雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ランプの出湯 ご案内

2024-09-22 08:01:39 | ランプの出湯

         『 ラ ン プ の 出 湯 』

 

遠い昔のことになるが、ランプの出湯という案内に誘われて、信州の温泉を訪ねた。そこで私は不思議な体験をした ・・・

 

               全九回の中編小説です。ぜひ、ご一読下さい。

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ランプの出湯   第一回

2010-05-18 18:24:18 | ランプの出湯
ずいぶんと遠い日のことである。
今思い返してみると、あれは本当にあったことなのかどうか、若干心もとない部分がある。
記憶に齟齬があるとは思わないが、何分若い頃の体験であり、伝えられたことが本当に事実であったのか、あるいは、自分の精神状態が高揚しすぎた状態での経験を記憶として抱き続けてきてしまったのではないか、少々自信がない部分もある。

          ( 1 - 1 )

さて、「ランプの出湯」などという言葉は、現在でも通じる言葉なのだろうか。
私自身、久しく実生活でこの言葉を使ったことがない。新聞やテレビなどの観光案内でも、ランプしかないのを売り物としている温泉など見たことがない。

この言葉は、現在の日本からはすでに消え去ってしまった景色の一つなのかもしれないが、他のものでは表現しがたいような優しさや懐かしさなどが入り交じったような光景が浮かんでくるように思うのだが、そう感じるのもごく限られた世代だけになっているのかもしれない。

   **

東京でオリンピックが開催された頃、私は東京で生活していた。
初めての転勤で池袋にある支店に配属され、会社の独身寮での生活を送っていた。まだ給料は少なく、独身者が生活していくための衣服や靴などは、現在に比べてはるかに高かったが、食費などは安く、独身寮は充実していたので生活していくのに困ることはなかった。

仕事や生活に慣れてくると、近郊の山にも出掛けるようになった。
私は関西にいる時から山歩きが好きだっが、東京に来てからの半年ほどは山へ行くことがなかった。もっとも、私のいう山は、山岳という類のものではなく、海に対する山という程度のもので、整備された道がない所へは行くだけの勇気も技術もなかった。

東京近郊のハイキングコースには、月に一度くらいは出掛けるようになっていった。グループでのこともあるし、二、三人の仲間と一緒のことも、一人で行くことも増えて行った。
関西に比べて、歩き始める場所まで行くのに時間がかかるのが負担だったが、それでも日帰りのコースを見つけるのには困らなかった。

丹沢とか大菩薩峠などは一日では難しいが、休みを利用して何度か出掛けたし、信州へ行くこともあった。
軽井沢などへは関西にいるときにも旅行した経験があるが、東京から信州へは関西に比べはるかに近く、私程度の山歩きをする者にとって手頃なコースを見つけやすかった。

   **

その旅行は、私が東京で生活するようになって三年ばかり経った夏のことである。
新宿から当時の国鉄で三時間程の列車の旅であった。土曜日の午後だったが、一時間余り並んだおかげで私たちは席を取ることができた。
私たちというのは、同じ会社の友人と一緒だったからである。

その友人とは、配属先は別だが同じ独身寮であることから仲良くなった。年齢は私より一つ下だったが、その独身寮には七十人ほどいたのに特別に親しくなっていた。
朝の食事の時間が大体同じで、途中まで一緒に出勤することが多かったこともあるが、なぜか気が合うという関係は理屈ではなく有るものである。
そして、その年の二月に、三日間彼の実家にお世話になりスキーを楽しんでからは特に仲良くなっていた。

今回の旅行も、彼の実家に一泊させてもらうことになっていた。ただ、今回の旅行は別行動になる旅であった。
彼は翌日に法事があるための帰郷であり、私は休暇を取っての山歩きを楽しむ旅で、最初の夜を彼の実家で泊めてもらうことになっていた。

何とも厚かましい話だが、小遣いが常に足らない頃のことで、彼の好意に二つ返事で乗ったのである。
それと、私には友人の家に泊めてもらうという経験は殆どなかったが、この前のスキーの時に泊めてもらっている気安さと、憧れている信州の家庭でのその時のことが、私にとって大変思い出に残るものだったことも、再び世話になろうと決めた理由の一つであった。

彼の実家は、長野県の主要都市の一つで、その中心街に近かった。
その夜、彼の両親に歓待を受け旧交を温めた。翌日に法事を控え慌ただしいときだと思うが、スキーの時と同じように温かくもてなしてくれた。

実は、今回も泊めてもらうことにした一番の目的は、彼の母親に会うことであった。
別に宿泊費を節約しようという魂胆を隠すつもりはないが、冬に泊めていただいたとき聞いた話の続きが聞けるかもしれないという期待の方が大きかった。

私は転勤で東京に出てくるまで、スキーの経験が全くなかった。スキーの経験どころか、本当の意味での雪というものを知らなかったという方が正しいかもしれない。
私が育ったのは関西の中でも温暖な地域だが、それでも雪は降るし子供の頃には小さな雪だるまを作ったり雪合戦をした記憶もある。

最近でも、何年かに一度は雪景色らしい姿になる程度の雪は降る。十センチ以上積もったことも子供の頃から数えれば何度かあった。
しかし、私の知っている雪は、土の上にある雪であった。たとえ十センチの雪が積もったとしても、雪の上を歩くという感覚ではなく、土の上にある雪の上を歩くという感覚なのである。

私が初めてスキーを経験したのは、東京に来て間もない頃に職場の仲間たちと行った奥日光のスキー場であるが、スキーそのものの楽しさより、雪の存在に感動したのを覚えている。
そこには土の感覚はなく、足の下は雪だけであった。

この前スキーで世話になったときに、雪についての感想を私が話すと、友人や友人の弟たちはいかにも面白そうに笑った。そして、口々に本当の雪とはそんなものではないよと、雪のもつ厳しさについて話した。
ただ、彼の母親だけは息子たちと違い私の話に興味があるようで、私の雪に対する感想などを何度も確認し、大きく頷いたりするのである。
私は、この話を特別な意味をもって話したのではなく、単なる笑い話程度のつもりで話したことなので、彼の母親があまりに真剣に応じてくれるのに戸惑っていた。

「あら、何か尋問でもしているみたいですね。いえ、ね、雪の話になると懐かしいような、それでいて思いだしたくないような気持ちになりましてね。それに、雪のことが分かっていないということでは、息子たちも同じですよ」
と、彼の母親は少し恥ずかしげに微笑むと、遠い昔を思いだすかのように話し始めた。

 
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ランプの出湯   第二回

2010-05-18 18:23:43 | ランプの出湯
          ( 1 - 2 )

信州は雪深い所ですが、この辺りは特別雪が少ないのですよ、と彼の母親は私に向かって話し始めた。

私はこの友人の母親を、友人が呼ぶのと同じように「お母さん」と呼ぶようになっていたが、そう呼びたくなるような実に暖かなものを感じさせる人であった。
お母さんは、長野県と新潟県の県境に近い村落の出身であった。その頃にはすでに廃村になっていたが、大変な豪雪地帯だそうである。

お母さんよると、現在住んでいるこの町の雪などは優しい雪であって、このような雪しか知らない息子たちが安易に雪のことなど話して欲しくない、というのがお母さんの言い分であった。

「また、お母さんの話が始まるよ」
と、友人が茶化したところをみると、お母さんは時々、今は消えてしまった出身地のことを家族に話すことがあったようである。
その夜は、私という初めての聞き手に、雪の持つ凄まじさを、まるで歌うように語ってくれた。

   **

空から降ってくる雪は、優しい雪です。
貧しい生活をする人々に休息するようにと、家も畑も道も小川も、そして森までもすっぽりと包んでくれます。
人や馬や狸や熊も、すっぽりと包んでくれます。
夏の日の疲れを癒すようにと、冬の間は昼も夜もゆっくり休みなさいと、村中を雪で包んでくれます。

しかし、人は馬鹿だから、冬も働こうとします。
中には賢い人もいるけれど、賢い人も働こうとします。
馬鹿な人も、賢い人も、みんな貧しさに耐えかねて、働きます。

働く人々に、雪は怒りの姿を見せます。
怒れる雪は、足元から沸き上がります。
沸き上がった雪は、風を呼び、天と地の間のすべての空間を埋め尽くし、駆け巡り、怒りの声で吼えます。
優しい雪の思いやりを理解できない人間たちに、天地を結ぶ渦巻となって襲いかかります。
天は啼き、地は唸り、風は叫び、雪は吼えます。

それでも人々は働きます。馬鹿な人も賢い人も、みんな働きます。
馬鹿な人も賢い人もいるけれど、人間は結局みんな馬鹿だから、貧しさに負けて働きます。
飢えて死ぬことよりも、怒れる雪に身を任せます。

怒れる雪は何よりも怖いけれど、最後のところでは、わしたちみんなを受け入れてくれることを知っています。
怒れる雪も優しい雪も、どれもみんな雪は雪、最後の最後には、わしたちみんなを受け入れてくれることを知っています。

馬鹿な人も賢い人も、悪さをした人もしなかった人も、となりの嬶さんと手を取り合って逃げる人も、人を殺めてしまった人だって、最後の最後には、怒れる雪に身を任せれば、みんな受け入れてくれます。

怒れる雪は怖いけれど、誰も彼もわけへだてなく大きなからだを広げて受け入れてくれることを、わしたちはみんな知っています。
だから、馬鹿なわしたちは、きょうも怒れる雪に歯向かって働きにでるのです。
馬鹿な人も賢い人も、怒れる雪の中に出ていくのです・・・。

  **

「あら、わたしの話ばっかり…」
お母さんは、まるで夢から覚めたかのように大きな声をだし、私と視線が合うと恥ずかしそうに笑った。
ご主人も、二人の息子も、にこにこしながら聞いていた。何度も聞いているように茶化していた友人も、話の腰を折ることもなく聞き入っていた。

私は、不思議な感動に身体が震えていた。込み上げてくるものがあり、感想を述べることもできなかった。
もっとも、こんな話に、下手な感想を言わなくて良かったと、あとでつくづくと思ったものである。

「さあ、さあ、お茶を召し上がれ。温かいのに入れ替えましたから」
お母さんは、私のお茶を湯呑ごと取り換えて、大皿を少し私の方に押した。
その大皿には、どんな種類の野菜が入っていたのか正確には覚えていないが、大根とか人参とか蕪とか、もっと多くの種類の根菜を主体とした漬物が山盛りにされていた。

食卓の真ん中に置かれた大皿から、各自がそれぞれに自分の小皿に取って、お茶を飲みながらその漬物を食べ、ひとしきり団欒するのである。そして、かなりの時間を過ごした後で夕食が始まるのである。

私のこれまでの経験では、食事の前にお茶を飲む程度ならともかく、漬物などを食べるというのは大変行儀の悪いことだと思っていた。
最初の夜、友人の家族全員が食事の前につまみ食いするのに唖然としたが、そのうち空腹がひどくなってきたのに夕食が始まりそうにないのに耐えかねて箸を出そうとした時、漬物は苦手ではないのかと心配してくれたのに、困った思いをした。

お母さんの話を聞いたのは二日目のことなので、私は勧められるままに漬物を小皿に山盛り取った。大ぶりに切られた漬物は、どれもがどうしてこれほど違うのかというほど美味しいものであった。

しかし、雪の話題はそこで終ってしまった。
私は、内容についてもっと詳しく聞きたいし、言い伝えのようなものがあるように思われるし、別の話もあるのではないかと、話の続きを期待していた。けれどもお母さんは、先ほどの感情を込めた話などまるっきり忘れてしまったかのように振る舞い、誰もが他の話題に興じていた。

後日、友人にお母さんの雪の話について尋ねたことがあるが、彼が子供の頃には別の話も聞いたようであった。しかし、彼が中学生になった頃からは、お母さんが雪の話をする時はいつもこの話のようであった。
多分、お母さんが自分の親から聞いた話らしいのだが、内容の説明や感想などは一切語らず、話し終えればそれでおしまいで、質問されても何も答えないとのことであった。
そして、お母さんが雪の話をしながら涙をこぼしたのを二度ばかり見たことがある、と友人は話していた。 

私が山歩きの最初の日を友人宅に泊めてもらうことにした一番の理由は、やはり、お母さんからまた雪の話を聞かせてもらえるかもしれないという期待だったようだ。
しかし、七月に雪の話はいかにも不自然であった。

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ランプの出湯   第三回

2010-05-18 18:23:10 | ランプの出湯
          ( 2 - 1 )

翌朝、友人宅を七時に出発した。
旅行中の天候は悪天候が予想されていたが、出発する時はまだ晴れていた。

私は大きなリュックサックを背負っていた。
リュックサックの中には、お母さんの作ってくれた弁当も入っていた。他には、毛布と着替え、緊急用の二食分程度の食料と水筒、懐中電灯、それに雨に備えての防水された衣類も準備していた。
この後二泊する予定であるが、旅館か山小屋に泊まる計画だったので、テントや寝袋は持っていなかった。それでも、かなりの量の荷物であった。

私は国鉄の駅前からバスに乗った。目的の高原地帯の真ん真ん中まで行くバスである。
日曜日の朝ということでバスは混雑していた。大半の乗客が私と同じように大きなリュックサックを背負っており、網棚では足らず通路も荷物でいっぱいの状態であった。
私が乗ったバスは、座席の数だけ客を乗せると、まだ定刻には大分時間があると思われたが出発した。そのあとには臨時便のバスが続いていて、乗り切れなかった乗客はそちらに乗車するようであった。
ちょうど夏休みが始まる頃で、シーズン中はこのような運行態勢が取られるようであった。

バスから降りた私は、その高原を代表するものの一つである小高い山に登った。
バスから降りた乗客のほとんどが同じコースを歩いていた。標高だけをみるとかなりの山のように思われたが、実際は高原の中に溶け込んでいるような優しい山で、規模は少し大きいが山というより丘という表現の方が正確なような気がした。

私は殆ど休憩を取らずに山頂を通り過ぎ、草原の中の道を急いだ。風が少し強いほかは真夏の太陽が一面の草の波をきらきらと輝かせていた。
湿原を縫うように整備されている遊歩道を巡り、再び草原の道を進んだ。途中でコースを少し離れて早めの昼食にした。

お母さんが作ってくれた海苔の巻かれた握り飯を食べながら、お母さんの故郷のことを考えていた。残念ながら今回は、お母さんから話を聞く機会がなかったが、なぜかお母さんの故郷を見てみたいという気持ちが強くなっていた。
私の父はサラリーマンで、私が生まれた町は育った土地とは別だったので、私には本当の意味での故郷はないと思っていた。
それが東京に出てきてからは、育った家や育った土地全体が私にとって特別の意味を持っていることに気付いていた。それだけに、あのお母さんの故郷のことが気になって仕方がなかった。

お母さんの生れた村はすでに廃村になったと聞いていたが、どういう理由で村がなくなってしまったのかは聞いていなかった。また、廃村という言葉自体が私にとって現実味のない言葉でもあった。
私の知識にある廃村としては、まず最初にダム工事のため湖底に沈んでいく村落のことが浮かんでくる。しかし、次に浮かんでくる具体的な例を私は持っていなかった。

湖底に沈まなくても、その関連の施設などのために一つの村が消えてしまうこともあるのかもしれないし、道路や空港などの大規模な土木工事には、村全体が消えないまでも故郷を捨てなければならない人も出てくるのかもしれない。
あるいは、村落そのものは存在していても、あまりにも厳しすぎる自然環境や生活の糧を得るのが困難なため、一人去りまた一人と故郷を捨てていき、西部劇に見るゴーストタウンのような状態となり廃村に至ることもあるのだろうか。

いずれにしても、村全体が消滅してしまうということは、地理上の故郷ばかりだけでなく、精神的なふるさとさえも失くしてしまうということではないかと思われる。それぞれの歴史や人間関係にどのような影響があるのだろうか。

私は昼食の後、寝転んで流れてゆく雲をぼんやりと見ていた。
真夏の太陽を浴びながら、お母さんの消滅してしまった故郷の村を想い、吹き荒れる雪の光景を想像していた。訪ねることが可能な場所であるなら、いつの日にかその場所に立ってみたいと考えていた。

流れている雲の量が増えてきたことに急かされて、私は歩きだした。次の目的地は、優雅な名前を持つS湖である。行程は草原の間のなだらかな道を下っていくもので、楽なコースであった。
しかし、S湖に着いたときにはとうとう雨が降り出していた。私は木陰で湖を眺めながらあとの行程を考えていた。

今夜泊まる予定の旅館までは、歩けばなお二時間ばかりを要する距離があった。時間的には十分余裕はあるが、天候が気掛かりであった。
雨はまだ小降りで上空も明るかったが、予報では夕方から相当の雨になると伝えられていた。さらに、私が歩いてきた方向からは真っ黒な雲が広がっていた。

私は一日に三本しかないその温泉行きのバスの時間に間に合うことを確認し、それに乗ることに決めた。そして、発車時間までの三十分程を土産物などを売っている湖岸のハウスで過ごすことにした。

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ランプの出湯   第四回

2010-05-18 18:22:45 | ランプの出湯
          ( 2 - 2 )

私の選択は正しかったようだ。
バスの発車時間を待っている間に空全体が真っ暗になり、雨脚は激しいものになっていった。
湖岸のハウスの中は、バス待ちと雨宿りが目的の客であふれそうになっていった。最寄りの国鉄の駅に向かうバスが到着すると、ハウスの中の人波は大きく動き大勢の人が出ていったが、すぐにまた元通りの満員状態に戻った。

当時のことで、豪華なバスはこの辺りには走っていなかったが、私の乗るバスはひときわ古ぼけたものであった。
私がそのバスに乗り込んだのは発車時刻の五分ばかり前であったが、乗客は私以外にいなかった。

「今夜は、TS温泉に泊まるんかの?」
「はい、その予定です」

「この雨じゃあ、大変じゃのお」
「すごく降ってきましたね。あしたも駄目ですかね?」

「うーん。大分降るらしいよ。あしたはT山かい?」
「はい。T山に登って、あしたの晩もTS温泉に泊まる予定なんです」

「そうかい。でも、あしたの午前中は駄目なんじゃないかな。あの山は難しい山ではないが、天候の悪いときは無理しない方がいいよ」
「ありがとうございます。注意します」

「やっぱり、悪天候の山は恐いからね・・・。さあ、行きますか」

バスは動きだした。乗客は私一人のままであった。まだ夕方の五時だったが、真っ暗な道は雨にさえぎられ、車のライトが先に通らないほどである。
たった一人の乗客である私に、運転手は気さくに話し掛けてくれた。もっとも、運転手の言葉遣いがどのようなものだったのかはっきり思い出せないので正確なものではないと思う。

「この調子だと、今夜の泊り客はあんた一人かもしれないよ」
運転手は斜め後ろに座っている私に話し続けた。

バスは山あいの道を走っていた。両側から雑木がせまり道幅はバス一台が走るのがやっとのように見える。激しい雨に煙る暗い道の視界は悪く、ヘッドライトの明かりも心細くすぐ前方を照らし出しているにすぎない。前方から車が来れば非常に危険だし、樹木の小枝はひっきりなしにバスの屋根や窓に接触していた。

しかし運転手は、私の不安などまるで気がつかないらしく、斜め後方の私と視線を合わせるほど振り向いて話を続けていた。

「この雨だから、このバス以外であそこへ行く人はいないと思うよ」
「そうかもしれませんねぇ・・・。あの旅館には、まだ電気はきていないのですか?」
私は前方を気にしながら尋ねた。

「いや、大丈夫だよ。テレビはないけれど、電気はついてから二年程になるよ」
電気はきているんだ、と私はつぶやいた。

今回の旅行の目的は、この温泉に泊まることであった。T山に登るのも目的の一つではあるが、それはTS温泉に宿泊することから出てきた付随的な目的なのだ。あくまでも今回の旅行の主目的はTS温泉に泊まることだったのである。

私がこの温泉のことを知ったのは旅行案内書からである。ひなびた温泉郷の特集の中で、まだ電気もない「ランプの出湯」として紹介されているのが目にとまったのである。
人気の高い観光地からごく近い場所にあることから秘境というほどのことはないとしても、いまだに電気がないということはそれだけでも私には十分魅力的であった。

しかし、すでに電気が引かれているとなれば話が違う。「ランプの出湯」がどこかへ行ってしまったことになるからである。
昨日の列車の中でも友人とこの温泉のことが話題になり、「ランプの出湯」の魅力を散々蘊蓄を述べまくっていたのである。これは格好がつかなくなったなと、変なことが気になっていた。

バスは三十分ほど走り終点に着いた。停留所は少し離れていたが、バスは旅館に横付けされた。私は運転手に礼を述べ下車した。
私と入れ違いに十人程の人がバスに乗り込んだ。ここから湖の方に戻る最終便になるのである。

その旅館は、見るからに質素な建物であった。外観は昔の木造の小学校の建物を小さくしたような感じで、旅館というよりは宿屋という方が似合っていたし、内部の作りは山小屋に近かった。

その宿の主人は、四十代半ばに見える男であった。ぶっきらぼうに入浴や食事について説明し、部屋の番号を教えてくれた。
一階は土間の部分が広く、上履きに履きかえる場所があり、そこから上がった所が食堂になっていた。食堂の一角がフロントのようになっていて、その奥が宿の主人たちの住居のようであった。

宿泊用の部屋は二階にあった。部屋数は六つくらいだったと記憶しているが、私は端から二番目の部屋であった。
部屋は八畳の日本間で、畳の色は変色していたが一人には十分すぎる広さだった。おそらく、四人くらいまでは泊める部屋だと思われた。天井は低く、私は大丈夫だったが、背が高い人だと届いてしまうほどに感じられた。
そして、部屋の真ん中あたりに、私に見せつけるかのように裸電球がぶら下がっていた。
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ランプの出湯   第五回

2010-05-18 18:22:10 | ランプの出湯
          ( 2 - 3 )

「あーあ・・・」
とんでもない「ランプの出湯」に、私はため息のようなものをつきながら電灯をつけた。驚くほど部屋全体が明るくなった。
バスの中といい、この宿に入ってからも全体に照明が弱かったらしく、私の目がそれに慣れていたらしく、裸電球の灯りがいやに強く感じられた。

私は荷物を広げてから、風呂に入ることにした。幸い、バスが旅館に横付けしてくれたこともあり雨に打たれたものはなかった。
「ランプの出湯」は、はかなく消え去っていたが、ひなびた出湯への期待は残っていた。

風呂場は、旅館本体の建物とは別にあり通路でつながれていた。そして、その風呂場は、私の予想を越えてというか、私が描いていたものとは相当違う形でひなびきっていた。
私が描いていた「ランプの出湯」は、谷川に面した辺りに自然の岩を固めた大きな露天風呂があり、豊かな温泉があふれていて、所々に置かれているランプは僅かに足元を照らすだけで、灯心は頼りなげに揺らいでいる。月はなく、満天の星が降り注ぐほどにきらめいている・・・。
まあ、それほどうまくはいかないという予感もあったが、現実は相当違うものであった。

広々とした・・・、というよりは、だだっ広いという感じの風呂場は、確かに野趣豊かなものではあった。
湯船と床部分は自然石を主体にセメントで固められ露天風呂風に仕上げられていて、材料さえあれば私でもできそうな手際に見えたが悪いものではなかった。
ただ、湯船は私の腰ほどの高さがあり、焚口が付いていた。その焚口で、うず高く積み上げられている薪を燃やしている裸の男がいた。

全体は露天風呂風の作りではあるが、全体が建物の中に収められていた。天井はクリーム色に塗られた板が張られていたが、その上はトタン板らしく、激しい雨がたたきつけられていて凄まじい音を立てていた。
そして、何よりも特徴的なことは、天井の一部が開けられていて、大きな白樺の木が空に向かっていた。

確かに豪快な作りではあったが、今日の天気では、そこから吹き込んでくる雨が飛沫になっていた。白樺の木と湯船の位置は、雨天の場合も考慮されているらしく配置されていたが、この雨では風呂場の半分は霧の中であった。

「いい湯加減になりましたよ」

茫然と風呂場全体を見渡していた私に、薪を燃やしていた男が声をかけてきた。
腰にタオルを巻いただけの姿で薪の番をしていたらしく、男は私に声をかけながら湯船に入った。私も湯船に近づき、桶で汲んだ湯をかぶった。確かに、良い湯加減になっていた。

「ここは温泉じゃなかったのですか?」
私も湯船に入りながら、男に尋ねた。

「そう、温泉ですよ・・・。ああ、わしが薪を焚いていたからだね。そこに入ってきているのが源泉だよ。そのままでは少しぬるいのでね」
「そうでしたか。確かにこのままでは入れませんね」

私は、竹を半分に割った樋から流れ込んでいる水を手で受けた。源泉だというが、温泉というより水に近いものであった。
それでも、しばらく手に受けていると水とは違う温もりが感じられた。

「冬だと結構暖かく感じるんだがね・・・。おひとりかい?」
「はい、ひとりです」

「このお天気じゃあ、大変だったね」
「ええ、今日は予定通り歩けましたが、あしたはちょっと無理なようですね」

「そうだねぇ。残念でしょうが、あまり無理はしない方がいいよ」

この後も私たちは湯船の中で話し合った。夕食も並んで食べながら話を続けた。
この夜の宿泊客は私たちだけだったので親しくなったともいえるが、私には不思議な雰囲気を持った人物のように感じられた。

男の年齢は五十代半ばに見えた。私の父より少し若い人だと思ったからである。
男は私に対して大変親切であった。山小屋のような小さな宿で大雨に閉じ込められたようになったたった二人だけの宿泊客だったから、親しく会話するのは当然なのかもしれない。
しかし、それにしても私や私の家族のことなどを本当に真剣に聞いてくるのである。特に、私と私の父のことについてみ興味があるらしく、いろいろ尋ねながら「山歩きもいいが、お父さんに顔を見せることも大切だよ」と何度も繰り返した。私が東京生活に慣れるに従って実家に帰る回数が減っていると話した時のことであった。

今考えてみると、ずいぶんとおせっかいな話であったように思うのだが、不思議と男に対して不愉快な感情は起こらなかった。
このような話をしながらの長い食事が終りかけたとき、突然電灯が消えた。薄暗い電灯だったが、消えてみると部屋の中は驚くほど暗くなった。
外の風雨の音が一段と大きくなったように聞こえてきた。

しばらくして、部屋の片隅に灯がともった。
「やっぱり、停電になってしまったなあ」と、宿の主人がカンテラのようなものを提げて私たちの席にやってきた。そして、私たちのために大きなランプを一つずつ用意して火をつけてくれた。

「これだけ雨風が強いと、停電するんじゃないかとは思っとったんですがね。今夜中は電気が無理だと思うで、このランプを使ってくれ、ね。いえね、最近でもランプを使いたいという客がいるもんだから、いつも準備はしているんですよ」

私と同じように「ランプの出湯」を求めてこの宿へ来る人も少なくないようであった。
実は私もそうだったと話すと、宿の主人は、これからもう一度風呂に入るように勧めてくれた。

「この天気だから情緒はないけれど、迫力はあるよ」
と、言うのである。
私と男は、宿の主人の勧めに従って、もう一度風呂に入ることにした。

それぞれが危なげにランプを提げて向かった風呂場は、宿の主人の言う通りの迫力に満ちた「ランプの出湯」であった。
ぬるめの湯が少し酔った身体に気持ちがよかった。
大きく開けられた天井から伸びている白樺は、激しく音を立てていた。そこから吹き込まれる雨は飛沫というには強烈過ぎて、その一部は湯船にまで降り注いでいた。

灯りは私たちが持ち込んだ二つのランプだけで、岩で組み上げられている湯船は先ほどとは違う姿となって浮かび上がっていた。
そして、男は、先程までの饒舌を忘れたかのように、湯船の中で黙然と腕を組んでいた。
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ランプの出湯   第六回

2010-05-18 18:21:44 | ランプの出湯
          ( 3 - 1 )

寝入って間もない時間に思えた。
私は、人の声で目が覚めた。寝不足で起こされたときの、あの気分の悪さが私の全身にあった。全身はまだ覚め切っておらず、しばらくの間は夢と現の区分がつかない状態でじっと身体を丸めていた。

意識が次第にはっきりしてきて、自分が信州の宿で寝ていることが分かってきた。部屋の中は真っ暗で、窓を打つ雨と風の音が激しかった。
腕時計の針が夜光塗料の光を微かに放っていた。おぼろげながら一時のあたりを指していた。

話し声は隣の部屋から聞こえていた。
階段を上がってきた最初の部屋があの男の部屋で、その隣が私の部屋である。今夜の宿泊客は、この二人だけのはずであった。

私は、昨日この宿に入ってからのことを思いだしながら、聞き耳を立てていた。別に積極的に盗み聞きするつもりではなかったが、微かに聞こえてくる話し声というものは、やはり気になるものである。

男が誰かと話をしているようであった。男の声はかなり鮮明に聞こえてきたが、相手の声は男よりずっと低く、ごく断片的にしか聞こえてこなかった。それでも、相手もどうやら男性らしいことは、時々聞こえてくる複数の笑い声から推察できた。

話の内容までは聞き取れなかったが、男の声は時々はっきりと伝わってきた。
「大丈夫なんだな」とか、「それは良かった」とか、「心配しなくていいんだな」といった言葉がかなりはっきりと聞き取れた。
相手の言葉は、不鮮明ながら「ありがとう」と聞き取れたものがあるくらいで、あとは男と一緒らしい短い笑い声だけであった。

息子さんが来ているのかな、と私は思った。聞こえてくる男の言葉遣いからそう判断したのだが、いずれにしてもそれほど深刻な会話ではなさそうである。
それにしても、この大雨の中をいつ来たのだろう・・・、などと思いながら、私は再び寝入った。

明るい日差しのようなものを感じて、私は目覚めた。同時に、寝過したかな、と思った。
サラリーマンの本能的な感覚かもしれないが、誰かに起こされたり人声や物音などで目覚めたとき、反射的に寝過したのではないかと感じることが私にはよくあった。この時も同じような感覚だったが、すぐに山に来ていることを思いだし、安堵のようなものを感じながら、雨が上がったのだと思った。

私は起き上がり、窓のカーテンを少し引いた。小さな窓には雨戸はなく、障子戸とガラス戸が設置されていた。
その障子戸を開けると、ガラス戸越しに外の景色がすでに明るくなっていた。太陽の姿はなく全体に煙っているようでもあるが、少し離れている山すそ辺りに白いもやのようなものがかかっているのが見えた。
腕時計は五時を指しており、四方を山に抱かれているこの辺りでは、日の出はまだ大分先のはずである。

その時、私は山道を行く男の姿を見た。もやがかかっているように見える辺りよりも少し高い所であるし、それほどはっきりと見えるわけではなく、男女の区別など分かるはずがないのだが、リュックサックを背負った姿は男性だと思った。
やがて、その姿は樹木の間に入ったのか、私の視界から消えた。そして、白いもやは薄れてゆき、そのあとは薄墨を流したようなものに変わっていった。

「まだ、早いんだ・・・」
私はひとり呟きながら再び横になった。

次に目覚めたのは七時少し前であった。身体が重く、すっきりとした寝起きではなかった。
昨日大分歩いたこともあるが、夜中と明け方に目が覚めたことが原因だと思った。普段は夜中に目を覚ますことなど滅多になかった。

私は横になったまま大きく伸びをし、反動をつけて立ち上がった。朝食は七時にお願いしていたから、あまり時間がなかった。
もっとも、天候次第ということになるが、天候さえ良ければできるだけ早く出発したかった。
今度はカーテンと障子戸を一緒に開いたが、激しい雨が降っていた。昨夜とあまり変わらないような天候らしく、少し不思議に思いながらも、山に登るのは無理だなと考えていた。

食堂に降りると、配膳はすでにされていて、男は席についていた。
私も挨拶をしながら並んで座った。宿の主人が味噌汁を運んできてくれた。そして、ご飯と味噌汁は全部食べていいよと言いながら、味噌汁の入っている鍋とお櫃を並べて置いてから食堂を出ていった。

私たちは揃って食事を始めた。魚の干物、山菜を炊き合わせたもの、それに漬物がおかずであった。大きめの皿にどっさりと盛られた漬物と、もろみのようなものがたくさん入っている味噌汁は格別の味であった。
男は私の挨拶に柔和な笑顔で応えたが、そのあとは静かに食事を始めていた。昨日の饒舌な男とは別人のようである。

「昨夜は、どなたかとご一緒だったのですか? いえ、話し声が聞こえたものですから」
「そうでしたか。睡眠の邪魔をしてしまったんですな・・・。息子と・・・、息子と一緒だったもんですから・・・」

「やはり、そうでしたか。お話の内容が聞こえたわけではないのですが、何だか楽しそうにお話しされていましたから」
「そうでしたか?」

「はい、時々一緒に楽しそうに笑われていましたから、親しい人だとは思っていました」
「笑い声まで聞こえましたか。迷惑かけましたな。久しぶりだったもんだから、ついつい話が弾んでしまって・・・。迷惑をかけましたな」

「いえ、そんなことありませんよ。私の方は、すぐにまた寝てしまいましたから。ご子息は、お食事まだなのでしょう?」
「いや、約束があるとかで、もう出掛けましたよ」

「そうですか、お忙しいのですね」
「まあ・・・」

会話はここで途切れた。食事をしながらの挨拶代わりのような会話なので、別に相手の意見や考えを確認するものではなかった。しかし私には、男が私との会話に乗り気でないのがはっきりと感じられた。
話し方も昨夜の親しげなものとは違っていた。私にしても、一種の愛想のようなつもりの会話なので、無理に続ける必要などなかった。

男は食事が終わると、朝のバスに乗ると言いながら席を立った。
そして、突然昨日の話の続きのように、実家には時々帰りなさいよ、と親しげな笑顔を見せた。
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ランプの出湯   第七回

2010-05-18 18:21:13 | ランプの出湯
          ( 3 - 2 )

十一時頃、雨が小降りになった。
空も山も道も、何もかもがもやに包まれているような状態だったが、私は歩いてみることにした。山頂まで行くのは時間的に無理であるが、このまま一日中宿にいるのはかなりの苦痛であった。男が出発したあとは、宿の客は私一人なのだ。

宿の主人は、雨は一時的に止んでいるだけなのだから無理をするな、と何度も言ってくれた。それでもなお、たとえ一時間だけでも歩いてみたいと突っ張る私に握り飯を包んでくれた。そして、間道には入らないことと上に登り過ぎないことを、くどいほど念を押してくれた。
まだ若かった私は、親切に感謝しながらも「大丈夫だよ」と心の中では思っていた。

幸い雨は止んでいた。もちろん太陽の姿はどこにも無かったが、空の一角が雲が切れて少し明るくなっていた。
私はバス道をしばらく歩いてから登山道に入った。
上の方はどうなっているか分からなかったが、登山道はよく整備されていて小さな車なら通れそうである。
私は道路の状態に安心し、宿で考えていたように案内書にある見晴台まで行くことにした。片道二時間程の距離なので、少々の雨なら危険はないと思ったからである。

私は山歩きが好きで、それもどちらかといえば一人で行くのが好きであった。
ただし、それは登山というほどのものではなく、整備された登山道以外を歩く技術はなく経験もなかった。そのことは、私自身十分承知していた。

その登山道は、上へ行くというより山を大きく巡っていた。もちろん上り勾配ではあるが東京郊外のハイキングコースと大差なかった。宿の主人が間道に入るなと注意してくれていたのは、上級者のコースがあるのかもしれなかった。
私の場合は見晴台が目的場所なので、間道があっても入る必要がなかった。それに、時々やってくる雨は激しくなかったが、空は再び暗さを増していた。

予定の二時間を少し過ぎて、見晴台に到着した。
見晴台といっても特別な施設があるわけではなく、北に向かって展望が開けている場所に丸太で作られたベンチが一つ置かれているだけである。私はベンチは使わず、二本ある木の陰で雨を避けながら握り飯を食べた。

天気が良ければ遠くの連山が望める場所だが、見えるものはまっ黒な雲だけであった。眼下に広がっている樹海も雲に覆われていた。
それでも、天を包むまっ黒な雲と樹海に広がる薄墨色の雲の対照は、今まで見たことのないものであった。

「彼はどこへ行こうとしていたのだろうか」
樹海に広がる雲が天の雲と交わる辺りを見渡しながら、私は明け方に見た山道を行く男のことを思いだしていた。そして、あれは夢だったのかもしれない、とも思った。

握り飯を食べ終わりリュックサックを背負い直したとき、まるでそのタイミングを待っていたかのように激しい雨がやってきた。
一瞬のうちに、天を包む雲と樹海に広がる雲は一体となって、全ての視界を覆い尽くした。

私は土砂降りの雨の中を下り始めた。相当激しい雨だったが、辺りの暗さが怖いほどで、とても木の下で小降りになるのを待つほどの根性は私にはなかった。
真っ暗闇というほどではないが視界は殆どなく、ただ足元だけを見つめて歩いた。幸い来た道を戻るので不安は少なかったし、大部分が緩やかな下り道なので進むのは楽であった。

ただ、山側から流れ出てくる水は川のようになり歩き難くなっていったが、谷側は足を踏み外す危険があったので、山側に添うようにして歩いた。
樹木に囲まれているような道の連続で、ますます暗さを増しているように感じていたが、ふと立ち止まって見上げてみると、樹林の切れている部分は雨足が白く光っているように見えた。

何の光に反応しているのか、勢いよく落ちてくる雨粒の一つ一つが、きらきらと光って見えた。そして、その光輝く雨粒は、足元から空に向かってV字型に広がっていた。
きらきらと光り輝く一粒一粒は、次々と足元から沸き上がり、渦を巻き、大きくうねりながら天に向かって上って行っているように見えた。

私は、激しく降り続く雨の中で、その光景に見惚れていた。
それにしても、あんなに大きなリュックサックを背負って、朝早くから彼はどこへ行こうとしていたのだろうか・・・。
そして、朝早く山道を行く男のことと共に、お母さんのあの話が浮かんできていた。

・・・怒れる雪も優しい雪も、どれもみんな雪は雪。最後の最後には、わたしたちみんなを受け入れてくれることを知っています・・・
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ランプの出湯   第八回

2010-05-18 17:19:44 | ランプの出湯
          ( 4 - 1 )

私が宿に辿り着いたのは、夕方の五時を過ぎていた。
宿の主人は私が無事に帰りついたことを喜んでくれた。心配を懸けたことは申し訳なかったが、客とはいえ他人の私のために大げさに思えるほど喜んでくれる姿に少々戸惑っていた。

あと一時間も遅ければ警察に連絡するところだったという宿の主人の様子から、私が歩いていた登山道に比べこの宿の辺りの風雨はよほど激しいもののようであった。
距離にすればいくらも離れていないのだが、低気圧の位置の関係などで山の天候は大きく変わるのだろうと思ったが、実は、私には帰路の風雨の状況などに明確な記憶が残っていなかった。

主人の勧めで風呂に入った。電気は朝に復旧していて、今のところ無事なようである。
ずいぶん沸かしておいてくれたらしく、湯は昨日よりかなり熱く感じられたが、息を止めるようにして入った。熱い湯がじんじんと全身に襲いかかってくるような感覚がしていたが、しばらくするとその温度に慣れてきた。

自分では気が付いていなかったが、身体がかなり冷えていたらしく、湯の熱さはそのためだったのかもしれない。帰路の状況の記憶が依然あいまいなので、相当体を冷やし続ける状態を続けていたのかも知れなかった。

私は全身を伸ばし、大きく息をした。
周囲の雨や風の音は、昨日と変わらぬ激しさであった。ただ、頼りなげな電灯ではあるが、その明るさが現実の中にいることを実感させていた。
激しい風雨の音を聞き、白樺の木を打つ雨の飛沫を見ながら、私は、昨日風呂を共にした男と彼の息子のことを考えていた。

「あんな時間に、大きなリュックサックを背負って、彼はどこへ行こうとしていたのだろう」
私にとって、朝から何度目かの呟きであった。

風呂からあがると、ちょうど夕食の準備中であった。
「わしたちと一緒でも、いいですなあ」と、宿の主人は私の了解を得ながら配膳を進めていた。

私は部屋に着替えなどの荷物を置きに戻り、再び食堂におりた。
食事の席には宿の主人の母親が一緒だった。この夜の客は私一人だけで、経営者二人と客一人が一緒に食事をするという、まことに申し訳ない状態になった。

差し障りのない会話をしながらの食事は終わりかけていた。私の前には、デザートの大きな瓜が出されていた。

「昨日のあの方、息子さんとご一緒だったのですね」
私は、ずっと気になっていたことを口にしてしまった。別に不自然な話題ではないはずだが、私の気持ちの中で何かが引っ掛かっていた。

「息子さんって? 会ったのかいなあ?」
宿の主人の不審げな表情に、やっぱりまずかったかな、と私は直感した。しかし、打ち消すわけにもいかない。

「楽しそうな話し声が聞こえたものですから・・・。今朝お聞きしたら、息子さんが来たと言っていましたよ・・・」

短い沈黙があり、そのあと宿の主人は母親に向かって伝えた。

「昨夜、会えたらしいよ」
「息子さんとかい? それは、良かった・・・」

母親は私に向かって笑顔で話しかけてきた。私は、その笑顔に誘われるように母親に尋ねた。

「あの人たちのこと、ご存じなんですか?」
「ああ、よく知ってるよ」

「息子さんのこともですか?」
「よく知ってるよ」

「昨日か今日かに、会われました?」
「あの人には今朝会ったよ。わたしがバスを降りるときに、な」

母親は朝のバスに乗ってきたそうで、降りたときに入れ違いに乗り込むあの男と挨拶を交わしたそうだ。

「息子さんは、早くに帰ったそうなんですよ」
「あの人が言っていたのかな?」

「ええ、予定があるので早く帰ったって・・・」
「そうかい・・・。それなら、きっと、早くに帰ったんだろう・・・」

宿の主人は、私と母親の会話を興味深げに聞いていたが、私たちの会話に割り込むようにして母親に言った。

「事件のことも話してあげた方がいいよ。息子さんの声を聞いたとしたら、やっぱり気になるよ・・・」
「そうかなあ・・・。うん、そうかも知れんなあ・・・」

母親は、何度かうなずくと私に話し始めた。

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ランプの出湯   第九回

2010-05-18 17:19:00 | ランプの出湯
        ( 4 - 2 )

その事件は、五年ほど前の夏に起こった。

ここからそれほど離れていない町で殺人事件が発生した。雑貨店を営んでいた六十歳の女性が殺害されたのである。
一人暮らしだった女性は夜中に侵入してきた犯人に襲われたらしく、寝ているところを絞殺され売上金などが奪われていた。
犯人に繋がる遺留物は発見されず、指紋なども検出されなかった。日頃平和な町だけに大騒ぎとなったが、いわゆる流しの犯行説も浮上し事件解決は困難が予想された。

捜査が大きく動いたのは、交通事故で調べられていた若者の供述からであった。
追突事故を起こし警察の捜査を受けた乗用車に、乱雑に積み込まれている品物に不審を抱いた警察官が、乗っていた二人の若者を追及したところ、盗んだものであることを白状したのである。そうなると、当然の流れとして数日前に発生した殺人事件との関連が取り調べられた。
その結果、有力な容疑者が浮かんできた。それが、彼の息子だったのである。

窃盗容疑で逮捕された若者たちの供述によると、あの夜、殺された女性の店に盗みに入る予定だったというのである。そのメンバーが、彼の息子を含めた三人で押し入る予定だったが、二人が約束の場所に行くことができなかったと供述した。
三人は、高校生の頃の悪ガキ仲間で、いつもは彼の息子とはあまり接触はなかったが、たまたま出会い三人での犯行計画が浮かんだのだという。

逮捕された二人はいつも行動を共にしていて、事件当日も隣町のパチンコ店で遊んでいたが、そこで土地の不良グループとトラブルを起こしていた。二人がいつも使っている車は、そのうちの一人の父が所有している高級車で、当時はまだ普通の若者が車など持てない時代なので、そのことから因縁をつけられたようである。

騒ぎは警察官が駆けつけるまでになり、二人は夜遅くまで警察署に留め置かれることになってしまった。そのため、彼の息子との待ち合わせ場所へは行けなくなり犯行は実行できなかった。
翌日になって、押し入る予定の場所で殺人事件が起こっていたことを知った二人は、彼の息子が単独で押し入り、騒がれたため殺してしまったのだと考えていた。ただ、自分たちも脛に傷持つ身であるだけに、警察に届けるわけにもいかず思い迷っていたようである。

こうして彼の息子が有力容疑者として浮上したが、すでに行方が分からなくなっていた。事件発生の日の午後に、旅行に行くとメモを残して家を出て行っていたからである。
彼の息子が家に帰らないのは、これまでも珍しいことではなかった。専門学校に在籍していたがほとんど出席しておらず、アルバイトのようなことはしていたが、少し金ができるとぶらりとどこかへ行ってしまうのはいつものことであった。

このため、息子が家に帰らない状態になっても彼も彼の妻もそれほど心配をしていなかったが、そのことが容疑者として決定的ともいえる状態を示すことになってしまった。高校二年の頃から不良グループとの付き合いがあり、これまでに二度警察に補導されていたことも容疑を深めることに働いていた。
その後の捜査からは、新しい情報や手がかりは発見されず、警察は彼の息子の犯行との容疑を深め行方を追ったが、見つけだすことはできなかった。

状況は彼の息子が極めて不利な立場だったが、犯人と断定できない事情もあった。
第一には、指紋をはじめとする物的な証拠が何もないことである。さらに、彼の息子を犯人にするには不自然なこともあった。
雑貨店の女性経営者は、布団の中で殺されていた。店舗の奥にある寝室で眠っているところを殺されたらしく、争った形跡がなかった。店舗のレジや引き出しは荒らされていたが、寝室は荒らされた様子がなく、現金や預金通帳なども残されていた。

被害者が一人暮らしのため、どの程度の被害があったのかはっきりしないが、おそらく売上金などの一部程度で、盗みは偽装という可能性も強かった。窃盗容疑で逮捕された二人の供述からは、彼らが目論んでいたものは「コソ泥」程度のことで、わざわざ寝ている者を殺すというのとは結び付かなかった。

それともう一つ、彼の息子は、犯行翌日の昼前にこの宿に立ち寄っていた。以前から面識のある宿の主人に昼食を食べさせてもらうためで、さらに弁当も作ってもらって出ていったのである。
もし彼が殺人を犯しているのであるなら、半日も過ぎた頃にこの辺りでうろうろしているのも不自然なことであった。
警察はこれらのことから彼の息子を犯人と断定することもできなかったのである。

事件は解決の目処がたたないまま膠着した。
彼の息子の行方は分からないままであった。これまでにも、ぶらりと家を出ていくことは珍しくなかったが、一週間以上帰ってこないことは一度もなかった。彼や彼の家族の心配は募っていったが、ひと月を過ぎても息子からは何の連絡もなかった。

そして、彼の家族に更なる不幸が襲いかかってきた。
正式には、警察が彼の息子を犯人と決め付けたわけではなく、当然発表もされていなかったが、多くの報道機関が彼の息子や家族のことを公然と報道した。もちろん実名は伏せられていたが、彼の町内や関係先などでは、誰のことを伝えているのか十分に分かるものだ。

まず、高校生と中学生の二人の娘が学校へ行けなくなった。石を投げ込まれて窓ガラスが割れたり、塀に犯人と決めつけるような落書きをされることなどが頻発した。
脅しや嫌がらせの電話や、無言電話が後を絶たなかった。

一家は、世間の圧力に潰されていった。
教育者や文化人といわれるような人たちが、新聞やテレビ番組などで事件についての自説を堂々と披露したりしていた。それらの立派な意見は、彼の家族たちを地域社会から葬り去るために、結果として役立った。そして、その力は、おそらく裁判の判決よりも厳しいものとなった。

彼は離婚を決意し、妻と二人の娘は転居した。それも、三度、四度と住居を変えた。一度目はマスコミに住居を見つけられ追いかけられたからである。
離婚の目的は娘たちに妻の旧姓を名乗らせるためであり、転居を重ねた目的は、地域社会と絶縁し都会の片隅に埋もれるためであった。

彼は一人残り、息子の帰りを待ち続けた。
彼は息子の無実を信じていたが、万が一にも息子が事件に関係していたとしても、むしろ、そうであるならなおさらのこと自分が息子を受け止めて守らなければならないと考えていた。それが、そのような状態に追い込んでしまった息子に対して、父として果たせる息子への謝罪だと考えていた。

幸い会社では、閑職に移されたが引き続き勤務できていたので、休日などを利用してわずかなうわさを頼りに息子の行方を捜したが、新たな足跡さえ見つけることができなかった。
一年を過ぎた頃から、彼は毎月のようにTS温泉を訪れ、T山に登るようになった。そこが、息子の姿が最後に確認された場所だったからである。
彼の家族は、息子がまだ小学校の頃から何度かT山に登っており、息子は大きくなってからは一人でも何度か登っていて、山の状況はよく知っているはずであった。

事件の直後に、警察で山狩りのようなことも行われたが、息子がT山の登山道に向かったという後の足跡は全く掴めることができず、事件の解決も息子の行方も何の進展も見ないまま月日が過ぎていた。

「あの人がのう・・・」

宿の主人の母親は、長い話の結末を、厳しかった表情を緩めて私に語った。

それによれば、彼が毎月のようにこの宿に泊まりに来るのは、何か月かに一度は息子に会えるようになったからなのだというのである。
私は、それは生きている息子に会えているということなのかどうかを確認したかったのだが、宿の母親は、そんなことはどうでもいいことだと言わんばかりに、静かに首を振り、話を終えた。

   **

翌朝十時過ぎに宿を出た。徒歩でS湖に向かい、そこからバスで帰路に着く予定であった。
私が大きなリュックサックを背負った男を見た辺りは、深い緑に包まれていた。深い緑の下には山仕事のための小道が縦横に走っているのだろうが、登山道や峠越えの道のある方向ではなかった。
そして、何故かそのことが私に安堵感のようなものを与えていた。

私はリュックサックを背負い直した。
ずいぶん長い間見ていなかったような気がする抜けるような青空と、登ることができなかったT山の稜線とが描く、きらきらと輝いて見える曲線を何度も目で追ってから、私は歩き始めた。
                                      ( 終 ) 


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