今は昔、
下野国に薬師寺(栃木県にあった寺院。奈良朝時代の日本三戒壇の一つ。)という寺があった。朝廷がその寺に戒壇(カイダン・受戒の儀式を行う所。)を始めて置かれたことで尊ばれている寺である。
ところで、その寺に一人の堂童子(ドウドウジ・仏道の管理や雑務に当たる下級の僧)の僧がいた。名を蔵縁(ゾウエン・伝不詳)と言った。
その僧は、長年地蔵菩薩にお仕えし、日夜寝ても覚めても祈念し奉って、これ以外のお勤めは全くしなかった。

さて、蔵縁が三十歳になった頃から、しだいに家が豊かになり、縁があって妻子を儲け大いに栄えた。
そこで、親しい人たちと相談して、それぞれ力を合わせて一つのお堂を造り、仏師を招いて等身の地蔵菩薩像一体をお造りして、そのお堂に安置した。そして、常に香華灯明を奉り、日夜怠ることがなかった。
また、毎月二十四日(地蔵菩薩の縁日)には僧供養を盛大に行い、多くの僧を招いて供養の布施を行い、法会を営んだ。そして、夜には地蔵講を行った。
近隣の僧俗は皆集まってきて、聴聞し、終夜礼拝した。

ところで、蔵縁は日ごろから口癖のよう誰彼に向かって、「私は、必ず月の二十四日に極楽往生するでしょう」と話していた。それを聞く人は、ある人は褒め尊んだが、ある人は誹り嘲笑した。
やがて、蔵縁はしだいに年老いて、九十歳になった。それでも、顔色は壮年の人のようであり、歩行も衰えず、十分な力を保っていた。それゆえ、熱心に礼拝恭敬することが衰えることがなかった。これを見聞きする人は、「不思議な事だ」と思っていた。

そして、延喜二年( 902 )という年の八月二十四日に、蔵縁は多くの饗応の膳を準備して、知っている遠近の男女を招いて、酒食をすすめて、「私、蔵縁が皆様にお会いするのも今日限りとなりました」と自ら話した。
集まって来ていた人々は、ある者はいつもの事だと思って帰っていき、ある者はこの言葉を怪しみながらも涙を流していたが、やがて、皆家に帰っていった。

その後、蔵縁は、あの地蔵堂に入って、そのまま死んでしまった。
しかし、誰もそれを知らなかった。
明くる朝、家の者がお堂の戸を開けてみると、仏の御前に、蔵縁が掌を合わせて額に当て、坐ったままで死んでいた。
これを見て家の者は、驚いて多くの人ら知らせた。人々は皆やって来て、これを見ると、涙を流して感激し、尊ばない者はいなかった。まことに、日ごろの言葉に違わず、月の二十四日に仏の御前で、端坐して亡くなったのだから、疑いなく往生を遂げたのだ、と人々は言い合った。
これはひとえに、地蔵菩薩を長年に渡って祈念し奉ったご利益である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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極楽往生を約束された女 ・ 今昔物語 ( 17 - 29 )

2024-04-08 07:59:58 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 極楽往生を約束された女 ・ 今昔物語 ( 17 - 29 ) 』


今は昔、
陸奧国に恵日寺(エニチジ・福島県磐梯町に所在)という寺がある。この寺は、興福寺の以前の入唐僧である得一菩薩(トクイチボサツ・平安時代初期の僧。藤原仲麻呂の子という説もあるらしい。)という人が創建した寺である。
その寺のそばに一人の尼が住んでいた。これは、平将行(伝不詳。「平将門」が正しいらしい。)という人の第三女にあたる。
この尼は、出家する前は、容姿まことに美しく、優しい心の持ち主であった。父母が何度も結婚させようとしたが、全く見向きもせず、独り身のままで年を重ねた。

やがて、この女は病気になり、数日伏せった後に死んでしまった。そして、冥途に行き、閻魔庁に着いた。
女が庭の中を見ると、多くの罪人を縛り、罪の軽重を調べて判決を行っている。罪人が泣き悲しむ声は、雷が鳴り響くようである。
これを見聞きしていると、肝は砕け心は動転して、とても堪え難いほどである。その罪人を調べている中に、一人の小僧がいた。その姿は端正で威厳がある。左の手に錫杖を持ち、右の手に一巻の書を持ち、東に西にと走り回って、罪人の罪を裁定している。
その庭にいる人は皆、この小僧を見て、「地蔵菩薩様がいらっしゃった」と言い合っている。この女はそれを聞くと、手を合わせて小僧に向かい、地に膝をついて泣きながら、「南無帰命頂礼(ナムキミョウチョウライ・絶対的に信ずる心を示す慣用句)地蔵菩薩」と二、三度唱えた。

すると、その小僧は女人に、「汝、我の事を知っているのか否や。我こそは、三途(サンズ・地獄、餓鬼、畜生の三悪道のこと。)の苦難を救う地蔵菩薩である。我が汝を見るに、汝はまさに多くの善根を修めた者である。されば、我は汝を救ってやろうと思うが、いかに」と仰せられた。
女人は、「なにとぞ、大悲者(大慈悲心をもって衆生を救う仏や菩薩。ここでは地蔵菩薩のこと。)さま、わたしのこの度の命をお助け下さい」と申し上げた。
すると、小僧は女人を連れて、庁の前に出て行き、「この女人は、実に信仰心のある丈夫ともいうべき者である。女の身ではあるが、男と交わった罪がないからである。ところが、今すでにここに召されてはいるが、速やかに返してやって、さらに善根を修めさせようと思うが、いかがか」と訴えられた。
閻魔王は、「ただ仰せの通りに従いましょう」と申された。

そこで、小僧は女人を門の外に連れて行き、女人に、「我は一行の法文を大切にしている。汝はこれをいつも大切に心に込めて信じることが出来るか、どうか」と仰せられると、女は、「わたしは、心から信じて、片時も忘れることはいたしません」と答えた。
すると小僧は、一行の法文をお説きになった。
『 人身難受 仏教難値 一心精進 不惜身命 』
( ニンジンナンジュ ブッキョウナンチ イッシンショウジン フシャクシンミョウ ・・ 人間には生まれがたく 仏の教えには巡り会いがたい 一心に仏道に精進し 身命も惜しんではならない ) 
そして、さらに、「汝は極楽に往生すべき因縁がある。今、それに必要な句を教えよう。努々(ユメユメ・決して)忘れてはならない」と仰せになって、
『 極楽の 道のしるべは 我身なる 心ひとつが なほきなりけり 』
( 極楽に往生すべき 道しるべは 自分の 心ひとつが 正直であることだ )
このように教えられた、と思ったところで女は蘇生した。

その後、女は、一人の僧を招いて出家した。名を如蔵(ニョゾウ)という。
そして、心を込めてひたすらに地蔵菩薩を念じ奉った。それゆえ、世間の人はこの尼を地蔵尼君と呼んだ。
こうして長年が過ぎ、年八十を過ぎて、心乱れることなく、端坐して口に念仏を唱え、心に地蔵を念じて入滅した。
これを見聞きした人で、尊ばない人はいなかった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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小さな地蔵菩薩像 ・ 今昔物語 ( 17 - 28 )

2024-04-05 08:00:18 | 今昔物語拾い読み ・ その4

      『 小さな地蔵菩薩像 ・ 今昔物語 ( 17 - 28 ) 』


今は昔、
京の大刀帯町(タチハキマチ・不詳。)の辺りに住んでいる女がいた。もとは東国の人である。何か事情があって、京に上り住むようになったのである。

その女人には、少々善心があり、月の二十四日に六波羅蜜寺の地蔵講にお参りして聴聞していたが、そこで、地蔵の誓願を説くのを聞いて、信仰心を起こしてたいそう感激して、泣く泣く家に返った。
その後、地蔵菩薩の像を造り奉らんと思う心が深く生じて、着ている着物を脱いで仏師に与え、一磔手半(イチヤクシュハン・仏像の寸法を測る尺度。約36cmで、持仏像や胎内仏の標準的な高さ。)の地蔵をお造りした。
ところが、まだ、その開眼供養をしないうちに、女は急に病にかかり、数日病床にあったが、遂に死んでしまった。子供たちが傍らにいて泣き悲しんでいると、三時(ミトキ・六時間ほど)ばかりして蘇(ヨミガエ)った。そして、目を見開いて、子供たちに語った。

「わたしは、たった一人で広い野原の中を歩いているうちに、道に迷って行く方向が分らなくなりました。すると、冠をつけた官人が一人現れて、わたしを捕らえて、どこかへ連れて行こうとしました。その時にまた、端正な小僧さんが現れて、『この女は、我が母上である。すぐさま放免すべし』と仰せになりました。官人はそれを聞くと、一巻の書を取り出して、わたしに向かって、『汝には二つの罪が有る。早くその罪を懺悔せよ。その二つの罪というのは、その一つは邪淫の罪である。泥塔(デイトウ・土製の塔。素焼きの小さな塔らしい。)を造って供養すべし。二つ目の罪は講に参って説法を聞いた時、聞き終わらないうちに出て行った罪である。その懺悔を行え』と言うと、わたしを許して放してくれました。
すると、小僧さんがわたしに、『汝は、我を知っているか否や』と仰せになりました。わたしは知らないと答えました。小僧さんは、『我は、実は汝が造った地蔵菩薩なのだ。汝は我が像を造った。それゆえに、我はやってきて汝を助けたのである。速やかに本の国に返るがよい』と仰せになり、道を教えて返して下さったのです」と。

その後、雲林院(ウリンイン・京都市北区にあった寺院。)の僧に依頼して、泥塔を造って供養し、懺悔を行ってもらった。また、地蔵菩薩像の開眼供養をし奉って、心を込めて礼拝恭敬し奉った、
となむ語り伝へたるとや。

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地獄からの伝言 ・ 今昔物語 ( 17 - 27 )

2024-04-02 07:58:43 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 地獄からの伝言 ・ 今昔物語 ( 17 - 27 ) 』


今は昔、
仏道を修行する僧がいた。名を延好(エンコウ・伝不詳)という。
越中国の立山という所に参って、お籠もりしたが、夜の丑
時(ウシノトキ・午前二時頃)頃に、人の影のような者が現れた。

延好が恐れおののいていると、この影のような者が泣き悲しんで、延好に「実はわたしは、京の七条の辺りに住んでいた女です。七条よりは[ 欠字。方角が入るが不詳。]、西の洞院よりは[ 欠字。方角が入るが不詳。]、向かって行くと西北の辺り一(イチ・一軒目という意味か?)という家です。わたしの父母や兄弟は、今もその所に住んでいます。ところが、わたしはこの世の果報(寿命)が尽き、たいへん若くして死んで、この山の地獄に堕ちてしまいました。ところで、わたしは生きていた時、祇陀林(ギダリン・京極西にあった寺。)の地蔵講に参ったことがありますが、一、二度に過ぎません。その外には全くほんの少しばかりの善根も積んだことがありません。ところが、今、地蔵菩薩様がこの地獄においでになって、毎日三時(サンジ・昼間の勤行の三時刻で、早朝・日中・日没を指す。)にわたしの責め苦を代わって受けてくれています。どうぞ、お聖人様、あのわたしの本の家に行って、父母兄弟にこの事を告げて、わたしの為に善根を積むようにおっしゃって下さって、わたしの苦しみをお救い下さい。そうしていただければ、わたしは世々(セゼ・生々世々のこと。六道世界を生まれ変わり死に変わること。)にわたってこのご恩を忘れません」と言うと、姿が消えた。

延好はこれを聞いて、恐れおののいてはいたが、哀れみの心が生れて、立山を出て、ただちにその七条の辺りに行き、試みにあの女が言った所を尋ねて問うと、まことに女が言ったことに違う事がなく、父母兄弟が住んでいた。
延好は彼らに会って、立山での事を告げた。父母兄弟はそれを聞いて、全員が涙を流して泣き感激し、そして喜んだ。
その後、すぐに仏師と相談して、三尺の地蔵菩薩の像一体を造り奉って、法華経三部を書写し、亭子の院(テイジノイン・宇多法皇の御所)のお堂において法会を営んで供養し奉った。その日の講師は、大原の浄源供奉(伝不詳)という人であった。その講師が仏法を説くと、聞く者は皆、涙を流さないと言うことがなかった。

地蔵菩薩のご利益は、何よりも勝っていらっしゃる。地蔵講に一、二度お参りしただけの女の責め苦を代わって下さることは、まさにこの通りである。いわんや、心を込めて念じ奉り、そのお姿を像に造ったり絵に描いたりし奉った人は当然お助け下さることを思いやって、世の人は皆、地蔵菩薩に帰依し奉るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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冥途で出会った二人 ・ 今昔物語 ( 17 - 26 )

2024-03-30 08:01:14 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 冥途で出会った二人 ・ 今昔物語 ( 17 - 26 ) 』


今は昔、
近江国甲賀郡に、一人の下人(身分が賤しい者)がいた。家は貧しく、その日の生活にも事欠くほどであった。ただ、その妻がいつも人に雇われて、機織りの仕事をすることで生計を立てていた。

さて、その妻はうまくやりくりして、手織りの布一段(イッタン・大人一人分)を密かに織って持っていたが、ある時、夫に「わたしたちは長年貧しくて、家計も苦しい。ただ、ここにわたしが密かに織った布一段を持っています。近頃耳にしましたが、『箭箸の津(ヤハセノツ・現草津市の琵琶湖畔の港
)に海人(漁師)がたくさんいて、魚を捕ってきて売っている』そうです。そこで、あなたがこの布を持ってその津に行って、魚を買って持って帰り、それを稲や籾に替えて、今年は一、二段の田を作って、それで生活しましょうよ」と言った。

夫は妻の言う通りに、布を持って箭橋の津に行き、海人に会ってわけを話して、網を曳かせたが、魚を捕ることは出来ず、その代わりに大きな亀を一匹引き上げた。海人は、すくにこの亀を殺そうとしたが、布を持ってきた男はこれを見て、哀れみの心が起り、「この布で、その亀を買いたい」と申し出た。海人は喜んで布を受け取り亀を男に与えた。
男は亀を買い取ると、「亀は命の長いものだ。命のある者は、命こそが宝だ。我が家は貧しいけれど、布を棄てて、お前の命を助けてやろう」と亀に言い聞かせて、海(湖)に逃がしてやった。
男は、手ぶらで家に返った。妻は待ち受けていて、「どうでした、魚は買えましたか」と尋ねると、夫は、「私は、布で以て亀の命を助けてしまった」と答えた。
これを聞いた妻は、大変怒り、夫を責めののしって、悪態の限りを尽くした。

その後、夫は幾日も経たないうちに病にかかり死んでしまった。
そこで、金の山崎(カネノヤマサキ・不詳)の辺りに葬った。ところが、三日を経て蘇(ヨミガエ)った。
その頃、伊賀守[ 欠字。姓名が入るが不詳。]という人が任国に下る途中で、この蘇った男を見つけて、慈悲の心を起こして、水を汲んで口に入れてやり、喉を潤してやるとそのまま過ぎて行った。
家にいた妻はこれを聞いて、出掛けて行って夫を背負って家に返った。

夫は、しばらくすると妻に語った。
「私が死んだ時、官人に捕らえられ、追い立てられて連れて行かれた。広い野原の中を過ぎると、ある官舎の門に着いた。その門の前の庭を見ると、多くの人が縛られて転がされていた。大変恐ろしい思いだった。
すると、一人の美しくて威厳のある小僧が現れて、『我は地蔵菩薩である。この男は、我のために恩を施してくれた者だ。我はあらゆる生き物を救うために、かの近江国の湖の辺に大きな亀の姿になって住んでいた。ところが、海人のために網で曳き上げられ、殺されようとしたとき、この男が慈悲の心で以て、その亀を買い取って命を助け、湖の中に逃がしてくれたのだ。それゆえ、速やかにこの男を許して放免すべきである』と仰せられた。
官人はこれを聞くと、すぐに私を許してくれた。

それから、その小僧は私に、『汝は、早く本の国に返り、ますます善根を積んで、悪業を行ってはならない』と仰せになって、道を教えて返らせてくれたが、その途中で、二十歳ばかりの容姿の美しい女人を縛って、二人の鬼が前後に立って笞で打って追い立てているのに出会った。
私はそれを見て、『あなたはどこの人ですか』と尋ねると、女は泣きながら、『わたしは、筑前国宗方郡の官首(カンジュ・郡司の下役で地域の有力者、らしい。)の娘です。にわかに父母の許を離れ、一人で暗い道に入り、鬼に笞で打たれて追い立てられてきたのです』と答えた。私はそれを聞いて可哀想になり、あの小僧に申し上げた。「私は、すでに寿命の半ばを過ぎていて、残りの命はいくらもありません。この女は、年未だ若く、行く末は遙かです。ですから、私をこの女に替えて、女を許してやって下さい』と。
小僧は私の申し出を聞くと、『汝はまことに慈悲深い。わが身に替えて人を助けることは、なかなかある事ではない。その心に免じて、二人とも許しを請うてやろう』と仰せになって、鬼に訴えて、共に許してもらえた。
女は涙を流して喜び、私に向かって親交を約して、別の道を返っていった」と。

その後、しばらく経ってから、男は「あの冥途で会った女を尋ねてみよう」と思い立って、筑紫(筑前・筑後両国の古称。)に行った。
あの女が冥途で話していたように、筑前国宗方郡の官首の家に行って尋ねると、まことに官首に年若い娘がいた。そして、そこの家の人が、「病気になって亡くなり、二、三日ばかり経って蘇った」と話すのを聞いて、その娘にあの冥途での事を伝えてもらった。
娘はそれを聞くと、大慌てで走り出てきた。男は、娘を見ると冥途で会った娘に違いなかった。娘もまた、男を見ると、冥途で会った男に違いなかった。そこで、互いに涙を流して感激しながら冥途での事を語りあった。

その後、互いに親交を約して、男は本の国に帰って行った。
そして、それぞれが信仰心を起こして、地蔵菩薩に帰依した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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地蔵菩薩像を完成させる ・ 今昔物語 ( 17 - 25 )

2024-03-27 08:01:35 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 地蔵菩薩像を完成させる ・ 今昔物語 ( 17 - 25 ) 』


今は昔、
因幡国高草郡の野坂の郷に一つの寺があった。名を国隆寺(コクリュウジ・未詳)という。この国の前の介(スケ・次官)である[ 欠字。姓が入るが不詳。]千包(チカネ・伝不詳)という人が建立した寺である。

この寺に別当(事務を統括する職務だが、大寺に置かれるので、やや不自然。)の僧がいたが、仏師を呼んで、かねてからの宿願である地蔵菩薩の像を造らせることにした。
ところが、この別当の僧の妻が、他の男に奪われて姿を消してしまった。そこで、別当の僧はすっかり逆上してしまって、東西南北とあちらこちらと捜し回って大騒ぎしているうちに、あの地蔵菩薩像を造り奉ったことも、すっかり忘れてしまった。そのため、仏師たちがその仕事場に来ても、施主である別当から何の面倒も見てもらえないので、食べることさえ出来ず飢えてしまっていた。

ところで、その寺に専当(セントウ・別当の下位にあって、寺務を管理した。)の法師がいた。この仏師たちが食事も出来ないのを見て、善心のある者だったので、食事を準備して、仏師たちを世話していたが、数日経って木造りの像は完成したが、まだ彩色し奉る前に、この専当の法師は急に病にかかり死んでしまった。
妻子は泣き悲しんだが、どうすることも出来ず、お棺に入れて側に置き、葬らないで朝晩に見ていると、六日目の未時(ヒツジノトキ・午後二時頃)の頃に、にわかにこのお棺が動き出した。妻は恐ろしく思いながらも、不思議に思い、近寄ってお棺を開けてみると、死人は既に蘇(ヨミガエ)っていた。
妻は喜び、水を口に入れてやった。死人は起き上がり、妻子に語った。

「私が死んだ時、たちまち猛々しく恐ろしげな大鬼が二人やってきて、私を捕らえて、広い野原に連れ出して、さらに私を追い立てていくうちに、一人の小僧が現れた。姿は美しく厳かである。
この小僧が、私を捕らえている鬼たちに仰せになった。『これ、鬼どもよ、この法師を許してやれ。こう言う我は、地蔵菩薩である』と。
二人の鬼はこれを聞くと、地にひざまずいて、私を許してくれた。
すると、小僧は私に向かって仰せになった。『汝は我を知らないか。かの因幡国の国隆寺において、我が像を造っている時、施主の別当に事件が発生し、我が像を造ることを忘れてしまった。その時、汝はその仏師たちの世話をし、我が像を完成させた。汝は、ぜひともそれに彩色を施し供養せよ。あの施主は決して完成させることはあるまい。くれぐれも、汝はこれをやり遂げるのだ』と。
そして、道を教えて返してもらえる、と思ったところで蘇(ヨミガエ)ったのだ」と。
妻子はこれを聞いて、涙を流して感激し、尊ぶこと限りなかった。

その後、僅かな全財産を投げ出して、あの地蔵菩薩像に彩色し供養し奉ったのである。
その地蔵菩薩像は、その国隆寺に安置して、今もそこにおいでである。
これを思うに、地蔵菩薩の誓いというものは、他のものに勝っていらっしゃる。心ある人は、専らに祈念し奉るべきである、
となむ伝へたるとや。   

     ☆   ☆   ☆

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一瞬の信仰心 ・ 今昔物語 ( 17 - 24 )

2024-03-24 08:00:16 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 一瞬の信仰心 ・ 今昔物語 ( 17 - 24 ) 』


今は昔、
源満中朝臣(ミナモトノミツナカノアソン・正しくは「満仲」。清和源氏。997 没。)という人がいた。勇猛な心の持ち主で武芸の道に長じていた。されば、その武芸の道で朝廷や貴族にたいそう重く用いられた。
ところで、満中のもとに一人の郎等がいた。その男も、猛々しい心の持ち主で、殺生を日常の仕事としていた。その上、ほんの少しの善根も行うことがなかった。
ある時、その男が、広い野に行き鹿狩りをしているとき、一頭の鹿が現れた。これを射ようとしたが、鹿は走って逃げた。郎等は、鹿の後を追って馬を走らせていると、ある寺の前にさしかかった。その時、一瞬寺の中を見やると、地蔵菩薩の像が立っているのが見えた。これを見て、ほんの少しばかり敬う心が起って、左の手で笠を脱いで、走り過ぎた。

その後、幾日も経たないうちに、この郎等は病にかかり、数日病床にあったが、遂に死んでしまった。
すると、たちまちのうちに冥途に行き、閻魔王の御前に来ていた。郎等がその庭を見渡すと、多くの罪人がいた。罪の軽重を判別して処罰が行われている。郎等はそれを見ると、目がくらみ心は乱れ悲しいこと限りなかった。
その時、この男は、「我が一生の間、罪業ばかり行って、善根を行うことなどなかった。されば、とうてい罪から逃れる方法はあるまい。何と悲しいことか」と思って嘆いていたが、、突然小僧が現れた。その姿は美しく威厳がある。
その小僧はこの男に、「我が汝を助けようと思う。速やかに本の国に返り、長年積み重ねてきた罪業を懺悔(仏教語としては「サンゲ」)しなさい」と話した。

男はこれを聞いて喜び、小僧に、「これは、いったいどなたが私を助けようとして下さっているのですか」と尋ねた。
小僧は、「我を知らないのか。我は、汝が鹿を追って馬を走らせて、寺の前を通り過ぎる時に、ちらっと見た地蔵菩薩なのだ。汝は、長年に渡って積み重ねた罪業は極めて重いとはいえ、あの時、ほんの一瞬であるが、ほんの少しばかり我を敬う心が生じて、笠を脱いだので、我は今、汝を助けようと思う」とお答えになった。そして、本の国に返してもらえる、と思ったところで蘇生した。
その後、男は傍らにいた妻子にこの事を語り、互いに涙を流して感激した。
この時より、男はたちまち信仰心を起こして、以後殺生を断ち、日夜に熱心に地蔵菩薩を念じ奉り、怠ることがなかった。

これを思うに、地蔵菩薩は、ほんの少しばかり敬う心を起こした人でさえ、お棄てにならないことはこの通りである。まして、心を込めて長年念じ奉り、また、お姿をお造りし、また絵に描いたりした人をお助けすることは疑うべきでない。
されば、地蔵菩薩の誓願は他の菩薩以上に勝れていて、頼もしく思われる。
人々はこの事を聞いて、専らに地蔵菩薩に帰依すべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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