『 令和元年に感謝しつつ 』
年越し蕎麦も いただきました
あとは テレビなど見ながら 除夜の鐘を待つ
百八つでは足らないほどの 煩悩を抱えたままで
新しい年を 迎えるとしよう
過ぎて行く 令和元年という年に感謝しながら・・・
☆☆☆
『 静かな一日 』
当地は 朝から雨
ただ気温は この季節にしては暖かい
家人は年の瀬らしく 忙しそうだが
それを横目で見ながら
残り少ない 令和元年という時を 思い返す
静かな一日 であった・・・
☆☆☆
『 思わぬ出会い 』
テレビ番組の話
年末体制になり やたら長いばかりで
おざなりと言いたいような物が 多すぎる
ところが 時々 日頃なかなかお目にかかれないような
きらりと光る番組がある
今見ている音楽番組も 実にすばらしい
思わぬ出会いに 感謝
☆☆☆
『 元旦の風景に変化? 』
コンビニの一部店舗や飲食店に
来年の元旦を休むところが増えている
社員の福祉というより 企業の都合といった感が強いが
個人的には 良い傾向だと思う
元旦の風景が 少し変化するかな?
☆☆☆
『 御用納め 』
官庁や多くの企業は 今日が仕事納めで
明日から 年末年始の大型休暇が始まる
もっとも 最近は「御用納め」という言葉は一般的でなく
「仕事納め」という方が 主流だそうな
いずれにしても 早くも高速道路の一部では 交通量が増えており
明日あたりは すべての交通手段が 大混雑の見込みとか
移動する人も 家に籠る人も 年の瀬を
どうぞ 穏やかに
☆☆☆
『 生命連鎖の責任は二十五年を以って終えるともいえます。 』
ある本で、動物の心臓が拍動する回数はみんな同じだという記事を読みました。
その記事には、どんな動物でも一生の間に心臓が拍動する回数はおよそ十五億回だとありました。( 一部 略 )一般的に小さな動物の心拍数は早く、大きな動物の心拍数は遅いそうです。
例えば、ゾウなどは三秒に一回くらいだそうです。
さて、そこで人間の心拍数ですが、個人差はあるとしても、大体一秒に一回くらいです。つまり、心拍数からみれば、人類の寿命はゾウの三分の一だという計算が成り立ちます。この計算からは、人類の寿命は大体二十五年くらいになるそうです。
そうなりますと、すべての動物が・・・、という記事に矛盾が出てきます。というより、人間は例外ということなのかもしれません。遠い昔、初期人類が登場した頃には、私たちよりはるかに短い寿命だったと考えられています。もしかすると、二十五年くらいだったのかもしれません。
( 中略 )
現在、日本人の平均寿命は八十歳を超えています。本来与えられたと思われる命より五十年以上も長い命を得ていることになります。
なるほど、それがゆえに、老後の心配をしたり、年金制度がどうとかこうとか言わなくてはならないし、足腰が痛んでくるわけです。子供ばかりか孫の心配までしなくてはならないのは、天賦の定めを超えた命の代償なのかもしれません。
しかし、考えようによっては、生命連鎖の責任は二十五年を以って終えるともいえます。後は、まあ おまけみたいなものです。
おまけだからどうでもいいというわけではありませんが、もう少し ゆったりゆったりと行きましょうよ。
( 「小さな小さな物語」第三部 NO.155 より )
『 プロの経営者 』
生命保険の不正契約に絡み
日本郵政など 3社の社長退任へ
社長が交替したところで どの程度の効果があるのか疑問だが
後退しないわけにもいくまい
それにしても 後継候補の名前を聞くと
つくづく わが国には プロの経営者という人材が 不足しているのだと感じる
人材育成は いずれの組織でも 重要課題であろうが
経営のプロも 自然成長を待っているだけでは 駄目だと思うのだが
☆☆☆
『 慌ただしいことです 』
今日はクリスマス
クリスチャンではないが それなりに関心があり
大晦日には 除夜の鐘に 煩悩を清めてもらい
年を明ければ 初詣
神様仏様を 掛け持ちしているわけではないが
慌ただしいことです
☆☆☆
『 内容はともかく 』
日韓首脳会談 一年三か月ぶりの開催
隣国どうしが これほど長い期間 首脳会談が開かれないのは
やはり 異常すぎる
言いたいことは山ほどあるが
言い分があるのは 相手国も同じだろう
まあ 今回は 内容はともかく
開催されたことだけで 良いんじゃないですか
☆☆☆
麗しの枕草子物語
六位の蔵人
六位の蔵人と申しますのは、それはすばらしいものでございますよ。
決して身分は高くないのですが、何といっても主上のお側近くにお仕えするものですから、尊いお家柄の貴公子でさえお召になれない綾織物を平気で着ていて、その青色の袍姿は実にすばらしいものでございます。
もとはといえば、雑務を務める者や地下人の子供などで、身分高き方々の侍所に勤めている四位や五位程度の者の下に使われていて、ほとんど相手にもされない存在であったのでしょうに、いったん蔵人に任用されようものなら、その変わりようは驚くばかりでございます。
天皇の勅使となって、以前勤めていたお邸に宣旨を持参した時などは、お邸の主である大臣自らが、ありがたがってもてなしをされるご様子は、天人でも天下ってきたのかと思われるほどなのです。
かつては、土下座していた一門の方や若君に対しても、少しばかりは遠慮をしているような格好はしていますが、同じように肩を並べているのですから。
それもこれも、六位の蔵人としてのすばらしい青色の袍を着ていればこそなのです。
主上の側近くで、妬ましくなるほど恵まれたお仕事なので、三、四年で五位に上がるのを、昔の人はその時期が近付くのを嘆き悲しんだものですが、最近の人といえば、もっと実入りの良い地方官を望み、臨時の昇進を申請しているというのです。
まったく、情けない世情ですわねぇ。
(第八十三段 めでたきもの、より)